3-23 伝わらない冗談
チロはキュクロを抑えつけながら、ふと入口の方に人の気配を感じてそちらを見た。
そこにはドアを背に、いつからいたのか黒ずくめの男が立っていた。
「いつの間に──」
そう声を上げたチロに続いて、ラノヴァも扉の前に人が立っていることに気付いて驚くと、注射器をキュクロの腕から離す。
黒ずくめの男──レイは棚に体重を預けながら現状を把握する。
こっそり入って見たのは、キュクロが明らかに
この世界にも注射器があるのか──そんなことにレイは感心しながら、その中身を推察する。
彼らの口ぶりから麻薬である事に間違いはない。そして注射により摂取する薬の代表格はモルヒネやヘロイン、メタンフェタミンといった依存性の強いものだ。
色はヘロインに近いな──レイは自分に違法薬物についての知識がある事に気付くが、とりあえずはこの場をどう収めようかと悩む。
彼らはキュクロを脅迫してに何かをさせたいようだが、それは自分がやりたかった事だ──そんな物騒な事を考えていたレイにラノヴァが言った。
「生憎だが、今日はもう閉店でね」
そう言ってキュクロの体から立ち上がった彼は服装を整えると、コートから金の金貨を出してレイの前に放り投げる。
「それで飲みに行くと良い。もちろんここで有った事は誰にも──」
口止め料──そこそこの金額であるそれをレイはブーツで蹴り飛ばす。転がった硬貨はラノヴァの足元で止まった。
突っ返された硬貨を見下ろしたラノヴァは眉間にしわを寄せて黒い男に聞いた。
「君もトラブルは御免だろう? それとも人助けが趣味なのかね」
「半分は正解だ。美人を助けるのが趣味なんだ」
冗談で返したレイに呆れてため息を吐いたラノヴァはチロに視線を送る。
彼はキュクロから手を離すと立ち上がり、いつでも戦えるようレイの方を向いた。
「どうやら私たちが誰か知らないらしい。私たちは──」
レイは彼の言葉を遮って言った。
「知ってるさ。女に薬を盛らなきゃ
その言葉にチロは怒りを顔にしたが、ラノヴァは青筋を立てつつも、穏やかな顔を保ってレイに聞く。
「君は?」
「ボーンだ。ジェイソン・ボーン」
「そうか、ボーン君。私たちはレギオ・サングニスだ。俗にいうマフィアと言うやつだよ」
レイは彼らの属しているマフィアの名前が『サングニス』だと知るが、興味なさげに聞き流す。むしろ自分の
「それがどうした」
「
「笑えるぜ。群れるだけの雑魚がイキがるなよ」
レイは嘲笑を浮かべながらそう彼らを馬鹿にする。
そしてその言葉に遂に我慢がならないとチロが肩を怒らせてレイの前まで歩いてくるとドスの聞いた声で脅す。
「マフィアを甘く見過ぎなんだよ。俺たちを怒らせると──」
「怒るとどうするんだ? リスとタンゴでも踊るのか?」
レイは挑発を言い終わりざまにチロの両耳を両の手のひらで叩いた。
両手でビンタされるように耳を叩かれたチロの鼓膜に一瞬にして空気が送り込まれ破裂する。
三半規管が狂い、バランスを崩したチロの顎と後頭部に手を添えたレイは、そのまま思い切り首をひねった。
鈍い音と共にチロの頚椎は破壊され、彼は床に崩れ落ちる。
ほんの数秒で戦闘不能に陥ったチロを驚いた顔で見ているラノヴァにレイは飛び込む。
どんな武器を持っているか分からない。それに魔法を使わせる暇も与えない。先手必勝だ──レイはラノヴァの首を鷲掴みにすると足をかけて地面に叩きつける。
あっという間にマウントを取られたラノヴァは見下ろしてくるレイに叫んだ。
「殺してやるからな! お前もお前の家族や友人も──」
友人や家族などいないのだ──レイは彼の台詞を一笑して、地面に落ちた注射器を拾うと指先に一滴だけ中身を垂らす。
匂いを嗅いで無味無臭だと確認し、指先を舐める。独特の苦みを感じたレイはヘロインに似ていると思った。
こちらの世界にもヘロインがあるのだろうか──レイは注射針をちらつかせて下にいるラノヴァに聞いた。
「こいつは
「お前の家族や友人を殺して──」
レイは未だに脅迫してくるラノヴァの顔を抑えつけると首筋に注射針を刺してシリンジを押し込む。
「待て待て! やめろ!」
暴れる彼を抑えつつレイは中身をすべて注入した。すぐに彼の目がトロンとして口が半開きになる。
幸せそうに天井を見上げている彼からどいたレイは頭を思い切り蹴り飛ばして気絶させると、部屋の隅で膝を抱えて震えているキュクロに聞いた。
「怪我はないか?」
彼女は全身を震わせながらも頷いた。
レイは「良かった」と言うと床に伸びているマフィア二人を店の外に引きずって行く。
レイが店外を見回すと、そこに丁度パトロール中の従騎士が通りかかった。彼らを指笛で呼び込むと、エンディの名前と自分の身分を伝え引き取ってもらう。
そして店に戻ろうとしたレイだったが、しばらく考えて通りの反対にある酒屋に入った。
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