第8話

 周囲からは耳を塞ぎたい程の雑音が、繊細な耳を突き刺す。今は市の中央に位置する駅、そこを象徴する物の下で彼女を待っている。勿論、昨日か一昨日に話していたスペードの民を、だった。

 今朝、淡いだいだい色の朝陽に包まれながら服を着替えて、両親に連絡を取った。殆どの場合で両親から許可は降りる為、今回も例に漏れなかった。

 約束の時間が刻一刻と近づきつつあり、既に疲労感が溜まっていた。今日はいつもより疲れるはずだから、ここで体力を消費するのはなるべく避けたかった。

 そんな事を思いながら待っていると、正面の階段を小走りで駆ける人物が目立った。双子の姉だとか言っていた、クラスメイトである由里子の顔が浮かぶ。どこか似ているものを感じたからだろうか。

 俺に気づいたら素振そぶりを見せると、すぐに人混みへと混ざっていった。途中で階段を踏み外しそうになっていたらしい。

 しばらくそこで待っていると、霧散する人混みの中から、くだんの女とおぼしき人物が見える。両手を大きく振って俺を呼びながら、どこかおぼつかない足を引きっている。彼女の声は聞こえない。

 到着した時間は前からの予定に忠実で、不安の雲が心に影を作る。肩で息をする彼女を案じていると、彼女の手元にげられた紙袋が落ちる。それに気づいた彼女は急いでその袋を拾い、今一度大きく深呼吸する。

「はじめまして〜……で合ってるかな?」

「俺も初めての事だから知らないよ」

「調べといてよ〜」

「こっちの台詞セリフだよ」

 電波越しに話していた時と何ら変わらない声に、どこか安心感を覚える。それは相手も同じらしく、気づけばいつもと変わらない事を話していた。

 近場の大きな商店街を歩きつつ、適当な事を話していると、彼女は思いついた様に口を開く。

「てか、折角こうやって会ってるのに全然らしい事して無いよね〜」

「らしい事って?」

「………なんだろうね?」

「訊いた本人は知ってろよ……」

「じゃあ一緒に考えれば良いんだよ!」

「……嫌だよ頭が腐る」

 そう言われて、俺の背中を喚きながら叩く彼女。そいつを適当になだめながら、目的の場所へと足を運ぶ。

 しばらく歩いて止まった所の店は、ここの市民なら一度は目にする程有名な場所だった。わざわざここを選んだ彼女の気持ちが良く分かる。だが、どこか違和感もある。ここは客の殆どが地元市民であって、チェーン店ではあるがこの地域一帯にしか展開しておらず、ここに来るまでは絶対知り得ない店であった。もしかすると、俺がここの市民である事が分かられているかもしれない。そう思って、今までの印象的な会話を思い返し、自分がここの出自である事をいつ言っていたか考える。

 そんな俺を気にせず、彼女は俺の手を無理に引っ張って店へと連れ込む。馴染みのある店内に、一度は見たことがあるお客さん。全てがいつも通りで何だか安心した。隣で腕を強く掴む彼女もまた、慣れた手つきで入口に近くて空いていたテーブル席に俺を座らせ、彼女自身は水を汲みに行く。

 最近は話しているのが段々辛くなってきた。言ってる事が噛み合わなくなり、伝えたいことが伝わらない。当然、彼女に学は無いはずだ。いつから引きこもっているのか分からないが、ここ数日という訳ではなさそうだ。俺が通う学校の授業は無駄に早く進み、1ヶ月休むだけで授業に追いつく事がほぼ不可能になる。無論、頭の出来にも左右されるのだが、1ヶ月の休み明けで追いつける様な人は、学年の上位数十人くらいだろう。そもそも、その人達は今の今まで皆勤賞な訳だが。

 今までも何度か勉強会をしていたが、殆どは俺が教える側で、自分の勉強なんて出来やしなかった。このままでは、彼女をどうにかする前に俺がどうにかなってしまいそうだ。そうならない為にも、彼女を学校へ復帰させる。そう決心した。

 水をコップに注いで持ってきた彼女と、先の事を思いながら話す。殆どいつも通りの会話だった。

「そういえばどこに住んでるの〜?」

「…隣町だね」

「じゃあ何回かここに来た事ってあったり……」

「でも数回くらいだし、常連みたいな感じではないから」

 取りつくろうのも慣れたものだ。

「いつ来ても良いところだよね~」

「急に何?」

「お客さん皆温かくて居心地良いんだよね〜」

 それは俺も同感である。

「それは分かるな」

「でしょ〜?外食行くならとりあえずここに行きがち……って言っても分かんないかな?」

「変にいやみったらしい言い方だこと」

「変な捉え方しないで!」

 そんな風の会話をしていると、幾分か前に頼んでいたらしい料理が運ばれてくる。俺と彼女は、それぞれのお気に入りを頼んでいたらしい。つい話に没頭し過ぎて頭から抜けていた。

 舌の上で一口大に噛み切られた食べ物をもてあそぶ。馴染みの深い、思い出の味だ。いつまで経っても変わらないのはここくらいだろう。対面に座る彼女の表情は明るい。その顔が何だか可愛く思えてきた。店の電灯に照らされ、弾力がありそうに光を散らす頬。程よく大きくて適度に潤んだ、闇を据えながらも輝きを放つ瞳。弾力がありそうに保湿された唇の両端が、今の感情を表す様に上がる。綺麗。ずっと見ていられる様な気がした。

「……どうしたの〜?私の顔に何か付いてる?」

「……ん?ああ、ごめん」

「何か変?」

「変って訳じゃないけど……」

「変じゃないなら…… 何?」

「………やっぱりなんでもない」

「えぇ〜教えてよ〜!」

 うっかりでも、見惚みとれていたなんて、どんな事があっても言えないだろう。

 一通り食事と会計を終えて、向かう先は都市の中央に位置する駅。わざわざ飯を食らう為だけに、駅から結構遠い場所まで歩かされた事について、彼女からの言及無かった。

 見知った道を戻って駅の構内に入り、入口近くのベンチで、彼女に言われるままスマホから新幹線の座席を予約する。目的地はある田舎だと言われるが、全く想像がついていない。彼女を信じるしか無いだろう。

 予定時刻が近づき、改札にスマホを当てて、電子決済で中に入る。

 人が疎らに歩く新幹線のホーム。あと数分で目的の新幹線が来るらしい為、所定の位置で待つ。特にする事もなく辺りを見渡すと、反対のホームから耳を刺す程鋭い音が響く。そして、美しい流線の形をとった新幹線が姿を表す。

 1分程で、特徴的な音と共に扉が閉まり、またあの音を出して走り去っていく。

 しばらくしない内に、またその音がホームに響く。轟音ごうおんと共にそれは風を切って姿を表す。形は同じだが、柄の塗装が先に来ていた物とは大きく違っていた。扉が開くと、そこから何人もの人々がホームへと歩を進める。

 それはすぐに落ち着き、流れるようにそれへと乗り込む。彼女が勝手に隣り合った席を予約していたのを思い出した。目的地までの鬱陶しい旅を楽しむとしよう。

 ほんのり赤らんでいる陽差しと、隣に座る者からの喧騒に巻き込まれ、予想通りだが落ち着く事すら出来やしなかった。偶然にも乗客が俺達だけの車両を選んでしまったのが、まさに運の尽きだったとでも言うのだろうか。

 そんな事がありながらも、流石は新幹線と言ったところだ。数時間で目的地の最寄り駅へと着いてしまった。現在時刻は16:43。そういえば、今晩はホテル泊まりだと新幹線の中で聞かされていた。準備なんてしていないのに、どうする気なのだろうか。この事は俺の両親にも連絡を取っていたらしい。どうして両親の連絡先を知っているのかも甚だ疑問だ。そんなといが湧き上がる俺には見向きもせず、彼女は手を引いてそのまま駅の中へと降りる。

 赤らんでいた空は恥ずかしがって闇に隠れたらしい。この時間は風が良く吹雪く。日を追う毎にその時間が早まっているのは勘弁してほしいものだ。

 特別面白い事も無く、まるで何時間か前の様だった。駅を出て、辺りを見渡すまでもなく、道なりに進むだけで着きそうなホテルを見つけた。彼女はそのホテルを見つけて、子供の様にはしゃぎながら走り去っていく。俺もそんな彼女を追いかけ、気づけばそのホテルに着いていた。

 彼女は早々とチェックインを済ませ、部屋の鍵を受け取り、それを彼女から俺が受け取る。後ろから急かされつつ、目的の部屋へと歩を進める。

 電子的な鍵の音が鳴り、彼女はすぐさま扉を開ける。全体を白く塗られた壁に、床は深い藍色の絨毯が敷いてあった。ベッドはダブルサイズの物が一つ。水回りは清潔そうだった。

 綺麗に整えられたベッドを見て、彼女は人目もはばからず、それの上に飛び込む。静かにするよう促しても、それは全く届かないらしい。

 とりあえず、二人分の荷物を適当な所に降ろし、彼女の荷物から自分用の下着を貰う。彼女は枕に顔を埋めるばかりで、気づく訳が無かった。

 ユニットバスは初めてだったが、直感を頼りにして、なんとか綺麗に使えている。果たしてカーテンを閉めたり出来るのか、彼女が心配だ。

 お湯が張られていない浴槽に座り、彼女とのこれからを考える。ここで一泊して、明日は色々な場所を巡るのだろうか。そういえば、目的地は田舎だと言われていたが、ここは立派な地方都市であり、どうするのか全く分からなかった。そもそも、彼女はどうして俺をこんな事に誘ったのだろうか。由里子とは高校から知り合った訳で、その姉と顔を合わせた事は無かった筈だ。それなのに、何故両親と連絡を取れるのだろうか。考えれば考える程分からなくなる。

 自分の頭は丈夫な方じゃないのもあって、長く考えるのも時間が勿体無い様に思えた。ひとまずは身体を拭いて着替える事にしよう。

 湯気の立つ頭を拭きながら扉を開け、ベッドの方を見てみると、仰向けでただ天井を見つめる彼女がいた。その彼女は俺の存在に気付くと、すぐ起き上がって、輝かしい笑顔を振り撒く。虚空の表情で空を見つめていたさっきとは大違いだった。

 また部屋が喧騒に塗れて眠れなくなる、そう考えるのは容易だった。一足早く布団へ入り、身体を横にして目を閉じる。ホテルのベッドは身体に優しく寄り添ってくれるような気がして、安心感と暖かみが湧き上がるのを感じた。

 彼女を抑え込むのは大変だった。行く先々で俺に構って欲しがるが、傍から見れば恋人同士だと思われてもおかしくない。それは俺にとって面倒そのものであり、彼女もそれを望んではいない筈だ。その度に不貞腐れる様な反応を見せていたが、それもまたいつも通りの事なのだろう。明日から疲れが無いようになれればどれほど良かっただろう。嘆いていても仕方ない為、なるべく沢山回復するように早く寝る。明日はいい日になって欲しいものだ。

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