おしゃぶりチュパチュパ


 早朝だというのに、息苦しくて目が覚めた。起き上がろうとするも、まるで上に重しでも載っているかのように体が重い。

どうなっているんだと目線を自分の体へ向けると、かけていた布団がもっこりと盛り上がっている。


ぺらりと布団をめくってみれば、そこには少女の寝顔があった。


少女は、仰向けに寝ていたぼくの上に覆いかぶさるように寝そべっていた。ぼくが寝ている間に布団の中に潜り込んでいたらしい。どうりで息苦しいわけだ。


ぼくは少女を起こさないようゆっくりと横に下ろし、布団から出た。


 カーテンを開くと、まだ外は暗かった。窓を鏡代わりにして首筋を確認するが、噛まれた跡は無さそうだ。喜ぶべきか残念がるべきか。

 時刻を確認しようとスマホを手に取ると、部長からの不在着信が12件も溜まっていることに気づく。最新の着信時刻は午前3時過ぎ。


メッセージチャットの方を見れば、「カーテンしめて」という旨のチャットが何通も投稿されていた。


ぼくは圧倒的情報不足なメッセージの意図を、寝ぼけた頭で考察する。やがて、そういえば吸血鬼は日光が弱点という設定の話が多かったなと思い出した。


ぼくは外を確認するために開けていたカーテンをすぐに閉める。


吸血鬼が日光に当たった際の症状は、作品によって日焼けしやすいくらいの軽いものから、体が燃え上がる、一瞬で灰になる、なんて重いものまでマチマチだ。吸血鬼か人間かを見分けるにはぴったりの方法ではあるが、今ぼくの布団でぐーすか眠っている少女が目の前で悶え苦しみながら灰になったらと考えると試したいとは思わなかった。


 少女が起きたのは、その日の夕方だった。布団から起きてすぐ、少女は「あー。あー」と流しに洗って置いた哺乳瓶を指差した。どうやらお腹が空いたらしい。


部活動を終えて一目散にぼくの家まで着たらしい部長は、少女の顔を弄り回していた。少女がこちらを向いて、「うー」と助けを求めるように情けない声をあげる。


部長は猫に構いすぎて嫌われるタイプらしい。


「粉ミルクが血液の代わりにねえ」


血ではなく粉ミルクを与えたことを教えると、部長は興味津々の様子で笑みを浮かべた。吸血鬼について新しい情報が増えるのが楽しくてたまらないのだろう。


「まだ決まったわけじゃないですけどね」


 そう言いながらも、ぼくもなんとなくこの少女が吸血鬼なんだろうなと思い始めていた。

外見の特徴うんぬん以外に、この少女には、人とは違うオーラみたいなものがある。


「牛乳とかは試したの?」

「いえ、赤ちゃん用の粉ミルクだけです」


 昨日は部長の母乳がどうこうという話をしたものだから、母乳の代わりになるもの、という考えで頭がいっぱいだった。しかしそうか、牛乳という手もあったのか。


 今にして思うと哺乳瓶で飲ませる必要性もあまり感じられなかった。


「じゃあ試したいから買ってきてくれない?」


部長はきゅるるんと上目遣いで目をうるませる。家に上がられた挙げ句にパシられた。最低な部長である。まあ、言われた通り買いに行くぼくもぼくだ。なんだかんだで部長とか上司には逆らえない。


夕方になって、少女が哺乳瓶を指差して空腹を訴え出すと、部長は「待ってました!」と先小躍りする勢いで牛乳をレンジで温め始めた。


まずは体温くらいに冷ました牛乳をコップに入れて与えてみる。少女はいつものようにスンスンと匂いを確かめ、舌でぺろりと牛乳を掬うと、味を確かめるように口をパクパクと開閉した。そして、


「うー」


と顔を歪め、コップを机の奥へと押しのけた。


「へー、牛乳じゃダメなんだね。それともコップが嫌だったのかな?」

「見た感じだと味が気に入らなかったって感じでしたけどね」


少なくとも牛乳は匂いの関門はクリアしていた。オムライスやカレーはそもそも匂いだけでアウト判定を出されてたのに。


次は牛乳を哺乳瓶であげてみたが、「うー!」とすぐに哺乳瓶をこちらに押し返して、味を確かめることもしなくなった。


意外だったのはコップで粉ミルクをあげてみると飲むには飲んだものの、少ししかミルクの量か減らなかったことだ。余ったミルクを哺乳瓶に移してあげてみると、少女はチュパチュパと吸い付き一滴も残さぬ勢いで哺乳瓶を空にしてしまった。


「同じ粉ミルクなのに、飲む容器でこうも食いつきが変わるものなんでしょうか」


味も栄養も同じはずなのだが。


「もしかしたら、哺乳瓶を吸うって行為自体が吸血の代替行動になってるのかもね」


部長は頬に手を添えて考察をはじめる。吸血。また吸血鬼だ。


「吸血鬼になると耐えられない吸血衝動があるって話をよく聴くけど、ミルクと哺乳瓶でうまいことその欲求を解消してるんじゃないかな? 弘明くんがこの子に襲われなかったのは哺乳瓶のおかげかもよー」


一応、筋の通った仮説だと思った。


「おしゃぶりを咥えさせれば、日頃から吸血衝動を解消できるかも?」


ねえ弘明くんとぼくはまた気軽にパシられてスーパーへと向かった。


会計をしてくれたのは粉ミルクを買った時と同じ店員で、レジに出したおしゃぶりを見ると、なにかを察したように「あっ」と声を漏らし、「だ、大丈夫ですよ。ちゃんとわかってますから!」と絶対にわかってない愛想笑いをされた。ぼくは死んだ。


 大きすぎる犠牲の代わりに手に入れたおしゃぶりを少女の口にはめれば、嫌がる様子もなくちゅっちゅっちゅとガムでも噛むみたいにしゃぶり始めた。


部長が「ばぶばぶー」と少女の前でいないいないばあと変顔をしているが、少女の方はまったくの無反応でおしゃぶりを吸い続けている。


 唯一受け付ける食事が粉ミルクで、なぜか言葉が「あー」と「うー」しか喋れない。おまけにおしゃぶりチュパチュパときた。確かにこうしてみると、少女は完全に体が大きいだけの赤ちゃんに見えた。見た目は小学生高学年くらいに見えるのだが、実際のとろこ何歳なのだろう。少女への疑問はつきなかった。




「次はなにを見る?吸血鬼だしホラーでも見るか?」

「う―!」


ようやく部長が帰ったあとぼくがそう聞くと、少女が激しく首を横に振る。夜の帝王みたいな種族のくせして、怖いのは嫌いらしい。


「じゃあ、こっちの魔法少女ものでも見るか」

「あー!」


と、今度はぼくの手からDVDを取って、勝手にレコーダーにセットした。


ソファーで「あ、あ、あー」とご機嫌そうに体を揺らしてDVDが始まるのを待っている少女を見て、ぼくはふと思った。


「おまえもしかして肯定の時は「あー」で、否定のときは「うー」って言っているのか?」

「あー!」


少女は勢いよく頷いた。


前から頷いたり首を横に振ったりと、こちらの言葉を理解している、という印象はなんとなくあったが、半ば鳴き声のようなものだと思っていた「あー」と「うー」にも意味があったらしい。


 アニメを観終えたあと、ぼくは少女と向かい合う。


 質問すれば、彼女はしっかり答えてくれた。やはり「あー」が「はい」で「うー」が「いいえ」という考えは合っていそうだった。


「あなたは人間ですか」

「うー」

「……あなたは吸血鬼ですか」

「あー」


 なんとなく察し始めていたものの、本人に肯定されると本格的に認めざるを得なくなってきた。


「っていうか自分が人間とは違うって認識はあるんだな……」


 この際なので、気になったことを全部聞いてしまおう。


「これは食べられるか?」


と、ぼくの今日の夜ゴハンになる予定の焼きそばを指差すと、「うー」と彼女は顔をしかめた。ここまでは予想通りだった。


「これは飲めるのか?」


ぼくが次に指差したのは、牛乳だ。


「……あー」


少女はすこし悩んだ様子で間をおいてから頷いた。解答に迷ったのか?ちょっと聴き方を変えてみるか。


「じゃあ、牛乳を飲みたいと思うか?」

「うー」

 

 き直すと、今度はぶんぶんと首を横に振った。

 

 つまり、牛乳は飲めるが、不味いから飲みたくない、ということか。となるとあんなにごくごくと飲む粉ミルクはそんなに美味いのだろうか。


 その後も細々と気になったことを質問していき、最後に大本命の質問をすることにした。


「親はいるのか?」


 少女は眉間にシワを寄せて、首をしきりにかしげた。


「あー、うー」


 彼女は初めて、「はい」と「いいえ」を同時に使った。


「わからないってことか?」

「あー!」


 少女は首を縦に振って肯定した。


 物心つかない子供ならともかく、ここまで成長して親がいるかがわからないって、そんなことありえるのだろうか。


 少なくとも、少女は嘘をついているという感じには見えない。未だに「うぅぅぅ」と唸り声をあげて、なにか考えている様子だ。まるで、なにかを思い出そうとしているような……。


もしかして……


「おまえ記憶がないのか?」

「あー!」


正解!とでも言うように、少女はうんうんと頷いた。


「最後の記憶は、部長に拾われたときか?」

「あー!」


 これも当たりか。


 親の手がかりも記憶の手がかりもなにもないようだ。


 となると、親に「あなたは吸血鬼なのよ!」と洗脳されて育ったという可能性もなくなったわけか。ならなんで自分が吸血鬼がとわかってるんだ? 本能?


 少女が「あー」と「うー」しか喋れないのも、記憶を失ったことと関係あるのだろうか。


「ぼくの名前は弘明だ。ひ、ろ、あ、き。言えるか?」


彼女が喋れないのはそういうもの、としか思っていなかったが、ちゃんと練習すれば喋れるようになるのかもしれない。試しにぼくの名前で試してみることにした。


「あうあう」


 少女がぼくを指差して、名前と同じイントネーションでそう言う。

「あうあう」「あうあう」「あうあう!」


 名前を呼ぼうと連呼するが……


「ダメか」

「あー」


 少女はどことなく悔しそうにうなだれた。


 ぼくの名前を呼んでほしい、という意図は伝わったが、少なくとも今の所は「あ」と「う」しか発音できないようだ。



 とりあえずよく頑張ったと「よーしよしよし」と頭を撫でれば、少女は「あーあー」と目を細めた。


 そしてぼくは気づいた。少女の頭が脂ぎっていること。そして少女が家に来てから一度もお風呂に入れていないことに。


 ぼくは部長を召喚することにした。

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