3-12 襲われる女

 レイはぽつんと残されたネシャを置いて家路を歩く。

 夜が深くなってきており、あたりに人は少なくなってきている。

 深い闇の道中、リンがいる酒場の近くまでやって来た。明日に差し支えないように素通りしようとしたレイだったが、店の反対側の通りに立つ人影が目に留まる。


 その背格好に昼間見たリンを尾行していた男の顔を思い出し、レイの頭で直感が働いた。


 嫌な予感──レイはスイングドアを押して店に入った。すでに客は一人だけであり、ノインがテーブルの上の清掃を始めている。

 そんな彼女は入ってきたレイを見ると「げっ」と呟いてカウンターに入っているリンを見る。

 リンはと言えば、明るい顔でレイを出迎えた。

 

「こんばんわレイさん。どうぞ座って」


 ノインが店の片付け始めており、客も残り一人だった──もう店仕舞いするのだろう。

 そんなレイの考えを悟ったのか、リンは「一杯だけなら良いですよ」と言ってグラスを出す。

 

「いつも変な時間に来るんですね」


 レイは頷いてグラスに口をつける。

 そしてカウンターに数席離れて座っている一人の客を横目で見た。

 座っているのは枯れ枝のような老人。彼は枝のような細い両手で震えながらグラスを持ち上げてちびちびと飲んでいる。

 そんな彼にリンは声を掛けた。

 

「ネクスさん、もう店を閉めるわね」

「ワシは……今来たばかりじゃが……」

「これ以上飲んだら、また奥さんに怒られちゃいますよ」


 それを聞いた老人はもごもごと何かを言って名残惜しそうに頷くと、ポケットから硬貨を出してカウンターに置く。

 彼が何杯飲んだか分からないが、その額を見るに払い過ぎではないかとレイは思った。


 リンはカウンターの下から飲み口の大きい瓶を取り出す。その中には酒ではなく硬貨が入っていた。

 彼女はカウンターに置かれた硬貨のうち、何枚かを瓶の中に入れる。そして残りを売り上げとしてエプロンのポケットにしまうとノインに向かって言った。


「ノインちゃん! ネクスさんを送ってあげて!」

 

 それにノインは気だるげな雰囲気を隠そうともせずに答える。

 

「えー……めんどーなんですけど……」

「後片付けは私がやっとくから、ね?」


 ノインは「それならいんですけど」と言ってよぼよぼと歩くネクスのそばを歩く。

 

「ほら、帰るんですけど!」

「おぉ……ありがとうの、ネポテ」


 ネポテと呼ばれたノインは「早く帰るんですけど」と老人に付き添い店を出て行った。

 その一部始終を不思議そうに見ていたレイはリンに聞いた。


「彼は何杯飲んだんだ? やけに払っていたが……」

「一杯だけよ。それなのにお駄賃・・・だって多めに渡してくるの」


 レイは複雑そうな顔で答えたリンの話を聞こうと黙る。

 

「あの人……ネクスさんは私たちの事を孫と勘違いしちゃってるの」

「へぇ……」


 そう言ってリンは悲しそうな眼をした。

 

「昔、事故でお孫さんを無くされたみたいで……それから──」

「ボケたのか?」


 リンは無言で頷いた。そしてポケットから先ほど受け取った硬貨を取り出して見せる。


「チップにしたって、あまりにも多く払うから貯めておくの。ある程度したら奥さんに持っていってるわ」


 泣かせる話じゃないか、とレイはグラスを傾ける。孫を無くした老人と、それに付き合う献身的な──しかし残酷的な店員。

 真実が目の前にあるのにそれを偽りの優しさで覆うのは果たして良い事・・・なのか──レイのそんな思いを察したのかリンは言った。


「『なぜ言わない』って思ったでしょ?」

「まぁな」


 リンは手にある硬貨を見ながら言った。


「過去を受け入れられない人間もいるのよ。あなたみたいに強い人間ばかりじゃないの」


 レイは「そういうもんか」と言った。自分の過去がどれだけ残酷であっても、受け入れられる──そんな彼にリンは「そういうものなのよ」と返した。


 過去についてのやり取りを終えて、グラスを傾けたレイは治安の悪さを思い出して聞いた。

 

「そういえば……この時間は物騒だぞ。子供と老人で大丈夫なのか?」

「それだったら心配ないわ。あの子、ああ見えて危険には敏感・・なの」

「敏感?」

「あの子はいつも騎士のパトロール順路に沿って帰っているのよ。危険な場所は通らないし、人通りの多い道を使ってるの。だから心配ないわ」


 リンはノインが残していったテーブルの上の掃除を始める。

 その後ろ姿──肉好きの良い臀部を見つめていたレイは昼間の彼女の体のシルエットを思い出す。

 リンは掃除の手を止めると、背中を見せたまま顔を回してレイに聞いた。

 

「お尻が好きなの?」


 レイはバレたか、と背中で視線に気付いた彼女に驚く。

 

「良く分かったな、利く・・のは鼻だけじゃないのか」

「そ、視線にも鋭いのよ」


 リンは掃除の続きを始めながらもレイのおしゃべりに付き合う。


「私のお尻なんか見て楽しい?」

「そりゃもう」

 

 リンは「変態さんなのね」と小さく笑ってカウンターまで戻ってくる。そしてその上を片付けつつレイに聞いた。

 

「それで、話す気になった?」

「何を?」

「あなたの過去」


 何故か彼女は自分の過去を知りたがっている。しかし語るべき過去が無いのだ。どうしたものかと悩んだレイは店の入り口に人の気配を感じた。


 レイの視界が捉えたのは昼間にリンを尾行していた男だった。

 彼は先端に透明の丸い石がついている短い杖を手にしていた。

 透明の丸い石の中には稲妻のような物体・・・・・・・・が、まるで琥珀に閉じ込められた虫のように入っている。


 似たようなものを見た事がある──レイは己の記憶を探る。

 この世界で目覚めた時に襲ってきた三人のうち、緑髪の女が似たような杖を持っていたのだ。あの場はエンディが魔法で杖を吹き飛ばした。

 まるでその杖は危険だとでもいうようにエンディはその杖を狙ったのだ──レイの頭の中で危険信号が鳴り響いた。

 

 リンのストーカーは無言でその杖の頭──透明の宝石をカウンターの中のリンに向ける。

 その時点で彼女も闖入者に気付いて固まった。

 男は驚いて固まる彼女に狙いをつけ終えると呪文を紡ぐ。

 次の瞬間に杖の頭からは黒い稲妻・・・・ほとばしった。

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