No.5【瞳】
「アンジェラも?」
「えぇ。たまには良いでしょう。近場の安全地帯の探索をお願いするつもりだから、用が済めば早めに戻ってきてくれても構わないわ」
午前7時28分。問診票に筆記音を走らせ、キャシーは二人に探索の話を提案した。ローザは伏し目がちにキャシーを見つめた後に、隣にいる自分よりも小さな存在に視線を落として向けた。あんじぇらと視線が合う。「あんじぇらも?あんじぇらも?」とその瞳を輝かせてローザとキャシーを交互に見ている。久々の探索に心を踊らせているようだ。というのも、あんじぇらは年齢や言動の拙さからか頻繁に探索を担当することは無かった。いつも、探索担当者が気まぐれに持ってくるおもちゃを待ち遠しくしているだけだった。
精神面を考えると、たまには外出させるべきなのかもしれない。けれど、外に容易に出してはいけないほど、この世界が危惧すべき事柄で溢れていることを、きっとあんじぇらでさえどこかわかっているはずだ。ローザはキャシーの判断に少し苦い顔をしつつ、とうに逆らう権利などないことは重々承知しているため何も言わなかったが。そんなローザの機微を感じ取ったのか、キャシーは視線を問診票からローザの鼻先に向けた。
「貴方達の他に、ヒューとマリオンにも探索を頼んでいるわ。過保護な大人が三人もいれば十分でしょう?」
その後に問診票を置き、あんじぇらの頬を指先で撫でる。あんじぇらのくすぐったそうな無邪気な笑い声がコンクリートでできた殺風景な部屋に反響する。
「それに、あんじぇらはアンデッドよ。少なくとも、貴方よりは丈夫に出来ているわ。生物としてね」
(生物……ね、)
あんじぇらはきょとんとしながら、難しい話をする二人を見て首をかしげていた。
□□□
午前11時14分。もうすぐ探索に出向く時刻。探索の説明ついでにキャシーと話をしたいと申し出たヒューを、マリオンは広間で一人、座って待っていた。リズム良く両足の爪先を上下に揺らしながら、小さく鼻歌を歌ってこの広い空間を見つめている。まだかなー、と一人呟いていれば、カラカラと不器用な足音が扉から響いて出てきた。その扉近くで待機していたマリオンは、彼と目が合う。
「デイヴィッド、おはよう!」
「あ、マ、マ、マリオンさん、え、えへへ、お、おはよぉ」
向かっていた進行方向から、ゆっくりとマリオンの方へ向き直り、カラカラと点滴スタンドが音を鳴らしながら、たん、たん、と松葉杖が不規則な音を立てて歩んでくる。マリオンはすぐに立ち上がって、デイヴィッドの元まで歩み寄った。
「お散歩?」
「え、え、えっとねぇ、ヨ、ヨ、ヨアンくんの、とこに、い、い、行こうとおもって……。ヨ、ヨアンくんのこと、ど、ど、どこかで、み、みたぁ?」
「ヨアンか~!今日はまだ見てないかも!部屋にいるのかな?」
と、マリオンはヨアンの自室がある二階を下から見上げる。上に向かうには階段を上らなければならない。きっとデイヴィッド一人では時間がかかってしまうだろう。ヒューが戻ってくる様子はまだ無いため、マリオンは優しくデイヴィッドの手を取ってにっこりと笑顔を見せた。
「一緒に行こっか?」
「い、い、いいのぉ、?え、へへ、う、う、うれしぃ」
デイヴィッドもニコニコと微笑み、マリオンの手に頼りながら上へ向かい始めた。
「マ、マ、マリオンさんは、きょ、今日、な、な、なにするのぉ……?」
「探索!サンドイッチの材料、探してくるからね!」
「……や、約束、お、覚えててくれたの……?えへ、えへへ、うれしいなぁ、た、たっ、楽しみだなぁ、……あ、そ、そうだ、……!」
急に何かを思い出したのか、デイヴィッドは自室の方へ方向転換し始めた。説明も無しに進行方向を変えたデイヴィッドに、疑問は抱きながらも、マリオンはニコニコしたままその手を支え続けた。自室についたあと、「待っててねぇ」とニチッと笑い、デイヴィッドは自室に入っていった。二分ほど待っていれば、自室から出てきて、デイヴィッドはゆっくりとその手に持ったものをマリオンに手渡した。
「こ、こ、これ、ねぇ、この前、リ、リズちゃん、と、つ、つっ、摘んできた、お、お花……。え、へへ、あげるぅ」
その手には、握り過ぎたのか、時間が経ちすぎたのか、クシャ、としおれた花が二本あった。デイヴィッドには数少ない探索時で、度々マリオンに花をくれるという交流が定着しつつあった。マリオンはその花が握られた手ごと、笑顔で触れた。
「わぁ!素敵、素敵ね!ありがとう、デイヴィッド!」
マリオンがその萎れた二本の花を歓喜して受け取れば、デイヴィッドは、喜んで貰えた!と非常に満足そうに笑う。そしてそのたどたどしい口を開いた。
「あ、あ、赤いのが、マ、マリオンさん、のでぇ、……あ、青いのが、お、お、お姉さんの……!」
マリオンの表情が一瞬固まる。その長く透き通った睫すらも揺れなかった。そんなマリオンに、デイヴィッドは変わらずにったりとした笑みを見せ続けていた。
「…ありがとう、デイヴィッド……!それじゃあ、ヨアンのとこ行こっか」
「う、う、うん、!」
□□□
「よーし!今日ははりきっちゃうよー!!」
「んおー!!」
刑務所前。日差しが良く届く真っ青な空に、マリオンがぐーっと両手を向ければ、あんじぇらも真似して、だるんと垂れた両袖を空にあげた。普段よりもマリオンが意気揚々とした姿を見せているのはきっとあんじぇらが一緒にいるからだろう。意気込んでいる二人の傍でヒューは、ふ、と微笑みながら、最近手に入れたボロボロの大型車の扉を開けた。
「では、きみ達の輝かしい冒険の第一歩を私がエスコートしよう」
「勘弁してよ」
「おや、徒歩で行った方がアンデッドに遭遇して危険だろう。違うか?」
「徒歩で行った方がマシ」
そう吐き捨てローザはつかつかと二人の元まで歩んでいく。ローザの依然として辛辣な態度に、相変わらずあまりピンとはきていないが、やれやれ、と眉を下げて開いた車の扉を閉じた。こうして四人は徒歩で目的地へと向かうことになった。
□□□
「あれ?こんなところに図書館なんてあったっけ?」
マリオンが歩きながら、視線だけを図書館に向け三人に問う。三人も図書館に目を向ける。刑務所の近場というだけあって、大体何があるかは把握しているつもりだったヒューやローザは、更に立ち止まって観察した。大人三人が立ち止まったからか、なんとなくあんじぇらもその場でびたっと立ち止まった。ほげー、という顔で大人達の顔を下から見上げている。
「俺は知らない」
「扉を良く見てみるんだ。手前の扉が壁ごと崩れている。二重扉で、そこが崩れる前の外観は図書館に見えなかったのだろう」
ヒューの言う通り、奥の扉はガラス張りで、外から見て本が並んでいるのが覗けるが、他はコンクリート一色で出来ている。窓も8mほど上に取り付けられており、一見では大きな市民会館にでも見えただろう。
とはいえ、図書館に食糧もキャシーに指示されたものもあるとは思えない。「そうなんだね」とヒューの推測に相槌をうって、マリオンは歩みだした。その様子から自然とヒューも足を進め、ローザも歩み始めようとした。けれど、そのローザの足をきゅっと袖越しに掴み、自分と目を合わせろと示唆するようにぎゅいぎゅいとあんじぇらは何回か引っ張った。ローザが歩むのをやめて、「なに?」とあんじぇらに問うたら、あんじぇらは少し眉を下げて口を開いた。
「…………えほん読みたい……」
それは単なる子供のお願いだった。探索でかつ大人三人が事を進めるなか、少し申し訳なさそうな顔をしながら口元をもごもごとさせている。ローザは、恐らくあんじぇらのお願いが聞こえていないであろうヒューとマリオンの方を見た。足音が聞こえない二人に違和感を覚え、ヒューもマリオンは立ち止まって振り返った。
「どうしたの?」
「図書館で絵本が見たいんだって」
「ほう。Ms.アンジェラがそういうなら、我々が断れる理由は見つからないな」
「ね、ね!……なんなら、わたしもちょっと気になってたんだよねっ」
ヒューとマリオンは二つ返事の勢いで、くる、と足先を図書館の方へ向けて歩みだした。あまりの受け入れの良さにローザは「ちょっと、」と少し引き留めようとしたが、既に二人に釣られ行く気満々なあんじぇらは、「はやく!」とローザの服を先程よりも強く引っ張っていた。ため息を一つ溢し、ローザはあんじぇらに言われた通り図書館の中へ入り始めた。
(確認もしないで入って……アンデッドが居ないかとか事前に様子見しないわけ)
と、訝しみつつ図書館に入るが、一目で広間全体が見渡せるような空間に、アンデッドと思われる影は無かった。既に先を進んで自由に徘徊している年長者二人を尻目に、ローザはあんじぇらの方に視線を向けた。
「ついてくから。好きなところみてていいよ」
「ぎょい!」
どこでそんな了承の仕方を覚えてくるのやら、と思いつつ、ローザはあんじぇらの後ろをついていった。
□□□
二階の階段を、かつ、かつと登る。上から見れば、この図書館の広さがより伺えるだろう。マリオンはその景色を一望していた。
「結構広いねー」
「ふむ、みたまえ。過去の新聞記事もあるぞ」
「ほんとだ。え、結構前のもあるね?」
「これだけじゃない。稀な文献も沢山置いてある」
そう言いながら、ヒューは棚から取り出した難しそうな文献を流し見している。真剣な表情から、邪魔しない方がいいかな、と思ったマリオンは、パッと見てみつけた『簡単昼食レシピ本』を手に取りヒューの隣で読み始めた。暫くすると、ヒューは視線は文献に向けたまま、マリオンに向け口を開いた。
「きみは、おかしいとは思わないか」
「ん?何が?」
「Ms.キャシーのことさ。これでも研究者の端くれだからな。この文献に載っている研究者の名前は粗方見たことがある。けれど、Ms.キャシー。彼女の研究は疎か、その名すら私は見たことはないんだ。……彼女がどんな研究をしているかは知らないが、現状を見るに、名を残している研究者だとしてもなんら不思議じゃないはずなんだ」
最初は淡々と語り、そのうちだんだんと言葉に荒い熱が乗るように、子音が跳ね上がっていく。キャシーのことになると、時折ヒューは普段の飄々とした雰囲気から離れることがある。そんなヒューを隣で見ながら、「あー……」とマリオンも少し考える。
「確かに……。キャシー、やってることすごそうだもんね?ニュースや新聞記事に大々的に載っててもおかしくなさそう!」
「…一度見たんだ。聞きたいことがあって、何もなしに昼に訪問したときに」
「え、急に突撃したの?」
「その時に見たんだ。問診ファイルの前に立て掛けられた写真を」
「写真……?あー!あのいつも倒れてる奴?あれ、写真立てだったんだ!」
「あぁ。そこにはまだ若かりしMs.キャシー。そして、見知らぬ男性。二人が写っていた。手に持った物を見るに、授賞式での写真だった」
「授賞式?」
「あぁ。何の賞かはわからないが、彼女の事だ。ちっぽけな賞では無いだろう。……きっと、表じゃ表彰出来ないような研究を……」
そう険しい表情で考察を続けるヒューをみて、マリオンはくすりと笑った。
「……ヒューって、キャシーのこと結構好きなの?凄くリスペクトしてるのね!」
「……きみって奴は。私はそんな話はしていないぞ」
「あはは!否定はしないんだね?」
マリオンがそう笑いかければ、ヒューは眉間に皺を寄せて、視線を下げた。そして一言、「彼女のことを信頼していない。ただそれだけだ」と吐き捨てた。ふーん、と笑顔で相槌をうち、マリオンは視線を窓に移す。後、またヒューを見る。外から差す光が、マリオンの黄色の瞳を照らす。
「ヒューの言いたいこともわかるけどね。でも、わたしは、そんなに悪い人には見えないんだ。実際、こうして外に出してくれてるし、わたし達のこと、いなくならないって信頼はしてくれてるのかなー、って!」
そのマリオンの瞳をみつめ、ヒューは眉間の次に口を尖らせた。
「ふん、彼女のことだ。きっとアンデッドであろうと即死させられる爆破装置でも胎内に仕込んでいるのだろう。逃げ出せば、我々の命は無いかもしれないな。まぁそもそも私に命なんてものはないが」
「あ、また始まった!ヒューのそれっ」
□□□
「三冊まで。わかった?」
「ん、ンン"……わかた……」
あんじぇらはかつてないほど真剣な顔つきで絵本が置かれた本棚を見つめている。妥協は許されない。この中からえらばれし三冊を掴み取るには、まずは候補から。気になる物をひとまず出してみる。多種多様な内容で、全部で七冊。ここから三冊に絞らなければならない。「ンググ」と喉をならしながら、その七冊とにらめっこ。開いては閉じてを繰り返し、10分ほど悩んで、三冊を本棚に戻す。あと一冊。床にペタンと座り込んで、その四冊も床に広げている。また、「ングオ」と喉をならしている。
そのあんじぇらの様子を、少し瞼を伏せてローザは見つめている。その小さな背中に向けた視線を、一瞬たりとも離さなかった。
暫く経ってもなかなか決めきれないあんじぇらに、一度二階にいる二人の様子を確認してからローザは横にしゃがみこんだ。
「どれとどれで迷ってるの」
「……ぜぶ」
「……。」
「……じゃあ、どれか一冊は今読んであげるから」
「!んと、ンッ~、じゃ、これだ!」
あんじぇらはすんなりと一冊をローザに手渡した。その一冊を受け取って、「じゃあこれは思い出として持ち帰ってね」と改めて釘をさせば、あんじぇらはまた少し悩むような顔をして、床に広げた別の絵本を手に取り、「やぱこち」とローザに差し出した。それを受け取り、ローザは立ち上がる。あんじぇらも立ち上がり、椅子がある方へ向かうよう足を引っ張って催促する。
カツ、カツ、カツ、
自分のものではないヒールの音が入り口から響く。それは丁度立ち上がったローザの一直線上にいる。綺麗にウェーブがかったブルーブラックのロングヘアー。着こなしも比較的綺麗で、女性らしいドレスを見に纏っている。俯いた表情を、ゆっくりとこちらに向ける。青い瞳は、窓から照らされる光に反射して、キラキラと輝いていた。
「アナタ、生存者?」
そう問いかけつつ、あんじぇらに背中に隠れるよう小声で指示する。言われずとも、あんじぇらはローザの後ろに隠れていた。ローザの一変した声色に、二階にいるヒューとマリオンが上から見つめた。
「……アンデッドっぽくないね。もしかして生存者かな?」
小さい声でマリオンはヒューに問いかけるが、ヒューは眉間に皺を寄せ、じっとその女を見つめていた。手すりを掴み、段々とその上半身は前のめりになっていく。
「…………ぁ、っ、」
女がローザを見て、小さくか弱い声を漏らす。ローザが一歩歩み寄ろうとしたとき、あんじぇらがその足をぐいと抱きつき止めた。その止めた手は微かに震えている。そしてヒューも前のめりになった身体を、更に宙へ突き出した。
「ローザくんッ!!!そいつはアンデッドだ!!!」
ヒューの荒げた声に反応し、ローザはあんじぇらを抱き抱えた。マリオンは、「一体ならわたしが!」と階段を降りようとしたが、ヒューはマリオンの手を掴み止めた。
「なに!?」
「………一体じゃない」
ローザはあんじぇらをぎゅ、と力強く抱き締め、女と、入り口から何体も侵入してくる、ただの人間のように見えるアンデッド達を警戒した様子で睨む。抱かれた力強さにあんじぇらは痛みさえ感じるが、その胸に静かに震えた身体を預けている。その様子を上からみているヒューは、手すりに自身の拳を叩きつけた。
「クソッ。なんだあの数は。ここは安全地帯ではなかったのか!Ms.キャシーが読み間違えたのか!」
「キャシーの愚痴言ってても仕方ないよ!ローザ!!!あんじぇら!!!上、とにかく上おいで!!」
マリオンに言われた通り、ローザは二階へ続く階段に向かって走っていく。ローザの姿、足音に反応して、入り口付近のアンデッド達も釣られるように追いかける。
「あああ」
まだ血肉が腐っていないのか、人間の声帯と同じ原型を保っているそのアンデッドの喉は、ノイズの無い呻き声をあげる。ローザは構わず階段をかけ登る。アンデッド達は手を伸ばして、そのローザの足を掴もうと必死になっている。「はやく、はやく!」とマリオンは声をかけながら、ヒューと二人で階段前に本棚を押している。
「ッ!!!」
階段を半分登ったところで、ローザの足首が一体のアンデッドに掴まれた。反動で前に転倒し、段差に片手をつく。足首を掴んでいるのは先程の青い瞳のアンデッドだった。その瞳は相変わらず人のように光を灯し輝いている。ローザはその掴まれた足を、蹴るように振りほどきながら、あんじぇらを抱き締めたその片手を緩めた。
「アンジェラ、行ってッ!!」
「ウ、ぁ、」
「はやくッッ!!」
置いていったら、あんじぇらのべすとまいふれんどはどうなってしまうのだろう。ここで死んでしまうのだろうか?
頭の中が真っ白になってあんじぇらが動けないでいると、ローザの足を掴んだそのアンデッドは、人にしては異様に伸びた犬歯をその足首めがけて突き立てた。
「ッッ」
牙は深く刺さり、刺さったその足から真っ赤な血が流れ出る。ローザは思わずあんじぇらを急かす言葉を詰まらせる。その様子を近くでみていたあんじぇらは、階段近くに落ちていた大きな辞書を持って、そのアンデッドに向けて思い切り叩きつけた。
「どかいけ!!!あんじぇらのべすとまいふれんどになにする!!!どかいけ、どかいけ!!!」
顔を強ばらせ目をぎゅっと瞑りながら、大切なともだちを助けるために一心不乱に殴り付ける。何度も叩きつけていれば、その綺麗な顔は赤い血液を流してだんだんと歪んでいった。ようやくローザから離れたアンデッドは、階段下へと転がっていく。同時に、上から降りてきたマリオンは登ってくるアンデッドにあんじぇら同様、本を強く投げつけ、また別のアンデッドの腹を蹴りつけ転落させた。ヒューはローザの元へ駆け寄り、当然のようにその肩を担いだ。
「大丈夫か」
「……いいっ、アンタの助けなんていらないッ」
「そんなことを言っている場合か」
「よし、行こ!」
マリオンはあんじぇらを抱き、前をかけ登る。三段遅れて後ろを走るヒューとローザの様子をチラチラと気にしながら。ようやく上に登れたあと、マリオンとヒューはそれぞれあんじぇらとローザを離し、予め階段前に置いておいた本棚に手をつく。
「行くぞ」
「せーのっ!!!」
本来の人間二人なら微動だにしないその本棚は、少しずつコンクリートの床を傷つけ動いていく。そして、段差でバランスを崩したそれは、無数の本と共に、ガタン、バサ、ガタン、と大きな音を立ててアンデッド達に襲いかかる。殆どがその本棚の転落に巻き込まれ、共に転倒していく。階段一面に赤い鮮血が広がる。
「えっ、赤……?やだ、うそ、生存者だったの!?」
「落ち着け、まだアンデッドになってから日が浅いというだけで、正真正銘のアンデッドだ。それより……」
入り口をみてヒューは険しい顔をする。まだまだ、アンデッド達は入り口から侵入を続けている。
「……どうするの。このあと」
壁に寄り座り込んでいるローザは二人に問う。その足首から流れた血を、あんじぇらはおどおどとしながら、自身の長い袖で抑えている。
「出入口はあそこしか見つかっていない。非常階段の可能性にかけて二階を探索をするか……」
ヒューが考えている最中、マリオンは窓の外を見つめていた。右の口角だけ上げ、眉をひそめたその笑みで口を開く。
「…………行くしかないね」
「行くって、どこにだ」
ヒューが問うと同時に、マリオンはその窓に向かって蹴りを入れた。縦3m、横1.5mあるその防犯窓ガラスは、あっけなくくだけ散り、硝子片は外の方へ向かって行った。少しすれば、カラカラと音を立てて地面に落ちたことがわかる。「よし!」とマリオンが小さくガッツポーズを取っている後ろで、三人は呆然とその光景を見ていた。ヒューが小さく口を開く。
「…………まるで人間とは思えないな」
「ちょっとー!!!!」
響いた音に、出入口にいたアンデッドが反応する。疎らだった進行方向が、四人へと向く。
「下、見て!トラックがあるの!あそこに着地出来ればきっと大丈夫!行くよ!」
「ローザくん、立てるか」
「大丈夫だって。余計なお世話」
「ゥ、ォ、」
おどおどとしているあんじぇらを、マリオンはぎゅっと抱き抱える。不安そうな顔をぎゅ~っ!と自身の額でこねくり回して、満面な笑みを見せる。
「大丈夫よ、あんじぇら!わたしと一緒にとぼ!ほら、まるで絵本の主人公のラストシーンみたいじゃない?」
「……!」
あんじぇらの表情が一瞬輝く。その隙を逃がさないよう、マリオンはあんじぇらを抱き抱えたまま、直ぐ様窓枠に足をかける。
「それじゃあ行くよ。……冒険の彼方へ、レッツゴー!!」
「れつごー!!」
その合図で、二人は8mの高さからトラックのボディに目掛けて飛び込んだ。FBI時代の経験から受け身を取り慣れているマリオンは、胸の中であんじぇらを庇うように両腕で覆い、二転ほど身体を転がしてトラックに着地する。ばっと起き上がり、あんじぇらの様子を見る。ドキドキしているのか、胸元を抑えているが、あんじぇらに怪我は無いようだ。
「偉い、偉いよ、偉いわあんじぇら!サイコーにクールだわ!」
「あ、あんじぇら、クール……??フフン、あんじぇら、クール」
そのあんじぇらの頭を撫でつつ、マリオンは窓の方に視線を向ける。ヒューの言葉を煩わしそうに聞いているが、次はローザが飛ぶようだ。
「ローザ!怪我は大丈夫?思いっきり飛んでさえくれれば私が受け止めるから!」
181cmの男を?いや、先程この窓を一蹴りで破壊した彼女ならやりかねない。とローザは思いつつ、噛まれた足とは反対方向の足に力を注ぎ、マリオンに言われた通りに力強く飛び込んだ。
「わっ!きゃー!!」
ローザの身体を受け止めたが、思わず重心が後ろに倒れてしまい、二人まとめて転倒する。ローザはすぐに退き、「ごめんっ、やっぱ無理あったでしょ」と謝罪するが、マリオンは笑って「へーきへーき!わたしこそごめんね?ちょっと失敗しちゃった」と歯を見せてくすぐったそうに笑った。マリオンは今度こそ、と立ち上がり、最後窓枠に足をかけているヒューに向かって大声をあげた。
「ヒュー!!ヒューなら大丈夫だと思うから!!おいで!!」
「所々発言が気になるな。遠慮する、私は一人で十分だ!」
そう声をあげ飛ぼうとしたとき、ヒューの白衣を掴みかかるアンデッドが後ろにいた。前に倒れかけた重心は後ろに引かれ、建物の中へ引きずり戻される。下にいる三人はヒューの姿を見失い、マリオンは声をあげる。
「ヒュー!!!」
後ろに転倒したヒューは、自身に掴みかかったアンデッドに見下ろされ、目が合う。金髪にグリーンの瞳の男。これまた、人間のように小綺麗なアンデッドだ。ヒューは特段慌てること無く、ふん、と見下すように鼻を鳴らす。
「傍から見れば、まるで私が無能なアンデッドできみが私を撲滅する人間だな」
「あああ」
低い男性の呻き声をあげながら、その手はヒューの頭を掴もうとする。ヒューは手に掴んだガラス片を手に取り、頭上のアンデッドの頭に突き刺した。二度目の死を向かえた男は、そのまま動かなくなりヒューの上に倒れこむ。ヒューは嫌そうな声をあげ、そのアンデッドを勢いよく退ける。
「勘弁してくれ。男の趣味は無いんだぞ」
ヒューがアンデッドを見下ろしながら立ち上がれば、下から「ヒュー!!!」と歓喜の声が聞こえた。また改めてヒューは窓枠に足をかける。溜め息を吐きながら、「邪魔が入った。今度こそ行くぞ!」と三人に合図を送りトラックに目掛けて飛び込んだ。その身体を、マリオンは両手を広げ、強く抱き止めた。衝撃を逃がすため2歩、3歩と後ろに下がったが、今度は転ばずに受け止めることが出来た。抱き上げたまま、ニコっと笑みを浮かべる。
「ほら、いったでしょう!ヒューなら大丈夫だって!」
「きみ、さっきから言っているが、それは失礼にあたるぞ。あと早く下ろすんだ」
ようやく四人はトラックに無事着地することが出来た。アンデッド達は既に窓までやってきており、四人を追いかけるがあまり、上からぼとぼとと落ちている。
「やば、急がなきゃ!ヒュー、とりあえず運転頼める?!」
「言われずとも」
「……アンタの運転?最悪」
ヒューとマリオンは前の運転席と助手席に向かう。幸い、鍵も刺さっておりエンジンもかかる。エンジン音と共に車体が揺れる。タイヤが回転を始め、車が動き出す。不器用にも程がある発車に、あんじぇらの身体が勢いに持っていかれる。ローザはその手をぎゅっと掴み、その身体を抱き抱えた。
「危ないから捕まってて」
「……!ぎょい!」
そう、腕の中で元気良く返事をするあんじぇらを見て、ようやく一息ついたと、身体の力が抜ける。あんじぇらから、自身の足首に視線を滑らせて見つめる。未だに赤い血は出血を続けて、スラックスを赤黒く滲ませている。ローザの視線に気づいたのか、あんじぇらは「いたいたい?」と心配そうに首をかしげた。その頭をそっと撫でて、「大丈夫」とただ一言、その優しく虚ろな瞳を向けて答えた。
□□□
「Ms.キャシー。どういうことだ。あそこは安全地帯ではなかったのか?」
「…………」
探索報告の時間。ヒューは一人、キャシーに険悪や表情で睨み付けている。キャシーは依然とした様子で、ヒューの鼻先を見る。
「遭遇したアンデッドに特徴はあった?」
「私の質問に答えろ」
「……。勘弁してちょうだい。私はこの世の全てのアンデッドを管理している者とでも勘違いしているのかしら」
「…………」
「それで?アンデッドに特徴はあった?」
「…………100は下らない数はいたが、全てのアンデッドが人間のように綺麗な容姿をしていた」
「…………そう」
ヒューの話を、キャシーは淡々と紙に記していく。静寂が流れる。
「…………ありがとう。他に何も報告することがなければ、退出してもらってかまわないわ」
「待て、きみは本当に何も知らないのか?」
「答える義理は無い、って、貴方に何度この言葉を言えばいいのかしら?」
「…………ッ、」
膝に置いた拳をぎゅっと握る。長く伸びた爪が、掌に食い込む。
「……きみの名を、私はどんな文献でも、新聞でも、見たことがない。……きみは、……一体何者なんだ」
「それを貴方が知って何になるのかしら?」
「…………」
「……野暮な質問に答えるつもりはないけれど。…けれども、ごめんなさいね。安全地帯と言って探索に向かわせたのに、危険な目に合わせてしまって。謝罪するわ」
キャシーが見せた下手な行動に、ヒューは一瞬目を見開き、けれどすぐに眉間に皺を寄せた。吐き捨てるように息を吐き立ち上がる。
「私が要求しているのは謝罪ではない。そんなもの、他の三人に言え」
「……そうね」
足音を立てて、ヒューは問診室を出ていく。キャシーは、書きかけの文字の筆を止め、瞼を伏せて、シアンブルーの瞳を小さく揺らしながら足元を見つめる。ペンを握るその指先は、僅かに力が抜け、じんわりと丸まっていた。
■■■
「実験体C21008、失敗」
「実験体C21009、失敗」
「実験体C21010、失敗」
「……アァ、クソ、クソッッ!!!!!」
ボサボサの頭をかきむしる。その勢いのまま机に拳を叩きつける。その様子を、長身の男が後ろから見つめる。ぬるくなったことにも気付かず、マニュアルのようにカップに入ったコーヒーを、彼に差し出す。
「…………なんだ、」
「落ち着くよ」
「余計なことをするなッ!!!!」
腕ごとカップを弾かれる。コーヒーは長身の男の服にかかり、カップは大きな音を立てて割れる。ポタポタと垂れる自身にかかったコーヒーに目もくれず、未だに目の合わない彼の背中を見つめる。
コーヒーは心が落ち着くものじゃなかったっけ。
嫌いになってしまったのかな。
「ごめんね」
「はやく新しい実験体をつれてこい……!!!」
「彼らはどうすればいい」
収容所に溜まったそれらを見つめて問う。
また、ガサガサと頭をかきむしる。
「適当に放っておけ」
「わかった」
ぴちゃ、ぴちゃ、と素足で床にこぼれたコーヒーを踏み、長身の男は収容所に向かう。窓越しに目が合う。まだ人らしく揺らぐ、その青い瞳と。
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