人知を超えた力
ネットで頼んだソファーが玄関にやってきた。これでアカメと一緒に体育座りやあぐらをしないで、快適なテレビ鑑賞ができる。生活費は雀の涙になってしまったがまあ問題ない。
しかし、今からこの2人用のソファーを、テレビの前まで運ばないといけないわけだが……。
試しに持ち上げようとするも、予想より重くてソファーを持ち上げるのは無理そうだった。宅配の人に気を使って「玄関までで大丈夫ですよ」なんて見栄を張るんじゃなかったと後悔にうなだれると、いつのまにかアカメがソファーの上でぐてーっと溶けるようにくつろいでいるのに気づく。そりゃ重いわけだ。
「今からこのソファーをテレビの前まで運ぶからちょっとどいててな」
アカメの脇を抱えて持ち上げ、地面に下ろす。アカメは非常に軽かった。
もう一度ソファを持ち上げようとチャレンジするも、やはり持ち上げられそうにない。ソファーが持ち上がらないのはアカメのせいではなく、シンプルにおまえの筋力不足だと現実を突きつけられる。
「これは、ソファーの脚にタオルでも挟んで引きずってくしかないかなあ」
力んだせいで顔を熱くしながら、プルプルになった手を振って休憩していると、突然、ソファーが宙に浮いた。
「うわ!」
ぼくは心臓が跳ねたんじゃないかってくらい驚いて、壁に頭をぶつけた。
後頭部にできたたんこぶをさすりながら冷静になって観察すると、べつにそれはポルターガイストってわけじゃなかった。アカメが片手でひょいっとソファーを持ち上げていたのだ。
小さな少女が重たいソファーを軽々と持ち上げている、という理解し難い状況は、ポルターガイストよりよっぽどホラーじみている気もするけども。
アカメはそのままソファーをテレビの前に設置して、ぽふっとソファーにお尻から飛び込むと、レザーの感覚を楽しむように、左右にごろごろと転がった。
「あー」
気に入ったのだろうか。アカメはまるで温泉にでも浸かっているみたいな、リラックスした声を漏らした。
まあ、なにはともあれだ。
「ソファー、運んでくれてありがとな」
「あー!」
アカメは嬉しそうに、ソファーの上でボフボフと体を跳ねさせた。
「吸血鬼が怪力って本当だったんだ! 怒らせても殺されないからてっきり違うと思ってたのに!」
と、部活が終わりぼくの家に押しかけてきた部長に、今日のアカメが見せたその外見に似合わぬ怪力について話せば、そう言って大はしゃぎした。
ホントにこの人、アカメを怒らせておいて今までよく無事だったなあとぼくも思う。
「なんだかんだで本気で怒ってるわけじゃくて、わたし相手に加減してくれてたんだねー、感激!」
「うー」
部長はソファーでくつろいでいるアカメに抱きついた。心底嫌そうに眉を八の字に曲げているものの、逃げる様子はない。ソファーから退くのが嫌なのだろう。
「ところでこのソファーってどのくらい重かったの?」
「すくなくともぼくには持ち上げられなかったですけど」
「うーん、弘明くんはひょろひょろしてるもやし系男子だからなあ」
もやし系ってなんだ。草食系みたいに言うな。
「じゃあ、海にいこうか!」
「は?」
「あー?」
笑顔を浮かべる部長に、ぼくとアカメは揃ってハテナを浮かべた。
その日の夜、ぼく達は本当に海に来ていた。
「ずいぶんと風情のない海ですね」
役目を終えた鉄くずたちを見て、ぼくはそう呟いた。電化製品に廃車。いわゆるゴミが所狭しと不法投棄された砂浜にはムードもなにもありはしない。もし物に怨念が宿るのだとするなら、さぞかしここは恨みつらみに溢れていることだろう。
「あっ、これとかいいんじゃない? このトラック! 結構重いと思うんだけど」
部長は、アカメの怪力の限度を測れそうなダンベル代わりの鉄くずを探している。こんなデカいものまで捨ててしまうとは、人間とは本当に業が深い。
「夜に出かけたりして親御さんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫! 友達と花火しに行くってことにしてるからね」
その嘘が信じてもらえるくらいには、交友関係が広いと思われているらしい。
「ただ、家の周りに不審者が出るって話があるから、帰る時は気をつけてねーだって」
「それ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。私物とられたりするのは小さい頃からだから慣れてるし、変質者に狙われることもあったからね。不審者対策もバッチリだよ。ほら、防犯ブザーに催涙スプレーにスタンガン! ね?」
部長はそう言ってどこからともなく不審者撃退装備を見せびらかしてきた。正直ぼくには、不審者よりこんなものを普段から隠し持っている部長の方がよほど怖い。
「盗まれるから置き勉とかできなくて地味に困るんだよねー」とぼやく姿からは、危機感というものが微塵も感じられなかった。それ、本来学級裁判が起こるレベルの大事件なんですけども。
「そういうのって、学校に相談とかしないんですか?」
「ふん。小学生や中学生のときに相談してもロクに役にたたなかったらねぇ、もう二度と相談しないよ」
そう吐き捨てる部長から、教師という職業に対する並々ならぬ失望や恨みが溢れ出ていた。
顔が良くて胸がでかい。そして自分の外面的優位を使って男をこき使っているイメージしかなかったが、顔が良い故の苦労というのもそれなりにあるようだった。
「アカメちゃーん、おいでー」
部長が呼んでも、アカメは知らんぷりで周りを興味深そうに眺めていた。
「アカメー」
ぼくが呼ぶと、アカメは嫌々そうな重たい足取りで部長の方に向かう。
「アカメちゃんにこれ、持ち上げてみてほしいなーって」
「……あー」
やる気の無さそうな声で返事をして、アカメは片手で、ひょいっとトラックを宙に浮かせた。それはもう、まるで発泡スチロールでもあげるみたいに軽々と。
恥ずかしい話、ぼくはあまりにびっくりして腰が抜けそうになった。
横を見れば、部長も口をあんぐりと開けてあっけにも取られているようだった。
「これはスーパーマンもびっくりだねぇ」
「あー?」
「あ、うん。もういいよー、アカメちゃん」
ドスンと、ゆっくりと下ろしたのに重量感のある音が響き、砂が舞った。
部長がパンっと手を叩いた。
「とりあえず、アカメちゃんはとっても力持ちってことで良さそうだね!」
結局、アカメの怪力の限界を確かめることはできなかった。家一つくらいなら持ち上げてしまいそうな気もするが、試すのはまずいだろう。
「それじゃあ次はー」
と、部長はリュックを下ろしたガサゴソと漁りだす。
「まだなにかするつもりなんですか?」
「ふっふっふ。親に花火に行くっていったのも、嘘じゃあないんだよ?」
「ジャジャーン」と部長は背負ったバックから手提げ花火のセットを取り出した。
やけに荷物が多いなあと思っていたら、花火が入っていたのか。
「ここなら人も来ないし楽しめるかな―って」
「あー?」
アカメは花火を興味深そうに眺めていた。すんすんと匂いを確かめているが、それは食べ物じゃない。
予想通り、「うー!」とアカメは花火から距離をとった。
防腐剤とか乾燥剤とか、明らかに食べ物じゃない見た目のものに「食べられません」と注意書きされる理由がわかった気がする。
部長が勢いある花火を振り回してキャッキャしてるのを見て、アカメは「うー」と身を縮こませる。どうやら花火が怖いらしい。
アカメには線香花火をつまませて、火をつけてやれば、燃え上がる小さな火の玉をじーっと眺めていた。ぽとりと地面に落ちてしまうと
「あー!あー!」
もう一回!という風に、アカメは大はしゃぎで、手足をバタバタと動かした。
「はいはい。ちょっと待ってな」
アカメも二、三本目からは花火への恐怖も無くなったようで、勢いの激しい花火でも楽しそうに遊びはじめた。
ぼくはその様子をカシャっとスマホで写真を撮る。吸血鬼は鏡や写真に映らない、なんて聞いたことがあるが、我が家の吸血鬼はひと味違うらしい。さすがうちの子である。あとで部長に送れば泣いて喜ぶだろう。
スマホを仕舞ったぼくも花火を片手に持ち、楽しそうにはしゃぐ二人に混ざった。
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