No.8【貴方の進む先】


可能なら貴方達を、何の危険にも晒さず、無傷で、無害な、永遠の箱庭で守っていたかった。けれど、それは本当の愛ではないという。庇護下に置き、掠り傷も許さず、外の世界から剥離させる。それは、箱庭に見せかけた錆びた牢獄。


管理するなら牢獄で十分だ。

必要最低限の餌だけ与えて、使うその時まで暖めておけばいい。


それでいいはずだったのに。


生物というものは面倒だ。

母親というものは面倒だ。

けれど、醜くも美しい、私も生物の端くれだったというわけだ。


我が子という存在は、たまらなく愛おしい。


□□□


貴方達へ提案された『選択』。それはキャシーから初めて貴方達へ向けられた嘆願だ。判断は貴方達に委ねられている。


二週間。それが貴方達に与えられた決断の時間だ。限られた時間の中で、どう生きるのか。どう死と向き合うのか。貴方の人生は、いつまでも誰かに舵を委ねていてはいけない。いずれは、自分の心に従い、自らの意思で選択し、生と死に向かって進まなければならない。それが苦しくとも莫迦らしくとも生物というものなのだ。人であろうと、アンデッドであろうと。


「い、行くって……ほ、本当に言ってます!?」


「だって、ここにいてもいずれ襲われちゃうんでしょう?なら、動くしかないじゃない!」


「キャシーさんの考えすぎかもしれないじゃないですか……!!そんな、すぐ、決断しなくたって……!!」


選択を迫られてから1日目。午前11時17分。リズ=ロバーツの自室にて。ネイピアはリズの腕を強く掴み、彼女の意思を止めようと人前で露呈できないような動揺した素振りをみせる。対してリズは、そんなネイピアを気にかけつつも、それでも自分の意思を示すために難しい表情で悩みつつネイピアをみていた。


「それに、遠出の探索って言ってましたよね?輸血だって、今みたいに出来なくなるかもしれませんよ……リズさんはそれで大丈夫なんですか……?」


ネイピアの言葉で、ふと心に不安が浮かぶ。輸血ができない、それは制御の利かないアンデッドへ近付いてしまうということだ。リズの不安を煽れたことがわかれば、ネイピアはその震える指先で触れるリズの腕を握る手を離し、うっすらと安堵するような笑みを浮かべる。


「……ね?やっぱり、やめましょう……死に急ぐ必要は、ありませんよ……」


弱るネイピアの言葉に、リズは言葉を詰まらせる。普段人の気持ちに寄り添えないリズだが、彼女にだけはどうにか寄り添いたいと思うのだ。そう思うほど大切なのだ。慎重に頭のなかで言葉を選びながら、ネイピアが離したその手をそっと取る。指を絡ませて、不安そうに笑うネイピアに微笑みを返す。


「ネイピア。私、死に急ぐつもりなんてないわ。ネイピアやノーバディさんやみんなと、まだまだずっと一緒にいたいから、そのためにできることに協力したいの」


「……」


「でも、ネイピアが行きたくないっていうのなら、私も考えるわ。だから、ネイピアも考えてみてくれる?それで、最後まで目一杯考えて、ふたりで同じ答えをだしましょう。……これじゃ、だめかしら……?」


これが、リズのできる最大限の譲歩だった。そしてネイピアは、これ以上彼女を揺さぶっても変わらないと痛感してしまう。吐き出したいわがままの行き場が失くなってしまった。失くなってしまったのはリズが「ふたりで同じ答えを」と言ってくれたからだろうか。俯いて小さな声で「わかりました」と呟くことが、ネイピアには精一杯だった。


□□□


「…いやです、いや。…どうしてあんな意地悪なこと、わたしたちに言うんですか?…そんなの、ここにいる誰が、いやなんて言えるんですか」


選択を迫られてから1日目。午前11時17分。問診室にて。ミスティは張眉怒目というように、キャシーの顔を真っ直ぐに見つめ、言葉を吐き捨てた。キャシーは何も言わない。ただ、ミスティの言葉に淡々とした目で耳を傾けた。その手放しな態度がよりミスティの怒りを刺激する。ぎり、と歯軋りをたて、膝に置いた手を握りしめ、手のひらに綺麗に手入れられた爪が食い込む。


「ノーバディさんを助けないなんて、そんなことできるはずありません。ですが、ノーバディさんがあのような状態になって、これから探索に行く誰もがそうなる可能性があるのに…探索範囲を拡大して、それで、危険なアビスの、敵の本拠地のって…そんなの、……そんな、あんまりです」


「ひどい、…ひどいひと。どうして、そんな簡単に、そんなひどいことが言ってしまえるの。あなたのせいでわたしは、わたしたちは人工アンデッドなんかにされて、あなたの研究に付き合わされて、今度はこんな…ああもう、どうして?」


捲し立てるように言葉を続けても、キャシーは依然としてなにも言わない。ミスティはもはや呆れのような気疲れを感じ、小さくため息を吐く。


「真樹さんは、きっと喜んで探索に向かうでしょうね。まったく使い勝手のいい駒でよかったですね。そして、そんな彼を愛しているわたしだってそうなると、あなたわかっていっているんでしょう。わたしが、真樹さんを行かせて1人ここに残るわけがないって」


「…………行きますよ、あなたの提案を呑みます。ノーバディさんを助けたい。それに、真樹さんも、みなさんも心配ですから」


ミスティが提案に答えを示せば、キャシーはほんの少しだけ表情を崩した。


「ありがとう。ミスティ」


「あなたのためではありません。勘違いしないでください」


「わたしは、ニケもアビスもあなたの研究も、あなたの目的にも興味がありません。わたしが協力するのは、ノーバディさんのため、みなさんのため。……今回のあなたの提案で誰かが怪我をしたり、…もし戻ってこないようなことがあれば」


「……わたし、あなたのこと…許しません」


それでは、とミスティは退室の合図を構わずに問診室を出ていく。彼を止めることはせず、キャシーは「お疲れさま」と一言告げながら問診票にペンを走らせていく。一区切りついて、軽く息を吐く。


(あんなに感情的なあの子、初めてかしら)


それほど、大きなことをあの子たちに要求しているということを改めて痛感する。そして、ミスティの最後の言葉を、脳裏で反芻させる。全てを円満に終わらせられたら素晴らしいことだけれど、みんなが望んだ形に収めることは、神であろうとできない。


「……きっと私は、あなたに許されることはないのでしょう」


それでもかまわない。貴方が私を恨むことによって、貴方の意思を守れるのなら。


□□□


「こんばんはカフカくん。こんなところで何してるのかな。先生の順番待ち?」


「……ヨアン・リーヴァ」


選択を迫られてから1日目。午後8時55分。問診室前、広間にて。問診室前の広間で壁際に佇むカフカに、たまたま通りかかったヨアンが笑みを浮かべて声をかける。


「こんな時間に問診室に誰かいるの?確かにあんなことがあれば、先生に聞きたいことがある人もたくさん出てくるよね。君もその一人かな?」


「いいえ。カフカはキャシーに質疑はありません」


「そっか。じゃあ、カフカくんは先生に何も聞かずとも答えは既に固まってる、ということかな」


「……」


「先生は"提案"と言っていたけれど……」


下唇に人差し指を当て、ヨアンは矢継ぎ早に並べた言葉を止め、カフカの方をみる。キャシーが言う"提案"とは、個人の"意思"を図られているということだ。意思と解離したような存在であるカフカの提案の答えに、ヨアンは特別興味があるわけではない。これも、普段の会話の一つにすぎない。カフカは、瞬きせずにヨアンを見つめ、テンプレートのようにその口を開く。


「今のカフカに、キャシーが要求する提案を選択するために必要な知識も経験もありません。しかしバディである四葩手毬、ひいては被験体各位を生かすには、協力の数は多い方が有効です」


「……なるほど。じゃあ、今問診室にいるのは四葩くんで、君は四葩くんの判断を待っている、ということかな」


チラ、と問診室の扉に視線を向けながら見解を話すヨアンに、カフカは肯定の返答をする。ニコ、と笑い理解の意を示せば、ヨアンは一度止めた足を再度歩ませ、カフカの横を通る。


「四葩くんもいずれ戻ってくるだろうし、お兄さんはそろそろお暇するね」


「ヨアン・リーヴァは選択しましたか」


ピタリ、と通りすぎようとした足を止める。振り返り、軽く口角をあげてカフカの方をみる。


「お兄さんがどうするかに興味があったの?」


「興味の基準が曖昧です。その質問はカフカに答えることはできません」


ヨアンは軽く悩むような素振りを見せた後、また口角をあげて笑みをみせ、同時に軽く手のひらをあげた。


「まだ考える時間はたくさんあるからね。逸る必要もないんじゃないかな。それじゃあね」


そう言って地下の方へ向かうヨアンの背中をカフカは何も言わずに見つめ、姿が見えなくなればまた問診室の扉へと視線を向けた。


□□□


「キャシーさん!昨日言ってた提案の話?だけど、俺はもちろん協力するよ!」


選択を迫られてから1日目。午後8時45分。問診室にて。陽気な笑みを浮かべ、手毬は軽く身体を揺らしながら意気揚々と答えた。キャシーも、ほんの少しだけ口角をあげ、「ありがとう。手毬」と感謝の意を述べる。


「で、さ。ちょっと聞きたいことがいくつかあるんだけどいい?」


瞳を少しだけ細め、キャシーをじっと見つめたのち、また口角をくいとあげて言葉を続ける。


「キャシーさんはさ、”政府組織を壊滅させること”が目的って言ってたけど、本部見つけ出して、そんで壊滅させる算段があるの?グレイソンについても、協力者ってこと以外なんの情報もないし、そもそも何を手伝ってくれてるの?そういう重要なとこさっぱりだよね」


「他の奴らはなんで気になんないんだろ。気になっても聞けないのか、キャシーさんを信用してるからなのか。ま、答えてくれなくても協力はするよ。でも一応念の為聞くけど、答えてくれたりはするの?」


観察するようにこちらを見つめる手毬の瞳を、キャシーは冷淡な態度で見つめ返す。


「ただの好奇心なら受け付けないわ」


「好奇心じゃないよ。俺がキャシーさんを信用するために大事なこと。それに情報は判断材料になる。情報があるのとないのとじゃとるべき行動が変わってくるでしょ?」


ニッと笑う手毬に対し、キャシーは少し考え込むような素振りをみせる。後、一度問診票にペンを挟み、話を始める姿勢をみせる。


「あまり確証の無いことは口にしたくないの。だから、言える範囲でお話するけれど」


と一度前置きしたうえで、言葉を続ける。


「算段はあるわ。私は研究成果と、協力者次第ではね。ただ、これはまだ絶対的な算段ではない。計画の方向は常に変わっていくものだから。……そしてグレイソンは、私と同様反政府派の元米軍司令官。現在連絡が取れない以上、貴方に確証を持たせることは難しいけれど、私は信用に値する人物だと判断しているわ」


「現時点で言えるのはこのくらいかしら」


「ふ〜ん、なるほど」


少し考える素振り見せつつ、腕を組み思考する。


「それじゃ計画を確信的にするのも、それを実行する時も、グレイソンが重要になってくるわけだ。けどそんなにすごい人なんだね、グレイソンって。聞いといてよかった!ありがとう、キャシーさん。もし計画を進めるのならグレイソン捜索が優先かな、他はあとでも大丈夫そうだし。今聞いた情報ってみんなに共有してもいいやつ?もし言わない方がいいなら言わないけど」


「貴方の安心に繋がったのであれば良かったわ。私から改めて全体に共有しておくから大丈夫よ」


「わかった。それじゃあ俺は戻るよ。上手くいくといいね」


そういって手毬は問診室を後にする。その様子を見送りつつ、またペンをとり、問診票に追記していく。ふと、手毬に情報を渡したことを思い返し、唇を巻き込む。青いリップが僅かによれる。無意識に止まっていたペンを見てハッとし、またペンを走らせていく。普段よりも落ち着きのない筆跡を見て、ひとりでに自身の焦りを痛感する。


□□□


「ぐぬ…………」


「…………」


選択を迫られてから2日目。午後9時12分。輸血室にて。昨日のキャシーの提案を受けて、あんじぇらはいつにもましてしかめっ面をしている。キャシーの説明をどれ程理解しているのかはわからないが、後程キャシーから個人的に噛み砕いた説明を受けてからこの様子だ。その様子を隣で見ているローザは、当然の反応だと思う。子供に生死に関わる選択を選べと言っているのだから。


そう考えていれば、キャシーが輸血室に入ってくる。当然、選択に迫られようとも輸血行為は行われるからだ。一言挨拶をし、輸血の準備に取りかかろうとするキャシーに、あんじぇらはぴょんと飛び付いた。


「あんじぇらやるぞ!!!!!」


「え?」


「このたてものにかいぶつが襲ってくるなら、あんじぇらがみなを守らねばならぬ!!!あと、キャシー、困ってる。あんじぇら、キャシーすき。だから、キャシー困ってるならあんじぇらはやる!!!」


そう意気揚々と話すあんじぇらに、この場にいる大人は複雑な想いを抱く。けれど、生死に子どもも大人も関係無い。キャシーはしゃがみ、あんじぇらの頭を撫でる。


「ありがとう。あんじぇら、嬉しいわ。でも、一つ約束して。何か困ったら必ず……」


キャシーは言葉を続ける前に、一度ローザを見やる。ローザはキャシーの目配せを受けとり、よそに視線を向ける。キャシーは改めてあんじぇらに視線を移し微笑む。


「必ず、私やヒューや……周りのみんなに頼るのよ。これはみんなで頑張ることなんだから」


「みんなで……わかた!!」


そう返事をするあんじぇらを見下ろしながら、ローザは昨日キャシーとヒューに話したことを思い返す。端的に言えば、二人にあんじぇらの保護を委ねたのだ。それは、ローザがあんじぇらを突き放すということではない。これからより危険になるうえで、自分の保護下に置いておくだけでは、安全とは言い難いと判断したためだ。もちろん、刑務所内で、あんじぇらのことを保護的に見ている者が多いのは理解している。ただ、万が一の時のために自分以外の手で守れる手段を増やして起きたかったのだ。


「ろーざはどするんだ」


「俺も行くよ」


「さすがべすとまいふれんど!!かいぶつから、あんじぇらがまもるぞ」


「……みんなで協力。忘れないで」


この選択に、嘘はない。


「二人とも頼もしいわね。協力してくれてありがとう」


そう感謝を述べた後、キャシーはまた輸血の準備を始めた。無邪気に奮闘の様子を見せるあんじぇらを見て、僅かに視線を反らし、ただ輸血が始まるその時を待った。


□□□


選択を迫られてから3日目。午後12時44分。問診室前にて。拳を握り、未だに判断しかねているヒューは、問診室前で項垂れていた。しかし、ようやく思考がまとまってきた頃、その扉にノックをしノブを掴んだ。「失礼する」と一言口に出しながら入れば、普段通り、問診室を持ち椅子に座っているキャシーが挨拶をしてくる。用意された丸いすに腰掛ける。


「用はなにかしら?」


「提案の話についてだ。きみの提案を呑む呑まない以前に、私はきみに聞かなければならないことがある。わかるだろう」


「……えぇそうでしょうね」


「きみは頑なに答えるのを避けていた。……今問えば、答えてもらえるのか」


ヒューは眉間に皺を寄せ、震えるほど強い力で拳を握る。キャシーは膝の上に立てている問診票をそっと倒して、研究者ではない個人としての表情を見せて口を開く。


「それで貴方の意思を決める判断材料になるのなら、答えるわ」


「……ならば答えてくれ。____のことを」


▪︎▪︎▪︎


ギィ、と扉が開く。差し込む外の明かりと物音に、ハッと扉の方を見やる。そこに立っていたのは呆然としているヒューだ。問診室に向かってから、数時間経っていたものだから、マリオンはすぐさま駆け寄り、ヒューの顔を覗きこんだ。


「ヒュー……!……大丈夫……?」


「……あぁ。大丈夫だ」


そう告げるが、ずっと俯いたまま、マリオンの横を素通りし、診察台に座り込んだ。マリオンはそっとヒューの元へ行き隣に座る。そうすれば、ヒューは淡々とマリオンに事情を話す。淡々と、ただ、淡々と。


「……それじゃあ、ヒューは探索に行くんだね」


「……あぁ。彼女を信用しきったわけではない。だが、今の彼女の言葉に嘘もないと思っている。だからひとまず、彼女に協力するべきだろうと考えている」


「うん……うん、……」


ヒューは額に手をあて、ため息を吐いた。マリオンが気にかけるようにチラチラとヒューの顔を覗き込もうとするのが隙間から見える。気持ちにもないはずだが、なぜだか鼻で笑えた。


「はは、これで、きみと思い悩むことなく行動ができるな」


「あはは。…………それは、嬉しい、嬉しいな。やっぱり、わたしの隣はヒューじゃなきゃだめだから」


とんっ、とマリオンが小突くように肩を寄せる。ヒューは乾いた笑いを小さく溢すだけだった。それでいい。目に見えた愛想笑いでいい。きっと、こんな軽いものでさえ、吐き出せる場所はここだけなのだ。隣にいる彼を、彼女を信じ、自らの意思に従って歩くのだ。一度でも止まってしまえば、その足は絡みとられる末路しか残っていないのだから。


□□□


選択を迫られてから5日目。午後22時41分。輸血室にて。腕に繋がれた二つの管から、赤色の血液と青色の血液が各々流れ込んでいく。キャシーの提案を聞いてから、明らかに空気が沈んでいるベアトリスに、チューリエはどう元気づけたらいいかと頭を悩ませていた。


(ここんところ、毎日主が喜びそうなことしてみてるけど、あんまり元気になってくれないな……もっと頑張らなきゃ……!)


「……主」


「…………」


「あるじ!!」


「えっ!?あっご、ごめ、ん、な、なに?どうしたの?」


「……主が最近元気ないから、あたしになにか出来ること無いかな、って思ってるんだけど…………あたしじゃ、主のこと元気にできないかな……?」


そうチューリエが悲しそうな瞳で訴えれば、ベアトリスはサーッと血の気が引くような感覚と共にわたわたと手をバタバタさせて、ひきつった口角で早口を語る。


「い、いやっ!???チューリエ以外の奴ができるわけないから!???いや、まってあたしなんでこんな人様に向かってうえから目線で?いやっ、ち、ちがくて、ほんとにチューリエはなにも気にしなくていいっていうか、いやなにかしてくれることもすごく嬉しいんだけど、」


そう焦って弁解するが、チューリエはしょんぼりとした表情のまま、俯いていた。そのチューリエを見て、だんだんと言葉も手振りも止まり、5秒ほど沈黙で彼女を見つめた。そのうち、静止していた腕をおろして、針が抜けていないか触れて確認しながら、少し俯いて口を開いた。


「…………チューリエは、探索、行きたいんだよね」


「え?」


「ほら、キャシーさんが提案したときに、チューリエ、真っ先に、『行く』って、言ってたから……」


「うん!だって、このままいても、主もみんなも危ないし、それにあの黒いの!あいつムカつくし!あたしが何とかしてくるから、主は心配しなくていーよ!」


「行かないで」


「……え?」


チューリエの間の抜けた声にハッとし、また慌てて訂正しようと思わず口を開いたが、その唇は震え、弁解は詰まり、息を漏らしながらまた俯いた。


「……ご、ごめん、こんな、あ、あたしが、そんな、チューリエに、言う権利、ない、し……えっと、これは命令、じゃないんだ……」


「あたしも、ここでウジウジしてたって仕方ないって思うし、……ノーバディがあぁいう状況なのも、気分悪いし……、でも、だとしても、今のあたしには、チューリエしかいないんだ……だから、チューリエが……危ないめに合うのは、いや、なんだ…………」


しどろもどろになりながら、ベアトリスは俯く。チューリエの顔が見れないのだ。けれどその俯いたベアトリスの視界にチューリエが入り込む。胸元にぎゅう、と抱きついたチューリエは、下からベアトリスの顔を覗き込んだ。ベアトリスが驚いて、その黒い瞳を丸くすれば、チューリエは少し切なそうに笑う。


「あたし、主の側から絶対に離れないよ?あたし、主が一番大好きだから!」


「あたしは、主のためにいっぱい頑張ろって思ってたけど、でも、それで主が悲しいならしないよ。でもその代わり、主も危ないことしないで!!こういうの、"とーかこーかん"って言うんだよ!」


ニコっとチューリエが微笑めば、まるで真っ暗闇だった自分の人生に一筋の光が差したような感覚になる。決して冗談じゃない、天使だ、と本気で思う。これが後光か、と思いながら、その愛おしい存在の頭をそっと撫でた。


「……うん、わかった、等価交換、しよう」


ベアトリスが柔らかい笑みを見せれば、「やっと笑った!」とチューリエも満面の笑みを返す。結局この日、キャシーからの提案をどうするかはハッキリとは決めなかった。まだまだ時間はあるのだから。


□□□


選択を迫られてから6日目。午前10時38分。輸血室にて。キャシーからの提案を委ねられたが、マディはどうするかを語る様子は未だにない。シーラはモヤついた心をそわそわとさせていた。シーラの中で、提案を受けることはほぼ確定事項だった。みんなのお役に立てるチャンスだから。そして、マディも提案を受けるのだとほぼ確信している。けれど、その理由をあまり聞きたくないため、シーラはいまだにモヤモヤとさせたままなのだ。そうしているうちに、どこか疑問に感じたのか、マディは隣にいるシーラをじっと見つめた。


「マディさん?どうしましたか?今日のシーラちゃんも満点に可愛いですか?」


シーラがそう言ってニコっと微笑めば、マディは「?昨日と同じだけど……」と答えつつそのまま言葉を続けた。


「シーラは、行くんだよね。ノッポ女が言ってた、提案の話」


「えぇ!勿論!アビスさんもニケさんもシーラちゃんにお任せあれ!です!」


「……そうだよね。行くのは、いいけどさ。変な無茶、しないでよね」


「変な無茶……というと……!?」


「誰かのこと庇って怪我したりとか、変なウイルスアンデッド見つけたら突っ走っちゃうとか」


「そ、そんなこと!しません、しませんよ……!!」


「ほんとに?」


マディがずい、と顔を寄せれば、シーラは目に見えるような困り顔を浮かべながら、きゅっと目を瞑った。普段ならマディも下がるが、その状態でシーラの額にぴんっとでこぴんをした。


「きゃあ!!な、な、なんですか~!!も~!!」


「今までよりも危ないんだよ。もっと危機感もって」


そう言えば、シーラから顔を離して正面に向き直る。心配をかけてしまっているが、マディから注意を引けたことが嬉しくて、思わずその腕に抱きついた。


(マディさんがシーラちゃんのこと心配してくれてる!)


シーラちゃんが危ない目にあったら、もっと心配してくれるのかしら?もっとシーラちゃんのことを見てくれるかしら?


___もしシーラちゃんがいなくなったら、マディさんは妹さんよりもたくさんたくさん探してくれるのかしら。


やだ、いけない。こんなこと、考えちゃいけません。


マディの横顔を見上げて、モヤつく心が勝手に喋りだす。


(マディさんは、探索範囲が広がって、もっと妹さんを見つけられるチャンスが広がって、きっと喜んでるわ……)


所詮自分はマディさんの特別にはなれないのだ。少なくとも今は、マディさんはシーラちゃんよりも、妹さんを見ている。


(……アダムさんも、今、ノーバディさんとエイプリルさんが大変で、そっちばっかり)


(結局私は誰の_____)


こういうネガティブなことは考えちゃダメなのに、ふつふつと胸の中に沸き上がってしまう自分の心がとても嫌になる。大丈夫。今回の探索で目一杯頑張ったらきっと___。


今はこの静かで落ち着く空間に浸ろう、と頑張って、きゅっと目を閉じた。


□□□


選択を迫られてから14日目。午後7時41分。地下治療室にて。昏睡状態のノーバディの側で、輸血の管の繋がったエイプリルとアダムの二人が見守っている。エイプリルが輸血を行わなくなって一週間が経った。まだ目に見える食人衝動は表れていないが、エイプリルだけはなにかを肌で感じ取っているのか、最近はキャシーに口輪のようなものはないのかと聞いていた。そんなものは無かったが、キャシーは少し待っていて欲しいと念押しをしていた。


口を包帯でぐるぐるに巻いたエイプリルは、ノーバディの手をぎゅっと握っていた。側にいてくれるアダムの温もりもあってか、胸の奥から這い寄ってきそうな衝動も、どこか飼い慣らせている気がしていた。


「…………たんさく、もうすぐ、はじまるね」


「あぁ」


「……あだむくん、ほんとにいくの?」


「行くよ。お前達がこんなで、ただ待ってられるほど、俺は器用じゃないし」


「……あだむくん……」


「でも、無理はしない。だから、エイプリルは俺とか他の奴の心配はしなくていいから」


「……うん、うん、……ごめんね」


ぼろ、とエイプリルの瞳から涙が溢れる。「あぁ、あぁ」と声を出しながら、アダムはエイプリルの涙をタオルで拭う。エイプリルは、以前よりちょっとのことで情緒が揺さぶられてしまうが、その奥にある信念だけは強くなっていることをアダムはひしひしと感じている。つい世話を焼いてしまう妹のような幼馴染が、今や自らの力で立とうとしている。なら、自分がやることは傷がついた時にいつでも戻ってこれる居場所になることなのだ。


ガチャりと扉が開く。地下施設のため、振り向けば当然キャシーの姿があった。


「エイプリル、少し話があるわ」


「ひゃ、はっ、い、」


自分はいてもいいのか、と目配せすれば「アダムは……そうね」とキャシーは一度思い留まった。


「これから取り出すのは血液よ。貴方は目を瞑ることを推奨するわ。話は聞いていて構わないから」


「わ……かり、ました。でも、……もう、ここにいて、ある程度は……耐性、ついたと思うので」


「無理はしないでね」


そう言ってキャシーが白衣の内ポケットから取り出したのは、輸血パックに入った血液だった。アダムは少し眉をひそめて、軽く視線を反らした。キャシーは気に留めずに説明を続けた。


「エイプリル。これが貴方の新たな血液よ。これで多少の食人衝動を抑えられるはず。ノーバディの血液ほど効果は無いでしょうけど」


「えっ、?えっ、と……そ、それ、だ、だれの、ち……なんですか……?」


「私のよ」


「えっ、えっ!!?や、いや、そそんんな、もも、もっ、キャ、もうしわけなッ、キャシーさんから、いただいてしまう、なんて、そんなッ」


「後悔したくないのでしょう」


「ぁッ…………」


「勿論私は輸血は行わないから、貴方に与えられる血液量に限りがあるわ。けれど、貴方と私の適性率は62.8%。悪くはないわ。良いとも言えないけれどね」


「今日から決まった期間、規定量を接種してもらうわ。なにか質問はあるかしら?」


あまりに淡々と語られる様子に、呆然とした表情でエイプリルは固まる。


「そ、そんな、…………も、申し訳なく、…………」


「ノーバディの治療には貴方の健常な身体が必要よ。精神的な理由を除き渋る理由は何かしら」


「……いや、な、なにも…………」


「これは今回のよ。もう、そんな風に口に包帯を巻かなくても大丈夫だから」


そう言ってキャシーが手渡したのは、手のひらサイズの酸素ボンベのようなものだった。中の物は見えないが、液体が揺れる音が聞こえる。そして、外側にメーターのようなものがついており、おそらくこれが中に入っている血液の量を示しているのだろう。スイッチを押せば、固定用の腕輪と針が飛び出してくる。早速それを自身の腕に装着すれば、輸血がはじまる。正しく使用出来たことを確認すれば、キャシーは「まだやることがあるから」と部屋を退室した。


「よくわかんねぇけど……エイプリル、調子はどうだ?」


ノーバディとする時の輸血と違って、流込んで数秒経つと、どく、どく、と胸元から動悸がしてくる。胸を抑えていれば、だんだんと落ち着いてきたのか、数分経てば、中でじんわりと何かを貪るような感覚がしてくる。不気味な感覚だ。これが適性率の低い血液を輸血する感覚なのだろうか。ノーバディの時の無に近しい感覚と比べながら、なんとなくで実感する。


「だ、だいじょうぶ……みたい……」


「なら良かった」


そっと口に巻いた包帯をほどいた後、ノーバディの血ではないものを接種しながら、ノーバディの手をきゅっと握る。眠るその顔を見つめながら、小さく口を開く。


「……待っててね、ノーバディさん」


□□□


選択を迫られてから15日目。午前11時00分。一階広場にて。今日が、選択を決める最終日だ。最終日についてキャシーから伝えられたことはただ一つ。協力の意を示す者は集合すること、ただそれだけだ。時刻を過ぎたため、キャシーは集合した面々を見て口を開いた。


「改めて確認するわ。ここにいる子たちは私の提案に協力すること。もし協力する意思は無いのなら、一度自室に戻ってちょうだい」


キャシーの一言で、踵を返す者は誰一人としていない。シンとしたコンクリートに、人の呼吸音だけが響く。


「……わかったわ。……ありがとう。全員協力してくれるのね」


先日と同様、一人を抜いた17人の顔を見やる。各々が各々の意思を持って選択を示したのだ。キャシーは一度瞳を閉じて思案したのち、一人に対して視線を向けた。


「全体の話に入る前に。……デイヴィッド」


「ぅ、ぅん……?」


「ここにいてくれてありがとう。けれど、貴方は探索へは連れていけない。これは私の判断よ」


「え」


「え、え、で、で、でも、み、みみっ、みんな……い、いっ、行くんでしょぉ……??じっ、じゃ、じゃあ、ぼっ、ぼ、僕も……」


「嬉しいわ、ありがとう。けれど、今回の探索は、いつもみたいなものじゃないの。貴方が行くには危険すぎるわ。だから、貴方は連れていけない」


「ぼ、っ、ぼ、く、ぼくだけ、?」


「えぇ」


「……や、やだ、」


「……許可できないわ」


そう言い切るキャシーの言葉を聞いて、理解出来ない、という表情からだんだんと歪みへ変化していく。その様子を見ていたミスティは、その瞳を丸めて、それ以上は言わないように、と二人の間に手を伸ばしかけたが遅かった。ガシャンッ、と大きな音を立てて、デイヴィッドはキャシーに歩み進めた。


「や、や、やだ!!!!やだ、やだ~!!!!!!ぼっ、ぼ、ぼくだ、け、おいてかないでよぉ……!!!!」


松葉杖を周囲に振り回しながら、強く唇を噛みキャシーへ近づいていく。周りにいたマリオンやカフカは止めに入ろうとデイヴィッドに近づこうとしたが、「来なくていい」とキャシーが一蹴すれば、カフカは指示を聞き、マリオンは渋りながらも様子見の体制に入る。


「なんでぇなんでなんで!!!!ぼっ、ぼ、ぼく、こんなにみんなのこと、好きなのにぃ……!!!!う"っ……げほっ、お"ぇ"ッ、……」


びたびたと口から吐瀉物を落としながら、それでもキャシーの元へ向かう。ようやく届く距離まで近づいて、ふらふらになりながらデイヴィッドは半ば倒れこむように松葉杖を振り上げた。それと同時に、キャシーは一歩、デイヴィッドへ歩み寄る。項に片手を回し、"何か"をした。その途端、振り上げた松葉杖はゆっくりと地面に落ち、デイヴィッドの身体はガクリとキャシーの胸元に倒れこんだ。その身体をしっかりと抱き留める。白衣が青い血液で汚れていく。


「……ごめんなさい。貴方を仲間はずれにするつもりはないわ。ずっと一緒よ、デイヴィッド」


酷く優しいその声は、近くにいた者なら聞こえていただろうか。しかし、その一言で美談になるのだろうか?いや、ならない。怒りの眼でその光景を見つめているミスティは、言葉を奮った。


「なんですか、今の。彼に何をしたんですか?そしてなぜわざわざ彼の心を弄び踏みにじったのですか?」


「ただの催眠剤よ。害は無い。……私は彼の意思を尊重したうえで判断を下しただけよ」


「尊重?今のが?デイヴィッドはあなたのせいで傷を負ったのですよ?それがどれだけ非道な行為か理解しているのですか?」


「じゃあ、貴方がデイヴィッドの探索を支える?」


「…………本当に酷い人」


周囲からは見えないが、ミスティの表情は人前とは思えないほど酷く歪んでいた。ミスティは勿論、デイヴィッドを支えて探索することなど大いに受けよう。しかし、それは周囲やデイヴィッド自身を無闇に危険に晒す行為だと安易に想像がつく。何も答えられないとわかったうえで問うてくるだなんて、本当に卑劣な人。本当に本当に、あなたが嫌いだ、と。ミスティが俯いたまま踵を返しキャシーから距離をとれば、キャシーは壁際にそっとデイヴィッドを寝かし、白衣を折り畳み頭の下に差し込む。デイヴィッドの表情を見れば、確かに穏やかに寝ており、バディのヨアンなら見覚えのよくある寝顔だとわかるかもしれない。


「……ごめんなさい。この場で下す判断ではなかったと痛感しているわ。貴方達へ、余計な不安を感じさせてしまったことを謝罪するわ」


「不安に感じた子は、いつでも自室へ戻っても大丈夫だから」


キャシーが周囲を見やるが、その場を動く者はいなかった。そのことを確認して、キャシーはまた言葉を続けた。


「……ありがとう。それじゃあ改めて、これからのことをお話しましょうか」


可能なら貴方達を、何の危険にも晒さず、無傷で、無害な、永遠の箱庭で守っていたかった。

庇護下に置き、掠り傷も許さず、外の世界から剥離させる。

けれど、それは本当の愛ではないという。


いつまでも子どもとして縛るのではなく、一人の存在を認めて、意思を尊重し、自らの力で歩ませる。


信じること。それが、愛なのだという。


例えそれが、取り返しのつかない結果になろうとも。




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