2-10 ハイエナ

 いつ路地に入ろうか、とレイは悩んでいた。ちらりと路地を覗いたが、見るからにヤバそうな男が──彼も被害者なのだろうか──スリの子供を殴り倒し、徹底的になぶっている。

 まるで暴力を楽しんでいるかのような男の暴れっぷりにレイは「アレとは関わりたくないな」とため息をついた。子供はどうでもいいが、財布はなんとしても取り返したい。

 このままだとあの子供は殺されるだろう。その場にいたらまたも厄介なことになるのは確かだ。そうなる前にエンディの財布だけ取り返して帰ろう。レイは意を決して路地に入った。

 突然現れた闖入者に男は眉を顰めた。

 

「入ってくんじゃねぇよ。ここは通行止めだ」


 その声と顔には明らかに敵意が潜んでいる。

 子供を助けに来たとでも思われたら敵わない──レイは努めて穏やかに言った。


「いやぁ助かったよ。そいつに財布を盗られちまってね。アンタもそうなんだろう?」


 その台詞に男の敵意が少しだけ下がったのを感じ取ったレイはしめた、と思った。

 そもそも、暴力はあくまでも手段だ。暴力を使う事にためらいはないが、それより早く最適スマートに物事を解決できるなら、そちらを選ぶ。

 それに無用な暴力は無用な諍いを呼ぶ──レイは喋りながらも、少しづつ男との距離を縮める。


「そいつを見つけるのは大変だったよ。でもアンタのおかげで俺の財布も無事なようだ。ほらそこの茶色の革でできたやつ」


 地面に散らばるネシャの戦利品の中からエンディの財布を指差したレイの言葉に男は答えた。


「そうか、災難だったな……でもこの財布がお前の物だって証拠は?」

「は?」


 俺はこの世界・・・・に来て何度悪態を吐いたのだろうか──そんな事を思いながらも、レイは男の言葉にクソと悪態を吐いた。


「この盗品は俺が責任を持って騎士団に届けてやるよ」


 男が言い放った台詞にレイはそんなはずはない。と確信する。

 きっと全てを自分の懐に入れてしまうはずだ。そこまで考えたレイは、男がスリを狙う強盗だという事に思い至った。

 スリならば騎士に届け出ることも無いだろうし、仮に周りから咎められてもスリを捕まえた、と言い訳ができる。もっとも、彼の暴力は行き過ぎていたが。


「後で騎士団に問い合わせするんだな」


 レイはほとほと呆れたという風に肩を落としさらに数歩近づく。


「俺は自分の財布さえ戻ってくればいいんだ。お互い厄介事は嫌だろう?」

「失せな。お前もこうなりたくないだろ」


 レイの忠告を無視した男はネシャの髪を鷲掴みにし、その顔を見せつける。


「とっとと失せろ。帰ってママのおっぱいでも吸ってな」


 フィクションでしか聞かないようなセリフにレイは苦笑いしながらも冗談で答える。


「そのママにお使いを頼まれてたんだ。財布を盗まれたなんて言ったらおっぱいは吸わせてちゃもらえないさ。ケツを引っぱたかれちまう。だから返してくれよ」


 血に染まった子供の顔を見てもひるまず、冗談を言って食い下がるレイに男はしびれを切らし手のひらを向ける。


「しつこい野郎だ。殺されてぇのか!」


 広げた手の平はレイの頭に狙いが定められ、緑色の魔法陣が出現している。

 レイは手を向けられた途端、両手を胸の高さまで上げて降参のポーズをとって言った。


「落ち着けって! 分かった分かった」


 レイはそう言いつつも、男に気取られないよう重心を後方に移動させる。

 面倒臭い状況だが、格好の機会・・・・・でもある。

 

 この世界にてレイが戦闘面で危惧していたことが二つある。その一つは魔法による攻撃だった。

 自分以外の殆ど全員が遠距離攻撃を持ち得るこの世界において魔法が使えない事は圧倒的に不利だ。

 その不利をカバーするにはどうするとレイは考えた末に二つの答えを生み出した。


 一つが刃物の投擲──これはあの女に一度試しただけだが、それなりの距離であれば確実に命中させることが出来る。恐らく魔法よりも早く。


 そしてもう一つは魔法が撃たれるより早く接近し、近接戦闘に持ち込むことだった。


 レイは自分でも驚いていた。どうやら俺には近接戦闘の技術スキルがある。自分の間合いに持ち込んでしまえば、まず遅れを取る事は無いだろう。

 問題は魔法がどれほどの速さで撃つことが出来るのか。そして自分はどれ程の速さで間合いを詰めることが出来るのか。


 前者に関してはエンディに教えてもらってある程度は把握できた。

 その動作──手を差し出し、魔法陣を展開し、呪文を紡ぐという三段階のステップを踏まなければならないという事はレイにとって十分な隙だった。


 そして後者、自分がどれほどの速さで間合いを詰めることが出来るのか──これについてはおよそ二メートル程であれば一瞬のうちに接近できる、とレイは思っていた。


 どのみち、これらは実戦の中で試して使えるかどうか判断するしかない。だからレイは思った。今の状況は、死んでもいい人間を実験台にできる絶好の機会なのだ、と。

 会話をしつつ少しづつ距離を詰めたおかげで、男の距離はおよそ二メートルと少しまで接近していた。

 後はタイミングだ。奴が腕をおろした瞬間に飛び込む。


「大人しく出ていくよ」


 そう言いつつ、後ろを向く振り・・をしたレイから、男は手を下げた。

 レイが「素人がAmateur」と呟いたのは男には聞こえなかったらしい。彼は追い打ちとばかりに叫んだ。

 

「とっとと失せ────」


 男の言葉が言い終わらないうちにレイは飛び込んだ。

 滑るような踏み込みステップ、その途中でさらに後ろ足で地面を強く蹴り、踏み込みの距離を伸ばす。

 あまりの速さと虚を突かれた・・・・・・男は一瞬だけ判断が遅れた。彼は急いで下ろしかけた手を上げて狙いをつける。

 男の手が上がるのと、レイがその手の前に迫ったのは同時だった。

 手のひらには魔法陣が展開され、その真ん前にはレイの顔。

 顔面を吹き飛ばしてやる──そんな思いで男は呪文を紡いだ。


ventus!風よ!


 その呪文で魔法陣の前には円形に圧縮された空気が作られ、突風と共に放たれた。

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