第8話 閑話

〜閑話〜

王太子とミラノ男爵令嬢の末路



「ライラ・ミラノ男爵令嬢!そこで背筋を真っ直ぐに伸ばすのです!」


アイゼン伯爵夫人の鋭い叱責の声が室内に響き渡る。


その声にミラノ男爵令嬢は驚いたのか、手に持った扇子を落としてしまった。


それを見て再度、アイゼン伯爵夫人の声が響く。


「何をしているのです!私が叱責したぐらいで、そのように動揺した様子を見せてどうするのですか!他国の王家や外国公使の前で動揺した様子を見せれば、そこに付け込まれると何度言ったら分かるのですか?!」



その様子を見てメイド達がくすくすと笑う。

すると、アイゼン伯爵夫人はそのメイド達を睨みつけて、


「貴女達も人の失敗を見て何を笑っているのですか!それが王太子妃に付き従うメイドの態度ですか!」


アイゼン伯爵夫人の叱責に対してメイド達は頭を下げて謝る。


「私に対して謝ってどうするのですか?貴女達は、ミラノ男爵令嬢に謝るべきでしょう。」


アイゼン伯爵夫人がそう言うとメイド達は慌ててミラノ男爵令嬢に対して頭を下げる。



その様子を見てアイゼン伯爵夫人は密かにため息をつく。


アイゼン伯爵夫人はメイド達の不満もわかるのだ。


彼女達だって人間である。休憩は必要だ。しかし、ミラノ男爵令嬢は礼儀作法などに関する知識、技量が身についていないのだから、必然的に長い時間をかけて教育をしなくてはならない。


しかし、メイド達にもミラノ男爵令嬢の教育に付き合う以外の仕事もあるのだ。


ミラノ男爵令嬢の教育が長くなればなればなるほど、彼女達の他の仕事をする時間や休憩の時間がなくなっていくので不満はたまる一方だ。


しかも、ミラノ男爵令嬢に課せられたノルマもそんなに難しいものではない。

男爵令嬢ならばある程度は教育を受けてきているはずなので、少しの努力で達成できるはずなのだが、多分、ミラノ男爵家では甘やかされ自由奔放に育ってきたのだろう。


ミラノ男爵令嬢はほとんどのノルマを達成できないのだ。


メイドと言っても王家で働く彼女達の出自は悪いものではない。

王妃や王太子妃に仕えるメイドなら子爵や男爵の次女や三女などもいるのだ。

礼儀作法はそれなりに習ってきている。

自分達が簡単にできる事を王太子妃候補の彼女ができないのだから、メイド達が笑うのも無理がないのだ。


アイゼン伯爵家は、礼儀や儀礼に関しては第一人者と言っても良い。


歴代アイゼン伯爵当主や伯爵夫人が、今まで何人もの王家の人達に教育を施してきた。


アイゼン伯爵夫人はカーミラ・アラベスク公爵令嬢にも礼儀作法に関する教育をしていたが、彼女ほど優秀な生徒を見たことがない。


ほとんどの礼儀作法をこなし、例え間違えても、直ぐに修正ができる最高の生徒であった。

比較してはならないとは思うが、ミラノ男爵令嬢では、アラベスク公爵令嬢の足元にも及ばないのだ。


アイゼン伯爵夫人は他の王太子妃候補はいなかったのかと思うのだが、王太子の誕生会でのあの騒動のせいで、王妃会議で出た、全ての候補者から断られてしまったのだ。


ほとんどの女性が、愛のある結婚生活を望むものだ。

ハーラン王太子と婚姻したら、愛が続けば良いが、王太子が自分以外の女性を好きになってしまったら、捨てられ、下手をしたら国外追放になる可能性があるのだ。

有名になった王太子には、ミラノ男爵令嬢以外の王太子妃候補はいなかったのだ。


アイゼン伯爵夫人は自分に課せられたミラノ男爵令嬢を立派な王太子妃とするという目標が達成できる前に、自分の胃や精神が保つかどうか心配になってきた。


アイゼン伯爵夫人は、投げ出したくなる自分を心の中で、奮い立たせ、


「さあ、ミラノ男爵令嬢、先ほどの箇所からもう一度、練習を行いますよ。これが終われば休憩にしましょう!」


と、ミラノ男爵令嬢に挨拶などに使用する基本姿勢を取らせようとする。


しかし、ミラノ男爵令嬢は座り込んで泣き始めてしまった。


「もう疲れた!何で王太子妃が他国の人達と会わなくちゃならないの!命令すれば、家臣が何でもやってくれるから王太子妃は遊んで暮らしてもいいじゃない!」


とミラノ男爵令嬢は泣きながら駄々をこね始めた。


その様子や言い分に、アイゼン伯爵夫人は、この国の先行きが心配になってきたのだった。


部屋にミラノ男爵令嬢の泣き声が響いていたが、しばらくすると、部屋の扉が開いて、ハーラン王太子が駆け込んできて泣いているミラノ男爵令嬢の側に寄ってきた。


「どうしたのだ。ライラ!こんなに泣いたりして!」


ミラノ男爵令嬢は泣きながらハーラン王太子に訴える。


「アイゼン伯爵夫人の指導があまりに厳しくて・・・。私、王太子妃教育はもう続けられません!」


するとハーラン王太子はアイゼン伯爵夫人を睨み、


「アイゼン伯爵夫人、どういうことだ!もっと優しく教えることができないのか!?」


王太子が睨みつけても、アイゼン伯爵夫人は平気な顔をしている。

アイゼン伯爵夫人は教えたくてミラノ男爵令嬢に礼儀作法を教えているわけではない。

アイゼン伯爵夫人は、普段変わらない様子で、


「私の教育が気に入らないのなら、これで止めにしましょう。王妃様には私から言っておきますね。では、ご機嫌よう。」


そう言って、スキップでもしそうな勢いで部屋を出る(れっきとした貴族なので、スキップはしていないが)。その後、アイゼン伯爵夫人が王妃の執務室に行くまでに、すれ違った人達が、驚いた顔をして、あのアイゼン伯爵夫人が鼻歌を歌っていたと話をしていたのは有名な逸話である。


こうして、ミラノ男爵令嬢の王太子妃教育に関する指導に当たる人物が、次々と辞める意向を王妃に告げるようになり、王妃は頭を抱えてしまった。


「もうこうなっては仕方がないわ。」


王妃はそう言って、国王の執務室に行き相談をし始めた。


すると、しばらくして国王と王妃は2人で、別棟に住む王太后に会いにきたのだった。


先代の国王はもう既に亡くなっているが、王太后は今だに元気であり、その政治センスはまだ錆びついてはいない。


逆に、国王と王妃が決定した政策を聞きつけた王太后が2人に会いにきて、


「引退した婆が言うのもなんだけどね。」


と前置きして、政策の改善点を教えてくれ、そのとおりにすると、当初予定していた見積もりよりも大きな効果が得られ、王太后の言う事を無視して、そのままにしておくと、失敗もしくは、当初予定より少ない効果しか得られなかったりするのだ。


王妃は王太后に頭を下げ、


「実は王太子妃候補のことなんですが・・・。」


と口を開いたら、

王太后はニヤリと笑い、


「あぁ、カーミラちゃんのことかい。あの子は良い子だね。婆の言うことをバカにしないでちゃんと聞いてくれるからね。」


と、カーミラ・アラベスク公爵令嬢を褒めだした。


国王と王妃は王太后の笑顔を見て全てを悟った。


王太后は全て知っている。ハーラン王太子の悪行もカーミラとの婚約破棄の件も。

そして、今の王太子妃候補のミラノ男爵令嬢を王太子妃候補として認めていないのだ。


「もうどうすることもできないんだろ?教育をしては、泣き、ハーランが駆け込んで教育者に詰め寄っては文句を言う。私のところにも聞こえてきているよ。」


そう言って、王太后が国王と王妃をジロっと睨む。


国王と王妃は冷や汗がダラダラと流れるのを感じた。


その様子を見て、王太后は大きなため息をつき、口調を改めて言葉を発する。


「貴方達の政治センスは優秀だと思います。しかし、子育てにはその優秀さは発揮できなかったみたいですね。まぁ、私も国王を子供を甘やかすだけの男に育ててしまったみたいですので、人のことは言えませんが・・・。」


そう言って、王太后は、国王と王妃の顔を見て、


「2人共、覚悟は出来ていますか?別に貴方達をどうこうするわけではありません。私から見て貴方達は王太子と王太子妃以外の国の運営は問題なく行なっています。しかし、その次はどうでしょうか?彼や彼女に国を運営できると思っていますか?傷口を広げたくなければ、今ここで決めなさい。」


そう言って、王太后が2人の顔を見る。


2人共何も喋らないが、しっかりと王太后を見て頷き、


「申し訳ありません。本来なら自分達が決めなければならないことを王太后に決定させてしまいました。」


そう言って、国王と王妃は頭を下げる。


「貴方達の考えはわかりました。」



そう言って、王太后はベルを鳴らして、従者を呼ぶ。


「王弟を・・・トーマス・バランド公爵を呼んでちょうだい。ちょうど今は領地から出てきて、王城にいるはずよね。」


従者が呼びに行くと、直ぐに王弟のトーマス・バランド公爵がきた。


「母さん、いや王太后陛下どうされましたか?」


普段はにこやかな顔で対応してくれる王太后が、苦々しい顔をしており、国王と王妃が王太后の前で、小さくなっているのを見て、王弟のバランド公爵が親しげな口調から、公式の場で使うような口調に改めた。


王太后は重いため息をつき、


「トーマス・バランド公爵、ハーラン王太子は廃嫡とすることにしました。現国王と王妃は交代するつもりはありませんが、2人にはハーラン王子以外の子供はいないので、王位継承序列は貴方が1位、貴方の子供、確か男の子よね。アレンだったかしら?あの子が2位よ。よって次期国王は貴方です。」


トーマス・バランド公爵は国王と王妃を見て、


「兄さん、義姉さんはそれで良いの?」


国王と王妃は何も喋らずただ頷く。

トーマスバランド公爵は2人の様子を見てため息をつく。


「領地に帰るのはしばらく延期する。領地経営はしばらくは名代に任せるよ。僕は兄さんについて、国政に携わるようにする。」


国王はトーマス・バランド公爵に頭を下げ、


「すまない。お前に面倒をかけてしまった。」


トーマス・バランド公爵はその様子を見て、


「ハーランを見ていたら、こうなる可能性も頭の片隅では考えていたよ。ハーランの奴、カーミラちゃんが最後にくれた更正の機会を潰しちゃったみたいだね。」


ハーラン王太子はカーミラ・アラベスク公爵令嬢に婚約破棄された時に、考えを改めていれば、甘過ぎる国王と王妃のことだ。廃嫡まではされなかった可能性が高い。周囲の貴族も国政に真面目に励んでくれたら、将来は女好きの国王として、しょうがないなとボヤきながらも、国王としては認めてくれていたかもしれない。


こうして、ハーラン王太子の廃嫡が決まり、ハーラン王子は王位継承権なしとされて、辺境の地に遠い昔に断絶した子爵位をあたえられ赴任を余儀なくされた。


因みに、王太后が

「現国王には出来ないだろうし、次期国王にも迷惑をかけるわけにもいかないから、もうすぐ死ぬ婆が、罪を背負って行ってやるよ。孫になるかもしれなかったカーミラちゃんへの罪滅ぼしでもあるからね。」


そう言って、一つの書類に署名をする。

すると、翌日、辺境に護送される前に国王に挨拶にきたハーラン・コリンズ子爵とライラ・コリンズ夫人(元ミラノ男爵令嬢)が屈強な男達に捕まり、別々の部屋に押し込められたと思ったら、ハーラン・コリンズ子爵の部屋には白衣の男達が、子爵夫人の部屋には白衣の男と数名の白衣の女性が部屋に入り、麻酔を打たれて眠っているハーラン・コリンズ子爵に恐るべき速度で、精管結紮術を施術し、コリンズ子爵夫人には妊娠の兆候がないことを確認した後、同じく麻酔を打たれて、卵管結紮術を施術された。


そして、麻酔が解け、しばらくの期間病院で医師の看護の下で過ごし、術後の経過が順調だと医師に判定を受けたハーラン・コリンズ子爵と子爵夫人の前に国王と王妃が現れ、


「お前達には子供ができないように、手術を行った。もうお前達には子供は出来ない。残酷なようだが、お前たちの血統で国を乱すわけには行かないのだ。お前達も望まない政争や戦闘に引きずり込まれることはないはずだ。私達も引き継ぎが終わったら退位するつもりだ。」


国王と王妃はコリンズ子爵夫妻に一方的に告げ、2人の前から立ち去る。

こうして、コリンズ子爵夫妻が辺境の地に追いやられてから約2年後、国王と王妃の交代が発表され、滞りなく王位継承が行われた。


その間、王太后の訃報が告げられて国葬が行われると思われたが、王太后の国葬にかかる費用で、国民の税金を賄えとの王太后の強い遺言があり、1年間の減税が行われた。


各国の王家には、国葬は何があっても行わない、民の笑顔が私への最後で最高の手向けだと記載された王太后の直筆の手紙が、王太后が亡くなった直後に届けられ、それを読んだ各国の王家は国葬をしないことを笑うことはせず、あの王太后らしいと笑って、決してこの国の王家を貶すことはなかったという。


王家から王太后への最後の手向けは、


「死んだ夫に会うんだ。久しぶりに見た妻の顔が皺だらけの婆だとがっかりするだろ。王妃には悪いけど、あんたが死に化粧しておくれ。それと、あの世じゃ、私が死ぬことを今か今かと待ち望んでいる曾ての政敵共がウジャウジャいるんだ。愛用の剣と鎧を一緒に棺桶に入れておくれ。」


との言葉通り、現王妃による死に化粧と愛用の剣と鎧が棺桶に入れられた。

墓は新しく作られず、先代国王の墓の横に王太后の棺桶が埋められ、国王の墓石に


「国王の最愛の女が横に眠る」


と刻まれた。


「こうしときゃ、いくらあの女好きの先代国王でも、婆さん姿の私を見ても、あの世で浮気しないだろ。」


そう言って王太后はニヤリと笑って死んだと言う。


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