第12話 自分の気持ちに向き合う

水瀬から「好きな人がいる」と言われた瞬間、胸の奥がざわつくのを感じた。


 その胸のざわつきが何なのか、まだ俺にははっきりと分からないけれど、今まで聞いてきた水瀬の相談が、急に重みを持ってのしかかってくるような感覚だった。


 彼女の好きな人が誰なのか──それは、いまだに俺には分からない。


 ただ、彼女がずっとその「好きな人」に対して悩んでいることはよく知っている。俺は、ずっとその相談に乗ってきたから。


 でも、今までの俺はただ「友達として」彼女の相談に乗っていただけだったはずだ。


「そっか、好きな人がいるんだな……。水瀬なら、きっと気づいてもらえると思うよ。すごくいい子だし、相手もきっと分かってくれるんじゃないかな?」


 俺は、いつも通りのアドバイスをすることしかできなかった。

 自分でも少し冷静すぎるかなと思ったが、これまで『恋愛相談キャラ』としての自分に徹してきたから、自然とそういう反応になってしまった。


 けれど、今日の水瀬はいつもとは違った。彼女の表情には、何か言いたそうな、それでいてためらっているような微妙な感情が見て取れた。


「田中君……私、本当にこのままでいいのかな?」


 水瀬がふとそんな言葉を漏らした時、俺は思わず彼女の顔を見つめてしまった。

 いつも明るくて自信に満ちた彼女が、今はどこか不安げで、自分を信じ切れていない様子だった。


「どうしたんだよ?水瀬なら、大丈夫だって。自分を信じて、自然体でいれば、きっと相手に伝わると思う」


 俺は慌ててそう答えたが、彼女は少し曇った表情のまま、視線をそらした。

 まるで俺の言葉が届いていないような感じだった。


「ありがとう、田中君。でも、私……どうしても焦っちゃうんだ。好きな人が、私のことをどう思ってるのか分からなくて、それがすごく不安で……」


 彼女の言葉を聞いて、俺は胸の中に小さな痛みを感じた。焦りと不安──それは、俺自身も感じたことのない感情だった。


 俺はいつも誰かの相談に乗るだけで、自分の気持ちに向き合うことがなかったから、彼女のその言葉がどれだけ深刻なのか、はっきりとは分からなかった。


「田中君、私、もっと彼に気持ちを知ってもらいたいって思ってる。でも、どうすればいいのか分からないんだ……」


 水瀬がそう言って、少しだけ俺を見つめた。その瞳には、今まで見たことのない不安と期待が混じっているように見えた。俺は、その視線に言葉を返すことができなかった。


 なぜだろう。俺は、ただ相談に乗るだけでいいはずなのに、なぜこんなにも彼女の言葉に揺さぶられているのか。


「そっか……水瀬がそう思ってるなら、もっと素直に気持ちを伝えてみたらどうかな?言葉にして伝えないと、相手も分からないかもしれないし。」


 そう言いながらも、俺自身がその「素直に気持ちを伝える」ということにどれだけ無関心でいたのかに気づかされた。

 これまで誰かを好きになったことがない俺にとって、それは簡単に言える言葉だったが、実際にそれがどれだけ難しいことなのか、水瀬の表情が教えてくれているようだった。


 水瀬はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「……そうだね、田中君。やっぱり、気持ちを伝えることが大事なんだよね。ありがとう、ちょっと勇気が出たかも」


 彼女はそう言って微笑んだが、その笑顔は少しだけ切なく見えた。

 俺の言葉が彼女の心に届いたのかは分からないけれど、少なくとも彼女の中で何かが変わり始めているように感じた。


 水瀬と別れた後、俺は一人で図書館を後にした。


 彼女が「好きな人」に対して抱えている不安や焦りが、今の俺にとっては少しずつ自分事に思えてきているのかもしれない。


 そして、水瀬が言った「もっと気持ちを知ってもらいたい」という言葉が、妙に心に引っかかっている。


 彼女がその相手に本気で向き合おうとしているのなら、俺も自分の気持ちに向き合わなければいけない時が来ているのかもしれない。


 でも、まだ答えは見つかりそうにない。

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