第二章 The Ripper : A Story of the Sodom Fog

2-1 切り裂きジャックの訪問

悪は超自然的なものから行われるのではない

悪は人から生まれ、人が行うのである

        ──ジョセフ・コンラッド



 一面真っ白な地下室、やや過剰に室内を照らしている魔法石の光の中で女は腰を振りながら猫なで声を出す。

 

 「ねぇ~、見てるだけぇ?」

 

 女は背中にこの家の主の視線を感じつつ、ドレスの紐を一つ一つらすようにほどいていく。

 最後の一本をほどき終えた女はワンピースタイプのドレスを下にずらす。

 尻を突き出すようにしゃがみ、一糸まとわぬ姿になった女は体を揺らしつつ、背中に垂れた長い薄緑色の髪を乳房が隠れるよう前に持ってくる。

 

 女は仕事をこなしていく中で、男という生き物は焦らされる事が好きだと知った。

 だからドレスもわざわざ面倒臭い手順を踏まなければ脱げない仕様の物を選んでいるし、脱ぐ際も努めて性器とっておきは隠すようにしていた。

 

 女は手で性器を隠しつつ振り返るが、男の──彼の下半身があまり興奮していない事に落胆する。

 手間のかかるストリップを見せれば大体この段階で男は我慢できず裸体に手を伸ばすし、そこからさらに焦らして最高の体験・・・・・をさせれば次の指名にもつながるのに──女は落胆を顔には出さず髪をかき上げる。

 

 薄緑色のカーテンから覗く乳房を見せつけるようにしても、男は未だに手を出してこない。

 

 まさか性的不能インポだったのか──女は誘いに乗らなければよかったと後悔した。いくら誘惑しても反応しないのではそもそも仕事ができない。

 

 男から誘いがあったのは今から数十分前、裏路地でたばこをふかしつつ今日はここらでやめようと帰り支度を始めたところだった。

 時間は0時過ぎ、ここ最近頻発している娼婦殺しのせいで同業者の姿は少なかった。これ幸いとライバル同業者が少なくなった夜の街で仕事をしていたが、それでも先日交わした友人との会話が頭に引っかかっていた女は次第に早い時間に仕事を終えるようになっていた。

 

 『娼婦殺しは緑色の髪を標的にしている』

 

 ただの噂話だろう。それに自分は純粋な緑ではなく、グレイが混ざった薄い緑だ。狙われることは無い──そうは思っていたものの、やはり怖いものは怖い。

 そのせいでここ数日は早めに切り上げていた。そうなるとやはり稼ぎが少なくなる。

 

 そんな彼女に声をかけてきたのが件の男だった。

 ローブを羽織って、表情こそ伺い知れないが、その隙間から覗く服は明らかに良い物であったし、何より毛並みの良い馬にまたがっている彼は明らかにお金持ち上客だった。

 一瞬、頭の中に娼婦殺しがよぎるが、それを女は「こんな金持ちがわざわざ人を殺さないだろう」等という根拠のない考えで振り払った。

 何より行為プレイの場所は自宅だと言うではないか。この地域で一軒家を持ち、馬も持っている金持ちであればご褒美チップもたんまりもらえる。ここ数日の失った稼ぎを取り戻せるぐらいに──女は男の誘いを受けた。

 

 そんな彼にローブを渡され、馬の後ろに乗せられること数分で彼の自宅に着いた。

 出入りは裏口から──これも別に女は気にならなかった。

 娼婦と一緒に馬に乗っている姿なぞ周りに見せたい者などいないし、ましてや一緒に自宅へと入る姿なんてもってのほかだ。

 その態度のお詫びか、男は自宅に招いた彼女に暖かい紅茶を振舞う。

 そして数分の会話の後、男にプレイルームとして招かれたのがこの地下室だった。

 

 椅子に座り女のストリップショウを見学している彼の元へ女は腰をくねらせて歩み寄る。

 無理やりにでも勃たせて、報酬を貰わなければ──女は男の元にひざまずいてその下半身のモノに手を伸ばす。

 しかし男は立ち上がりそれを回避した。

 

 「そちらに寝てくれないか?」

 

 男が指したのは地下室の中心、女は「まぁいいけど……」と空を切った手をひらひらと動かして彼の指示に従った。

 

 自分から攻めたいタイプか、と彼女はひんやりとした床で横になり、足を広げて男を待つ。

 こういった手合いは攻めさせておけば勝手に自分で終わってくれるから楽だ。無茶な事さえされなければ──しかし彼は「足を閉じてくれないか」と言った。

 

 変わった行為プレイを好む客もいる。

 ハイヒールでナニ・・を踏まれることに興奮する客であったり、顔面をドレス越しの尻で圧迫されることが好きという客──だが足を閉じてしまえばそもそも行為自体が出来ないではないか、と女は不信感を決して顔には出さず足を閉じる。

 

 「もっとぴったりと閉じてくれ。手は横にして……聖人がはりつけにされた時のように」

 

 女は再度の指示にも大人しく従う。そんな彼女の手に冷たい液体がかかった。

 

 「きゃっ!」

 「おおっと、すまない。驚かせたかな」

 

 男は悪びれる様子もなく「動かないで」と続けると、女の反対の手にも水をかける。そして女の周辺を丁度一周するように回ると彼女の足にも水をかけた。

 

 「潤滑油ローション? 落とすのが大変だからあまりかけないで欲しいんだけど」

 

 思わず抗議した女に男は「ただの水だよ」と答える。彼は空になった瓶を横に置くと女の足元に跪き手を掲げた。

 

 「なくてもいいんだが、あった方が事が上手く進むんでね」

 「どうでもいいけどさ……するなら早く──」

 

 男は手のひらから出現した魔法陣を女の足に向ける。そしてその足に水がたっぷりとかかっている事を確認して呟いた。

 

 「gelida凍てつけ

 

 その声と共に、女の足が一瞬で凍り付く。そして足を覆った氷は一瞬にして床を伝う。水の導火線は瞬く間に両手をも氷に包む。

 

 「ちょっと! 何するのよ!」

 

 小さい悲鳴を上げた女は、今度は恐怖と怒気を込めて抗議した。

 既に遅く、彼女の両手足は氷でがっちりと床に固定されており、身をよじっても全く身動きが取れない。

 

 「早く解除してよ! こんなことして──」

 

 男は女に馬乗りになると、その口を力強く抑える。

 魔法ではなく、肉体による暴力に彼女の顔が一気に恐怖に染まる。

 

 「もっと泣き叫んで欲しい」

 

 男は微笑みながらそう言った。

 

 「昔からこうしないと興奮しない性質たちでね……だからもっと叫んで欲しいんだ」

 

 男の狂った要望に応えるまでもなく、女は身をよじり悲鳴を上げ、助けを呼ぶ。その悲鳴が最高潮に達したのは、彼の手に鈍色に光る刃物を認識した時だった。

 自分の手のひら越しに伝わるくぐもった絶叫が大きくなったのと同時に男の下半身も起立する。

 腹に感じるその硬い感触に女はさらに恐怖した。

 彼は女の喉に刃物を軽く当てる。触れただけだったが、それは首の薄皮を切り裂き血の雫が流れた。

 

 「今から君の喉を切るが……恐らく五分で死ぬだろう」

 

 男は女の首に切っ先を差し込む。人体に異物が挿入される不快感と痛みに女はさらに激しく暴れる。

 

 「だから……死ぬ最後の瞬間まで叫んで欲しいんだ」

 

 そんなお願いと共に男は凶器を横に振った。すぐさま彼女の首からは鮮血があふれ出す。男は返り血など意にも介さずに、急いで女の頬に耳を当てる。

 彼の耳にはくぐもった悲鳴と、溺死する者が発する『ごぼごぼ』という音が聞こえてきた。

 悲鳴と血で溺れる音の二重奏──それに男はたまらなく興奮して思わず叫んだ。

 

 「母さん!」

 

 

 

 

 

 

 男が果てた時、すでに彼女は物言わぬ骸になっていた。

 彼は女の伸ばされた腕を枕にするように横になる。死んだ彼女の目を間近で見つつ、興奮で上がった心拍数を抑えようと大きく息をした。

 最高の時間はあっという間に過ぎ去ってしまう──男は凶器から手を放し、自分の手首を握って心拍数を測る。

 徐々に落ち着いてくそのリズムを感じながら、男はふと昔を思い出す。

 母にもこうやって心拍数を測ってもらった。優しく、残酷で、淫らな母──衝動を抑えたばかりの男の内に、またも怒りと衝動が湧き上がってきてしまう。

 落ち着け、と男は自分に言い聞かせる。

 最近の街は騎士の警邏パトロールも多くなっている。街にでる娼婦たちの数も少ない。今日ですら誰に見られているか分からなかったのだ。

 しかし思わず思い出してしまった母の姿に男の衝動は抑えが効かなくなっている。

 そんな彼はひとまず身支度を整えようと立ち上がり、水で濡らしたタオルを三枚と、乾いたタオルをさらに三枚使って全身の血を落とす。

 彼女の掃除は明日でいいだろう──男は地下室から出ると階段を上がる。



 紅茶の匂いがまだ残る部屋で、男はランタンに火をつけようとあたりを見回す。

 そこに思わぬ闖入者がいた。血まみれの女を抱えた真っ白なローブを来た人影──男はため息をついて「なんだ、あなたか」と安心する。

 

 「ノックも無しに入るとはいささか常識が無いのでは──いいや、あなたに常識・・を語っても無駄か」

 

 男は暗闇の中で手さぐりに机の上にあるグラスを発見し、酒を注ぐと一気に飲み干した。

 

 「その女は?」

 

 ローブの人影は血まみれの女から手を放す。彼女は床に音を立てて落ちると短いうめき声を上げる。

 

 「まだ生きてるのか? 一体何の用──」

 

 暗闇に慣れてきた目で男は女を見ると思わず息をのむ。

 その女は純粋な緑色の髪をしていた。その姿に彼の下半身に急速に血が集中する。


 衝動的に彼女の元に駆け寄った男を止めたのは白いローブの人影だった。手を上げて男を制すると要件を伝える。

 要件を最後まで聞いて、面倒臭いことになったな──と思った男はそれでも笑った。

 

 日に二度も楽しめるなんて今日はツイている。


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