閑話 ラストシーン
魔王軍にとって、聖都イングウェイの戦略的な価値は高くない。
経済活動の中心だし大陸中の富が集散しているが、モンスターたちに金銭は必要ないからだ。
だから価値としては人間がたくさんいるから食料に事欠かない、という程度である。
そしてその程度の条件であれば他に求めるのは難しくない。
したがって魔王軍の攻略目標はイングウェイではなく港町パコルデだ。
人口こそ聖都の三割ほどだが、西海に睨みをきかす軍港を内包した街のため、戦略的価値としては何倍もある。
この街を押さえることで、オルライト王国の死命を制するといっても言い過ぎではないほどだ。
「作戦開始」
黒衣の男が指揮杖を振り下ろす。
地軸を揺るがすような重い足音をたて、牛頭魔人と馬頭魔人の混成部隊が進軍を開始した。
百体。
さらに上空には黒い竜が八体。
正真正銘、魔王軍の主力部隊である。
率いるのは魔王の参謀ハラゾンと暗黒竜アンディアだ。
街道に現れたモンスターの大軍団にパコルデの街から警鐘が鳴り響き、街門が閉まっていく。
「ふ、遅いわ。全騎急降下攻撃」
アンディアの号令一下、ブラックドラゴンたちが錐を揉み込むように降下する。
放たれるドラゴンブレス。
門扉を閉めようとしていた兵士が一瞬で消し炭と化した。
そのまま低空飛行に移行して街を焼き払っていく。
後に続くように魔人軍団が街の中になだれ込んだ。
その日、パコルデは地獄と化した。
宣戦布告も降伏勧告もなく、一方的に街が蹂躙されていく。
老人も若者も、男も女も、富豪も貧民も、焼かれ殺されていく。
最初の一刻で数千人が殺された。
ある意味で公平に、平等に。
「なんだってこんなところまで攻撃しやがる!」
その腕に抱いてるのは少女の遺骸。
魔王軍の攻撃は、子供たちが逃げ込んだ教会や学校にまで及んでいた。
普通はそんな場所を攻撃しない。
意味がないから。
軍事施設ではないし、避難した女子供しかいないことは判りきっているし。
他に攻略なり占拠なりするべきところがいくらでもあるのに。
亡骸を横たえ、
「これがてめえらの作りたい世界なのか! クソ魔王軍!!」
叫ぶ。
巨大な蛮刀をふるって殺戮を楽しんでいた馬頭の魔人が、ぎろりと兵士に目を向けた。
にやりと笑い、挑発するようになにかを地面に捨てる。
それが子供の生首だと悟ったとき、兵士の頭でなにかがはじけた。
「この畜生が! ぶっ殺してやる!!」
槍を構え、
「ゲヘヘヘヘ!」
迎え撃つ馬頭が無造作に嗜虐の愉悦に顔をゆがめながら腕をふった。
「ガハっ!?」
戦闘力の差か、もっと根源的な差なのか、簡単に吹き飛ばされた兵士ががれきの山にたたきつけられる。
骨の折れる音が響き、目がくらみ、口と鼻から血が溢れた。
「まだだ……こんなもんじゃない……。子供たちの痛みはこんなもんじゃなかったはずだ」
その恨みを晴らさないで、一矢も報いないで倒れ込むわけにはいかない。
ゆっくり立ち上がる。
ぼとりと左腕が落ち、切り裂かれ腹部から腸がはみ出した。
たったの一撃で致命傷を受けてしまった。
おそらく、否、間違いなく自分はここで死ぬ。
かまわない。
これ以上、もう誰も殺させない。
絶対に。
「絶対に絶対に絶対に!!」
ふたたび槍を、今度は右腕だけでかまえて走る。
「ウオォォォァァァァっ!!」
喊声を放ちながら。
興味なさげに眺めていた馬頭が、やはり無造作に蛮刀を振り下ろした。
脳天から股下まで、ほとんど何の抵抗もなく切り裂く。
二枚に下ろされた兵士が、べちゃべちゃっと滑稽な音を立てて左右に転がった。
覚悟も決意も、魔王軍にかすり傷のひとつ与えることができず、彼の人生に終止符が打たれたのである。
「魔法隊! 放て!!」
城館のバルコニーに立った領主ニシエルが、必死の指揮を執り続ける。
状況は絶望的だ。
街門を閉められなかったため、敵全軍が街に入ってしまった。
こうなってしまうと組織だった戦闘は難しい。
場当たり的な対応になってしまう。
「せめて上空からの攻撃だけでも止めるのだ!」
空を舞うドラゴンどもだ。
こいつらが急降下してブレスを吐くせいで、守備兵たちは陣形すらまともに組ませてもらえず、街の損害は増える一方なのである。
そのためニシエルは貴重な魔法戦力を地上部隊の援護にまわさず、ドラゴンの牽制にあてた。
立体的な戦闘をされては人間たちに勝ち目はない。
逆にいえば、地上戦に限定さえしてしまえば、数の上で人間の方がはるかに勝っているのである。
魔人を一体倒すのに人間が百人犠牲になったとしても、最終的には数で勝てる計算だ。
「鬼と言われようと畜生と罵られようと、パコルデを失陥させるわけにはいかない」
それがニシエルの覚悟である。
この街を奪われてしまうと、まず海が封鎖される。それは物資の大量輸送という点で大変な不利となるのだ。
他の大陸の国と連携しづらくなるのも痛い。
絶対に守らなくてはいけないのがパコルデの街なのである。
そのため、周辺都市で最も数多くの守備兵が配置されているし練度も高い。
上空からの攻撃をなんとかすれば、時間はかかっても盛り返せるはずだ。
「そう。そういう決断のできる人間がいることを、警戒していた」
突如として背後から声がかかり、ぎょっとして振り向いたニシエルの目に映ったのは、黒いローブをまとった老人である。
「お初にお目にかかる。領主どの」
にっと笑う。
「そして、ごきげんよう」
ニシエルが人生の最後で聞いた言葉がそれであった。
バルコニーの床にごろりと首がおち、噴水のように鮮血がふきあがる。
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