2-5 一喝
修羅場と言えるその状況でレイは「最悪だ」と呟いた。
最悪と言えるうちは
自分がなぜこの世界に呼ばれたのか、それを知るために女を殺した犯人を捕まえる。
そのためには必要な物が幾つかある。
うち一つが情報だ。そしてそれを手に入れるには、
法執行機関に所属している彼女であれば、少なくとも捜査の情報ぐらいは手に入れられるはずだった。
だが現実はそう上手くはいかない。当の彼女は何故か上司に嫌われているし、たった今そいつを
少しでも早く連続娼婦殺しの犯人に辿り着きたいレイだったがその道のりが険しくなっていくのを感じた。
何よりここにいればいらぬ疑いをかけられて巻き込まれる恐れがある。
レイは周囲の視線がエンディとベルフェに集中しているうちにこっそりと人ごみに紛れる。
幸いなことに誰にも気づかれず、人ごみに入り込めたレイはフードを目深に被って顔を隠すと事の成り行きを見守る。
そんな中、修羅場がひと段落したと思ったのかネイヴは周りを見渡してそそくさと「失礼するね」と言って現場から去る。
彼の現場を去る姿を見たベルフェは慌ててもう一人の闖入者──レイの姿を探し始める。
「お、おい! さっきまでここにいた黒い服の男は──」
その怒鳴り声に周りの従騎士達とエンディも慌てて周囲を見回すも、レイの姿を見つけられずあたふたとしている。
「まあいい、あの男は君が入れたのだろうエンディ君。君が責任を持て」
「そ、それは──」
殺人現場からひっそりと男が消えた──明らかに怪しいその事象をベルフェは「まあいい」と軽く流した事に彼がこの事件に情熱を持っていないのだな、とエンディは再確認する。
そして憂鬱な気分になった。理由は分からないが、ベルフェは自分の事を毛嫌いしている。それも殺人課から排除しようとしている程に。
レイをここに連れてきて──エンディにその意図は無かったにしろ──死体を漁らせたのだ。その事は自分にとって当然不利になる出来事だろう。もしかしたら停職では済まないかもしれない。
落ち込むエンディとほくそ笑むベルフェの間に、新しい声が割り込んできた。
「首尾はどうなっているのかね」
新たな闖入者にベルフェは不遜な態度で臨もうと思ったが、その声の主を見た瞬間に顔面に媚びた表情を浮かべる。
「クワトロ団長、お疲れ様です」
そう言って敬礼したベルフェは、死体回収班として従騎士を連れたクワトロに向かって続ける。
「現場を封鎖し、現在遺体の収監を待つところです。」
クワトロは頷いて「周囲の聞き込みは?」とさらに質問を重ねる。
しかしベルフェがここに来てした事といえば死体を小突き、エンディを停職処分にした事だけ。
だが彼女は従騎士に聞き込みまでさせたらしい──ベルフェはこれ幸いと答えた。
「従騎士達にさせております。被害者はどうやらここらへんで客を取っていた娼婦らしく──」
「そうか……それで現場の指揮を執っているのは?」
ベルフェは少し迷って答えた。
「私ですが」
「この現場に最初に来た時に彼女にこの現場の指揮を執るよう言ったのだが、君がそれを引き継いだのかね?」
その言葉にベルフェは内心で焦る。この女が現場で動いていたのは
「彼女は停職処分にしたので──」
その言葉にクワトロは目を細める。
「ほう……それはどういった理由で?」
エンディの父と団長は親しい間柄──相棒だったという事は周知の事実だった。当然ベルフェもそれを把握している。
それに彼女の父はこの騎士団の創設者であるという事も知っている。
しかしクワトロはそう言った事で人を特別扱いする人間ではないことも知っている。
たとえかつての相棒の娘だとしても直接口をはさむことは無い。ベルフェは堂々と答えた。
「上官への暴力と命令無視です」
「そうか──それは本当かね?」
向けられた視線にエンディは弁解することなく頷いた。
「はい、間違いありません」
「それでは自身に課された処分は妥当だと?」
そのやり取りにエンディは顔を曇らせる。彼女も処分自体に異論はなかった。感情で動いて上司に暴力を働くなど、騎士としてあるまじき行為だ。
そう思っているエンディとは裏腹にクワトロはこの処分の経緯を薄々感づいていた。
凡そ、ベルフェが被害者を侮辱してエンディがそれに反抗したのだろう。だがエンディは
団長の権限であればエンディの処分を取り消して、ベルフェを問い詰め、むしろ彼に処分を下すことが出来る。
客観的に見てもそれは正しいことなのだろう。クワトロはだが、と思う。
彼女の性格を考えれば、それは決して望まない。父親と同じように。
クワトロはそれでも釘は指しておこうと思い、その場にいる全員に聞かせるよう言った。
「私は現場の事には口を挟まない。現場での判断を尊重する。それは何故か──」
クワトロは一呼吸おいて続けた。
「それは君たちを信頼しているからだ。被害者の前で
言い終えたクワトロを前にエンディとベルフェがバツの悪い顔をする。
その場にいる全員を見回して一つ咳払いをしたクワトロはまた口を開いた。
「連続娼婦殺し、これで何人目かね?」
彼はすぐに答えられなかった。それもそのはず、連続娼婦殺しは彼の中では優先度は圧倒的に下で、報告もまともに聞いていなかったからだ。
騎士団において、出世するには幾つか方法がある。
その一つが重要な事件──政治家や貴族と言った地位の高い人間が絡む事件を解決する事だ。
ベルフェは出自柄そのような世界に慣れていたということもあるが、重要な事件を優先的に処理し、出世してきた。
そんな彼の中では娼婦殺しなど日常茶飯事な事件はとるに足らないものだった。
確かに一時は世間をにぎわせるだろう。しかし彼自身が口にした通り、娼婦が何人死んでも世間はすぐに忘れてしまう。
それ故部下たちにも他の事件の片手間にやるよう伝えていたし、人員を割くこともしなかった。
返答を得られなかったクワトロは質問を変える。
「成果は出ているかね?」
「全力を挙げてやっているのですが、いかんせん人出が──」
苦しい言い訳、しかし半分はベルフェの本心だった。東地区は他の地区と比べて圧倒的に凶悪犯罪──特に殺人の発生率が高い。そして騎士団の殺人課に属する人員は限られている。
「それならばエンディを加えるといい」
その言葉にベルフェは『彼女には現場に出てほしくない』と嫌な顔をしたが、すぐにひっこめた。
「ですが……彼女は経験不足で……」
「経験を積ませることも上の人間の務めだろう」
その言葉にベルフェは押し黙る。決して命令ではなかったが、お上に完全に従属する彼にとってはそれは命令も同義だった。
今まで現場に出さないようあらゆる手を尽くしてきたが、遂に彼女を現場に出さなければならないと知ったベルフェは内に絶望と次いで怒りが湧いてくる。
そして彼は決断した。今夜の相手は赤髪の女にしよう、と。
「分かりました。エンディ君、この事件の捜査に加わってくれたまえ。これまでの捜査資料は騎士団に戻ってファスとキースから共有してもらうんだ」
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