ずるいという言葉

小狸

短編

「ずるい」

 

 そんなことを言う、恋人であった。


 多様性の尊重される令和のこの時代である。男らしいとか、女らしいとか、そういう前提は、取り敢えず排除してもらいたい。


 そしてもう一つ、前提条件として、既にこの恋人と私は、別れている。


 私は、学生時代、何の取り柄もない、ただ頑張ることしかできない、不器用な人間であった。


 いや、「であった」などと過去形で言うのはやめよう。そうやって現実との繋がりを断とうとするのはやめよう。今でも私は、頑張ることしか能のない、どうしようもなく不器用で、どうしようもなく生きるのに向いていない、そんな人間である。


 正直小学校時代は、大学に進学できずに、途中で野垂れ死ぬものだと思っていた。ただ世の中は、そう簡単に死ぬことができる、死ぬことが許される仕組みにはなっていない。ずるずると引きずるように生き続け、私は入りたくもない高校に入り、したくもない進学をし、大学に入学した。せめて興味があることをと思い、国文学科に入ったけれど、両親からの反対はそれはもうひどいものであった。


 そんなもの学んで何の役に立つの、なんて。


 良く言われたものだったっけ。


 まあ、学生時代から私は、実家を離れて一人暮らしをしている。過干渉、過保護を超えた過保護の父と母から実質的に距離をとることができたことは、私にとって良いことであったように思う。それによって見えてきた景色もあったわけだし。


 元交際相手は、国文学科で一、二を争うほどに頭脳明晰な男性であった。両親からも愛されて育ち、家族仲も良い。それでいて容姿が整っていて、人からも好かれる。どうしてこんな人が私のことを好いてくれているのだろうと思ったこともあった。奇跡なのである。そう思って、社会人になって、別れてからも、ずっとこの気持ちは抑圧してきていた。


 ただ時折ふと、思い出してしまうのである。


 元恋人からの言葉を。


「いいなあ」


「ずるい」


 それは、大学在学中の出来事であった。私が小説の新人賞で、二次選考まで残った時の話である。正直、奇跡だった。投稿自体は、高校時代から行っていたけれど、一次に残りさえもしなかった。前述の通り、私は不器用で、器量もあまり良くない。だからこそ、尋常な努力では何も成し遂げられないと思っていた。常人の二倍、いや、三倍以上だ。それくらい頑張らなければ、結果を残すことができない。そんな現実が嫌になって、私は勉強を途中で諦め、少しランクの下の大学に進学することになったのだが、それでもなぜか、小説を読むこと、そして小説を書くことだけは、継続していた。


 小説家になれる、なりたい、なんて、思ったことはない。そこまで傲慢にはなれない。自分には才能がない。小説家になることのできる人は、才能と才覚と、恵まれた環境を持つ人だと思っていた。それでも、執筆は、そんな身を削り続けた私が、私で居られる唯一の場所だった。


 だから、嬉しかった。


 何となく書店に行って、いつもの文芸雑誌に目を通した時、一次に名前が残っていた時は嬉しかった。ぬか喜びしてはいけないと思って周りには黙っていたけれど、二次に残り、三次は落ちたが、それでも嬉しかったのだ。ほんの紙面の数行程度だったけれど、編集部の方からの批評もいただくことができた。


 そっか、私でも、何かに名前を残すことができるんだ。


 それが嬉しくて、喜びを分かち合いたいと思ったのだ。


 しかし元交際相手の反応は、違った。


「ずるい」


 これを言ってしまうと堂々巡りになるけれど、もう何というか、この言葉自体が「ずるい」ように思う。これは、私が想定していた反応ではなかった。まあ、当時の交際相手に理想の反応をしろと強要したかった訳ではない。ただ、一緒に喜んでほしかった。頑張ったねと言ってほしかった。それだけだったのに、たった一言のその言葉で、私の努力も、精進も、積み重ねも、何もかも、何もなくなってしまったのだ。


 しかも、「ずるい」と言ってきた彼は、私が持っていないものを何でも持っていたのである。容姿も、頭脳も、家族も、自信も、笑顔も、何度うらやましいと思い、その気持ちを押し殺したか、分からない。何度仕方ない、それが現実なのだ、と思って無理矢理納得させたか、覚えていない。

 

 なのに。


 にもかかわらず。


 当たり前のようにそれを口にする彼に、私はほんの少しだけ、幻滅してしまった。


 それから一年ほど経って、私と彼は別れることになった。それ以降、何となく彼とは絶対的な距離が生まれてしまった。良くあれから一年持ったように思う。


 そんな、大学在学中の、小さなささくれのような感情を今吐露しようと思い立った理由は、特にない。


 ここで「実は私は小説家になれました! なのであの時のモヤモヤを吐き出そうと思います!」とすれば格好がつくのだろうが、残念、世の中はそこまで甘くない。


 何とか就活を頑張って、小説とは全く関係のない企業に就職し、今はそこで働いている。


 思い出したのは、だから、何となくである。


 分析力のある方ならば、「かつての不満を言語かできるようになったから、それを小説として世に発表しているのではないか」と思うのかもしれないが、まあ、好きに推理していただいて構わない。


 あの時受けたあの言葉は。


 多分、一生忘れることはないだろうから。


 それでも。


 休日や仕事休みの日を使って。


 私は時々、小説を書いている。


 そうすることが、たとえ何かに繋がらなくとも、賞を取ることができなくとも。


 私は積み重ねる。


 私は、ずるくない。




(「ずるいという言葉」――了)

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