第54話 わたしたちの恋愛物語
舞踏会での約束通り、わたしたちの〈カワイイ〉の師匠パウラ様が遊びに来て下さった。
皇宮書庫での研究は、できるところまではやり切ったという感もあり、午後のお茶を邸宅で、パウラ様と楽しんだ。
「マダレナの叙爵式、次の満月の日に決まったんでしょ?」
「ええ」
「私、好きなのよね~、式典って。正々堂々、着飾れるじゃない? あ~、お気に入りのドレスを着ていくか、あたらしいのを仕立てるか、迷うわぁ~~~」
「きっと、どちらでもパウラ様にはお似合いになられますよ」
「そんなの分かってるわよ」
「そうですよね」
と、肩をすくめて笑い合う。
同席させていただいてるベアトリスとフリアも含めて、久しぶりに余計なことを考えずに笑顔でいられた気がする。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、
ソファから立ち上がられたパウラ様が、フリアに目を向けられた。
「あら、フリア。ますます美少女っぷりに磨きがかかってるわね?」
「いえ、そんな……」
「マダレナにはもったいないわ。ねぇ、マダレナ。フリア、私に頂戴よ?」
「え?」
「マダレナ、地方貴族にとどめ置かれそうなんでしょ? じゃあ、領地に戻らないといけないじゃない?」
「え、ええ……。そう、うかがっております」
「フリアの美少女っぷりは、帝都に置いとかないともったいないわよ。だから、私が侍女にもらってあげる。もっと、可愛くしてあげるわよ?」
「……いい、お話ですわね」
「でしょ? さあ、フリア。一緒に私の邸宅に帰るわよ?」
にこやかに仰られるパウラ様に、すこし戸惑った様子のフリアが、わたしを見た。
わたしの邸宅は〈辺境伯派〉に監視されているかもしれないという緊張感に、いつも包まれている。
息の詰まるような生活が続いているのは確かだったし、フリアにはすこし厳しくなってきていた。
わたしが微笑んで頷くと、
青白い顔をしたフリアは覚悟を決めたように、パウラ様に頭をさげた。
パウラ様とフリアの乗った馬車を見送るわたしに、ベアトリスが声をかけてくれた。
「……良かったの?」
「うん……。ごめん、ベア」
「え?」
ベアトリスの耳元に口を寄せ、声を潜めた。
「打ち合わせ通りなの」
「……うん」
「パウラ様はすぐに飽きて、フリアをクビにしてくださるわ」
「……うん」
「そしたら、フリアは故郷のサビアに走って、風呂屋のあの子のところに行ける」
「そうね」
「フリアにも言い含めて、納得してもらった上でのことなの」
「うん、分かった」
「ベアの将来の旦那様に仕込まれた乗馬術で、あっという間にサビアにたどり着いてくれるわよ」
「そっか……、そういうことだったのね」
「この形なら、もし〈辺境伯派〉の監視があっても、怪しまれずにフリアをサビアに走らせられるから……。舞踏会のときに、パウラ様にお願いしたのよ」
「……平民育ちのフリアには、太陽の下で駆けてるのが似合ってるものね。きっとマダレナの願いの通り、サビアの風呂屋の幼馴染のところまで、一気に駆け抜けてくれるわよ」
「ええ……」
周囲に気取られないよう、表情を変えずにうなずくベアトリスだったけど、
声の調子はやさしい。
わたしにはわたしの、やるべきことがあるし、
フリアもきっと、自分のやるべきことをまっとうしてくれる。
サビアに走るフリアの旅に、幸運を祈った。
――またすぐに会いましょうね。わたしの超絶美少女侍女様……。
Ψ
新月の日まで、ふたたび皇宮書庫に籠り、これまでの研究成果をまとめて過ごす。
エレオノラ大公閣下も、ロレーナ殿下も、第2皇后エレナ陛下も、
わたしには、気を遣ってくださっているのが分かる。
アルフォンソ殿下に見初められることがなければ、わたしは今でもネヴィス王国の侯爵令嬢として、のどかに暮らしていたはずだ。
ジョアンから婚約破棄をくらった〈棄てられ令嬢〉として、しばらくは落ち込んでいたとしても、
いまごろには立ち直って、学問に打ち込んで、それなりに楽しく生活していたんだろうと思う。
わたしの立場からすれば、みな様に対して、
――妹パトリシアのせいで……。
と、忸怩たる思いがあるけど、
みな様から見れば、わたしを帝政の権勢争いに〈巻き込んでしまった〉という思いが強いのだろう。
わたしを励ますように接してくださる。
だけど、おそらく状況は相当に厳しい。
公爵に叙爵されたわたしだけど、帝都に常駐できる中央貴族に取り立てることに〈辺境伯派〉の貴族たちが抵抗している。
わたしとわたしの学才を取り込めないと見切った〈辺境伯派〉は、わたしを帝都とアルフォンソ殿下から遠ざける動きに出たのだ。
もちろん、皇子妃になれば、そんなこと関係なくなるのだけど、
アルフォンソ殿下を地方巡察に出すことで、わたしたちの結婚を遅らせようとしている。
そして、その間に第1皇子フェリペ殿下を皇太子の座に就け、権勢を奪還しようとしている。
もちろん、わたしとしてはフェリペ殿下をいずれ皇帝に戴く世が来ることを、どうしても阻止したい。
大陸外侵攻だの戦乱だの、まっぴらだ。
白騎士様の〈心を潰す〉など、もってのほか。どこまで乙女の純情を軽んじるのか。
だけど、わたしに出来ることは限られる。
黙々と研究成果をまとめ、毎日を丁寧に生きるしかない。
アルフォンソ殿下がご自身の愛情をわたしに届けるため、遠くから〈手順〉を踏まれている間も、
わたしは、そうして生きてきた。
サビアでもエンカンターダスでも、日々、やるべきことを丁寧にこなし、
丁寧に生きてきた。
世の中のありとあらゆる学究活動において、日々の研究の積み重ねが世間の目に触れずとも、丁寧に行われているように、
わたしも、そうする。
そして、あらゆる学究の徒とおなじく、わたしも燃やすのだ。
野望を。
丁寧に積み重ねた研究成果が、華々しく日の目をみる、そのときを待つ。
自分の研究成果が、世界を一変させてしまうという野望を燃やさない、学究の徒などいないのだ。
そして、そのときは近い。
――わたしの叙爵式。
アルフォンソ殿下と公式の場で会える、最後の機会になるかもしれないそのときに向けて、
丁寧に生きる。
Ψ
新月の晩、アルフォンソ殿下は堂々と歩いて、皇宮書庫に来られた。
――方法は聞くな。
って、こういうこと?
と、おもわず苦笑いした。
変装でもするのかと思ったら、暗い夜の廊下とはいえ、皇宮内を堂々と歩かれるとは。
ともあれ、わたしはアルフォンソ殿下の胸に飛び込んだ。
「ごめんね、マダレナ。寂しい思いをさせてしまった」
「ほんとですわ」
「……ボクのことキライになった?」
「まさか。だったら、ここでこうしてお待ちしている訳ないじゃありませんか」
「うん」
「愛しておりますわ」
「先に言われてしまった」
「ふふっ。先に言ってやりましたわ」
「愛してるよ」
「ええ。嬉しいですわ」
「……こんな夜中にこそこそと、すまないね」
「いえ、一度やってみたかったのです」
「え?」
「夜中の逢引き。〈身分違いの純愛譚〉では定番なのです。わたし調べで」
「そうか。マダレナ、そんな書物も読むんだね」
「才媛ですので。……いや、乙女ですので」
「ふふふ」
「ふふっ」
月明かりもない真っ暗な皇宮書庫で、ゆっくりと唇を重ね合い、たがいの温もりを確認し合う。
まだ冬の寒さが残るなか、アルフォンソ殿下の温もりだけを、間違うことなくわたしの身体に覚え込ませることができた。
外に灯りが漏れない場所でランプに火を灯し、あらためて見つめ合う。
「……ボクは西に行かされそうだ」
「巡察にございますね」
「帝国軍3万を率いる公式なものにはなるけど……、1年か、2年か、3年か……」
「わたし、待てますわよ?」
「……そう?」
「どんなに遠く離れていても、殿下がわたしを溺愛してくださっていることを、疑うことはありません」
「マダレナ……」
ゆらめくランプの灯りが、金糸のようなハニーゴールドの髪を照らし、アルフォンソ殿下のお姿は神々しくさえ見えた。
なんども唇を重ね、額をあわせる。
ようやくわたしの髪を撫でていただき、抱きしめ合った。
「……ホントに、ボクでいい?」
「いまさら、なにを仰いますの? こんなに惚れさせておいて」
「そうか……、うん」
「わたしの叙爵式には出席できるのですよね?」
「……もしかすると、あとの園遊会からにさせられるかもしれないんだ」
「そうですか……」
「うん」
パトリシアの虚言と曲解、謀略によって、無実の罪をきせられたアルフォンソ殿下に対して、
あまりにも理不尽な仕打ちだと思う。
おそらく〈第2皇后派〉は、相当に切り崩されている。
白黒つかない曖昧な決着ながら、かなりの不利に押し込まれてしまっている。
だけど、わたしが涙をこぼすのは、まだ早い。
わたしに出来る、精一杯の笑顔をつくった。
「園遊会では、わたしの研究成果を陛下にご報告させていただこうと思っておりますの」
「え?」
「園遊会は、叙爵に対し陛下に返礼する場。わたしが主催し、陛下や群臣をおもてなしする場でしょう? わたしの方に趣向を凝らす権限がございます」
「うん、そうだね」
「アルフォンソ殿下とわたしを繋いでくれた卒業論文のその先を、殿下にも見届けていただきたく存じますわ」
「うん。それは楽しみだ。……ふふっ」
「どうされました?」
「……マダレナの卒業式での発表を思い出してた」
「そうですか」
「ひと目で恋に落ちたよ」
「ふふっ。そうですか?」
「そうだよ。……あのマダレナを、父上や群臣たちにも見せられると思うと、いまからワクワクするな。ついにマダレナの輝きが帝都にまで届くんだ」
「輝き、だなんて……」
「あれ? 覚えてない?」
「覚えておりますけど……。もう。あまりプレッシャーをかけないでください」
「え~っ?」
「王立学院の卒業式で、帝国第2皇子殿下にご臨席賜るなか発表するだけでも大緊張でございましたのに、次は皇帝陛下でございますのよ? これでも緊張しているのです」
「そっか、ごめん。……でも、楽しみだ」
「……はい。必ず、最初から最後までご覧下さいませね。あの卒業論文からはじまった、わたしたちの恋愛物語にございます」
「うん、分かった。約束するよ。必ず最後まで見させてもらう」
Ψ
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
ずっと楽しみにしていた、夜中の逢引きを終え、
皇宮書庫を先に出られる、アルフォンソ殿下を見送った。
真っ暗な書庫でひとり、アルフォンソ殿下の温もりを身体に刻む。
すこし時間をあけてわたしも皇宮書庫を出て、入口で控えてくれていたベアトリスと、目くばせをしあった。
そして、邸宅にもどるため暗い廊下を静かに歩く。
みなが寝静まった真夜中。
皇宮内も静寂に包まれている。
と、正面からシーツらしきものを胸に抱いた、ひとりのメイドが歩いてきた。
――夜中まで大変ね。
と、労わりの気持ちで向けたわたしのフォレストグリーンの瞳が、そのとき何色をしていたのか自分では分からない。
パトリシアだった。
ニマリと醜い笑みを浮かべた、可愛らしい顔が廊下のちいさな灯りに照らされていた。
「これ、そこな侍女」
と、わたしはパトリシアを呼び止めた――。
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