第10話



〜カーミラが婚約破棄成立後、アラベスク公爵領に帰還した数日後〜



「以上がハミルトン伯爵家の方々の情報です。」


アラベスク公爵は難しい顔をしているが、アラベスク公爵夫人とカーミラはニコニコしながら、影から聞いた情報を2人で話している。

目の前の影は女性の外見をしており、アラベスク公爵が5年前から王太子妃教育を受けるカーミラを守るために送り出した精鋭であり、数日前、騎士団長と共にカーミラを王城から無事に送り届けてきた者だ。


因みに、彼女(性別も不詳であり、アラベスク公爵すら本人の顔を知らない。)の外見は見るたびに違っており、毎日、諜報部から送り届けられる暗号で本人を表す符号をちゃんと伝えてくるので、アラベスク公爵は影本人と判定しているに過ぎない。


影の情報では、ハミルトン伯爵家から次男であるラルフロッドを、こちらに婿養子として迎える事は難しいと判断せざるを得ない。


もちろん、アラベスク公爵家には長男がおり、既に次期当主としての教育を行っている。


長男は優秀であり、結果も順調に出しているのでこのまま当主として据えるつもりだ。


しかし、父親としてはカーミラには婿をとってもらって、側にいてほしい。


相手が王太子なら仕方ないと諦められるが、いくら伯爵家とはいえ、次男で後を継ぐ可能性が低い男に娘を嫁に出すのは、父親としては心情的に厳しいものがある。


しかし、公爵夫人と話すカーミラは嬉しそうに、


「ラルフロッド様は、周りの人達と違って、あの王太子から私を守って下さったのよ。王太子に立ち向かう時の姿をお母様にも見せたかったわ。立派でしたけど、可愛らしい一面もありましたのよ。だって、お義姉様と一緒になってケーキを食べていらっしゃるところなどは小さな子供みたいな感じでした。でも、王太子が詰め寄ってきた時にはお義姉様を王太子から守るように動かれて、そのお顔は凛々しかったです!」


影はそれはあの姉が王太子を攻撃しないように制止しただけですとは思いながら、影として余計な言葉は発しないようにしていた。


アラベスク公爵は久しぶりに会った娘が早口でラルフロッドの事を喋るの娘とその様子をニコニコしながら見ている妻を見ていると、ラルフロッドは微妙スキル持ちだから、関わるなと言ったら、自分の立場がかなり厳しいものになるなと思い、思わず、自分が軍事訓練に行けば良かったかなと思ってしまった。


実はこの場に次期当主である長男がいないのは、大規模な軍事訓練を王領との境にある森林地域で行っているからである。


この訓練については、王太子妃候補が、今回の騒動で王太子妃が務まらないとされているミラノ男爵令嬢しかおらず、王家がなんとかカーミラに復縁できないかと画策しているとの情報を得たと聞いた騎士団長が、静かに全身に怒りを漲らせ、


「公爵様、これはこちらの本気を見せるべきです。大規模な軍事訓練を王領付近で行い、あまりふざけたことをすれば、こちらも実力行使に出るぞという意思を見せるべきです。」


アラベスク公爵は頷きながらも、


「軍事訓練とはやり過ぎではないか?カーミラの事ではちゃんと手紙などで脅しをかけているし、こちらが断れば問題なかろう。」


騎士団長は首を振り、


「失礼ながら公爵様はお優し過ぎます。脅しても、まだカーミラ様を戻らせるようと画策しているとはこちらを甘く見ている証拠です。」


アラベスク公爵は騎士団長の熱意に押されながらもしっかりと頷き、


「分かった。計画が出来たらまた報告し「計画書ならこのとおり出来ております!」」


騎士団長が待っていましたとばかりに食い気味に訓練計画書を出してきた。


アラベスク公爵は計画書に目を通し、


「うむ。訓練自体は問題ない。しかし、気をつけろ。逆にこちらを挑発してきて、こちらに落ち度があるように仕向けてくるかもしれぬ。それにあの王太后は口では厳しいが、意外に甘いからな。カーミラ欲しさに出張ってくると厄介になるぞ。そうだな。サリアンを連れて行け。あいつも次期アラベスク公爵当主だ。軍事訓練にも携わる必要がある。次期当主の用兵訓練のためと言えば、この規模の兵士を動かしても問題ないだろう。」


騎士団長は頭を下げ、


「畏まりました。この際です。サリアン様も参加していただければ、頼もしい次期当主として、兵の士気も上がるでしょう。おお!出発式の時に、剣の女神役をカーミラ様にしていただけると、兵の士気は天にも届くくらいに上がるでしょう!」


アラベスク公爵は嬉しそうな騎士団長に、若干引きながら、


「そ・・そうか?まぁ、剣の女神役についてはカーミラに聞いておく。」


アラベスク公爵家の紋章には剣を携えた女神が意匠されている。


これは、戦闘で亡くなった者達の魂を故郷に連れて帰るという伝説の女神であり、アラベスク公爵家では代々、戦闘や大規模な軍事訓練の出発前に出発式を行う時に、アラベスク公爵家の女性が女神役として、戦地で散っても必ず連れて帰るという約束をするのだ。


これまではアラベスク公爵夫人が演じていたが、カーミラも帰ってきたので、カーミラに代替わりになりそうだ。


アラベスク公爵は、騎士団長が今頃、サリアンに対して厳しく用兵の何たるかを教えていると思うと、サリアンにはすまないことをしたなと思い、森林地域で苦労している息子に心の中で詫びる。


「貴方、どうかしら?」


公爵夫人が話しかけてきた。

アラベスク公爵は息子に思いを馳せていたので、いきなり問いかけられて戸惑う。 


「ミレイ、すまない。サリアンのことを考えていたので、君の話を聞いていなかったよ。もう一度、言ってくれるかい?」


公爵夫人は笑顔を浮かべながら、


「えぇ。もう一度言うわね。私がさっき言ったのは釣書きをハミルトン伯爵家だけに送れば良いと思うけどどうかしらと言ったのよ。」


ハミルトン伯爵家だけに送るという事は、他の家には靡くつもりはないという意思表示であり、政治的には婚姻を結ぶ事で、同盟関係を深めたいという意思を示すものだ。


「ハミルトン伯爵家側にとっては、有益だけど、我が家にとってはどうかな?ハミルトン伯爵家は領地経営は良いが、家族や仲間以外には排他的な所もあるしな。まぁ、外交もそれなりにはやっているけどね。」


アラベスク公爵があまり乗り気でない様子を見て、公爵夫人は眉を吊り上げ、カーミラは悲しそうな顔をする。


「貴方、カーミラの恋心は無視するということなのかしら?」


妻の顔や声が少しだけ厳しくなっていることに気づいたアラベスク公爵は、少し焦りながら、


「そんな事はないよ。王太子の件で政治的な婚姻関係にはもう懲りたからな。これからはカーミラのことを第一に考えるよ。」


そうとりなすと、アラベスク公爵夫人は、にっこり笑って


「そうね。カーミラが王太子妃候補に上がった時の、貴方の喜びようはすごかったわね。」


と笑顔で脅してくるので、アラベスク公爵は、公爵夫人と娘に頭を下げ、


「あの時はすまなかった。さっきも言ったが、これからはカーミラのことを第一に考えて婚姻を結ぶようにする。」


こうして、釣書きを送る計画を立てられ、家宰のヨーゼフが自身のハミルトン伯爵領地への移住計画と共に、細心の注意を払い、書き上げた釣書きが、アラベスク公爵の了承のもと、ヨーゼフ自身が使者としてハミルトン伯爵家に届けられたのである。

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