閑話 悪役退場


 混乱の元凶である聖女メイファスが聖都を去ったからといって、それですべてが解決するわけではない。

 長い長い後始末が始まる。


「なんでこんなことに……」


 もう幾度目になるか判らないため息を参議ハルセムが漏らした。


 聖女が出現し、その後見という立場になった。そこまでは最高のシナリオだったのである。

 ところが、その聖女がクセモノだった。


 弱者救済の鬼、とでも評すればいいのだろうか、孤児や貧民、身体に障害のある人、いわゆる社会的な弱者を救うために、平然とそれ以外のものを犠牲にする。


 金満家の商家を一つ潰してスラムの人が百人救われるならそうすべきだ、と、考えている節すらあった。

 その商家が潰れたら何人が路頭に迷うのか、など一切考えない。

 無茶苦茶である。


 そして際限なくスラムに金を注ぎ込んだ結果、平民と貧民の間にはとんでもない亀裂が生まれてしまった。


 当然だろう。

 スラムの人々は、「働かなくても食える身分」になってしまったのだから。


 いままで弱者救済の救恤きゅうじゅつ活動をおこなっていた篤志家すら、貧民街と距離を取るようになった。

 このままでは聖都の経済は破綻するし、治安も保てない。そう判断した左大臣マーチスは魔王復活の報せに便乗する形で聖女をコロナドに送り出したのである。


 まさにギリギリのタイミングで、政治的なライバルであるハルセムもその英断には舌を巻いた。

 しかし、聖女が遺した爪痕は大きい。

 給付金の打ち切りを宣言した政府に、いまもなお貧民たちが騒いでいる。


「国には人の心がない」とか。

「弱者には死ねというのか」とか。

「聖女様を追放した」とか。

「この国は金持ちのための政治しかしない」とか。


 正気を疑いたくなるような文言を書き込んだ板を掲げ、王城近くに押し寄せているのだ。


 ハルセムとしては、舌打ちの半ダースもプレゼントしてやりたいほどである。今までであれば取り締まりの対象だったそれは、聖女メイファスの意向を受けて、合法化されてしまった。


「本当にろくなことをしないな。あの女は」


 さすがに口の中だけで呟いたとき、貧民たちが追い散らされるのが執務室の窓から見えた。


「なに!?」


 やっているのは聖都の治安維持を担当する赤の軍。

 正規軍である。

 逆らう貧民には容赦なく槍を突き込んでいる。


「なぜ……?」

「わしが命じた」


 声に振り返れば、立っていたのは左大臣マーチスだった。

 すっかり白くなった髪と髭。

 黒い瞳のあたりに決意の色が揺れている。


「聖女がいないときにこんなことをしたら……」


 メイファスが戻ったときに大変なことになる。

 要求を持ってきただけの貧民たちを追い散らし、まして殺したなどと知れたら、聖女は怒り狂ってマーチスの処分を国王に願い出るかもしれない。


「増税計画の廃案も今日中に発表される」

「マーチス卿……」

「辞表も出してきた。これは最後の奉公だよ。おかしげなことになってしまったこの国を、一度ゼロ地点まで引き戻す」


 貧民どもの増長に腹を立てた左大臣が勝手に彼らを処断した、というかたちに落ち着かせるということだ。

 そしてその責任を取る形で辞職する。


「一度恐怖を植え付ければ、貧民たちもおとなしくなるだろう。こんなやり方は邪道も良いところなのだがな」

「どうしてそこまで……」

「このままでは内乱になるからさ」


 社会的な弱者を救うのは良い。それはむしろ人間として当然の行為だ。

 しかし、それには時間もかかるし順番もある。

 現在のような、貧民を救うために平民たちがみんな貧民になってしまうやり方に納得するものなど、いるわけがない。


 いずれ生活を守るために、平民たちは蜂起するしかなくなってしまうのだ。

 回避するためには流れを断ち切るしかない。


「聖女の行動がきっかけの内乱など、起こすわけにはいかない。それは判るだろう?」

「私に判らないのは、どうしてマーチス卿が犠牲になるのか、という部分です!」


 思わず声を高めるハルセムだった。

 元はといえば、彼らの派閥がメイファスを増長させたのが原因である。

 きちんと言い含めておくべきだったのだ。聖女というのはあくまでも象徴であり、けっして政治的な要求をしてはいけないと。


「聖女を放逐するのは体裁が悪い。増長した貧民どもを始末するのも外聞が悪い。悪いことだらけだ。だから誰も手をつけられない」


 歌うように言ったマーチスが、一度言葉を切る。


「悪いことは悪人がやらないといけないだろ。そして悪人ってのはでかい存在じゃないと意味がない。大昔から、大臣が悪党と相場が決まっているでな」


 すべての悪名を背負って表舞台を降りる。

 聖女を辺境に放逐したことも、武器も持たない貧民たちを脅しつけ殺したことも、全部マーチスが指示したことだ。


「わしの仕事はそこまでだ。増税案の撤回は卿の名でやるんじゃよ。次の左大臣には卿を推挙しておいた」

「だから! なぜなんですか!!」


 狙っていた地位のはずなのに、ハルセムは理不尽さを感じていた。

 功績によって得るものではないから。


「聖女メイファスにはジョンズをつけた。彼の地にはユイナールもいる。あとは聖都の問題だけだが、ここには卿がいる」


 これでもけっこう買っているんだよ、と、老政治家が笑う。


「今回卿が打った手はたしかにまずかった。だが卿はまだ若い。経験にしてくれると、この老人も安心じゃ」

「……必ず、マーチス卿の期待に応えます」


 深々と頭を下げるハルセムだった。

 王国を動かすということの意味と責任を、あらためて噛みしめながら。

 

 

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