第55話 妹は闇の中に溶け込んだ

「これ、そこな侍女」


「はっ」


「名乗りを許す。名を申せ」


「パトリシアと申します。……姓はございません」



パトリシアはニヤニヤと、礼容に外れた勝ち誇るような笑みをやめない。



「わたしはカルドーゾ公爵、マダレナ・オルキデアである」


「存じ上げております」


「直言を許す。存念を申せ」


「存念……、でございますか?」


「そう……、思うことを好きに述べよ。このマダレナが聞いてやろうと言うのだ」


「……ありがたき幸せに存じます」



着ているものこそ侍女のメイド服だけど、ひっつめにしたイエローオレンジの髪にはツヤがあり、くりくりと大きな紫色の瞳には愛嬌がある。


パトリシアは相変わらず可愛らしい。


浮かべるその笑みの、醜さを除けば。



「……恐れながら申し上げます」


「ええ」


「私にはかつて姉がおりました。賢く美しい姉です。姉は偉くなる人で、偉くなりました」


「……そう」


「賢い姉が偉くなるのは、私にとっても至極当然のことにございます」


「……」


「公爵でも皇后でも皇帝でも、なんにでもなれば良いのです。姉はそれに相応しい人です」


「……」



しばらくの沈黙が流れた。


わたしは礼容にかなう微笑みを絶やさず、パトリシアの言葉を待った。


やがて――、



「だけど……、私。姉様だけが本当に好きな人と結ばれるのは、どうしても我慢できないのよ」


「そう……」


「……ズルいのよ、姉様は」


「なにがズルいの? パトリシア」


「私が先に生まれてたら……、私にカルドーゾ侯爵家の継承権があれば、ジョアンと結ばれるのは私だったのに」


「……そうね」


「先に生まれたってだけで全部持っていく姉様は……、ズルいわ」


「ごめんね。それだけは、わたしでは譲ってあげられなかったわ」


「譲ってなんかいらない。……奪うもの」


「じゃあ、わたしは取り返さないとね」


「あーあ。……最初からこうしておけば良かった」


「なあに、パトリシア?」


「カルドーゾ侯爵家の継承権を私にちょうだいって、姉様にお願いしたら、お人好しの姉様はお父様も説得して、案外カンタンにくれてたかも」


「ふふっ。ほんとうね。……でも、もう引き返せないわ」


「ええ。……姉様にだけ幸せな結婚なんか、絶対させない」


「……第1皇子侍女パトリシア」


「ははっ」


「よき暇つぶしであった。礼を言う」


「もったいないお言葉にございます」


「職務中に引き留めてしまい、申し訳なかった。行け」


「ははっ」



パトリシアの背中は、暗い廊下のむこうに、溶け込む様に消えていった。



「ありがとう、ベア」


「……ん?」


「パトリシアの非礼を咎めず、最後まで話しをさせてくれて」


「ああ……、うん。なかなか見応えあったわよ?」


「そう?」


「帝国一のお騒がせ姉妹の、歴史には残らない密かな直接対決。手に汗握って、止めるどころじゃなかったわ」


「もう、やめてよ」


「……マダレナが〈翡翠〉と会ってたの、パトリシアは気付いてたのかな?」


「ううん。たぶん、違うわね」


「そう?」


「気付いてたら、会わせないようにするか、直接邪魔しに来てたと思うわ。フェリペ殿下を動かしてでも」


「あ、そか」


「けど、わたしが深夜まで皇宮書庫にいることは知ってておかしくない」


「そうね」


「我慢できなくなったのよ。いつも通り」


「ああ……」


「勝ち誇りたくてたまらなくなったのよ、詰めの甘い妹は」


「……そっちの方が、しっくりくるわね」


「ええ。……分かるのよ。姉妹ですもの」



――詰めの甘くない姉は、勝ちを確定させるまで、勝ち誇ったりしてあげませんよ?



「結局さ」


「……なに? ベア」


「ジョアンがいちばん悪いわよね?」


「言わないでよ」


「え?」


「一度は結婚しようと思ってた相手のこと、せっかく〈翡翠〉と会えた夜に言わないで」


「あ、ごめん」


「詰めが甘いわよ? 出来る侍女様」


「ほんとね、ごめんなさい」


「ふふっ。行くわよ」



わたしも、パトリシアとは反対方向の暗い廊下の闇のなかへと進んだ。



――わたしとアルフォンソ殿下なら、身分や財産を失ったとしても、決して離れることはないわ。



結局ジョアンに棄てられたパトリシアは不憫だけど、こればかりは敗けてやる訳にはいかない。


そして、わたしは何も失うつもりはない。


〈身分違いの恋愛譚〉はハッピーエンドでなくてはならないのだから――。



   Ψ



叙爵式の準備に向けて、慌ただしい日々を過ごす。


といっても叙爵式の主催は皇帝陛下。


わたしが忙しいのは、その後ひらかれる園遊会の準備だ。


皇帝陛下への叙爵の返礼として、群臣ともども、主人役としてもてなさなくてはならない。


エレオノラ大公閣下を頼り、方々との折衝もはじめた。


多忙を極めるなか、わたしは思い切って、宮廷仕立工見習いのホアキンを皇宮から引き抜き、わたし専属の仕立職人として採用した。



「……い、いいんですか? オレなんかで」


「あなたがいいのよ、ホアキン」


「こ、光栄です!!」


「……ルシアさんが聖都に行かれるとき、皇宮にいたら急には辞められないでしょ? わたしのところだったら大丈夫だから」


「こ、公爵閣下……」


「わたしのところなら、辞めなくても大丈夫」


「……え?」


「辞めずに、……ルシアさんについて行ってあげて」


「そ、それは……」


「お給金もそのまま払うから、ご家族への仕送りも続けてあげて」


「……そんなの。そんな……オレ……、オレ……、なんてお礼を言ったら」



貧しい平民の出自である、ルシアさん。


その幼馴染であるホアキンも、きっと似たような境遇に育ったはずだ。


皇宮勤めは本人の努力の賜物とはいえ、平民からすれば高額な給金は、家族の生活を支えているはずだ。


ギリギリまで勤めざるを得ないし、タイミングを逸してしまえば、ルシアさんの聖都行きに同行できなくなるかもしれない。


そうなったら悲しむのは、ルシアさんだ。


わたしの想いは、ホアキンのためというより、ルシアさんのためだけど、


わたしたちの友情の証として、出来る限りのことはさせてもらいたい。



「ただし! いる間は、こき使うわよ!? とにかく忙しいんだから!」


「は、はいっ!!」


「侍女のベアと、あとパウラ・サンチェス侯爵令嬢がドレスの監修をしてくださるわ! ホアキンには、ドレスをつくりまくってもらうから! 覚悟してね?」


「が、頑張ります!!」



趣向を凝らしたもてなしにするため、ルイス公爵閣下や第2皇后エレナ陛下にも、陰に日向にお力添えしていただく。


〈陛下の庭園〉でひらく園遊会を盛大に成功させてこそ、公爵の爵位に相応しいと認められるのだ。



――パトリシアにも見せてあげないとね。わたしの園遊会。



わたしがフェリペ殿下からの誘いを蹴った以上、


パトリシアの狙いは、フェリペ殿下を皇太子にし、帝位に就け、


わたしとアルフォンソ殿下の婚約を許した、詔勅を取り消させることだろう。


妹も、なかなか壮大なスケールに成長したものではないか。


わたしの妹に相応しいというものだ。



「でも……、わたしの取柄は、先に生まれたことだけじゃないのよ?」



ちいさくつぶやき、園遊会での発表資料を丁寧にチェックする。


きっと、わたしは笑っていた。


パトリシアより優雅に、美しく――。



   Ψ



月が満ちていく間、慌ただしく園遊会の準備に追われ気の休まる暇もなかった。


そして、迎えた叙爵式の朝。


わたしのために、花冠が届いた。



――懐かしいわね。



王太后宮での帝国伯爵への叙爵式。


エレオノラ王太后陛下みずから摘まれた花冠を贈っていただいた。



――列席したご令嬢たちからの羨望の眼差しが、妙に面映ゆかったわ……。



贈られてきた、今朝摘みたての花で編まれたであろう花冠は――、ふたつ。



おおきな蘭の花がふたつ編み込まれた、絢爛豪華な花冠は、第1皇子フェリペ殿下から。


ちいさな、ひまわりがいくつも編み込まれた花冠は、第2皇子アルフォンソ殿下から。



オルキデア――蘭を意味するわたしの姓になぞらえた花冠を贈ってきた、フェリペ殿下の意図は明白だ。



「俺の妃になるなら、これが最後のチャンスだぞ?」



しかし、フェリペ殿下。


わたしのオルキデアという姓は、アルフォンソ殿下にお考えいただいたものなのですよ?


迷うことなく、ひまわりの花冠を手にとった。



「うん。ドレスのマンダリンオレンジとも合ってるわね」



フリアに代わってメイクまでほどこしてくれたベアトリスが、満足気にうなずいた。



「……でも、ひまわりなんて季節はずれよね? 温室かしら?」


「サビアのひまわりね」


「えっ? ……温室で育てるにしても、早くない? アルフォンソ殿下がサビアに立ち寄られたのは秋でしょ?」


「ひまわりは充分な肥料と、夜間も温度を保つことで最短50日程度で花を咲かせることができるの」


「へぇ~っ。……マダレナ、よく知ってるわねぇ~?」


「あら、わたくしこう見えましても、王立学院を首席で卒業した才媛でございますのよ?」


「あ、そうでした。これは失礼しました」



謁見の間を黄金色に照らす巨大なバラ窓は、東を向いていて、朝にもっとも美しく荘厳な光で満たす。


嵌められた黄色やオレンジのステンドグラスは、神聖な太陽をそのまま地上に降ろしたかのような輝きを放っている。


帝国の有力貴族――群臣には数えらえれない、中央貴族やその令嬢たちも列席するなか、


しずかに緋の絨毯を進む。


帝都に入って以来、大半の時間を皇宮書庫で過ごしたわたしを、初めて目にされる方がほとんどだ。


アルフォンソ殿下から贈っていただいたマンダリンオレンジのドレスをまとい、


ちいさな太陽をいくつも飾ったような、ひまわりの花冠を載せたわたしに、みながため息を吐いてくれる。



――おぉ……、なんと美しい……、


――太陽の女神様みたい……、


――さすが公爵になられる方は……、



といった男女を問わない囁き声。


慣れない。


まるで、あのエンカンターダスでの園遊会の再現なのだけど、慣れることなく気恥ずかしい。


だけど、礼容にかなう微笑は絶やさない。


皇帝陛下から公爵への叙爵が宣言され、拍手に包まれる。



太陽皇帝イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下。



はるかな高みを見上げているときは、まばゆくて仕方ない威厳を放って見えた。


だけど、近くに寄れば、実直で勤勉、権勢を争う群臣の調停に苦労する、凡庸な君主の姿が見えてきた。


暗愚とまでは言えないけれど、凡庸とは言いたくなる。



午後。場を〈陛下の庭園〉に移し、わたしがみな様をもてなす園遊会が始まった。


帝国各地から取り寄せた食材を使った、美味絶品の料理をならべる。


園遊会にわたしが選んだのは、アルフォンソ殿下から最初に贈っていただいた、コーラルピンクのドレス。


花びらを散らしたような、美麗な刺繍のトレーンが優雅に伸びる。



「ん。今日も凛々しくて可愛らしいわ」



化粧を直してくれたベアトリスが、にっこりと微笑んだ。



「ありがとう、ベア。……じゃあ、みなさん、行きましょうか? お客様がわたしたちをお待ちですよ」



〈陛下の庭園〉は広い。王都くらいある。


その中で、わたしが園遊会の会場に選んだのは、日が落ちたあと、満月が美しく映る方形の人工池がある庭園。


冬から春にかけて咲く、カレンデュラの花がオレンジ色に彩っている。


わたしが姿を見せると、ふたたび盛大な拍手に包まれ、まずは会場のみな様全体に、ふわりとスカートを広げカーテシーでご挨拶する。


列席者たちも礼容にかなう微笑みで、わたしを迎え入れてくれる。


その顔が、微笑を保ったままに固まった。



「みな様。本日は、わたしの〈お友だち〉と一緒に、みな様をおもてなしさせていただきたく存じます」



睡眠不足で充血した目に、満足気な笑みを浮かべた、ホアキンに見送られ、


わたしの隣に立ったのは――、



ベビーピンクのドレスを着てはにかむ、ルシアさん。



そして、次々にわたしの隣に並んでゆく、白騎士様たち。


フューシャピンク、ペールピンク、パステルピンク、ラベンダーピンク。


色とりどりのピンクのドレス姿で、わたしも含めた6人が並ぶ。


小柄で少女のような容姿をされたアメリアさんは、ペールピンクのドレス姿で、はにかんでいた。



乙女の心を操ろうなど、国を挙げての無礼千万。


可愛らしいドレスが着られて喜ぶ、彼女たちの心が知りたければ、


帝国貴族の誇りに賭けて、


心からの微笑みを、決して絶やしてはいけませんわよ?



そして、パトリシア。


わたしを園遊会までたどり着かせたわね?


アルフォンソ殿下と会える最後の機会に、悲しむわたしを見て勝ち誇りたかったんだろうけど、


あなた……、詰めが甘いのよ。



わたしの園遊会が、幕を開く――。

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