第4話
夜の帷が降り、遠くから犬の鳴き声が聞こえる。通り慣れた道を歩きながら、悠人は鼻歌を口ずさむ。宝物が待っている我が家に、早く帰りたい。そのためだけに頑張っているのだから。
悠人の足取りは軽い。どれだけ疲れていても、美沙と紗那のことを考えると、疲れなんて吹き飛んでしまう。
酷い頭痛に悩まされていた時期もあったが、最近ではそれも気にならなくなっていた。ただただ、二人に会いたい。愛していたい。それが悠人の原動力になっている。
「ただいま」
「パパ!」
悠人の帰りを心待ちにしていたのだろう。紗那は玄関まで走ってきて、『はやくはやく』と目で急かす。
「おかえりなさい」
リビングから顔を出した美沙。いつもの笑顔で、と思っていたのに、悲しそうな表情をしていることに気付き、悠人は紗那とともに足早にリビングに入った。
「美沙、何かあった?」
俯く美沙の顔を覗き込もうとすると、美沙は抵抗するように、顔を逸らした。
「あのね、パパ。ママはさなのせいで、悲しいの」
下から聞こえてきた声に、悠人は視線を下げる。そこには悲しそうな表情をした紗那が立ち尽くしていた。
「どういうこと?」
悠人はしゃがみ、紗那に目線を合わせる。紗那は話しにくそうにもじもじとしていたが、両手で自分の服をぎゅっと握り締め、顔を上げた。
「さな、おかしいんだって」
「紗那はどこもおかしくない」
悠人の言葉は反射的なものだった。娘を信じ、愛おしくて仕方ないと思っているからこそ、『おかしい』という言葉は、紗那とは縁のないものだから。
「私が説明する」
美沙の声に緊張と不安が籠っていることを感じ、悠人はようやく只事ではないと理解した。
美沙が教えてくれた幼稚園での話は、二人が親として恐れていたことだった。美沙が自分を責めていることも理解できる。しかし、それは間違いだ。
「美沙は悪くないし、紗那も悪くない。おかしくもない」
「……ありがとう」
美沙の声は少し震えている。紗那がいなかったら、もう泣き始めていただろう。紗那の前で泣くわけにはいかないと、必死に堪えているのだ。悠人は不甲斐ない自分に苛立ち、奥歯を噛み締める。
「俺から、話そうか?」
悠人が美沙に尋ねると、美沙は首を横に振った。紗那と同じ世界を見ている美沙にしかできない説明の仕方があるのかもしれない。大きな責任を負わせているようで、悠人は悔しかった。
しかし、美沙が決めているのなら、悠人は二人を見守るしかない。
悠人が頷くと、美沙は大きく息を吐き、紗那の正面に座った。両手を握り、穏やかな表情を浮かべる。悠人は固唾を呑んで、二人を見つめた。
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