No.4【You are my angel】
午前11時47分。曇り空の影響か、刑務所の空気がひんやりと冷たい。一階の共同スペースから、無邪気にはしゃぐ誰かの声が、ぼんやりと聞こえてくる。そんなものをよそに、自室に用意されたベッドに、彼と一緒に寝転がっている。ベッドは上質な物とは言えない質感だが、彼が隣にいる高揚感に脳は支配されているから、そんなことは微塵も気にならない。彼の頬を優しく撫でると、彼は頬を染め、撫でた手のひらにすり寄って、その手の上から彼の手を重ねた。
「どうしました?真樹さん」
微笑んで、そうきいてくる。その笑顔に胸が高鳴る。これが恋だと脳が訴えてくる。この感覚が、この心臓の脈が、真樹にとっては堪らない至福だった。
「んー?別に」
そう浮わついた声で返事をする。自分が今どんな表情をしているか、全然わからないが、ミスティは真樹の顔を見て、「ふふ」と微笑んだから、きっと自分も気持ちの良い顔をしているんだろう、と真樹は思う。身体を起こしてミスティの顔の横に手をついて、上から見下ろす。額にキスをすれば、ミスティはくすぐったそうに声を漏らす。何かを察したように、ミスティは真樹をじっと見た。そんな目で見られたら、期待に応えたくなるのは当然の話で。今日は探索担当の日だが、目先の欲を理性的に対処など出来ない。いや、するつもりがない。ミスティの耳を撫でながら、噛みつくようにキスをしようとした時。
「四葩手毬。もうすぐ時間です。準備が出来たら行きましょう。カフカは下で待っています」
二回のノックの後、ドア越しにバディが声をかけてくる。邪魔された、なんて思いながら、「すぐ行くー」とだらしのない返答をした。ミスティは半身を起こして、明らかに萎えた素振りを見せる真樹の両手を手に取った。
「また今度……ですね。あぁ、わたしも一緒に行けたら良いのに。気をつけてくださいね」
「一緒に来れば良いじゃん」
「えぇ、頼みましたよ勿論。駄目の一点張りでした」
「へぇ。キャシーさん厳しいね~」
真樹はベッドから出て、上着を手にとって着る。ミスティは残念そうな表情をしていたが、何か思い付いたようで、すぐに微笑んだ。ベッドから下りて、上着を着終えた真樹の元へ歩み寄った。
「今度、デートしませんか?わたし、とてもいい子にして、二人でお出掛け出来るようキャシーさんから要望を通せるようにしておくので」
「デート?」
そこまで興味ないな、と思いつつも、ミスティが楽しそうに笑っているから、真樹の心臓も自然に揺れる。
「いいよ」
「ふふ♡約束ですよ?それじゃあ、いってらっしゃい」
ミスティに手を振られながら、自室を出る。広く空虚な刑務所を見渡しながら、手毬は、ぐ、と身体を伸ばしながら、歩みだした。
□□□
午後0時38分。しん、とした街中、退屈そうに手毬は歩く。その横で、依然とした様子で辺りを警戒していくカフカ。バディは何も話さないし、アンデッドも出てこない。目的のスーパーマーケットにたどり着くまで、あまりにも退屈が過ぎる。
「ねぇカフカ。暇じゃない?しりとりでもしようよ。あ、しりとり知らないか」
「それは探索に必要なことなのですか」
「ちょっとした言葉遊びって奴だよ。退屈しのぎにぴったりじゃない?」
「アンデッドは音に反応します。余分な会話は避けるべきです」
「……相変わらずしけてんね、お前」
端から退屈しのぎのためのお遊びなんて期待していなかった。何となく、こいつとはこういったコミュニケーションを取るのが、一番やりやすいと思って、どうでも良いことでつつきながら観察している。
ふと、前方から人影が見えた。カフカもそれに気付いたようで、前方を警戒しながら、傘のハンドルを握る手を強くした。
「カフカが見てきます。四葩手毬は後ろに」
「りょーかい」
後ろに、とは言われたが、ようやく見つけた面白そうな物を、カフカにあっさり対処されてはつまらない。カフカのすぐそばからついていき、じー、と音がしたところを見つめる。何かが確かにいる。けれど、瓦礫に隠れて見えない。砂が擦れ、小石が転がる音。荒い呼吸音。彼方も、明らかに此方の存在に気付いている。
「そこにいるお前、誰?」
手毬の声に、カフカは少し目を見開いて、横に並んでいた手毬を横目に見た。手毬の問いに、何も返答は帰ってこない。しびれを切らした手毬は、ずかずかと瓦礫に近寄った。瓦礫に手をついて、その影に隠れたソイツを覗き込んだ。
「おい。お前だよ。聞いてるよね?」
「ひっ、」
手毬と目があった彼は、涙も涎も流して、怯えている。30代くらいの男性だろうか。人間だ。けれど、とても正気な様子とは思えない。手毬はしゃがんでにっこりと笑った。
「安心しなって。同じ人間だよ」
「はっ、ぁ、」
依然として男は怯えている。カフカも手毬の元へ歩み寄り、生存者を見つめた。血相の無いアンデッドの顔を見て、男は尻を地面につけたまま、情けない声をあげながら後退りした。
「う"ぁ"ァ"!?!?」
「生存者ですか」
「みたい。カフカにビビってるよ?ちょっと下がってて」
「承知しました。四葩手毬に任せます」
カフカは、男の目に付かないところまで下がった。先ほど男が出した大声にアンデッドが寄ってきていないか、辺りを警戒しているようだ。
「おじさん。俺達、今生存者を探しててさ。つまり、助けに来たってわけ。わかる?」
「たっ、だ、っ、た、すけ、?」
「そ。ちょっとは落ち着いてきた?おじさん名前は?」
「ぁ、あ、……イ、イーサン、ミラー、……」
グレイソンやニケにあたる人物では無さそうだ。ただの生存者として把握しつつ、手毬は男に手を差し出した。
「イーサンね。OK、立てる?」
「む、娘が、娘とッ、はぐれてしまったんだ、ッ!!」
男は手毬の手を取らずに、肩を両手で強く掴んで、そう訴えた。肩を揺らされ、少し手毬のサングラスがずれた。けど、直すことなく、手毬は、ふ、と笑っていた。___ワンチャン、狙えるかもしれない。
「……へぇ。娘さん、ね。どんな子?名前は?探してあげるよ」
「なっ、名前は、グレースだ。グレース・ミラー。まだ7歳の、女の子だ。髪はブロンドで、目は俺と同じ、グリーンだ。三日前にはぐれたっきり、もう、ずっと、心配で、俺の、弾も切れて、っ、ど、どうしよう、って、ずっと、」
「わかったわかった。グレース、ね」
気が急いた様子の男の話を、じっとりと見つめ、微笑みながら手毬は聞いている。一度、男の肩に手を置いて、「ちょっと待ってて」と言い、カフカの元へ向かった。
「どうでしたか」
「娘がいるんだと。グレース・ミラー。7歳の女の子で、髪はブロンド、瞳はグリーン。まだこの辺りにいるかもしれないから、カフカが探してきてくれない?俺はもう少しおじさんの介護してから、後で合流するから」
「まだ、アナーキー刑務所からあまり離れていません。一度あの生存者を連れて帰ってから探した方が、安全ではないでしょうか」
「腰抜かしちゃってんだよ。じゃ、よろしくね~」
カフカの判断も聞かず、手毬は適当に手を振ってまた男の元へ歩いて行ってしまった。生存者が精神的理由により歩けないのであれば、一先ず手毬の判断に従うことにしたカフカは、辺り周辺の住宅街に向かって歩き出した。
「イーサン、ただいま」
また瓦礫から顔を覗かせて、手毬はにっこりと笑った。男は、娘はどうなった、顔を曇らせて手毬に問い質す。
「俺の連れが探してくれるってさ!」
「ほっ、ほんとか!?はぁ、よ、良かった、ありがとう、君たちと会えて、ほんとによかった、」
ようやく安堵した様子の男を見て、手毬も笑顔で応えた。
「あはっ、俺も、アンタと会えて良かったよ」
本当に、良かった。
そう思った矢先、遠くから、何かを引き摺るような音が聞こえた。鈍く、とろい足音。
これは、アンデッドの足音だ。手毬はすぐに気付いたが、男は安堵して油断しているのか、気付いていないようだ。手毬は口角を薄くあげた。心臓がだんだんと脈を打ってくる。
「イーサンがもう少し落ち着けるように、なんか話でもする?どうせ、腰抜けちゃっててまだ歩けないでしょ?」
「は、はは、助かるよ……」
男の背後から、ずるずると足を引き摺り、アンデッドが少しずつ距離を詰めてくる。手毬は空を見るかのようにアンデッドを見つつ、男の顔を見た。
「娘さん、どんな子なの?」
「……娘は……はは、賢い子でね。まだ世界がこんなことになる前、2歳の時にはもう、良く話せるようになっていたよ」
ずる、
「へぇ。いい子なんだね」
「……歌うことが好きでね……こんな状況でも、僕がまだ正気を保てたのは、グレースの歌があったからなんだ……情けない話だけどね」
ずる、ずる、
「いいね。歌は、元気でるからね。ちなみに、どんな歌?俺も聞きたいな」
ずる、ずる、ずる、
「娘が産まれた時に、妻が作った歌なんだ。恥ずかしいけど、ちょっと歌ってみるよ」
ずる。
男が息を吸い込む。
「you are my ang、」
手毬は男の肩を掴み、
押し倒した。
□□□
「……!」
何処か遠くで、ぼやけた叫び声が聞こえた。空き家を見て回っていたカフカは、手毬達に何かあったかもしれないと考え、空き家を出ようとした。しかし、玄関前に人影があった。幼い少女が、ボーッと横を向いて立っていた。ブロンドの髪の、幼い少女が。カフカは警戒しつつ、探し人の特徴に当てはまるため、遠くから声をかけた。
「貴方は、グレース・ミラーですか」
少女は何も答えない。カフカは距離を詰めることなく、その場から言葉を続けた。
「貴方の父親だと考えられる方が、貴方を探しています」
カフカの声に反応して、少女はゆっくりと、カフカを見た。横を向いていたため、わからなかったため、正面を向いたときにようやっと気付いた。もう半身の顔面が、アンデッドに食い千切られている。カフカと目が合い、少女らしきアンデッドは、威嚇するような奇声をあげて、カフカに向かって走っていった。少女ではなくアンデッドだと判断したカフカは、傘のハンドルを強く握り、猪突猛進してくるアンデッドの頭部を、上から殴打した。地面に叩きつけられたアンデッドは、まだ僅かに息があるようで、身体をピクピクと震わせている。カフカは近くにあった椅子を持ち上げ、今度こそ終わらせるために頭部に強く叩きつけた。アンデッドはその場で動かなくなる。しゃがみこんで、アンデッドの物品を漁ると、ポシェットの中から可愛らしい猫のぬいぐるみが出てきた。背中にボタンがあり、押してみると、どうやら録音機能があるようで、既に録音されていたものが、粗雑な温室で流れる。大人びた女性の歌声だ。
『You are my angel. Bless you on this day you were born.』
『We promise to protect your happiness.』
『La la la la la la i am the happiest』
『La la la la la la i am the happiest……』
「……。」
録音を途中で止める。カフカはぬいぐるみを鞄の中に入れ、手毬達の元へ向かった。
□□□
カフカが家を出てすぐだった。カフカの姿を見つけた手毬は、手を振りながら遠くから走ってきた。
「見つけた見つけた!」
「四葩手毬。生存者は?」
「逃げちゃった。アンデッドが現れるや否や、叫びながら、さ。俺がアンデッドを殺し終えた頃には、もう何処にいるかわかんなくなっちゃった。お前、見てない?」
「いえ。カフカは見ていません」
「そっか。娘さんは?」
「グレース・ミラーだと考えられる者はいましたが、既にアンデッドとなっていたため、頭部を破壊しました。それと、そのアンデッドが所持していた物を回収してきました」
鞄を開き、カフカは手毬に猫のぬいぐるみを見せた。録音機能の説明をし、先ほど聴いた録音を手毬にも聴かせた。
「これはグレース・ミラーの物でしょうか。四葩手毬は、男から何か聞いていませんか」
「…知らないな」
手毬の反応を見て、カフカは鞄の中にまたぬいぐるみを閉まった。手毬は笑って歩み始めた。
「おじさんもどっか行っちゃったし、娘さんも見つかんなかったし、残念だけど、仕方ないからさ。とりあえず、探しながらスーパーマーケット行ってさ。それでも見つかんなかったら、また後日探せばいんじゃない?」
手毬はそういって軽く笑う。それ以上の対応が思い付かなかったため、カフカも合意した。
「承知しました」
「てか、そのぬいぐるみ持ってかえんの?不気味じゃない?」
「グレース・ミラーの所持品であれば、血縁者である男に渡すべき物です」
「じゃあ持って帰っても仕方ないね。置いときなよ」
「男が見つからなかったらそうします」
「あは、律儀だね」
会話をし終えたところで、二人は今日の目的の場所に向かい始めた。手毬は鼻歌を歌っている。それは、ぬいぐるみに録音されていた歌だった。
□□□
「以上が報告になります」
「ありがとう。生存者がいたのね。連れて帰れなかったことは残念だけれど、貴方達が無事に帰ってきてくれたことが何よりだわ。生存者のこと、一応他の被験者にも伝えておいてくれるかしら。勿論、私からも伝えておくけれど」
「承知しました」
「他に何か報告していないものはあるかしら?」
「…いえ。報告は以上になります」
「あら、何か思い当たるものでもありそうね。話してみてくれる?」
「探索報告としては不要のものです」
「不要かどうか判断するのは私よ」
キャシーがそういうと、カフカは二秒ほど沈黙をし、口を開いた。
「生存者を逃がしてしまったと四葩手毬が報告してきたとき、普段に比べて快活な様子でした。しかし確証はありません。よってカフカのこの発言を鵜呑みにすることは推奨しません」
「手毬がね……。ありがとう。とても大事な報告だったわ。これからも、確証が無かったとしても、思ったことは全て報告してくれると助かるわ。他には何もない?」
「はい。以上になります」
「ありがとう。それじゃあ終わりましょうか。もう戻ってもらって構わないわ」
キャシーがそういえば、カフカはそっと問診室を後にした。
■■■
「……………」
長身の男が、荒廃した街を歩いている。血肉の匂いに釣られて、瓦礫を彷徨いている。辿っていけば、既に事を終えた後の男の遺体が、地面に残っていた。
「……また死人か……」
しゃがみこんで、じっと観察する。
「……いや、まだ新しいな。使えそうだ」
長身の男は遺体を持ち上げ、肩に背負う。彼方此方から血肉が垂れ、男の白いシャツを真っ赤に染める。そんなことも構わず、男はゆっくり歩いて、向かう。一歩、一歩と、何処かへ。
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