No.1 【生きるための約束】

正午。研究室。キャシーは椅子に座りながら用箋挟に挟まれた書類に、ボールペンで記入していく。ノーバディの姿が見えたことを確認すると、ボールペンを胸ポケットにさし、組んだ足の上に用箋挟を起き、少しだけ首を傾げた。


「こんにちは。ノーバディ。そこに座って」


そう言って、キャシーは目の前に置かれた背もたれの無い丸椅子へ目配せする。ノーバディは黙ったまま、キャシーの指示の従ってに座った。ノーバディのアンデッドのような白い瞳を見つめて、キャシーは口を開いた。


「さて、今から行うのは問診・検診よ。定期的に被験者の状態をチェックする行為……程度に捉えて頂戴。それじゃあ、始めていきたいけれど、まだここへ来てから日も浅いものね。まずは軽くお話でもしましょうか。どう?ここでの生活。少しは慣れたかしら」


「……。……あぁ。…………まぁ」


浮かないような顔をしたまま、そう答える。大人しい被験者は助かるけれど難しい。問題を頻発させることはないが、メンタルケアが行き届かないことがあるから。白衣の胸ポケットに引っかけたボールペンを取り、用箋挟を少し自身の方へ傾ける。


「ならよかったわ。それなら本題へ入りましょうか。ここへ来て数日経って、毎晩輸血をしているけれど、何か体調に異変とかはあるかしら?それと、貴方の適性アンデッドについて、思ってることがあれば、何でも良いからそれも言ってちょうだい」


ここで研究を再開してから、3日ほど経った現時点で、ある程度被験者の特徴は把握しつつあった。

……この子は話し始めるのに数秒の沈黙を要する。理解するのに時間を要するのか、言葉を選ぶのに要するのか。どちらだって大した差じゃないけれど、だいぶ、"幼い"。


「…………。…………、体調は、別に特に。…………輸血だけで、生きていける感覚って、変な感じがする。それだけ。…………エイプリルは、…………ずっと謝ってるし、ずっと怯えてる。…………」


「…………。終わり?」


「あ、……。…………終わり」


「(コミュニケーションレベルは14歳……と言ったところかしら)」


研究に直接関係はなくとも、気付いたこと思ったことは全て書き記していくのが研究者。と言っても、この研究にあまり個体差は関係ないのだけれど。そう思いながらもキャシーは用箋挟に挟んだ、ノーバディに関する研究記録の空白のスペースに『コミュニケーションレベル14。会話のレベルを合わせる必要がある。』と書き記した。


「二つの質問に答えてくれてありがとう。次だけれど、これ、利き手で持ってくれる?」


そう言いながら、キャシーは机に置いてあった握力測定器を持ち、ノーバディに渡す。


「見ればわかるだろうけど、握力を測定する機械。定期的に身体力テストを行うつもりだけれど、一日一回、この検診の時にこれだけはやって貰うわ。覚えてたらで良いけど、貴方の握力ってどのくらいだった?……あぁ、測定しながら答えて貰って構わないわ。終わったらそのまま私に渡して頂戴」


「…………大学一年の身体テストでは、確か、58とか。……だった気がする」


「18か19の時よね?元から強い方なのね」


「……ギター、やってたから、かな……。ふっ、…………。……」


測定後にノーバディは黙ったまま測定器をキャシーに渡した。


「どうも。……65kg、……順調ね……。このまま輸血を続けていけば段々と強くなっていくはずよ。上手くいっていればね」


「……強くなるのか、輸血すると」


「これがウイルスの力」


静かな研究室に、キャシーの筆跡の音だけが小さく響く。書き記したあと、用箋挟の上にペンを置いてノーバディの白濁した瞳を見つめる。


「ありがとう。最後に、これから生活していくにあたって何か希望があれば、可能な範囲で聞くわ。こんな服がいい、輸血以外の食事が欲しい、……些細なことでもなんでも。きっと、長い付き合いになるでしょうから」


キャシーは小さく首を傾げて、口元だけ、ふ、と微笑みそう言う。ノーバディは、鋭い瞳を向けた視線の先を、キャシーの鼻先からゆっくり、自分の膝へ移動させた。


「…………じゃあ」

「研究が全て終わったら、殺してくれないか」


「…………え」


□□□


「…………なるほどね。じゃあ最後に。貴方が考えてる、"生きなきゃいけない理由"。これは何かしら」


俯いた顔をあげ、死んでいるようで、生きてしまっている白濁した瞳が、キャシーを見つめる。震えた唇を呼吸で抑える。視点の定まらない虚ろな目を向け、ノーバディはか細い声で答えた。


「…………キャシーの、研究に、協力すること。…………その、ために…………。……俺の、バディの……エイプリルの、理性を、保たせて、……生かすこと」


ノーバディのその答えに、キャシーは優しく微笑んだ。


「そう。……わかったわ。全てが終われば、苦しむことなく死ねる薬を投与する。約束ね」


そう、キャシーが了承をすれば、ノーバディはアナーキー刑務所に来て初めて、いや、生まれてきてから、初めて、一番の安堵の笑みを浮かべた。


「………………。……ありがとう……。……これで、もう少し、……頑張って生きられる」


「お疲れ様。疲れたでしょう。自室で休みなさい」


「……あぁ」


ノーバディの姿が見えなくなるまで視線で見送り、後、キャシーは背もたれに深く凭れかかる。


「…………同情するわ。本当はまだ子供なのに、大人扱いされてきたでしょうね、沢山。…………あの人も、そうだった」


天井に向かって、キャシーは左手を伸ばす。錆びた、まだ不器用な薫りが残っている、薬指にはめたシルバーの指輪を見つめる。


「自分のしたいことに無我夢中で、一度やり出すと止まらない。……幼い子供だった」


「………………。こういうこと考えてる時間が、一番無駄ね。問診の続きをしなきゃ」


□□□


「………………最悪」

 

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