No.3【□う】


午後0時07分。0時ぴったりに始まった定例の問診も、もう終わろうとしている。被験者からの報告を、キャシーは黙ったまま、問診票に書き記している。その様子を、被験者である彼は、眉間にシワを寄せながら見つめている。不機嫌なわけではなく、これは彼の癖の一つである。


「…体調にも異常無し。輸血にもだいぶ慣れてきたみたいで安心したわ、アダム・キャスパー」


「……まぁ、お陰様で」


アダムは、輸血行為、というより"血"そのものに強い恐怖を感じる、血液恐怖症の持ち主だ。とは言え、自身やバディにとって生きるために必要な行為であると理解しているため、アダムは輸血行為を受け入れてはいる。


「けれど、無理はしないように。何かあれば何でも報告してちょうだい。輸血行為の妨げにならなければ、対処するから」


「……ありがとうございます。けど別に、そんな何か、お願いしたいとかは、無いです」


「それじゃあ、問診はもう終わったから、他に何かなければ退出して貰って構わないわ」


アダムの返答を聞かず、キャシーはアダムに背を向けて、今日の問診票をアダムのファイルにまとめ始めた。これはアダムへの対応として当たり前であった。例えば、リズやデイヴィッドのように、キャシーとの無駄な会話を欲している傾向に見られる者へは、時間が許す限りの雑談をするようにしている。ヒューやノーバディなど、キャシーに何か要求するような話を持ちかけることが多い者に対しては、返答は待つようにしている。(ヒューに対しては、面倒だと話を終わらすことが多いが)今回のアダムへの対応は、ローザやヨアンなどと同様の対応のパターンである。キャシーと話しておきたいことが基本的に何もない人達。今までの問診でのやり取りから、キャシーはそう判断していた。今日もそう判断し、キャシーは既に自分のやることを始めていた。けれど、アダムは、「あー……。」と声を漏らしながら、何か思い当たる節があるのか、座ったまま思考していた。疑問を抱いたキャシーは、手を止めて振り返り、アダムの顔をみた。


「どうしたの?やっぱり、輸血について何かあるかしら?」


「いや、そうじゃないんですけど。……えっと、本当に私情なんですけど、少し、話を聞いて貰ってもいいですか。……気になることがあって」


「あら、珍しいわね。そうね、10分くらいならいいわ。問診も早く終わったことだし」


キャシーはまとめ途中の資料の上にファイルを置いて、再度着席してアダムを見た。アダムは相変わらず眉間にシワを寄せ、けれど少し困ったような目で、キャシーの足元を見つめて、口を開いた。


□□□


午後0時26分。崩壊している建物が多い住宅街。今日は比較的天気も良い。少しの間手分けして探索していた二人が合流する。


「マディ。何か使えそうなものは見つかったかな」


ある程度声が届く距離になって、ヨアンはマディにそう声をかけた。一見、マディの手元には何も無さそうだが、ヨアンの問いかけに答えるため、マディはジャケットのポケットに手を入れ、ガムを一つ取り出した。


「無傷のガム一個。ノッポ女の腹の足しにもならないね。だんご頭の方は、何それ」


マディは視線を、ヨアンの支給された袋の中に入ったそれに向け問いかけた。ヨアンは、袋の中から物を取り出す。中の物がぶつかりあって、カラカラと音がなる。


「瓦礫付近に缶詰めがいくつかあったから、それをね。誰かが何処かから持ち出した物が落ちていたみたい」


「誰か、って?」


「その先の話は、きっと面白くないものだよ」


ヨアンの返答に、少し瞳を伏せたあと、マディはもう一度ヨアンを見つめた。


「そう。一応聞くけど、マリアは…」


「それらしい人は見かけなかったよ。生存者さえも、誰とも出会わなかった」


「そう」


ヨアンの返答を聞いて、マディは先を歩きだした。それにヨアンもついていく。先を行くマディの足取りは、刑務所にいる時よりも早く、焦りが見え、幾分か早足だ。この探索という限られた時間でしか、彼女は妹を探すことが出来ない。ガム一個、でさえ、おそらく妹を盲目的に探している最中に、偶然手元に届いたところにあった物なのだろう。マディの背中を見つめるヨアンはそう考えていた。


「あっちはどうかな……。合流時間は、まだだっけ」


「40分に合流だから、そろそろ引き返してもいいかもしれないね。来た道とは別のルートから回っていこうか」


「……わかった」


マディはヨアンの提案に了承し、二人は来た道から別のルートで引き返し始めた。二人と同様、別の地区をノーバディとエイプリルが探索をしていた。けれど、マディの提案から、二手に分かれて行動をとっていたのだ。マディが、二人を気にかけているのも、妹の情報が気になっているからだろう。


「ところで、アンタのバディの、ゲロ男。アイツと探索に行くことってあるの?」


「そもそもデイヴィッドくんは、探索に行ける状態とは言えないよね。キャシーさんからも、止められているようだしね」


「ふーん。まぁ、そうだよね」


基本、探索はバディ同士で行くことが主であるし、安全を考慮して、アンデッドがついていくことが多い。けれど、デイヴィッドやあんじぇらなど、探索に連れていくには問題があるアンデッドがいるため、今のように、バディでない組み合わせや人間のみで探索に向かわされることは珍しくはなかった。そんなことを会話の中で何となく知りつつ、マディはずっと回りを見回しつづけていた。


□□□


午後0時21分。問診室。項垂れた様子のアダムは、小さく息を吐いた。


「すみません。こんなこと、キャシーさんに聞くのもおかしな話なんですけど、聞ける相手がいなくて」


「別に私は構わないけれど、ミスティやノーバディに相談するのは、貴方にとっては違うのかしら」


「…そうですね。なんというか、……まぁ」


「まぁいいわ。質問の答えだけれど、シーラからは何も聞いていないわ」


「…そうですか。ありがとうございます」


「これは私の独り言だけれど、人の考えていることを100%知ることなんて不可能よ。当たり前のことだし、皆頭では理解している。けど、実際それを念頭に置いて常に接する事は、難しいものなのよね」


「……」


「だったら、まず自分のことを知った方が早いわ。貴方は、人のことを考えられる子だからこそ、ね。貴方がどうしたいか。私は、それが大事だと思うわ」


「……俺が…?……いや、それは……」


「さて、時間も時間だから、これくらいにしておきましょうか。一応言っておくけど、トラブルは禁物よ」


「……はい。ありがとうございました」


アダムはキャシーに軽く会釈をして問診室を出た。相談したとはいえ、アダムの中に明確な答えは出なかった。けれど、誰かに相談出来たことで、幾分か思考の整理できた気がする。そう感じていた。


「あっ、…アダムさん」


「え、シーラ」


思わず、え、と口にだしてしまった。偶然通りかかったシーラはアダムを見て、少し視線を右往左往とさせて、にこっと笑った。アダムには、その笑みは無理して笑っているように見えた。


「問診終わりですか?」


「あ、あぁ。シーラは何してたんだ」


「今日はマディさんが探索に向かわれているので、帰ってきた時に疲れがとれるようにお茶菓子を作ろうかと思って!」


「あぁ、そっか」


探索、と言えば、今日は幼馴染であるエイプリルと刑務所の中でも良く話す友人であるノーバディも探索へ向かっている。その事をふとアダムは思い出す。


「……あいつら、大丈夫かな……」


そう独り言を溢すアダムをみて、シーラは何かを察してしまったのか、笑みが少し歪んだ。アダムはシーラの表情を見て、少し焦る。何か声をかけようとしたが、シーラは慌ただしい雰囲気で先に言葉を発した。


「それじゃあ、シーラちゃんは行きますね!……お茶菓子!作らなきゃなので!」


「え?あ、あぁ。じゃあ、またな」


そういって、そそくさとシーラは行ってしまった。最近のシーラはずっとこんな感じだった。何故か距離を取ったり、逆に何かを試してくるような発言をしたり。少し前までは、然も"弟"のように、近しく無邪気な距離で接していたのに。そもそもコミュニケーション自体に慣れていないアダムは、シーラが何を考えているのか、また何を抱えているのかを掴みきれずにいた。


先程キャシーが言っていたことを思い返す。"貴方がどうしたいか"。そんなこと、そもそもアダムには無理な話だった。自分のしたいことを強いてあげるのであれば、大切な人が幸せに生きることであった。そしてそれは、シーラも例外では無い。彼女にも勿論、幸せになってほしいと思う。そこに、自分がどうしたいか、なんて、見当違いな話なのだ。それに、自分のしたい……なんて…………。


「………はぁ。俺も、なんか用意して待つか」


□□□


「はぁ、はぁ、」


息を整えて、心を整えて、


「…………」


いつの日か、彼を、"重ねてしまった"自分がいた。


「……まさか、」


いつの日か、彼を、"欲張っている"自分がいた。


「……こんな調子じゃ、誰のお役にも立てない……」


「……シーラちゃん、しっかりしなきゃ!きっとマディさんはお疲れで帰ってくる!とびっきり、美味しいものを作らなくっちゃ!」


垣間見える気持ちは、見ないように、"覆"って。


□□□


午後1時37分。刑務所へ、探索をしていた四人が帰還してくる。四人が無事帰還してきて、シーラは嬉しそうにまず、マディに飛び付き抱きついた。


「マディさん、お帰りなさい!」


マディも心なしか安心した素振りで、シーラの背中に片手をまわして、「ただいま」と言葉を返した。


「皆さんも、お疲れ様です!マディさんに焼いたお茶菓子があるのですが、焼きすぎちゃったので、後でお三方にもお届けしますね!」


そう言う無邪気なシーラに、ヨアンは優しく微笑み返した。


「ありがとう。でも、僕はキャシーさんに報告をしてくるから、僕の分は他の誰かに分けてあげてほしいな」


「あら、そうですか?わかりました!では、お二人に後程お渡ししますね!」


「さんきゅ。…マディ、わりぃな。……何も情報も得られなくて」


ノーバディはシーラに礼を言った後に、マディの方を見て、申し訳無さそうにそう言った。


「ううん。協力してくれてありがと」


そうやり取りをする会話を、シーラは変に意識して聞いてしまう。


「……じゃあ、お疲れ。……エイプリル」


「あっ、は、は、ぃ、」


「それじゃあ僕も失礼するね」


三人が、各々の場所に向かっていく。マディはほんの数秒三人を見つめたあと、すぐシーラを見て首を傾げた。シーラの肩が、何となく強張っている気がしたから。


「どうしたの?」


「あっ。えっと、妹さん……」


「あぁ。今日も、手掛かりは無かったけど……。くよくよしてても仕方ないからね。また次に必ず」


「そうですか…、」


「うん。焼いてくれたんだっけ。お菓子」


「はい!シーラちゃんの特製クッキーです!材料に限りがあるので、プレーンしかありませんが、美味しいですよ~!」


「ありがと。楽しみ」


今日も、マディの妹は見つからなかった。


じゃあ、明日は?明後日は?その次の日、さらにその次の日、さらに、さらに…………。マディは、いつまでシーラと隣に居てくれるだろう。いつまで、シーラを一番に見てくれるのだろう。妹が見つかってしまったら、おしまい?キャシーの研究が終わってしまったら、おしまい?


……嫌だなぁ。ずっと、こんな日々が続いて欲しいな。妹さんも見つからず、キャシーさんの研究も終わらず、こんな、こんな楽しい日々が。


「シーラ?」


「……、はい、?」


「体調悪い?顔色、良くないよ」


「えっ、そんなことないですよ!シーラちゃんは元気です!この通り!」


シーラは5歩前に出て、マディの前で、くるりとしなやかに回り、にこっと笑った。マディはそれを見て、「そっか」と受け入れて、シーラの方に歩み寄って、手を引いた。


「行こ」


「はい!」


マディに握られた手の暖かみを、シーラじっくりと感じながら、強く握り返した。ずっと感じてたい、ずっと触れていたい。離さないで、ずっと、私の手を引いて欲しい。


こんな欲張りで、浅ましい人で、ごめんなさい。


こんなに幸せで、ごめんなさい。

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