1-11 法則
エンディは後悔の感情を出すまいとしたが、その表情では丸わかりだった。
一般人が襲われた場にいたのに何も出来なかった。
加えて、その
レイの行動は充分に正当防衛の範囲に収まるものであった。しかしそれを判断するのは法である。適正な手続きを経て判断されるべきものなのだ。
だがクワトロはエンディに黙っているよう命じた。
それがエンディにとって我慢ならないのだ。
「それに……その後の対応も違反しています。通常であれば、騎士団に連絡し応援を呼んで現場を封鎖すべきでした」
「しかしそうなれば、彼が異世界から来た人間だと多数の人間に知られてしまう」
多数の人間に知られてしまえば厄介なことになる、とクワトロは
それは当のエンディもしっかりと理解できているはずではあるが、今の彼女の中では規則──すなわち法が一番優先されるべきなのだろう。
「そうなれば彼にも言ったが
「厄介な事……
「そうだ。もしそうなれば彼の命も危険に晒される」
「ですが……法の執行者たる騎士が従うべき規則を破ったのです」
「そこらへんは、まぁ臨機応変に対応せねばなるまい」
「ですが──」
尚も言いよどむ彼女にクワトロは苦笑いする。
人の善性を信じ、頑固で、規則に忠実、父親にそっくりだ──とクワトロは彼女の面影に懐かしき友の姿を視る。
そんな彼女をどう説得しようか考えているうちに、馬車の外が騒がしい事に気付いた。
エンディとクワトロは馬車の小さな窓から外を見る。そこには路地の入口でごった返す人々と、
「何かの事件らしいが……」
「そうですね────すまない! 止めてくれるか」
エンディは御者側にある小さな窓から、手綱握っている老人に声をかける。馬車が止まると同時にドアを開け、一目散に飛び出していく。
クワトロも少し遅れてその背を追う。そしてエンディ達の騎士の制服を認めた一人の従騎士が人ごみをかき分けてエンディの元にやってくると敬礼した。
「お早い到着ですね。助かりました」
自身と同じ赤い瞳の従騎士に親近感を覚えたエンディは答えた。
「いや、近くを通りかかっただけだ。いったい何が?」
エンディより2、3歳ほど若い、まだまだ幼い従騎士は「実は」と切り出した。
「死体が発見されたのです。こちらへ」
死体という言葉に顔を見合わせたエンディとクワトロは従騎士の後をついて路地に入っていく。
二つの大通りに挟まれた路地の中心、そこに物言わぬ
左右から路地裏に入ってこようとする市民をせき止めている従騎士、そして路地の中央に全裸で打ち捨てられた女。彼女の顔には緑色の長髪がかかっており、その表情をうかがい知る事は出来ない。
髪の隙間から僅かに覗いているその目は恐怖か苦痛か──あるいはその両方か──で見開かれており、どんよりと曇った空を見上げている。
裸体であることもそうだが、従騎士達の目を引いたのは、首と腹につけられた特徴的な傷だった。
首はぱっくりと開かれ、腹には
殺人だ──その見解で一致したエンディとクワトロは顔を見合わせると、死体の傍らにしゃがみ、顔を覗き込む。
十字を切り、簡単な祈りを済ませたエンディは震える手で彼女の髪を顔から払う。
その相貌があらわになった時、エンディは「あっ」と声を上げた。
「この人は──」
「見覚えが?」
忘れるわけもない、エンディは思った。人生で初めて殺されかけた時の事など忘れようはずもない。
「私たちを襲った三人組の、逃げた一人です。確か……メルキオルと呼ばれていました」
その言葉にクワトロの目が鋭く光った。こんな偶然があるだろうか──彼の頭はこの場での最善手を取ろうと思考する。
「エンディ君、君は急いで
「分かりました」
エンディは頷いて立ち上がる。そんな彼女にクワトロは追加の指令を与える。
「そしてこの場は君が仕切るのだ」
「ですが──」
エンディは思わずしり込みする。殺人捜査の経験など無い。あるのは騎士学校での座学だけ。
「騎士規則によれば現場へと最初に到着した騎士は従騎士達に指示を与え、現場を保全するよう規定されているだろう」
「えぇ、そうですが……」
何度も読み込み、暗唱できるまでになった騎士規則の中から彼の言った一文を脳内で反芻するエンディ。しかし自分は捜査には参加できる許可が下りていない。
「これは君の事件だエンディ。私は騎士団に戻り、回収班を連れてくる」
普通ならば、こういった事件は先輩騎士に付き添い、経験するものだ。何の経験もない彼女を一人で現場に放り出すなんての前例がない。クワトロはそう思いながらも、彼女の
「──分かりました」
決心したように頷いたエンディの元に先ほどの従騎士がやってきて「ご指示を」と敬礼する。
エンディは講義を思い出しつつ言った。
「遺体に布を。そしてこの路地から一般市民を追い出してくれ」
「分かりました」
エンディは従騎士にそう命令すると、路地を飛び出し辻馬車を探した。
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