変態と風呂
『えー、弘明くんの家でシャワーを浴びるのは貞操的危険を感じるなあ』
部長に通話で少女をお風呂に入れてほしいとお願いしたところ、そんなふざけたことを言い出した。
「家の鍵を渡してぼくは外に出るので、部長がこの子をお風呂に入れてる間、鍵かけといてください」
どうせそんなことを言うだろうと思っていたのであらかじめ対策は用意してある。
「うわあ、そこまで徹底されるとちょっとショックかもなあ」
部長の少しすこし落ち込んだ声に、ぼくはざまあ見ろとほくそ笑んだ。
「ところで、この子の着替えってどうしたらいいですかね」
『ああ、それならわたしの子供のときの服が残ってるから、それを持ってくよ』
子供の時……か。部長にも純粋無垢な子供時代があったのだろうか。時の流れはどうしてこうも残酷なのだろう。
「そういうの、成長したら処分するもんだと思ってましたけど」
『ほら、下の子が生まれたときのためとか、親の知り合いに子供ができた時なんかも送ればタダで恩を着せれるしで、残してあるんだよ』
「へー」
「タダで恩を着せられる」以外にもうちょっとマシな言い方はなかったのだろうか。
「サイズ合いますかね?」
『今着てる服もわたしのだし、サイズは大丈夫だと思うよ?』
それは初耳だった。てっきり、最初からこの服を着ていたものと思っていたけど、違ったのか。
「じゃあ、この子が元々着てた服ってどうしたんです?」
『そういえば最初に会った時はぶっかぶかの服を着てたなー。大きすぎて足元にずり落ちてたから、着てたというより、被ってた、みたいな感じだったけどね』
部長は『家に保管してるから子供服と一緒に持ってくよ』と言い、通話を切った。
「この熱い中おつかれ様です」
重たいダンボールを運んできて、汗をだくだくにかいている部長に、俺は冷蔵庫の麦茶をコップに移して、タオルと一緒に差し入れた。
「あー生き返るぅ~」
麦茶をごくごくと飲み干すと、部長はいつもの可愛いアピールも忘れて、野太い声を漏らした。
「そうそう。その子が最初に着てたのはこれだよこれ」
部長はダンボールを開いて、一枚の服を出す。それは、真っ赤なドレスだった。明らかに成人向けのサイズで、これを着ていた人は、かなりの長身だっただろうことが伺える。
「彼女の母親のもの……ですかね」
吸血鬼の親。それは間違いなく吸血鬼ということになるのだろう。それともなにものかに吸血鬼にされた、元人間だったりするのだろうか。
「もしくは姉とか? そうだとして、なんでこの子が着てたんだろ?」
部長はうーんと首をかしげた。
「ぼくに聞かれてもわかるわないじゃないですか」
「それもそうだよねえ。あー、運動して良い汗かいたことだし、それじゃあそろそろお風呂に入ろうかね」
部長は少女の方を体を舐めるような怪しい視線で見て、鼻息を荒くし、手をわきわきと節足動物の足みたいに蠢かせた。なんだこのおっさんは。
少し迷ったものの、約束通りぼくは部長に部屋の鍵を渡して外に出る。
扉を閉じる途中、隙間から「うー!」とよたよた逃げる少女と、「待てー」とそれを楽しそうに追いかける部長という図に人選ミスは否めない。かといって他に頼む人もいない。助けを求めるようにしきりにこちらに向けられる少女の視線を、ぼくは見て見ぬふりをした。
『もう帰ってきていいよ』というメッセージを確認して部屋に戻ると、部長の髪はドライヤーによりしっかりと髪は乾かされた後で、髪と肌が濡れた艶めかしい姿を見てドキっとすることもなかった。
「吸血鬼は流れる水に弱いっていうのが一般的だけど、シャワーは大丈夫みたいだね。聖水とかじゃなきゃ効果ないのかな?」
部長は少女を抱きしめて、つむじに鼻を押し当てて、すーっと深呼吸しながら吸血鬼について考察していた。
「うー!」
少女は部長の拘束から抜け出して、俺の背中へと隠れた。近くで見れば、髪のキューティクルが綺麗に出ているのがわかる。手で髪を掬ってみれば、サラサラといつまでも触っていたいような、なんともいえない快感があった。
「うー」
やめろとでも言うように、少女は頭を振る。そのあと頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いた。どうやら髪をいじられてお怒りのようだ。
これは、「よいではないかよいではないか」としたくなる部長の気持ちがわからないでもなかった。
思わずもう一度触れと手が疼いたが、部長と同類にはなりたくない一心でなんとか耐える。
「聖水とか、存在するんですかね」
そもそも吸血鬼に十字架が効くなんて話も怪しいものだ。もし怪我なんてしたら嫌だから試さないけど。にんにくくらいなら、試してみてもいいかもしれない。
「吸血鬼が存在してるのになにを今更」
部長は肩をすくめた。
言われてみればその通りだ。今や幽霊や宇宙人が目の前にひょいっと現れたとておかしくはないとさえ思ってしまう。吸血鬼という存在のせいで、ぼくの常識は完全に使い物にならなくなっていた。
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