正月編

午後3時15分。軽い喉の乾きから、自室を出て地下の共有スペースに置かれた水を取りに、一人の青年が歩んでいる。普段、輸血で食生活を賄っているが、それは決して喉の乾きや空腹を一切感じなくなるわけではないし、通常の飲食が行えなくなるわけではない。定期的に探索で手に入れた飲食物は、キャシーから許可されている量に限り、自由に口にすることが許可されている。そして、探索で手に入れた物資は、ほとんどは地下の貯蔵庫に保管されている。


地下に足を踏み入れる。皆自室で過ごしているのか、人気はあまりなかった。けれど、貯蔵庫の方から微かに物音がした。青年が貯蔵庫の方に近づくと、見慣れた背中の主が、床に散らばった何かを、じ、と観察していた。


「おい、ノーバディ。こんなとこで何してんだ」


「……アダム。……いや、ちょっと、……見てて」


「何を?」


そう問いかけながら、アダムはノーバディの見ていたそれを見下ろした。それは、なかなか見慣れない物だったが、記憶のどこか、微かにそれを知っている自分がいる気がした。


「……わかんねぇ。…………多分、日本の、……おもちゃ?か……?いや、わかんねぇ、けど……」


「あぁ……なんか、こういうの、エイプリルから聞いたことある気がするな。……そういや、エイプリルは?」


「……チューリエと、シーラに……連れてかれてった。……なんか、新しい化粧品があったか、なんかで、……たまたまその場に居合わせて……みてぇな……」


「それ、アイツ大丈夫か?」


「……逃がした方が良かったか……?……いや、俺も混ざるべきだったか……?」


「いや、まぁ、後で様子見に行くか」


アダムはノーバディの隣でしゃがみ、日本のおもちゃ、を見る。一つ一つ手にとって見て、アダムはうーん、と記憶を辿る。


「たしか、日本の、新年の時に良く使われるおもちゃ……だった気が、する。いや、自信はねぇから、後でミスティさんとか四葩さんとかに聞いた方が良い」


「……へぇ。……新年」


ノーバディは、文字が書かれた板を手に持ちながら、それをじっと見ている。アダムは、ノーバディが何故こんなものに興味を示しているのか、それを聞こうとしたが、その前にノーバディがマスクを下ろして口を開いたから、自分の口を閉ざした。


「……アダムは、新年、どんな感じだった」


「え?……家で、か?」


「うん」


アダムは眉間に皺を寄せた。一瞬悩もうと思ったが、軽くため息を吐いてすぐに答えた。


「……別に、普通だよ」


「……そっか」


「……ノーバディはどう過ごしてたんだ。新年」


「……俺は、………この日は、……毎年、楽しかった。……母さんの、機嫌が良かったから、……」


唐突な切り口から、いまいちアダムが理解しきれずにいたところで、ノーバディは、散らばったおもちゃの一つを手に取った。


「……なぁ、少しやってみねぇか」


「え?おう。別にいいけど、俺、使い方まではわかんねぇよ」


「……あぁ……。……ちゃんとやんなきゃ、ダメか」


ノーバディは少し苦い顔をした。アダムは、ノーバディが手に取ったおもちゃと同じものを一つ手にとって立ち上がった。


「……まっ、なんとなくでもやってみるか。それでも良くわからなかったら、誰かに聞こう」


「……うん」


ノーバディは微かに明るく笑う。地下室の静寂に、ほんのりと明るい空気が小さく笑っている。


□□□


「結構、肌感でもやれるもんだな」


「な。……あってんのか、わかんねぇけど」


「でもノーバディ、この栗みたいな奴、回すのうまかったぞ」


「ははっ。栗、か。さんきゅ……。アダムも、字、綺麗だった。服汚れてねぇか?」


「多分これ、墨だよな。若干ついたけど、まぁこれくらいはな」


アダムが軽く笑えば、ノーバディも安心したように笑う。地下室に置かれた時計を確認して、アダムはゆっくり立ち上がった。


「それじゃあそろそろエイプリルの様子、見に行くか」


「あぁ」


玩具を貯蔵庫の元あった場所へ戻し、二人は地下室を出るために歩み始めた。歩きながら、アダムはふとノーバディへ疑問を問いかけた。


「そういや、何であの日本の玩具にあんなに興味示してたんだ?ノーバディにしては珍しい気がしてさ」


「あぁ、まぁ、探索で手に入ったって、聞いて、エイプリルが気になってたから」


「あぁ、そういうことか」


「……後は、なんつーか」


ノーバディは少しだけ目を伏せた。アダムはノーバディが話し出すまで見つめて待った。


「…………落ち着かなくて。……一人になってから、毎年、こうなんだ」


この言葉にたいして、アダムがどう返そうか少し迷った間に、ノーバディは言葉を続けた。


「……だから、……ありがとな。……今年の新年は、特別だった」


そう微笑んでノーバディは言った。その微笑みに釣られて、アダムも少しだけ口元を綻ばせる。


(……特別、か)


「こちらこそ、ありがとうな。……俺も、今までに無い経験だったよ。楽しかった」


★★★★★アダム•キャスパー【非日常の思い出を】

★★★★★ノーバディ【もう来ない新年のキス】

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