No.7【April】


先日の騒ぎから4日後。午後7時57分。キャシーの指示により、一人を除き17名の被験者が広間に集合している。全員の姿を確認すれば、キャシーは問診票を持ち直し、被験者を見下ろすように視線を向け、その青く色付いた唇を動かした。


「集まってくれてありがとう。なんの話かわかっているだろうけど、改めて説明するわ」


シン、と空虚なコンクリートにその冷たい声が響く。


「まず始めに、被験体No.6ノーバディの状態についてお話しましょうか」


4日前、彼のバディであるエイプリルは、手負いのノーバディを背負い、一心不乱に探索から戻ってきた。そのことを知らない被験者はここにいない。ノーバディは運び込まれてすぐ、キャシーの地下研究室に運びこまれ、そこから4日なにも音沙汰は無かった。研究室内での情報を知っている被験者は、バディであるエイプリルのみであり、彼女も同様にノーバディの4日間の治療に関与していた。その間に、大分心を痛めたのか、髪も結ばず身体も洗わず、酷く窶れた表情をしているエイプリルの隣で、アダムは苦い顔を浮かべながらエイプリルを見つめていた。


「端的に言えば、現在意識不明。一命は取り留めているけれど、彼が目を覚ますかどうかは未だにわからないわ」


辛辣な瞳で問診票を見つめながら、キャシーはそう語る。そこで違和感を抱いた一人の被験者が、腕を組みキャシーに向けて言葉を投げ掛けた。


「ちょっと待って。決して軽傷じゃないとはわかってたけど、つまり意識不明の重症ってこと?腕に傷を負ってただけじゃないの?」


現場を目撃していたローザが、顔をしかめて疑問を投げ掛ける。ローザから状況を聞いていた少数の被験者も同様に頷く。腕を噛まれただけの傷で、なぜそこまでの重症を抱えるのか、と。キャシーは表情も変えずに、問診票に視線を向けたまま口を開いた。


「貴方達に、最初に説明したかしら。先天性抗ウイルス細胞を持つ人間が、アンデッド化しない確率を」


キャシーがそう言えば、ローザはその表情を硬直させた。隣でローザを見上げるあんじぇらに、ドキ、と緊張が走る。


「99.7%よ。もう何が言いたいかわかるかしら。彼は、…ノーバディは今、その0.3%を引きかけている」


エイプリルもそれを初めて聞いたのか、その喉奥からヒュッ、と鳴る。その音を聞き逃さなかったアダムは、思わずエイプリルの背中に手を当てた。エイプリルはもう吐ける物を涙も無いのか、その大きく見開いた瞳で問診室の奥の地下の、もっと奥にいるノーバディを見つめていた。

一方でローザは、なんとも言えない表情で呆然としていた。その大きく綺麗に手入れられた掌を、あんじぇらはそっと触れた。ハッとして見れば、心配そうにローザを見上げている。軽く息を吐いて、そのままなにも言わずあんじぇらから目を反らした。当然、周囲もざわついている。アンデッドにならない筈の人間がアンデッド化する可能性について。思案する被験者達をキャシーは気に留めずに、ざわついた周囲へ向けて咳払いをし、「続けるわよ」と一言で一蹴する。


「0.3%を引いた、と言っても、普通のアンデッドのウイルスじゃまず起こり得ない……。エイプリル・ルイスとノーバディが遭遇したアンデッドは、前にリズ=ロバーツとチューリエが遭遇したアンデッドと同じでしょうね。2m前後で黒い髪と黒い瞳を持つ知性のあるアンデッド。そいつの特殊なウイルスが起因だと考えられるわ」


「そのアンデッドをアビスと呼びましょうか。アビスのウイルスは、他のアンデッドのウイルスと比べ強力よ。ウイルスの数や生命力は勿論、変異の速度が異常。先天性抗ウイルス細胞を以てしても、無力なケースが高い。普通の人間なら一分も待たずにアンデッド化してしまうでしょうね」


キャシーは問診票から、正面へその顔を上げる。そして、そのままエイプリルの方を見つめ、その冷淡な瞳を少しだけ和らげた。


「けれど、ノーバディは未だにアンデッド化していない。それはエイプリル。貴方の血液のおかげよ」


周囲がエイプリルを見やる。視線を向けられていてもなお、エイプリルは呆然としてキャシーを見つめている。キャシーはエイプリルに向けて微笑んだ後、すぐに周囲に目線を向けた。


「つまり、輸血をしている貴方達なら、強力なウイルス相手でもアンデッドにならずに済むかもしれない、という話よ」


話が長くなったわね、と問診票を下げた後、また改めて咳払いをした。


「そして次は、これからのお話をしましょうか」


そう一言告げるキャシーの瞳には、冷淡で、でも、秘めたる焦燥があった。


「これは選択。これからの話は全て私から貴方達個人へ向けた"提案"よ」


一度話を止め、キャシーは彼らを見る。今までどおりの様子の子もいれば、明らかに不安を抱えたような顔をしている子もいる。それはだいたい読めてた予想で、一度息を軽く吐いた後、口を開く。


「端的に言うわ。私達はこのままここ、アナーキー刑務所に留まっていたら、いずれ襲撃されるでしょう。明確な意思を持った集団にね」


「それが、"ニケ"か」


ずっと眉間に皺を寄せて黙っていたヒュー・ウェイドがキャシーに問えば、キャシーは小さく頷いて視線を少し下げた。


「ニケ。国際連合により、加盟国から選出された研究員が集う秘密の研究組織。そして、このウイルス感染の首謀組織よ」


「何……?!」


「目的は永遠の人類繁栄。……夢みたいなお話よね、永遠の命だなんて」


キャシーの酷く優しい声色が、寧ろヒューの神経を逆撫でさせる。沸々と沸き上がる苛立ちが、低い声色となって表れていく。


「きみはそこの研究員だったんだな?道理できみの名前はどこにも出てこないわけだ。永遠の人類繁栄だと?現状の有り様を見てそんなことが言えるのか」


啖呵を切りはじめたヒューを横でみるマリオンは、少し焦ったような仕草をしたあとヒューより一歩前に出て、ヒューの話を遮るように敢えて言葉を被せた。


「で、でも、!だとしたら、キャシーとニケって人達は、元々仲間だったんでしょう?……襲撃されるって、どういうこと……?」


「私はもう今の研究組織とは敵対関係にあるからよ。そして彼らは未だに人間を実験体にしてウイルス研究を行っている。私達の存在が明確になれば、見過ごさないでしょう。」


「敵対関係……」


「ええ……研究組織内部はある時を境に崩れていったの。それが、貴方達人工アンデッドが世界に放たれた時よ」


「そして、私の目的は、現状のニケ及び政府組織を壊滅させること。これは、いち研究員として、そしていち個人としての目的よ」


マリオンの視線に釘刺され、興奮を抑えつつヒューは息を落ち着かせながら口を開く。


「……なぜ今更そんな話をする。頑なに我々に情報を与えまいとしていたのに」


「貴方達には、研究の協力以外を要求するつもりが無かったから、混乱させないためになにも情報は与えなかった。ただ、現状そうも言っていられなくなってしまった」


「本来なら、もっと早く外部からの協力を得られるはずだったの。けれど未だに連絡が取れていない。そして、今までの貴方達の探索報告や、今回のノーバディの被害から考えて、ニケは私が想像するよりも私達の近くに身を潜めていると推察したわ」


「そして、これから貴方達に頼みたいこと。それは、探索範囲の拡大。数日の外出を要求することになるわ。主な目的は三つ。グレイソンの捜索。アビスの捜索。ニケ本部の捜索。グレイソンは我々の協力者よ、積極的な捜索を願うわ。アビスの捜索、これはノーバディの治療に必要になるでしょう。血液一滴、たったそれだけでも彼から採取できれば十分だけれど、貴方達の身の安全を最優先としてちょうだい。そしてニケ本部の捜索。積極的に接触を図る必要は無い。ただ、いずれ必要となる情報よ。また、アビスはニケ組織のアンデッドでしょうから、彼から得られる情報もあるでしょう。でもこれは念頭に置いてくれればいいわ」


「……淡々と頼んでいるけれど、これは今まで以上に危険が降り注ぐわ。私から、貴方達へ命の保証はしてあげられない。ただ、最初にも言ったけれど、なにもしなければいずれ襲撃される」


「これは命令じゃない。強制はしない。けれど、貴方達が私と共に戦ってくれると言うのなら、力を貸して欲しい」


キャシーは深く頭を下げた。彼女から初めて貴方達へ向けられた嘆願だ。判断は貴方達に委ねられている。決めるのは、貴方達だ。


□□□

2028年×月×日—1日目


ノーバディさんが、あの大きいアンデッドに噛まれてから様子がおかしくなってしまった。すぐにキャシーさんに診てもらった。キャシーさんは、今までにないくらい、すごく怖い顔をしていて、すぐに地下へノーバディさんを運んでいった。わたしのせいだ。だから、たくさん、たくさん謝った。キャシーさんはノーバディさんのことしか見てなくて、何もこたえなかった。キャシーさんにも、ノーバディさんにも、迷惑かけてばっかりだ。ごめんなさい。ごめんなさい。やっぱり、わたしなんかが、ノーバディさんのバディにはふさわしくなかったんだ。ごめんなさい。


2028年×月×日—4日目


昨日、一昨日の記憶があんまりない。キャシーさんに呼ばれて、ノーバディさんの治療に協力するために、たくさん、たくさん血を渡した。キャシーさんは、ノーバディさんの血を取っておいたみたいで、それを使ってわたしにも輸血をした。それがすごく申し訳なくて、思わず拒絶をしたら、キャシーさんに怒られてしまった。ほんとうにわたしは、みんなに迷惑かけてばかりだ。


キャシーさんから、みんなにお話があった。ノーバディさんのこと。そしてこれからのこと。わたしのせいで、刑務所のみんなにも、いっぱい迷惑をかけてる。ほんとうにごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


2028年×月×日—5日目


ノーバディさんに普段よりもたくさん輸血をしている。治療のために。この時間だけ、ノーバディさんの顔を見られる。苦しそうな顔をしている。ごめんなさい、わたしのせいで苦しませてしまって。でも、あなたがまだ生きてるって実感できるこの時間でわたしはすごく安心してしまう。


2028年×月×日—6日目


今日もたくさん輸血をしている。顔色は昨日と変わらない。わたしはどうなってもいいから、お願いだから、ノーバディさんだけは生きて欲しい。だからもっと、わたしの血を流して。ノーバディさんを助けてください。お願いします。お願いします。


2028年×月×日—7日目


今日もたくさん輸血をしている。顔色は昨日と変わらない。ノーバディさんに見せられないくらい、今、ひどいかっこしてる。顔もくちゃくちゃで、こんなの見たら、すごく優しいノーバディさんでも、わたしのこといやになっちゃうかな。いやになってもいいから、はやくおきて、ノーバディさん。


2028年×月×日—8日目


今日もたくさん輸血をしている。顔色は昨日と変わらない。もっとたくさん輸血をしてくださいって、キャシーさんにお願いしたけど断られちゃった。これ以上は、わたしの身体に良くないって。わたしの全部渡して、ノーバディさんが助かるならそれが良いのに。でも、キャシーさんにもこれ以上迷惑かけられない。だまらなきゃ。


2028年×月×日—9日目


今日もたくさん輸血をしている。顔色は昨日と変わらない。キャシーさんが取っておいた、ノーバディさんの血がそろそろ無くなってしまうらしい。無くなっても、ノーバディさんへの輸血はやめないでくださいって、いっぱい、いっぱい頭をさげた。キャシーさんは、やめるつもりはないって言ってくれた。良かった。


2028年×月×日—10日目


アダムくんが輸血の時に一緒に来てくれた。キャシーさんは、難しい顔をしていたけど、許してくれた。あちこちぼさぼさで、だらしないわたしに、アダムくんは優しく声をかけてくれた。わたしと一緒に、ノーバディさんとお話してくれた。アダムくんは、ノーバディさんが起きたときに、一緒に『おかえり』って言おうって言ってくれた。起きたときに、ノーバディさんが寂しくないように、一緒に居てあげようって言ってくれた。わたしは涙がとまらなくて、ずっとノーバディさんの手を握ってた。


2028年×月×日—11日目


取っておいたノーバディさんの血が無くなってしまったらしい。少しの期間だったら、食人衝動は来ないらしい。でも、もしわたしが知らない間に、ノーバディさんやアダムくんになにかしちゃったら、すごくいやだから、顔の包帯を取って、口にぐるぐる巻きにした。お母さんに取っちゃダメって言われてたけど、でも、嫌われてもいいから、みんなを傷つけたくない。


2028年×月×日—12日目


口に巻いた包帯で、うまく喋れなくなっちゃった。でも、ノーバディさんとはお話したいから、たくさん喋ってる。涎で口元がぺちゃぺちゃになっちゃってたら、アダムくんがタオルを持ってきてくれて、涎と、涙と、とにかくいっぱい優しく拭いてくれた。アダムくんがいてくれると、ちょっとだけ前向きになれるきがする。一緒にいてくれてありがとう、アダムくん。


2028年×月×日—13日目


ノーバディさんが起きたら、いつもみたいに、くだらないお話が出来るように、ってアダムくんが言ってくれた。くだらないお話、なにか考えとこう。なにか、なにか。起きたときに、いつもどおりにできるように。起きた時に、


2028年×月×日—14日目


ノーバディさん、起きてくれるのかな。


「………………」


エイプリルの自室の隅。酷く暗い場所で、二人。


「…………ゆけつ、もっと、もっともっともっといっぱいしたら、ノーバディさんは、助かるのかな」


「もしも、助からなかったら、どうしよう、」


「そしたら、もう、ばろんのいる、遠く、行ってもいいのかな、」


「………………」


淡々と、横にいるカフカに、思いを独白をする。なぜ彼が横にいるのか、それは偶然なのか必然なのか。


ノーバディに治療の輸血を始めてから2週間。そして、ノーバディの血液のストックが切れ、自身への輸血を行わなくなってから4日目。心が既に疲弊仕切っているうえに、いつくるかわからない食人衝動に恐れているエイプリルは、治療の輸血を除き、ほとんど自室に引きこもっていた。自身への輸血を行わなくなってからは、特に人間を避け、幼なじみのアダムでさえ二人きりになる空間を避けていた。そんな最中、治療帰りのふらふらのエイプリルに気づき、エイプリルの自室まで運んだのがカフカだった。


もし、カフカがアンデッドでなかったら。

もし、カフカが今のようなカフカでなかったら。

エイプリルは今こんな風に、カフカの隣で心根を吐露する自分を許せていなかっただろう。


ただ、偶然と必然が重なり、エイプリルは、コンピューターのような彼に、まるでSNSで独り言を吐き捨てるように、言葉を吐いていた。カフカはただ、その言葉をその黒い瞳と、白く濁った瞳で、真っ直ぐに見つめて聞いていた。


「わたし、ほんとにこのままで良いのかな、ほんとはもっと、なにか、できるのかな、」


「…………でも、わたしなんかに何ができるんだろう」


「……ウッ,ッ、""」


膝を抱え、顔を埋める彼女を見て、カフカは今日初めてその口を開いた。今回が初めてではない、今までの彼女の独白を想起させながら。


「エイプリル・ルイス。現状、一番ノーバディの回復へ繋がる行動は、治療の協力です」


「…………」


「しかし、」


彼女の過去の話と重なる現状を、その目で見て、思考し、言葉を紡いだ。


「貴方がそれ以上に、尽力を注ぐのであれば最善を尽くすべきでしょう」


「……最、善、」


「それがなにかはカフカには判断出来ません。ですが」


「『後悔』はしたくないのでしょう」


ドク、と心臓が揺れる。


無機質な彼にだけ吐いた、わたしの『後悔』。バロンへの贖罪。わたしがなにもできなかったせいで、大好きなバロンがいなくなってしまった。それはただの独白だった。救って欲しいわけでもない、すがりたいわけでもない、ただの独白。無機質な彼だけが知るわたしの『後悔』へ向けた言葉に、脈が呼応する。


たくさんの昔の思い出が頭のなかいっぱいに溢れて、自然とエイプリルの目頭を熱くさせた。一縷の涙が頬を伝う。ぽたりと落ちて、身に纏う薄衣に淡いしみを作る。余る袖で顔を隠して、ごしごしと涙を拭う。ふと、肌身離さず持っているバロンとの写真をポケットから手に取る。ボロボロで色褪せている。失くしたくなかった、大切な存在。


「…………カ、かふっ、カ、フカ、さん"、ず、ずみ"ません"、あ"、あの、い"、いっぱい、……、お、おはなし、ぎ、きいて、もらっちゃって、………………」


「問題ありません」


写真の中のバロンをそっと撫でる。涙で濡れた顔を切なそうに微笑ませ、そして、立ち上がり、写真をポケットにしまう。エイプリルが立てばカフカも自然と立ち上がる。エイプリルは一歩前に進んで、そして振り返り、カフカに向けて、深く頭を下げた。


「……あっあのっ、あっ、ありがとうございました…………う、うだうだ、してても、し、仕方ない、ですよね、…………こっ、後悔、しないように……!いっぱい、いっぱい……が、頑張ってみます……!!」


顔をあげたエイプリルの表情は、いまだに不安が残っている。けれど、確かに感じる生気が、二つの瞳を揺らしている。扉を開ければ、真っ暗だった部屋に一筋の光が差し込んだ。


□□□


10日前。キャシーが話した『これからの話』を思い返す。あのとき、キャシーは確かにノーバディの回復の一手を話していた。自分なんかに何ができるのだろう、と常に思い続けてきたが、最善を尽くすのであれば、自分に出来ることの範囲に手を伸ばすのではなく、転んだとしても、人から揶揄されようとも、前に進み続けなくてはならないんだとおもう。わたしが見てきた大好きな作品の主人公たちが、そうだったから。わたしがそんな立派になれるわけない。どこかそんな風に思いつつ、その思いを破り、先へ一歩、一歩と欲望のままに熱を奮わせ歩み出す。


「……ほんとに良いんだな?」


「……う、うん……!」


「よし、切るぞ」


ちょき、ちょき、と身の毛のよだつ音が後頭部から聞こえる。わたしがだめだめで、髪を引っ張られて、ぼろぼろのハサミでぞんざいに切られてしまう。ばろんとおそろいが嬉しくて、でも、怒られちゃうわたしはやっぱりだめで。髪が切られていく度に、首の後ろがすーすーして、鳥肌のような寒気を感じる。震える唇を噛んで、ぐ、と肩に力をいれてしまう。そしたら、アダムくんは左肩に、優しく手を置いて、とんとん、としてくれた。


「無理するなよ」


「ぁッ……ウ、へ、平気……!!!!」


「なんか話ながらやるか。……ノーバディ、急に変わったエイプリルを見たら、さすがに驚きそうだよな」


「へ、????」


「へ?って……そういうの考えてなかったのかよ」


アダムはクスクスと笑う。その声に紛れるように、ちょき、ちょき、とハサミで切られたエイプリルの長い髪は、ぱさぱさと地面に落ちていく。


「へ、へ、へんに、お、思われる、かな、だ、大丈夫、かな、」


「変とか思わないだろ、あいつは」


「……う、うん……」


ちょき、ちょき、


「んん……ちょっと、顎引いて」


「うん」


ちょき、ちょき、ちょき、


「……よし、こんな感じでいいか?」


アダムがエイプリルに手鏡を渡す。鏡に写る自分は、まるでいいこじゃなかった。外しちゃだめって言われてた包帯もなくて、肌も見えて、胸の晒もない。それでも___。


「うん。似合うよ、エイプリル。俺は片付けとくからさ、ノーバディんとこ、先行ってろよ。キャシーさんに話もあるんだろ」


「……う、うん……!あの、アダムくん、」


「?なんだよ」


「あの、あの、ありがとう、アダムくん……!!アダムくんがいてくれて、わたし、……ッ、わ"だじっ""、」


「お、おいおい。わかってるって、だから泣くなよ。全く、しょうがないなぁほんと」


「ウ"ッ、うっ、ごめ"ん""、あ"り"がとう""、」


「ほら、行ってこいよ。待ってるぞ、あいつ」


「う"、うん""」


▪︎▪︎▪︎


「し、しつれい、します……」


「いらっしゃいエイプリル・ルイス」


問診室へ入れば、キャシーは立ち上がり、エイプリルを連れ、ノーバディのいる地下室へ向かおうとする。けれど、エイプリルは立ち止まり、胸をドキドキとさせながら、唇を震わせた。


「あ、あの……!!キャシー、さん、……!」


「なにかしら?」


「わっ、わた、わたし、もっと、もっと、キャシーさんの、お役に立ちたいです、のっ、の、ノーバディさんを、たっ、助けられるなら、なんでも、なんでもやります、!!!!!」


「ここにいるひとたちが、だっ、誰も、だれも、キャシーさんの提案に乗らなかったとしても、わ、わたしひとりでも、行きます、!!!!!」


「いっぱい輸血して、いっぱい外を探索して、ノーバディさんが、また、いつもみたいに、笑って目を覚ましてきてくれるために、わたし、、さっ、最善を、尽くしたいです、!!!!!」


「後悔は、も"う、した"く"な"い"ん"です"""!!!!!」


「……エイプリル」


深々と頭を下げるエイプリルへ近づき、キャシーはエイプリルの頭にそっと触れた。その指先には僅かに熱が籠っており、まるで母親のような慈しみが込められていた。


「……綺麗ね。アダムにやってもらったの?」


「へ?あっ、ぅ、は、はい、わっ、わたしが、お願いして、……」


「そう」


エイプリルは今、彼女の人生が作り上げた庇護の皮を破り、等身大で生きようとしている。それが、キャシーには不思議と嬉しく思えていた。


「ありがとう、エイプリル。是非、貴方に頼らせてちょうだい」


「……!!!は、はい、が、がんばります、……!!」


「でも、ひとつだけわかって」


「ノーバディが貴方の命を重んじていることを」


「わたしの、いのちを……?」


「いつもみたいに笑って起きて欲しいのなら、貴方もいつもみたいでいる必要があるわ。だから、決して無茶はしないこと。貴方の命とノーバディの命はひとつに結ばれてると考えて」


「わかったなら、行きましょう」


コツコツと、足音を立てながら、キャシーは先に地下へ降りていった。エイプリルはただ、キャシーの言葉を胸の中で咀嚼していた。そして、少ししてから、地下へ降りていく。地下内にいくつかある扉のうち、正面から右の扉の奥がノーバディのいる治療部屋だ。扉を開けば、今日も彼はそこで眠っている。キャシーが輸血の準備を済まして、二人の腕に針を指す。


「私は少し退室してるわ。何かあればすぐに呼んで」


キャシーの背を見送れば、扉が閉まる。青い血液がドクドクと流れていくその手を握って、くすぐったそうにエイプリルは笑う。


「……おはようございます、ノーバディさん。……ど、どうですかね……へ、へん、じゃ、ない、ですか……?」


「…………」


「……の、ノーバディさんが、い、いなくても、わたし、ひとりでも、う、動かなきゃ、いけないな、って、思って……」


「…………」


「……あの、も、もしかしたら、の、ノーバディさんは、……お、起きたくない、の、かも、しれないんですけど、……でも、でも、」


「……ごめんなさい、わたしの、わがまま、きいてもらえませんか、」


「また、わたし、あなたの笑った顔が、見たいです……」


「ノーバディさんに、生きていてほしいです……」


「…………」


「あなたが、好きだから」


彼女の名はエイプリル。最愛の人を、自分のために救うべく、今その羽を広げ飛び立とうとしている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る