第3話 変わり始める何か

 水瀬が教室を出て行った後、俺はしばらく席に座ったまま、ぼんやりと彼女の言葉を思い返していた。


『好きな人がいるんだけど、気づいてもらえなくて……』


 水瀬が恋愛相談を持ちかけてきた時の言葉が、何度も頭の中をぐるぐると巡る。


 俺は鈍感だと自覚している。これまで友達の恋愛相談に乗ることはあっても、自分が恋愛に巻き込まれることなんて考えたこともなかった。


 だから、あの時も水瀬の言葉を「普通の相談」として捉えてしまった。


 でも、あの時の彼女の目は、どこか違っていた気がする。


 俺は大きく溜め息をついて、鞄を持ち上げた。


 ……もしかして、水瀬が好きな人って俺のことだったのか?


 いや、そんなことあるわけない。彼女はクラスで一番の美少女で、みんなの憧れの的だ。


 それに対して、俺はただの普通の男子。みんなの恋愛相談を受けるだけの『恋愛相談キャラ』だ。


 水瀬が俺を好きになる理由なんて、何一つ思い浮かばない。


「だめだ、考えすぎだな」


 自分にそう言い聞かせて、俺は教室を後にする。


 何か違和感は残っているものの、俺が水瀬の相談に真剣に乗ることに変わりはない。


 彼女が誰を好きになったとしても、俺の役割は友達ポジション、『恋愛相談キャラ』としてしっかりアドバイスすることだ。





 ******





 次の日の放課後、俺はまた教室でのんびりしていた。

 何も予定がない日は、いつも教室でダラダラ過ごすことが多い。今日も、特に誰かから相談があるわけでもないし、適当に友達と話して帰ろうと思っていた。


 しかし、その日のことだった。またもや水瀬が俺に近づいてきたのだ。


「田中君、今日も少し話してもいい?」


 水瀬が微笑みながら声をかけてくる。


 その声には、何か親しみを感じるものがあった。俺は驚きながらも、また恋愛相談かと思って軽く頷いた。


「もちろん、どうした?また恋愛の相談?」


「うん、そうなんだけど……今日はちょっと違う話をしてみたいなって思って。」


 水瀬は俺の隣の席に座り、真剣な目で俺を見つめた。

 その視線に、なんだか居心地の悪さを感じつつも、俺は彼女の言葉を待った。


「実は、私、今まであまり恋愛に興味が持てなくて……」


 その言葉に俺は少し驚いた。

 水瀬はみんなの憧れで、当然たくさんの男子から好意を寄せられているはずだ。


 実際、何度か告白されたという噂も聞いたことがある。

 でも、そんな彼女が恋愛に興味がないってどういうことだろう?


「え、それって……どういうこと?」


「うーん、私、今まで誰かを本気で好きになったことがないの。告白されたり、優しくされたりしても、いつもなんというか、心が動かないっていうか……」


 水瀬は少し寂しそうに笑いながら話し続けた。


 彼女の言葉には、今まで彼女が抱えていた悩みが滲んでいるように感じた。


 外見だけで注目されることが多く、彼女の本当の気持ちや内面に触れる人が少なかったのかもしれない。


「そうだったんだ……知らなかった。」


 俺はそれだけを呟くことしかできなかった。

 彼女がいつも笑顔で、クラスの中心にいるからこそ、そんな悩みを抱えているなんて思いもしなかった。


「だから、田中君みたいに誰かの恋愛相談に真剣に乗っている姿を見て、なんだか面白いなって思ったんだ」


 彼女の言葉に、俺はまた驚いた。


 俺が恋愛相談に真剣に乗っている姿を「面白い」と思った?

 それが、水瀬が俺に近づいてきた理由だったのか?


「え?俺が……面白い?」


「うん。誰かのために一生懸命考えて、真剣にアドバイスしてる姿って、あんまり見かけないからね。」


 水瀬はそう言って、少し照れくさそうに笑った。


 俺は彼女の言葉にどう反応していいのか分からず、ただぼんやりと聞いていた。


「だから、ちょっと田中君に興味が湧いて……」


 水瀬の言葉はまっすぐで、冗談でもからかいでもないのが伝わってきた。

 俺はそんな彼女の気持ちにどう向き合っていいのか分からないまま、ただ彼女の視線を受け止めていた。


「そっか……でも、俺なんて普通の奴だし、そんなに大したことないよ。」


 俺は謙遜しながら答えたが、内心は戸惑いでいっぱいだった。

 水瀬が俺に興味を持っているという事実が、どうしても信じられなかったからだ。


 水瀬はそんな俺の反応を見て、少し笑った。


「そんなことないよ。田中君は、ちゃんと周りを見てるし、相手のことを真剣に考えてあげる優しさがある。それって、すごく素敵なことだと思う」


 その言葉に、俺は一瞬、息を飲んだ。自分がそんな風に思われているなんて、考えたこともなかった。しかもクラス一の美少女、水瀬結花に、だ。


 俺はただ『恋愛相談キャラ』として友達にアドバイスしているだけだと思っていたから、水瀬の言葉は予想外だった。


「ありがとう……」


 俺はそれだけを呟いた。


 本当にそれしか言えなかった。水瀬が俺をどう思っているのか、まだ分からない部分も多い。

 でも、彼女が少しずつ俺に近づいているのは確かだ。


 それでも、俺の役割は『恋愛相談キャラ』で、彼女が誰かを好きになれるように手助けすることだ。


 それが、俺のいつもの立ち位置だからだ。


 しかし、そう自分に言い聞かせるその一方で、心の奥底で、何かが少しだけ変わり始めていることに気づき始めていた。

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