「何でも言って良いのですか?」と公爵令嬢は言った。

埴輪庭(はにわば)

ポンコツ王太子と完璧公爵令嬢

 ◆


「アルミナ・セレ・サリヴァン。僕はこれまで君にずっと我慢をしてきたけれど、もう限界だ。君との婚約関係を続ける事はできない。思えば、君は僕の事が嫌いで嫌いで仕方がないんだろうね。当たり前だ、君は何でもできるし、僕は何をしても今一つだから。こんな者を招来夫に迎えるというのは、優秀な君にとって我慢がならないだろう。だが良かったな、これで君は僕から解放される。──そうだ、婚約破棄だ。本当は皆にちゃんと伝えられるように卒業パーティで言う筈だったけど、エチカにそれはやめて置けといわれてね。こうして呼び出して直接伝える事にした」


 学院の卒業式が来月に迫ったある日の放課後、王太子ユベールはサロンに婚約者であるアルミナを呼び出し、婚約の破棄を申し渡した。


 サロンは人払いをしており、彼ら二人以外はいない。


 アルミナはとうとうこの日が来たか、と言う思いで虚無めいたものが胸を満たしていくのを感じていた。


 心という器に満ちた尊い何かを愛と呼ぶならば、その愛が零れてしまっても注ぎ足せばそれで良い。


 しかし器そのものが割れてしまえば、何もかもがもう終わりなのだ。


「実の所僕は僕なりに、君が好きだった。君を好きになった切っ掛けは余り褒められたものではないけれどね。随分昔の事だよ。君と僕がまだ子供だった頃の話だ。君は僕との思い出なんてすっかり忘れてしまっただろうが、君は草や花といったものが好きで、自分でもよく土いじりをしていた」


 アルミナは何も言わず、静かに耳を傾けている。


「僕と初めて会った日に君が出迎えもせずに花壇にいたのは、土いじりに夢中になってしまっていたからだったっけね。『ごめんなさい、お花の具合がよくなさそうだったからすっかり忘れてしまいました』と君は言っていた。いや、むしかえそうとかそれを悪く思っているとか、そういう事じゃない。あの言葉がきっかけで、僕は君の事が好きになったんだから」


 アルミナはいまだに無言だ。


 表情一つ変えず、ユベールを見つめている。


 その姿にユベールは、雪原にただ一輪咲く銀色の花を幻視した。


 やはり美しい、そう思うと同時に、アルミナの気持ちが既に自分にない事を改めて知らされた思いで苦々しい気持ちを抑えきれない。


 こうして気持ちを吐露すること自体がまるで馬鹿のように思えてしまう。


 しかしユベールはここまで言ったのだからと半ば自棄めいた気持ちで続く言葉を吐いた。


「好きなものにただ一直線で、他のものは目に入らない君の姿に、僕は眩いものを感じた」


 でももういい、とユベールは疲れた様に言う。


「僕の有責での婚約破棄だ。君の身は白いまま。君は君で、その才に相応しい男を見つけるといい」


 ユベールはそう言い切った。


 その態度は覚悟を決めているとか潔いとかそういう言葉が当てはまるのかもしれないが、どうにも負の方向に偏っているようなそんな風情である。


 アルミナはやはり黙ったまま。


 そんな様子に痺れを切らしたのか、ユベールが激した様子で言い募る。


「どうした、何も言わないのか! 何か言い返したらどうだ! 僕がここまで内心を打ち明けているのに、君は黙ったままか! 


 他の誰に軽んじられても、アルミナに軽んじられるというのは許せない──というよりは、嫌だという思いがユベールにはある。


 そこでようやくアルミナが口を開いた。


「申し訳ありません。色々と考えを纏めていたのです。でもやっとそれなりに形になりました」


 ユベールは内心ひるみながらも、「ふん、じゃあ言って見るといい。何を言ったとしても君の無礼は咎めない。何でも言え」と吐き捨てる様に言う。


「何でも言って良いのですか? それでは少し長くなりますが──」


 アルミナがそう言うと、ユベールはぐっと奥歯をかみしめる。


 ──どうせ最初から好きではなかったとか、望まぬ婚約だったとか、そんな事を言うのだろう


 それは分かっていた、とは思いつつも、いざ言われればショックなのだろうなという思いもある。


 果たして、"何でも言え"と言われたアルミナがユベールに伝えた事は──


 ・

 ・

 ・


 ◆


 メスティーハ・ルニ大陸には南方に連なるドムンツァ大山脈を源流とするセラルという大きな川があるが、ホラズム王国はその下流にある。


 ホラズム王国から見て西側にはサルーム王国という国があるのだが、両国の関係は良好だ。


 過去には緊張もあったが、この二国は地勢的に剣と剣を向けあうよりは、手と手を繋ぎ合う方が益が大きい。


 かつては小国が乱立していたものの、数代前のホラズム国王"太陽王"エドワードが地域一帯を平定した。


 畢竟、そういった状況下では国の貴族にもが無く、他国から見て色々と足りない部分があったりする。


 そして目下、その筆頭は次期国王である王太子ユベールであった。


 ・

 ・


 ユベールという金色の髪と碧眼を持つ青年を一言で言い表すとすれば、「」である。


 ある日の昼休み、学院の中庭でユベールは友人たちと談笑していた。


 彼らはユベールを持ち上げ、お世辞を並べることに余念がなかった。


「ユベール様、次の休日は狩りにでも行きませんか? 新しい猟犬が入ったんです」


 友人の一人がそう提案すると、ユベールは楽しげに笑った。


「それは面白そうだな! 父上に頼んで、最高の弓を用意してもらおう」


 その時、ユベールの婚約者であるアルミナ・セレ・サリヴァン公爵令嬢が近づいてきた。


 冬の月光を人の器に収めれば、きっと彼女の様な姿になるのかもしれない。


 銀糸の髪は静かに揺れ、深い蒼の瞳は冷たい湖面を思わせた。


 その凛とした佇まいは触れれば凍てつく氷華のようで、ユベールは彼女の存在に内心たじろいだ。


 ユベールにとってアルミナは外見も内面もある種の圧を与えてくる様に感じるのだ。


 人はそれを劣等感と呼ぶ。


 学院入学当初はユベールはユベールなりに王太子として相応しい存在になろうと努力してきたが、生来才気に欠ける身でもある彼は凡庸な成績しかおさめる事ができなかった。


 むしろ足りない部分の方が多いかもしれない。


 そんなユベールに対してアルミナはまるで容赦なく、事ある毎に彼を修正、訂正、否定する。


 いつしかユベールはアルミナを重荷に感じ、努力することを諦めてしまった。


 ◆


「ユベール様、少しお時間をいただけますか?」


 ユベールは一瞬だけ顔をしかめたが、取り巻きたちの前で無下にするわけにもいかず仕方なく答えた。


「アルミナか。何か用事でもあるのか?」


 彼女は静かな声で答えた。


「はい、先日の講義で出された課題についてお話ししたいことがありまして」


 ユベールは興味なさそうに肩をすくめた。


「課題なら自分でやればいいじゃないか。僕は今、皆と大事な話をしているんだ」


 その時、エチカ・セレ・マルキュース男爵令嬢が割って入ってきた。


 ──やっぱりエチカは傍にいて安心するな


 エチカは見た目こそ飛びぬけたものはないが、ユベールは彼女と一緒に居ると居心地の良さを感じるのだ。


 彼女はユベールを決して否定しないし、あれをしろこれをしろと言ってこない。


 ユベールはエチカのそういう所が好きだった。


 ただ、その好意はあくまでも友愛の範囲を出る事はない。


 エチカの気安さに転びそうになるたびに、ユベールの脳裏ではアルミナと初めて顔見せした時の事が過ぎるのだ。


 元はと言えばユベールの一目ぼれである。


 惚れた弱みというわけでもないが、アルミナを完全に裏切る事はできなかった。


「ユベール様、アルミナ様はきっと難しい話を持ち込むつもりですよ。せっかくの休み時間ですし、楽しいお話をしましょう。アルミナ様も、そういう話は後でいいじゃないですか。なんでしたらアルミナ様もご一緒にどうですか?」


 エチカの態度には悪気がない。


 ユベールはエチカに笑顔を向けた。


「そうだな、エチカの言う通りだ。アルミナ、用件なら後でにしてくれないか? なんだったら君も一緒に話でもしよう。ただし楽しい話限定だ」


 アルミナは少しだけ眉をひそめたが、静かに頷いた。


「わかりました。それでは後ほどちゃんとお時間をいただければ幸いです。お話というのは──そう、ですね。わかりました。ご一緒させてください。誘ってくださってありがとうございます、エチカ様」


「またまた! 様なんてつけないでください! 学院では身分の差はないとはいいますけど、それは建前ですもの。呼び捨てでもさん付けでも、なんでも大丈夫ですけど、様付けはちょっと!」


 アルミナはふ、と笑って「わかりました。ではエチカさん」と言いなおす。


「アルミナ様は笑わなくてもお綺麗ですけど、笑ったらもっとお綺麗なんですね!」


 そうして、エチカはあっという間に場の空気を作り上げてしまった。


 最初は狩りにいくという話だった筈だが、いつのまにかそれも忘れ去られている。


 ──怖い人


 アルミナはエチカについて思う所があるものの、嫌う事は出来そうにもなかった。


 それはひとえに、エチカの人柄ゆえに。


 かといってアルミナはユベールや他の者たちのように、エチカに胸襟を開く気にもならない。


 マルキュースとはここ最近新しく興された貴族家なのだが、余りにものだ。


 アルミナは事ある毎にユベールに近づくエチカの事を調べさせていた。


 単なる嫉妬が動機という事ではなく、エチカが悪意を持ってユベールに接近しているのではないかと疑っていたからだ。


 もしエチカが黒ならば、アルミナは手段を選ばずにエチカを排除するつもりだった。


 手段を選ばないというのは文字通りの意味である。


 そのために、アルミナはマルキュース家について詳細に調査させた。


 マルキュース家はもともと商家であり、主に茶葉などの取引を行っていた。


 商いの量こそは少ないが評判は極めて良好で、取引内容も透明性が高い。


 アルミナは公爵家の影響力を駆使して、マルキュース家の直近の取引記録を入手し、そこに後ろ暗い部分がないかを丹念に調べさせた。


 結果は完全なる白である。


 マルキュース家の取引には一切の不正や問題が見つからなかった。


 どれほど細かく調査を行っても、わずかな不正も発見されなかった。


 例え露見したとて、お咎めはないであろう非常に小さな不正までもだ。


 アルミナは単なる楚々としたご令嬢というわけではなく、公爵家の娘足るものはかくあるべしという理想を体現したような存在だ。


 そんな彼女が何かを調べるとあれば、膨大な数の資料を短期間で頭に叩き込み、更にどんな小さな事でも決して忘れず、星の数ほどもある些末な事柄をそれぞれ付き合わせて違和感を探るくらいは朝飯前に出来る。


 そのアルミナが調査をして白と判断したのなら、これはもう完全無欠に白なのだ。


 だがアルミナは、その結果が出た事で余計にエチカの素性を訝しんだ。


 さらに言えば──


 ──マルキュース家はそもそも貴族となる程の功績を積んでいない


 金を積んで貴族となる事もできるが、それだけの額をマルキュース家が用意できるかどうかというと疑問だ。


 ──もしかしたら


 ユベールという王族の、ホラズム王国にとっての価値。


 エチカという少女、マルキュース家。


 ──王位継承権を持つ者はユベール様だけではない


 頭の中で細かいちりがぶわりと広がって空に舞い上がり、くるくると円舞して一つの像を描いていく。


 点と点が繋がり、線となり、意味のある形を成していく。


 一つの考えがアルミナの頭をよぎった。


 ◆


 それから何度も似たような事があった。


 アルミナはユベールの学院での態度について事細かく指摘し、課題に手を抜く事があれば諫言をしたりもした。


 何度も何度も。


 露骨に煙たがって見せても、アルミナは懲りずにユベールにあれやこれやと口を出す。


 そのたびにユベールは自分がまるで世界一の無能者になった気分になるのだ。


 それが親やユベールが考えるところの "本当の意味での恋人"や親友からの言葉ならばまた違ったかもしれない。


 ──でもアルミナは私を見下している。見下している相手から散々あんな風に言われて、これ以上耐えられる自信ない


 ・

 ・


「もう沢山だ!」


 ある夜、ユベールは王宮の私室に戻るなり口汚くののしり始めた。


 部屋には当然だがユベール一人だけである。


 いくらアルミナが気に食わなくとも、公爵令嬢であり婚約者でもあるという立場の相手の事を公言と罵倒するわけにもいかない。


「アルミナのやつ! 僕の事をまるで無能者のように扱って……」


 ユベールはアルミナからすれば確かに無能な相手だろう。


 だが仮にも婚約者にあのようにズケズケと物を言うというのはどういう事なのだろうか? そんな思いが胸にくすぶる。


「お前は確かになんでもできるだろうさ、しかし誰でもお前みたいに出来るわけじゃないんだ。あんな風に僕に諫言してくるのは、僕を見下しているからか?」


 ──僕は、決してそんな風には思わなかったのに


 あの時だって、とユベールは過日の一幕を思い出す。


 それはユベールとアルミナがまだ幼かった頃の一幕だ。


 こんなにかわいい子と結婚することになるんだ、とユベールが少年らしく胸をときめかせていた頃の一幕だ。


「虫に怯えて泣いていた君を、みっともないなんて僕は少しも思わなかった」


 そう口に出すと、自身の情けなさに自嘲の笑みが漏れる。


「僕がアルミナに対して息苦しさを覚えなかったのは、あの時が最後か」


 ユベールは大きくため息をつき、ふとエチカや友人たちの事を思い出す。


 彼らはユベールにとって大きな慰めだ。


 覚えた筈の事がすっぽり抜けていて試験がうまくいかなかった時、課題の数に音をあげそうになった時、そういった手落ちをアルミナに指摘されて劣等感をいたく刺激された時。


 ──彼らは私を慰めてくれた。誰でもそういう時があると、気にするなと言ってくれた。アルミナとは大違いだ。だから我慢できた。でももう無理だ


 明日、彼女に伝えよう──そう思いながら、ユベールは寝床についた。


 そして翌日。


 学院に登校し、いつものように授業を受け、そして。


「アルミナ、放課後時間を空けてほしい」


「構いませんが……なんでしょうか?」


「話がある」


 その時、ほんの一瞬だけアルミナの鉄面皮にヒビが入ったようにユベールには思えた。


「どうした?」


「いえ、何でもありません。わかりました。それで、話というのはどこでされるのですか」


「サロンだ。人払いはしておく」


 ◆


 そうしてサロンへやってきたアルミナに婚約破棄を言い渡したユベール。


「どうした、何も言わないのか! 何か言い返したらどうだ! 僕がここまで内心を打ち明けているのに、君は黙ったままか! 


 そこでようやくアルミナが口を開く。


「申し訳ありません。色々と考えを纏めていたのです。でもやっとそれなりに形になりました」


 ユベールは内心ひるみながらも、「ふん、じゃあ言って見るといい。何を言ったとしても君の無礼は咎めない。何でも言え」と吐き捨てる様に言う。


「何でもですか、それでは少し長くなりますが──」


 アルミナがそう言うと、ユベールはぐっと奥歯をかみしめる。


 ──どうせ最初から好きではなかったとか、望まぬ婚約だったとか、そんな事を言うのだろう


 それは分かっていた、とは思いつつも、いざ言われればショックなのだろうなという思いもある。


 そうしてアルミナは意を決したように口を開いた。


 ・

 ・


 ◇◇◇


 私はユベール様──いえ、ユベール殿下をお慕いしております。


 昔も、今も。


 もう大分前になりますが、私たちが初めて出会った時のことを覚えているでしょうか。


 幼い私が中庭の花壇で花を世話をしていた時の事です。


 その時私は愚かにも、殿下との初顔合わせの日である事を忘れておりました。


 挙句の果てに、毛虫が1匹私の手を這い、情けないながらも私は泣き叫んでしまいましたね。


 するとユベール殿下がどこからか走り寄ってきて、その毛虫を払ってくださいました。


 でもユベール殿下はその時毛虫の毒針に刺され、手のひらを腫らしてしまって。


 ユベール殿下は平気だとおっしゃいましたが、私は殿下の肩が震えているのを見てしまいました。


 その時、私の目には殿下が眩く映ったのです。


 それ以来私はユベール殿下をお慕いし続けております。


 幼い頃に抱いた恋心を今でも同じ様に持ち続けている私を気味悪く思いますか? 


 でも私はこういう女なのです。


 私は生まれてから今日まで、見たもの聞いたもの感じた事、その全てを詳細に覚えています。


 それは勿論都合のいい事ばかりではなく、忘れた方が良い事も中にはあります。


 そういうモノは思い出さないように処理をすれば意識に浮かび上がる事はない。


 だから私はユベール殿下への想いが色褪せぬ様に、これまでずっとおを欠かしませんでした。


 しかしある時思いました。


 好きとは何か、慕うとは何か、そして愛とは何かを。


 私は自分の心の内にあるこの火が一体いかなる類のものであるかちゃんと知りたくなりました。


 なぜならば永遠などというものはこの世界にないからです。


 私が抱くこの想いも、いつかは時の流れに晒され変質してしまうかもしれません。


 その時元の形は何だったのか、しっかりと理解できていればあるいは再び火を点すことができるかもしれないではありませんか。


 しかしいくら文献を調べても、人に聞いても答えはバラバラで。


 ある人は愛する人のためなら何でもできる事がすなわち愛だとおっしゃいました。


 またある人は無償の奉仕であるとおっしゃいました。


 しかしそのどれもが私にはピンと来ません。


 結局私は愛が何なのかを理解することはできませんでした。


 そして月日が流れ、ある時私は殿下の悪い噂を聞いてしまいました。


 その噂が何なのかはここで申し上げる必要はないでしょう。


 しかしその時思ったのです、愛とは愛する相手に良い人生を送ってもらうことだと──なんとなくそのようなことを思いました。


 そう、良い人生です。


 私が何でも殿下の言うことを聞き、殿下にとって都合が良い人間になれば、きっと殿下はその時は良い思いを味わうかもしれません。


 しかし人生という非常に大きな単位で考えた時、そのことがどう影響するのか……。


 貴族である私がこんなことを言うのはどうかと思いますが、貴族とは残酷です。


 ほんの少しの無作法で簡単に人を見切ってしまう。


 それは家族であっても同様です。


 情がないというわけではありませんがしかし、それはあくまでもごく狭い範囲の一部の相手にしか注がれることがないのです。


 王家が私たち貴族家に常に目を配っている様に、私たち貴族家もまた王家を見ています。


 次期国王たるユベール殿下の弱みをあらゆる貴族が把握し、それは今後の政治活動に大きな影を落とすでしょう。


 過去には明確な弱みを持つ王族が排斥されたという記録もございます。


 隣国サルームに於いては、不安要素を多く抱える継承権保持者に対して、一種の試しが行われるという慣習もあると聞きました。


 そして現在、ユベール殿下は王族としての教育が少々遅れております。


 これを貴族たちがどうみるか。


 あるいは王家がどう見るか。


 私はこれが殿下の人生に影を落とすと考えました。


 だから殿下に煙たがられる事を承知した上であれこれと口を出しているのです。


 もちろん私も本当は殿下に笑顔を向けてもらいたい、好意を向けられたい、愛されたい、そう思っておりますが、それはあくまで私の私情に過ぎません。


 殿下の幸せを考えた時、私は私情を捨ててでも殿下に忠言、諫言をしなければならないと──それがひいては殿下の今後の人生に繋がるのだと、それこそが私の愛の形だと思い定めたのです。


 ──ですが


 頭では、心ではその様にわかってはいても、想い人から嫌われるというのは酷く悲しく思えてしまうのです……。


 そういう意味では確かに、私は殿下を愛しているとは言えないのかもしれません。


 ◆


「私が考える愛の形がユベール殿下にとって苦痛でしかないというのであれば──、その婚約破棄を、そ、の婚約破棄を」


 ここでアルミナは口を閉ざした。


 どうしてもその先を言いたくない。


 ──でも


「受け入れ──」


 ます、と言おうとした所でユベールが「待ってくれ」と制止をかけた。


 ・

 ・

 ・


 ◆◆◆


 アルミナ、君もよく知っているだろうが僕は、くそ……僕は余り頭が良くない。


 だから君の様に自分の心をそうやって言葉にする自信がない。


 でも聞き苦しくても我慢して聞いてほしい。


 結論から言うと、僕は君が好きだよ。


 好きだけど、君に嫌われているとおもっていた。


 そればかりか見下されているとさえ思っていた。


 好きな相手から嫌われ、見下されるのはしんどいものだよ。


 でも弁解するようだけどね、僕だって赤い林檎をそれが赤い林檎だと判断するくらいの力はあるんだ。


 だから君の言葉をきいて、僕は今初めて自分が酷い思い違いをしていたことを知った。


 驚いたし、嬉しいとも思ってる。


 ただ、君に対して八つ当たり気味な気持ちも抱いた。


 アルミナ、君は優秀な人だよ。間違いない。僕なんかとは全然違う。


 でも、だったら気付いてくれてもいいじゃないか。


 僕が君が何を思って言ってくれているかまるで分かってないって事に。


 僕は赤い林檎の皮の色は分かっても、それが十分蜜があるかどうかなんて分からないんだよ。


 情けない事を言っているって分かっているよ。


 だけどこれからもっと情けない事を言う


 君は王妃として次期国王の僕を援ける為に婚約者になったのだろう? 


 だったら援けてくれよ、僕を。


 あれをしろ、これをしろだけじゃ僕みたいなのは反発してしまうんだ。


 君が何をどう見て、僕の今後の人生が不味いことになりそうだって判断したのか、何をどうすればそういう未来を回避できるのか、そういうことも織り込んで教えてくれ。


 少しは自分で考えろと思われるかもしれないけど! 


 考えてなんだ……


 そして今後の事についてだけど。


 僕は単純で浅いから、出来ればもう一度チャンスが欲しい。


 君がそういう気持ちで僕に色々言ってくれていたのだとしたら、もっと頑張ろうと思えるから。


 僕から婚約破棄を言い出して何を都合のいい事をと思うかもしれないけれど、婚約破棄は取り消すからやりなおせたりはしないかな……? 


 ・

 ・

 ・


 ◆


 アルミナとユベールは互いに見つめ合ったまま。


 ユベールは次第に焦れてくる。


 駄目か、やはり駄目かそうかそうか──と言ったヤケクソな気持ちがまたぞろ鎌首をもたげてきたが、アルミナの言葉を思い出し「待てよ」と思った。


 そう、ユベールはアルミナの返事を待つために黙っているのだが、アルミナは──


「アルミナ、一応聞いておくけどその沈黙は何の沈黙だい?」


 返事はぽんと返ってきた。


「ユベール殿下のお言葉を聞いて、何と答えるべきかを考えていました。『はい、やりなおしましょう』だけではユベール殿下が納得しないと思ったからです」


 アルミナは無表情のままそんな事を言う。


 なるほど、とユベールは思った。


 ──上手くいかないわけだ。僕は言われないと分からない。アルミナは聞かれないと答えない


「そうか。じゃあお願いがあるのだけど、とりあえず僕を許してくれるかどうか、僕とやり直してくれるかどうかの結論だけを聞きたい。そう決めた理由は後で聞かせてもらうから今言わなくても大丈夫だよ」


「はい、では一つ目。ユベール殿下を許します。二つ目。やりなおしましょう」


「そ、そうか! じゃあその、僕の事をこれまで通りに呼んでくれないか? きっと君はもう婚約関係は破棄されるのだから、と呼び方を変えたとおもうのだけれど」


「わかりました。ユベール様」


 アルミナが無表情なのは言うまでもない。


 表情をコロコロと変えているのはユベールだけである。


「ごめん、まだ聞きたい事があるんだけれど……。僕は君が好きだ。君は今も僕が好きかい?」


 ユベールはこれまでにない程アルミナに意識を集中する。


「はい、好きです」


 そう答えたアルミナはやはり無表情だが──


 いや、とユベールは違いに気付いた。


 アルミナの耳が僅かに赤くなっている。


 それを見たユベールは、不意に自分の頬と耳に熱を覚えるのだった。

 ・

 ・

 ・


 扉の外に誰かが一人佇んでいた。


 エチカだ。


 彼女はユベールとアルミナの話を全て聞いていた。


 エチカは扉の外からであっても、僅かに漏れる音から頭の中で会話を再構築できる。


 からだ。


 そうして一通り二人の話を聞いたエチカは、足音をたてずにその場から立ち去った。


 学院を出たエチカは真っすぐにとある場所へ向かっていく。


 マルキュース家の屋敷だろうか、いや違う。


 エチカは真っすぐに王宮に向かっていった。


 ◆


 そしてその日以降、エチカの姿を学院で見た者はいない。


 ユベールも学友たちもエチカの身を案じたものの、一向にその行方は知れる事はなかった。


 しかしただ一人、アルミナだけは「心配ないでしょう、彼女も忙しい様ですから変に騒ぎ立てるのはやめましょう」と何かを知っている素振りを見せる。


「何か知っているなら教えてほしいんだけど」


 以来、アルミナに何でもかんでも直接聞く様になったユベールが尋ねると、アルミナは


「それはユベール様が知るべきではない事かもしれません。どうしても知りたいのですか?」


 と無表情で答えた。


 それに対してユベールは「君がそう判断してるなら言わなくてもいいよ」とそれ以上の追及を避けた。


 アルミナの判断を信用したからだ。


 ・

 ・

 ・


 その日の放課後、サロンにて。


「アルミナと関係を改善できたことは嬉しいけれど、僕はこのままではだめだね。そうだろう?アルミナ」


「はい、そのままでは駄目です。しかし、ここはユージン無能王の例に従うという事も悪くはないかもしれません」


 ユージン無能王とはホラズム王国の黎明期を支えた王である。


「ユージン無能王は偉大なる賢王じゃないか」


「しかし本人の能力自体は低かったとされています。ユージン無能王の優れたる所は、自身の能力の低さを自覚し、足りない部分に何を、あるいは誰を穴埋めすれば穴が満ちるかを理解していたという点です。己を知る事にかけてかの王より優れた者はただの一度も現れなかったとか」


 なるほど、とユベールは思った。


「人に恵まれていたというのもあるんだろうな……僕みたいに」


 ユーべルはアルミナを見た。


「……頼って頂ける事は嬉しいです。しかし努力をしなくていいというわけではありませんからね。それでは今日の課題について聞きたい事があるのですが……」


「もう少しだけ休ませておくれよ」


「駄目です」


 それからしばらく、ユベールはアルミナの容赦のない質問、詰問に晒されたが、これまでとは違って二人の間には何か目に見えない温かいものが通っていた。


 (了)





ユージン無能王は別作「常識的に考えろ、と王太子は言った」の主人公です。

ホラズム王国シリーズは現時点で④作目。


「常識的に考えろ、と王太子は言った」

「畜生、死にたいな、と王太子は言った」

「愛してるよ、と第二王子は言った」

「なんでも言っていいのですか、と公爵令嬢は言った」


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