吸血鬼の主食
じーっとこちらを見つめる少女の腹がぐーっと鳴った。
「吸血鬼って、何食べるんだっけ」
吸血鬼の食事といえば、すぐに一つのものが思い浮かぶ。血だ。
なにせ「吸血」鬼である。しかし部長がしたこの少女が吸血鬼だなんてふざけた話を信じていなかったぼくは頑なに普通の料理を食べさせようとした。
カレーにオムライス、子供が好きそうなお菓子、色々と差し出してみたが、少女はすんすんと鼻をひくつかせて、すべて「うー!」と嫌がるように皿を遠ざけた。
手で払わなかっただけえらいと思っておこう。
それにしても、少女にとってぼくは見ず知らずの人間であるはずなのに、まるで警戒されている様子がない。部長に対してもされるがままだったのを見ておいたおかげで、ぼくだけが特別なのだという勘違いは避けられた。
他にも色々と試してみたが、ぼくの料理の腕もコンビニの豊富なラインナップも少女の前には無残に敗北し、結局彼女が食事に手をつけることはなかった。それどころかジュースや水でさえもだ。恐ろしい偏食家か、それとも本物の吸血鬼か。
「俺の知ってる吸血鬼はワインも飲んでたぞ」
いや、あれは血だったのか? かつて観た映画の知識はおぼろげだった。
少し、本腰を入れて確認する必要が出てきた。いずれにせよカラーコンタクトをつけっぱなしというのは、衛生上よろしくないだろう。ぼくは少女の目へと手を伸ばした。
数分後、少女はうー、とうめきながらごしごし目をこすっていた。断言していい。この子はカラーコンタクトなんてつけていなかった。中学生時代、毎日片目にカラーコンタクトと眼帯を着用していたぼくが言うのだから間違いない。少なくとも、少女の異様なほどに赤い目は本物だった。牙も本物にしか見えないし、よく見れば、指の爪もすこし尖っている。
ぼくは部長へと通話をつないだ。
「この子、お腹は空いてるみたいなんですけど、何も食べません」
『だから吸血鬼って言ってるでしょー。血を吸わせてあげればいいんじゃないかな』
「それ、この子が本物だったらぼく吸血鬼になっちゃいますね」
吸血鬼に噛まれた人間は吸血鬼になるって話はぼくでも知ってる。
『もしくはグールって線もあるけどね』
ああ、そういうのもあるのか。つまり夜行性の血に飢えたスーパーマンになるか、生ける屍に成り果てるか、なにも起きずただぼくが痛い思いをするだけか。分の悪い三択だ。
『大丈夫だよ。ほら、今は夜間学校とかもあるし!』
「お天道様の下を歩かせてくださいよ」
体を傷つけて、そこから血を摂取させるという手段もあるが、加減をミスって血が止まらなくなり、救急車を呼ぶ羽目になったら目も当てられない。そもそも吸血鬼かもしれないだけの少女に血を飲ませようとするのは色々と問題じゃないか?
『ねえ、弘明くん。余談なんだけど、精液って成分的に血と似てるんだって』
あんたはその情報をぼくに伝えてどうしろっていうんだ。
「これも余談なんですけど、母乳も成分的に血と似てるらしいですよ」
『わたしは出ないもん!』と、部長は声を張り上げた。通話の向こうで頬をふくらませているあざとい仕草が容易に想像できてしまう。
「お前がママになるんだよ!」とセクハラを重ねるわけにもいかず、役立たずの部長との通話をぶつ切りする。
スマホで人類の叡智を検索してみたところ、母乳に限らず乳というのは血と成分が似ているらしいという真偽の定かではない情報が目につく。ミルクか。それなら仮に失敗したとて問題にはならない。 情報の信ぴょう性はゼロではあるが、そもそも吸血鬼自体真偽が定かではないのだから今更だと思い、ぼくは粉ミルクを買いにスーパーへと走った。
レジの美人な店員さんが粉ミルクと哺乳瓶を見て、「おめでとうございます!男の子ですか?女の子ですか?」と聞いてきて、とっさに「え、じ、自分用です」と答えてドン引きれるというハプニングもあったが、心と財布の中身をすり減らし、ぼくは無事粉ミルクの入手した。
粉ミルクとお湯を哺乳瓶でシャッフルして人肌に冷ます。
とりあえず少女の口元に哺乳瓶の口を差し出したところ、少女は例のごとくすんすんと匂いを嗅ぎ始めた。
そして、ぱくりと哺乳瓶の先っちょを咥えた。続けて、ちゅっちゅちゅっちゅと無心でミルクを飲み始める。
「……マジか」
まさか本当にミルクでいけるとは。正直半信半疑だったのに。
「うまかったか?」
ぼくはミルクを飲み干した少女に尋ねる。
「あー」
少女は気の抜ける声を漏らして「ケプ」と可愛らしいゲップをした。多分、美味かったんだろう。ミルクを飲み終えた少女はどこか満足げに見えた。
テレビをつけると少女はテレビに視線を釘付けにした。たまに「あー」と声を漏らす。
契約している配信サービスから適当に魔法少女モノのアニメを選んで流せば、少女は「あー!」と興奮した様子で手を振って、画面の中の金髪の魔法少女を応援した。
サイリウムでも持たせれば良い絵になっただろうなと思いながら、少女の後ろでアニメをぼーっと眺める。そういえば今思い出したが、このアニメ、たしか少女が応援している金髪の子はもうちょっとで死んでしまう気がしたのだが……大丈夫だろうか。
大丈夫ではなかったようだ。一時言葉を失い放心状態に陥ったものの、より一層世界にのめり込んだらしく、物語終盤になるにつれぼくがご近所トラブルを心配するほどの熱心な応援ぶりを見せた。
アニメのワンクールを一気見したというのに、少女はコントローラーで次に見るアニメを自分で探し、再生し始めた。ぼくがやっているのを見て学習したらしい。
ちらりとスマホを確認する。時刻は深夜2時を回っているというのに、少女は一向に眠る様子がない。試しにもう遅いからと少女の手からコントローラーを奪い取ろうとしたところ、「う―!」とダダをこねるように首をぶんぶん横に振った。ぼくが諦めると、「あー!」と嬉しそうに跳ねる。
吸血鬼といえば、日光を嫌い、夜中に活動するイメージがある。少女もそうなのかもしれない。しかしぼくは少女と違いホモ・サピエンスだ。いくら夏休みとはいえ毎日規則正しく学校に通っているぼくが深夜に起きていられるわけもなく、眠気は限界に達していた。
多少の不安はあったものの、アニメを見る少女を放置してぼくは布団を敷く。
そして寝ている間に少女がぼくに噛み付いてゾンビみたいになったらどうしようとか、そもそも吸血鬼じゃなくミルクが好きなだけのただの変わった女の子なんじゃないかとか、ぐるぐると考えているうちにぼくは眠りについた。
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