妖精の取りかえ子と言われたアビーの話。
庄野真由子
妖精の取りかえ子と言われたアビーの話。
水瓶から木桶に水を移して、手ですくう。
両手ですくった水が、窓から差し込む光できらめく。水に映った私の髪はきらきらと光り、目は青い。
私のお父さんも、お母さんも、茶色の髪に茶色の目なのに。
弟も妹も、茶色の髪に茶色の目なのに。
私だけが、こんなに色が違う。
それを疑問に思ったのは、三年前の五歳の頃だ。
だから、寝る前、絵本を読んでくれていた母に聞いてみた。
「どうして私の髪も目も、お父さんやお母さんとは違う色なの?」
すると母は一瞬言葉に詰まり、それから読んでくれていた絵本を閉じて私を抱きしめた。
「アビー。あなたは『妖精の取りかえ子』なのよ。妖精が私たちの子とあなたを入れ替えたの」
母の言葉に、私は衝撃を受けた。私はお父さんとお母さんの子どもじゃなくて、妖精の子なのかと驚き、怯えた。
妖精のことは幼い私でも知っていた。母が妖精の絵本を読んでくれたから。
妖精は人の手のひらほどの大きさで、背中には透き通った羽が生えている。
妖精が羽をはばたかせると、七色の粉が舞い、その粉を身体に振りかけると空を飛ぶことができる。
妖精は悪戯好きで、人を驚かせたり、お菓子を盗んだりする。そして、時には人間の子どもも盗む。
人間の子どもを盗んだら、妖精王の子どもを置いて行くのだと母は言った。
「妖精王の子どもって……?」
「妖精王の子どもは人間の子どもと同じくらいの大きさで、金色の髪と青い目が美しいのよ。アビー。あなたは妖精王の子。『妖精の取りかえ子』なのよ」
母はそう言って、さらに声をひそめた。
「アビー。あなたが『妖精の取りかえ子』でも、可愛い私たちの子よ。妖精王があなたを取り戻しに来ても絶対に渡さない。だから、決して家の外には出ないで。家の中にいれば誰も、あなたを連れて行かないから」
母の言葉に幼い私は肯いた。それから三年間、私は言いつけを守って家の外には出ていない。
手の中の水と、水に映った自分の顔を見つめながら過去を振り返っていた私は顔を洗う。
幼い頃は、自分が妖精王の子だと信じていた。でも、今は違う。
私は顔を洗わなければ汚れ、食べなければお腹が空き、空を飛ぶこともできない。
ただ、髪の色と目の色が家族と違うだけの、人間だ。
顔を洗い終えたら、外に出よう。思いっきり太陽の光を浴びて伸びをして、広い場所を走り回ってみたい。
***
長女のアビーが「外に出たい」と言い出した。ああ、もう、ごまかしきれないのか。
アビーは今年、八歳になった。これまではアビーを『妖精の取りかえ子』と言って、外に出てはいけないと言い聞かせ、周囲には最初の子は死産だったと伝えていた。
アビーの存在を隠したかった。隠さなければならなかった。
アビーはこの地を治めるランドレー男爵の庶子だから。
私はランドレー男爵の屋敷で働く洗濯メイドだった。女好きのランドレー男爵に、洗い場で乱暴された。
ランドレー男爵の狼藉を知ったメイド長に口止め料を渡され、屋敷を追い出された後、家に戻りふさぎ込んだ私を励ましてくれたのは幼なじみの農夫だった。
彼に全ての事情を話して結婚した。でも、その時にはすでに、私の腹の中にはランドレー男爵の血を継ぐ子がいた。
私たちが住む村は、ランドレー男爵が治める地。土地を捨ててよそに移るあてもなく、だからと言って腹に宿った子を殺すこともできず。
私は祈った。産まれてくる子が私と同じ茶色の髪と目でありますように。
産まれてくる子が夫と同じ茶色の髪と目でありますように。
だが、その願いもむなしく、生まれて来たのは金髪に青い目の美しい赤子だった。
その顔は、私に乱暴したランドレー男爵によく似ていた。
人の噂になったら、娘はランドレー男爵家に奪われてしまうかもしれない。
娘を隠さなければならない。そう思って必死に考えた。
そして『妖精の取りかえ子』という作り話を娘に聞かせ、家の中に閉じ込めた。
ああ、アビーが扉を開けて外に踏み出す。もう隠せない。
私が8年前までランドレー男爵の屋敷で働く洗濯メイドだったと、村の誰もが知っている。村長はランドレー男爵の容姿を知っている。
扉が閉まった。アビーは出て行った。顔を覆った私の肩を夫が抱く。
「いつまでも隠し通せはしない。このあたりが潮時だ」
夫が静かに言う。目覚めた息子と下の娘が泣き出した。
アビーは『妖精の取りかえ子』だ。気まぐれに与えられ、奪われる定めの娘だったのだ……。
【END】
妖精の取りかえ子と言われたアビーの話。 庄野真由子 @mayukoshono
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