第53話 育て方が悪かったのか?

第2皇后エレナ陛下にお誘いいただき、皇宮書庫の外にあるテラスに出た。


冬の寒さが緩みはじめ、もう少しで春の気配が感じられそうな風が、


わたしたちふたりの頬を、撫でてゆく。


エレナ陛下はテラスの先端に向けて、ゆっくりと歩みを進められ、


わたしは、その後に従って歩く。


そして、華奢なお身体にまとわれる謹厳そうな雰囲気を緩めることなく、


わたしに問われた。



「……読んでおった古文書は、神学であったのう」


「はい、……その通りでございます」



第2皇后陛下の威厳にも圧倒されていたけど、


わたしは、



――お義母様との初対面!



にも、緊張していた。


な、仲良くできるかしら……?



「……しかし、すでに神の不在は証明されておるではないか。神など芸術のモチーフとして、その姿を残すばかり」


「……わたしどもにとって神は不在ですが、太古の時代を生きた民にとっては、実在したも同然にございました」


「ほう……」



テラスの手すりに手をかけられたエレナ陛下は、初めてわたしの方に振り向かれた。


褐色の美貌を誇られる皇后イシス陛下とは、あまりにも対照的な、


純白の美貌。



――アルフォンソ殿下のお母様。



とか、



――わたしのお義母様になられる方。



とか、


〈第2皇后派〉がどうだとか、


すべてを吹き飛ばされるお美しさに、おもわず見惚れてしまった。



「それで……?」


「あ、申し訳ございません……。当時を生きた民にとって、神は普遍の存在。考え方の前提でした」


「ふむ」


「太古の民がなにを考え、なにを感じて暮らしていたかを読み解く、助けとなります」


「なるほどのう……。歴史を紐解くことは、いまを生きる我らにも有意義なことであろう」


「……仰せの通りかと」


「しかし、いまの事態を紐解くのに、太古までは遡らなくてよい」


「はい」


「……ことの起こりは80年前。妾も生まれるずっとまえ……、蛮族連合による侵攻から始まる」


「……はい」


「ふっ。……わが父ルイスも、叔母エレオノラも、言い訳はせぬタチであるし、こまかな説明は面倒くさがる」


「あ、はい……、いや、いえ」


「気にするな。……ゆえに、妾が聞かせるまでのこと」


「……ありがたいご配慮にございます」


「蛮族連合240万の侵攻により、最大の打撃を受けたのはネフェルタリ辺境伯領。白騎士を4人も投入することで、からくも退けたが、その被害は甚大であった……」


「はい……」


「しかし、同時に大陸を超えた南方に蟠踞する蛮族どもが、それなりに繁栄しておることも判明した。……以来、ネフェルタリ辺境伯家の悲願は、大陸外侵攻となったのだ」


「……大陸外侵攻」


「悲願というより、野望よの。……野望達成のため、先々代辺境伯より帝都に常駐するようになり、帝政において権勢を伸ばした」


「はい……」


「次の代には、先代辺境伯が帝政における権勢を握り、大陸外侵攻が現実味を帯びるところまで来ておったのだ」


「そんな……」


「……もとより戦乱を望むは、初代皇帝陛下の尊き想いに背くこと」


「はい……」


「やがて若き兄妹が立ち上がる。19歳の父ルイスと、17歳のエレオノラ叔母上だ」


「おふたりが……」


「兄妹は力を合わせ、時の権力者であるネフェルタリ辺境伯に挑む戦いを始めた。……戦乱の世の再来を防ぐためにの」


「……お若い頃から、なんというお志の高さ」


「エレオノラ叔母上は東の辺地、ネヴィス王国に輿入れ。当時は廃れかけておった、魔鉄鉱山の再興に成功。父ルイスに潤沢な資金を送られはじめた」



――ホルヘとの純愛を諦め、ネヴィス王国に輿入れされたのは……、そんなにも強い目的とご意志を貫かれてのことだったのね……。



きっと、ホルヘも納得の上のことだったのだろうと、妄想を熱くした。



「そのカネを父ルイスは、惜しげもなく群臣にばら撒いた。血を流すより、カネを流せというのが、父の一貫した考え」


「はい……」


「きれいな血より、汚濁のカネのほうがマシと考える人だ。……もちろん、まっとうに稼いだきれいなカネであるがの」


「……ええ」


「父ルイスが、祖父の家督を奪い公爵位を継承したのち、ますます権勢争いは熾烈になった。……妾が物心ついたころには、公爵家にありながら、つねに刺客を警戒せねばならなんだほどだ」


「刺客を……」


「しかし、現皇帝イグナシオ陛下がご即位された年に……、先代辺境伯が急逝された」


「……はい」


「……初代皇帝陛下の想いを尊び、大地に血を吸わせることをなにより厭い、白騎士の境遇に気持ちを寄せる、父ルイスの手にかかったとは、思いたくないがの……」


「そうですね」


「翌年、父ルイスの権勢を確かにするため、妾を側妃として輿入れさせる話が持ち上がった」


「はい」


「……しかし、いつの間にやら〈第2皇后〉とやらに祭り上げられておった。父ルイスの強引なやり口に、妾も眉をひそめておったが、皇宮に入って、それが、皇后イシス陛下のお考えであったことを知り、……天地がひっくり返ったかと思うほどに驚いた」



――カタリーナ殿下の話と一致する。



「妾への寵愛に憚ったなどということにされておられるが、実際は自ら外宮にお遷りになられたのだ。……すべては〈辺境伯派〉が主導する、大陸外侵攻の野望を阻止せんがため」


「え……?」


「その頃、イシス陛下は皇宮に入られて15年ほど。たしか17歳で輿入れされて、31歳の御年であられたと思う」


「……お若いですね」


「うむ。……皇宮に入られたイシス陛下は、初代皇帝陛下の民の平和を尊ばれる想いに触れ、つよい感銘を受けられ、すっかり信奉されておられたのだ」


「そういう経緯が……」


「妾は、そんなイシス陛下のお考えにこそ、深い感銘を受け、よき第2皇后たらんと謹厳に務めてまいったつもりじゃ……」


「はい……。ご立派にお務めであると、とおくネヴィスの地まで届いておりました」


「それが……」


「……はい」


「それが……」


「……え?」


「それがなにゆえ、 アルフォンソも! ロレーナも! あんなに破天荒に育ってしまったのじゃぁぁぁぁぁ――っ!!!!」



エレナ陛下は、ひらいた両手をワキワキされて、プルプル震えながら絶叫された。


なんなら、股もすこしひらき気味で、腰が落ちていた。



――う~ん、さすが両殿下の母君。パワフルでいらっしゃる。たぶん、よく似てらっしゃいますよ?



とは言えないので、ニコニコしておいた。


礼容に、かなっている、はず。


吹き出して、ないし。



「アルフォンソはいくら言っても結婚しないし、ロレーナは騎士服を脱がない!! ……私か? 私の育て方がまずかったのか? いや、そうか?」


「あ……」


「なんじゃ!?」


「……おふたりともステキで、わたしは大好きですわ。ははっ」


「……それは、……妾もじゃ」


「はいっ」


「……マダレナ。アルフォンソからは、どのくらい……?」


「え?」


「どのくらい愛を語られた?」


「……えっと、6日ほど。ぶっ通しで」


「ふふっ。なるほどの。妾は半日で限界を迎えてしもうた」



半日、聞かれたんですね。



「たとえ愛するわが子といえど、他人の色恋沙汰など、半日もぶっ続けに聞かされては、お腹いっぱいであったわ……」


「ははっ。そうでしょうね……」


「……アルフォンソは、いま苦しい」


「はい。それには、わたしの責任も」


「アルフォンソは帝位を目指す身ぞ!? おのが身さえ護れんで、いかに国を護る!? 民を護る!?」


「失礼いたしました……、出過ぎたことを申しました」


「いや……、すまなんだ。夫婦になろうという者が力を合わせ心を寄せ合うは、当然のことであった。妾の言葉が過ぎた。許せ」


「いえ、もったいなきお言葉。痛み入ります」


「まあ、の」


「え?」


「あの難しい子を、よく引き受けてくれた。……その感謝の方が大きいわ。のう?」


「ははっ」


「ふふっ。アルフォンソを頼んだぞ」


「はいっ! ……えっと、お義母様」


「よいの。その響き」


「はいっ!」


「話が息子に逸れてしもうたが……、皇后イシス陛下におかれては、われら〈第2皇后派〉への陰助が〈辺境伯派〉に露見し、監禁同然の扱いを受けておられる。それも、ご子息フェリペ殿下の先導でな」


「はい……」


「お労しいことよ……。息子に牙をむかれるとはの」


「ええ……」


「それでも、帝国による大陸外侵攻を阻止するお考えに変わりはない。ひとり、いや皇女カタリーナ殿下とともに、皇后宮殿で踏ん張っておられる」


「……はい」


「お救い申し上げたいが、妾では手が出せぬ」



エレナ陛下は唇をかるく噛まれ、悔しさを隠そうともされなかった。



「そして……、白騎士の〈心を潰す〉は、辺境伯家の念願するところ」


「つ、潰す……?」


「……心などあるから潰れるのだと、最初から潰して、完全な道具にしてしまいたいのじゃ。大陸外侵攻の野望を達成するためにの。……口にするのも厭わしい、ひどい考えだがの」


「ええ……、許せませんね」


「そうじゃな。許せんな」


「はい」


「……白騎士となる乙女たちの置かれた境遇こそは、帝国千年の憂い」


「……はい」


「建国初期においては魔鉄の鎧もなく、すぐに衣服が吹き飛び、あられもない姿を晒しながら、素手で無数の敵を屠り……、心を壊した」


「……」


「……初代皇帝陛下は心を失くした白騎士を強く抱きしめられ、血の涙を流されながらに、大陸の平定、民の平和を誓われたという……」


「はい……」


「しかし、彼女らを道具としか見ぬ、不埒な者たちもおる。ゆえに、白騎士の心を操る秘密に近づいたマダレナには、生涯〈辺境伯派〉の密偵がつこう」


「……覚悟できました。たったいま」


「そうか。……アルフォンソが妃に選ぶはずじゃ」


「え?」



愉快そうに笑われていたエレナ陛下が、スッと姿勢をただされた。



「歴史に学ぶ、才媛マダレナよ」


「は、はいっ!」


「学ばぬ者はすぐに『帝政の闇は複雑怪奇』などと、訳知り顔で言いたがる。だが、紐解けば至極簡単!」


「……ええ」


「民の平和を願うものと、願わぬもの。戦乱を求めるものと、求めぬもの。それが争っておるだけじゃ!」


「はい。よく分かりましてございます」


「そして、民の平和を願う我らは〈皇后・第2皇后派〉ぞ!? くれぐれも真実を見誤るな」


「心に刻みましてございます」



ゆったりと微笑まれたエレナ陛下は、宵闇に染まり始めた東の空を眺められた。



「……ところで、才媛マダレナよ」


「はっ」


「ちと、尋ねたい」


「ははっ」


「さきほどの〈皇后・第2皇后派〉であるが……」


「はい」


「ダブル皇后派と、どちらが良いと思う?」


「…………え?」


「結構、悩んでおるのじゃ。どちらも、しっくりこないというか……」


「ツイン皇后派」


「おっ、いいのう」


「双頭の皇后派」


「渋いのう」


「ふたつの太陽」


「……ちょ、ちょっと、恐れ多いかのう」


「ふたつの月」


「なるほどのう」


「むしろ、ひとつの月」


「ほほう」


「皇后ペア」


「……アグレッシブな感じがするかのう」


「1・2の皇后」


「踊りだしそうじゃの」


「思い切って、イシス&エレナ」


「イシス陛下に恐れ多いかのう……」


「初代皇帝陛下派」


「……それを言ったら、全部終わるのう」



しばらく、ふたりでキャッキャした。


いい嫁姑関係を築けそう。



それも、パトリシアの謀略を蹴散らして、アルフォンソ殿下との結婚式を挙げてからのことだけど――。



   Ψ



新月の晩を心待ちにしながら、皇宮書庫での学びをまとめ始めたころ、


わたしたちの〈カワイイ〉の師匠、侯爵令嬢パウラ・サンチェス様が、わたしの邸宅に遊びに来てくださった。


そして――、



「あら、フリア。ますます美少女っぷりに磨きがかかってるわね? マダレナにはもったいないわ。ねぇ、マダレナ。フリア、私に頂戴よ?」



と、抜群に可愛らしい微笑みで、にこやかに仰られ、


青白い顔をしたフリアを、パウラ様のもとに行かせることにしたのだ――。

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