1-12 Nevermore

 一人残された隠れ家セーフハウスの一室でレイは食べた事の無い風味のスープを口に運びつつ、自分が置かれている現状を整理する。

 魔法がある異世界に連れてこられ、記憶が無い──たった二節で収まる量ではあるが、その内容は到底現実とは思えない程に奇妙だった。

 

 一般的な空想ファンタジィ小説はこういった場合、神様だの伝説の剣だのとひと悶着あって、凄い力チートが備わっているもんだ──だが自分にそんな力を微塵も感じられない。

 現実は非情である。自分の持っているものと言えば、この肉体と服だけ。

 記憶に加えて、この世界の常識、金銭、身分証──上げればキリがないが、むしろ無い物の方が多いぐらいだ。

 しかしこれからどうするかを決めなければ、とレイは頭を切り替える。

 

 まずは自分の事を知っているであろう、あの女を探し出して事情を聞く──だがどうやって見つけるのか。この世界には頼るべき物も人もない。

 早くも手詰まりの状態に置かれたレイはベッドからするりと抜け出すと、フィーアが置いて行った服を手に取る。

 誰かが洗濯してくれたのか、血の匂いはほとんど消えていた。


 何か自分にまつわる手がかりでも無いかと革の上着のポケットを漁ったレイの指先に何か当たる感覚があった。それを取り出すと白と黒の繊維で編まれたヘアゴムだった。

 レイはそれを腕にはめ、他に何かないかとズボンのポケットを漁るも何も出てこなかった。


 レイは先のヘアゴムで髪を縛りつつ、窓際に立ち下の通りを見渡す。

 換気しようと窓を開けると裸には少々寒い風が入ってきた。

 通りの賑わいをバックにレイは服を着ようとベッドの方へと戻る。そんな彼の耳に羽ばたき・・・・の音が聞こえてきた。


 レイは振り向き、音の正体を確認する。開けた窓、その窓枠に禍々しい爪を突き立てたカラスがいた。

 だが馴染みのあるカラスとはまるっきり違った。彼の知っているそれより一回りも大きく、目はぎょろりと今にも落ちそうなほど飛び出している。さらには腐臭のような匂いが微かに漂っていた。


 そんな大鴉おおがらすは異常な程に抜け落ちた羽の中でじろりとレイを見つめる。

 気味が悪い──レイはその大鴉をどう追い払おうかと考え、食べ終えた皿の上に載っているスプーンを掴んだ。


 これを投げつければ逃げていくだろう。レイはスプーンを持った手を振り上げ、投擲しようとしたところに扉が勢いよく開かれた。

 ノックという常識マナーも無しに飛び込んできたのはエンディだった。

 

 彼女はこの階に全力で駆け上がったのだろう。少々息が上がっており、その顔はほのかに上気している。

 レイは大鴉から目線を切ってエンディを怪訝な目で見つめる。

 エンディはといえば全裸でスプーンを振り上げているレイの姿を見ると顔を真っ赤にし、入って来た時の倍の勢いで出ていきドアを閉めた。

 

「す、すまない!」

 

 ドアの向こうから動転した声で謝罪するエンディにレイは疑問に思った。明らかに礼儀にうるさそうな彼女が部屋に入る前のノックを忘れるだろうか──レイはその様子にただならぬものを感じ取り、ドア越しに声をかけた。

 

「一体どうしたんだ?」

「え、あ、その、実は──」

 

 初めて見た男の裸体にしどろもどろになりながらエンディは語りだした。

 

「逃げ出した女が見つかったんだ……死体で」

 

 レイはその言葉を聞くと、急いで服を着る。そして大鴉に投げつけようと思っていたスプーンをポケットにしまう。何かの役には立つだろう──身支度を整えたレイはドアを開ける。

 目線を合わせようとせずに、まだ頬に赤みが残る彼女にレイは言った。

 

「どこで見つかった?」

「この近くの路地裏で……それで君にも確認して欲しいんだ。あの時の女かどうか」

「分かった」

 

 エンディの後をついて部屋から出たレイは振り向いた。

 いつの間にか、大鴉おおがらすは来た時より多くの羽を残して窓から消えていた。

 

 

 

 

 

 大通りに出た二人は通りを走る辻馬車を止めて乗り込んだ。

 他にもひっきりなしに同じように馬車が走っている所を見ると、これ馬車がこの世界の基本的ななのだと悟ったレイは、ローマの石畳サン・ピエトリーニを思わせる固い地面の振動が直に伝わるこれに慣れないといけないのか、と辟易した。

 

「死体はどうしてる?」

「現場の従騎士エスクワイア達に見張らせている」

 

 またも見知らぬ単語を言った彼女にレイは聞き返した。

 

「従騎士? 騎士とは違うのか?」

「広義の騎士には二種類あるんだ。騎士と従騎士、従騎士は見習い騎士の事で……騎士とはすなわち正騎士の事を言う」

 

 レイは分からないといった顔でエンディを見つめる。

 

「上手い説明は出来るか分からないのだが──正騎士とは捜査権を持ち、実際に事件を捜査する騎士の事だ」

 

 エンディは腰についた金色の丸い飾りを見せる。初めて彼女に出会ったときに見せられたものだ。

 手のひらに収まる程のそれは鷲と天秤の文様が刻まれている。

 どうやらこれが正騎士としての身分証あかしだと言いたいらしい。レイは警察手帳のようなものか、と理解した。

 

「従騎士ってのは?」

「正騎士の元で指示を受け、現場の確保や警邏パトロール、聞き込みといった業務──正騎士の補助をしている」

「へぇ……つまり従騎士は正騎士の部下って事か」


 エンディは頭を振ってその言葉を否定した。

 

「その言葉には語弊がある。まず騎士になるための方法から話そう。騎士になる方法は二つ。一つは騎士学校を卒業する事、もう一つは従騎士として働いて正騎士として登用されること。つまり従騎士は見習いのようなものだ」

 

 いわばエリートと叩き上げか──レイは目の前の彼女が明らかにエリート側だとあたり・・・をつけて言った。

 

「当ててみよう、お嬢さんは騎士学校の出だろう」

「な、なんで分かったんだ?」

「見るからにエリートって側だ」

 

 その言葉にエンディはため息を吐く。

 

「騎士にそんな括りはない。従騎士上がりでも騎士学校卒でも何ら変わりはない──それと『お嬢さん』はやめてくれ。私はもう子供ではないし、エンディという名がある」

 

 そうムッとしたエンディの態度を無視してレイは言った。

 

「それで、騎士学校を出たエリート様はなんであの時殺されかけていたんだ?」

 

 その虚仮こけにするような口調に怒りと悔しさがこみあげてきたエンディはそれらを堪えると正直に答える。

 

「言っただろう。不意打ちにあったんだ」

「気付かなかったのか?」

「それは……そうだ。襲われるなんて微塵も考えていなかった。悲鳴が聞こえて無我夢中で──」

 

 エンディはレイの黒い瞳から目をそらして言った。己の不覚に尽きるあの出来事はエンディの気分を沈ませるのに十分だった。見るからに落ち込んだ顔をしている彼女に構わずレイは疑問をぶつける。

 

「そもそも、殺人課のお嬢さんがなんであの場にいたんだ?」

「住民同士のトラブルで苦情が入ったんだ。それで──」

 

 その言葉をレイは遮って聞く。

 

「殺人課は殺人事件を捜査するのが仕事じゃないのか。なんで住民トラブルなんかに?」

「それは──」

 

 黙りこくったエンディを前にレイは彼女が何故殺人課にいながら近所トラブルという全く違う方向の仕事を任せられていたのか思いを巡らせる。

 しかしその事については何も思い浮かばなかった。この世界の官憲はそう言うものだと納得するしかない。

 それよりも彼女が不意打ちにあったという事の方が気になった。騎士といえば何も知らないが、少なくとも最低限の戦闘訓練は受けているはずだ。そんな者が不意打ちを受けるなんて一つしか考えられない。

 

新人ルーキーなのか?」

「……確かに騎士団に入ってまだ一ヶ月だが……」

 

 道理でまだ若いわけだ──少女の面影を残すその横顔を見てレイは思った。だが、殺人課に入ってそれ以外の仕事をさせられるなんて、新人だろうとあり得るのだろうか。


「新人だとしても、近所トラブルは他に対応する課があるんじゃないのか?」

「それは……まあ……そうだが」


 歯切れの悪いエンディは質問してくるレイに自分のユースティアの事を話そうと思ったがやめた。そのことが原因で捜査から爪弾きにされていると決まったわけではないし、何よりそれを話すことで先入観を持たれたくなかった。


「そうだとすると、他に何か原因が? 全く関係のない仕事を押し付けられるなんて嫌がらせでも受けているのか?」 


 レイはそう聞きながらも、彼女の一切媚びた表情などしないであろう態度にある考えが浮かんだ。

 

「もしかして……嫌われているのか?」

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