第52話 円舞曲のステップを華麗に踏んだ
第1皇子宮殿でひらかれた舞踏会では、思わぬ再会もあった。
「もう、マダレナぁ! 帝都に昇ったら、絶対、会いに来てねって言ったのにぃ~~~っ!!」
「パウラ様! ……ご無沙汰しており、申し訳ございませんでした」
「ふふん。ブルーのドレス、素敵ね。凛々しいあなたに可愛らしく、よく似合ってるわよ」
「ありがとうございます!」
わたしたちの〈カワイイ〉の師匠パウラ様から褒められると、やはりじんわり嬉しい。
パウラ様はそっと口元を扇で隠し、声をひそめられた。
「だけど、ウチのサンチェス侯爵家ってば〈辺境伯派〉なのよねぇ……」
「ええ……」
「なんだ、知ってたの? それで会いに来るのを遠慮してくれてたの?」
「まあ……、そんなところですわ」
「バカね、私は気にしないのに。アルフォンソ殿下との話、私にも聞かせなさいよ? 根掘り葉掘り聞くから今度、あなたの邸宅に遊びに行くわよ?」
「えっ? それは、ぜひ。ベアトリスもフリアも喜びますわ」
ヒソヒソと会話を交わした短い時間、帝都の情報を教えていただいたり、お願いごとをしたりと、旧交を温めることが出来た。
ただ、パウラ様は無頓着なようだけど、舞踏会に参加しているご令嬢はもちろん、貴族にいたるまで〈辺境伯派〉でない方はいらっしゃらない。
学都でひらいたお茶会にご参加くださったご令嬢も、半数ほどしか顔が見られない。
――決起集会にでもするつもりだった勢いね。
わたしをなびかせ、アルフォンソ殿下からわたしの〈学才〉を奪ったことを宣言する場にでもしたかったのか――、
「……招かれてもいない私が一緒に押しかけては、かえってマダレナの格を落としてしまうからの。……ひとりで大丈夫か? マダレナ」
と、エレオノラ太公閣下に見守られながら入った第1皇子宮殿は、見事に〈辺境伯派〉で埋め尽くされている。
最初にダンスをご一緒した、フェリペ殿下からは鼻高々に自慢された。
「どうだ、マダレナ。これだけ多くの群臣が、俺を支持してくれているのだぞ?」
「……素晴らしいことですわね」
フェリペ殿下の、白騎士様を蔑む本性を目にしてからは、ダンスどころか話しをするのも本当はイヤだ。
――だけど、いずれはアルフォンソ殿下を皇太子に押し上げて、ギャフンと言わせてやるんだから……。
口から言葉にして出せば、いまは虚しいだけだ。
心の中だけでつよく思うことにして、微笑みを絶やさない。
「強く逞しく、帝政を改革するその一翼を担う覚悟は、まだつかぬか? マダレナ」
「もちろん、第2皇子妃として帝政に尽くす覚悟にございますわ」
「……バカな女だ」
「ふふっ。そうなんです、わたしバカなんですよ。学問バカ。よくご存知ですね。さすが第1皇子殿下ですわ」
フェリペ殿下は、チラッとパトリシアを見た。
だけど、わたしの視線を誘導し、存在を匂わせるばかりで、言葉にして口に出すことはされない。
ここで白黒つけてしまえば、アルフォンソ殿下追い落としの手札を失うと考えていることは、あからさまに解った。
わたしの方としても、こんなチンケな場でパトリシアを断罪したところで、なんの役にも立たない。
すべての状況をひっくり返してみせるには、舞台が小さいし、機も熟していない。
奇妙な――しかし、貴族らしい――真空地帯で、みなが微笑を浮かべて円舞曲のステップを踏む。
第1皇子妃イサベラ妃殿下は、すみれ色の髪を揺らし、抜けるような白い肌に、とびきりの笑顔を浮かべて、わたしをもてなしてくださる。
「……私、マダレナ閣下とでしたら、フェリペ殿下の愛を分かち合えましてよ?」
これほど可憐で美しく、そして醜悪な笑顔をわたしは見たことがない。
父親は侯爵とはいえ、元は辺境伯家の家宰に過ぎない。
先代辺境伯閣下がご健在であれば、外戚として影響力も持ち得ただろう。
しかし、辺境伯家自体が傀儡の若き当主を戴いているようでは、話しにならない。
フェリペ殿下の寵愛を繋ぎ止めるため、妃殿下自らなりふり構わず、夫がほかの女性を口説く手伝いをする。
――これが汚濁でなくて、なんなの!?
美しい妃殿下が向ける醜悪な笑みに、吐き気さえ覚えた。
「あら、イサベラ妃殿下。せっかくのお話――、でもごさいませんが、わたしの方がアルフォンソ殿下の愛で、すっかり満たされておりますの」
「ま、まあっ……」
「ふふっ。ほかの方の愛だの思惑だのが入り込む、隙間もございませんわ」
「……そ、そうですか。お羨ましいこと」
「たとえ、アルフォンソ殿下の身になにが起きようとも、わたしの愛が尽きることもございませんわ」
「……ア、アルフォンソ殿下の先行きを思えば、……お、惜しいことですわね」
「それは、わたしの決めることですわ、妃殿下」
と、わたしがニッコリ微笑んで見せたとき、
会場の入口から、どよめきが起きた。
微笑を浮かべたまま顔を向けると、どよめきは会場の全体に広がり続けている。
そして、姿を見せられたのは――、
「やあやあ、フェリペ兄上! イサベラ義姉上! お招きに預かり光栄にございます!」
「う、うむ……。もう、外出が許されておったのか……」
「はははっ。だから、お招きくださったのでしょう? 外出も許されぬ憐れな妹に、あてつけのように招待状を出される兄上でも義姉上でも、ございますまい!!」
満面のドヤ顔で胸を張ったのは、第3皇女ロレーナ殿下であられた。
金環から10本の剣がのびる太陽皇家の紋章が輝く騎士服姿で、ご夫妻に恭しく拝礼を捧げられる。
「おおっ! これはこれは、英雄にして才媛! 白騎士の心をも魅了して止まない大器! カルドーゾ新公爵マダレナ閣下ではございませんか!!」
「うふふ。ご無沙汰しております、ロレーナ殿下」
――白騎士の心を魅了して止まない。
この言葉が、出席者の間に〈まだら〉なざわめきを生んだ。
――誰が、アルフォンソ殿下とロレーナ殿下を陥れた謀略を知っていて、誰が知らないのか、一瞬であぶり出されたわね……。さすがのご手腕……。
と、内心では感服しながら、ロレーナ殿下に拝礼を捧げる。
「このマダレナ・オルキデア。第3皇女ロレーナ殿下の代理人を務めさせていただいたご恩を、片時も忘れたことはございません」
「はははははっ。うむ、私の方こそ、マダレナが立派に務めを果たしてくれたこと、忘れたことはないぞ! マダレナはわが誇りである!」
よくよく考えてみた結果、
――〈第2皇后派〉も〈辺境伯派〉も知らん!!!!
という、わたしに相応しい結論に達していた。
強いて言うなら、わたしはアルフォンソ殿下派だ。
ただし――、
まだ幼さ残る白騎士候補の少女たちを、侮蔑の視線で射たフェリペ殿下のことは、
どうしても許せない。
「それでは英雄にして才媛のマダレナ閣下。私ロレーナめと一曲、踊ってくださいますか?」
「ええ、喜んで」
「うむ!」
「……、えっ!?」
「なんだ?」
「……だ、男性パートを踊られますの?」
「そりゃ……、この格好で女性パートを踊ったら変だろう?」
「そ、そうですわね。失礼いたしました」
「ん? どうした? 変な顔をして」
「いえ。ひとつ疑問が解けた〈学問バカ〉の顔ですわ。お気になさらず」
円舞曲の演奏が始まり、〈辺境伯派〉だけが埋め尽くす会場で、第2皇后エレナ陛下の長女ロレーナ殿下と踊る。
なかなかに爽快な気分だった。
にこやかに微笑まれたロレーナ殿下と、華麗にステップを踏みながら言葉を交わす。
「……すまん、マダレナ。すっかりパトリシアにやられてしまった」
「いえ、こちらこそ、大変申し訳なく」
「舞踏会の招待状が届いたからには、フェリペ兄上は私の潔白を信じておられる! ……と強弁し、ようやく取り調べを終わらせてきたところだ」
「さすがにございますわ」
「……アルフォンソ兄上の取り調べは、まだ続いている。が……、進めば進むほどに、嫌疑を完全に晴らすのが難しいところを狙い撃ちに、極上の嘘と曲解が置いてある」
「はい……」
「〈辺境伯派〉としても、巻き返す最後のチャンスだ。総力を挙げてかかってきている」
「はい……」
「ルイス大叔父上も頑張ってくれているが、状況は厳しい」
「……月並みな聞き方で申し訳ありませんが、……どうなりそうですか?」
「嫌疑は晴れぬ。が、確定も出来ん。……私もアルフォンソ兄上も〈怪しい〉というところに留め置かれ、ほとぼりが冷めるまで数年の巡察に出されよう」
「……数年の巡察」
「すまん……、兄上を護り切れなんだ。そなたの叙爵式には出席を許されようが、ふたりの結婚式は遅れることになろう……」
「その間に、フェリペ殿下を皇太子に就ける……、という目論見にごさいますね?」
「その通りだ」
「……畏まりました。わたしも覚悟を決めます」
「……イシス陛下から、皇宮書庫の鍵を預けられたらしいな?」
「はい。わたしの最後の砦、わたしの最前線にごさいます」
「……次の新月の晩、皇宮書庫で待て」
「えっ?」
「アルフォンソ兄上を行かせる。方法は聞くな」
「は、はい……」
というところで、演奏が終わった。
笑顔を振りまいて回るロレーナ殿下に、鼻白む〈辺境伯派〉の貴族たち。
フェリペ殿下も憮然とし始めた。
――そもそもの胆力が、ロレーナ殿下とは段違いね。
精悍なお顔立ちは、宝の持ち腐れだ。
そして、礼容にかなう微笑を保っていたのは、ひとりパトリシアだけだった。
心の内はどうあれ、わたしの着る青いドレスにも反応を見せなかった。
――そんな成長、しなくて良かったのよ?
と、内心で眉をしかめながら、白けた雰囲気で終わった舞踏会をあとにした。
目論見が外れたからといって、場を白けさせるなど、とるべき礼容にかないませんことよ?
Ψ
満月の晩の舞踏会を終え、
わたしはただひたすら、月が欠けていくのを心待ちにした。
――月が完全に姿を隠したら、アルフォンソ殿下にお会いできる……。
これまで、月を見上げて「はやく欠けろ」と、願ったことなどなかった。
太陽の昇っている間は皇宮書庫に籠り、今すべきことに没頭した。
フェリペ殿下は、もう姿を見せない。
願ったり叶ったりだ。
夜には、日に日にほそくなっていく月を見ては、わたしの胸がふくらんでいく。
比喩として。
昼間、薄暗い部屋でランプを灯し、手元に広げた古文書とにらめっこしていると、
ふわっと、いい香りがした。
陽の光をいっぱいに浴びて育ったような、ネロリの香り。
ふと、古文書から太古の香りが漂ってきたのかと錯覚してしまったけど――、
「……神学、であるか?」
と、わたしに声をかけられたのは、
頭の全体を帽子状に編んだヴェールで覆われ、その奥でラピスラズリのように深い青色の瞳を輝かせる、
第2皇后エレナ・デ・ラ・ソレイユ陛下。
思わず息を呑むような、白騎士様より白いのではないかと思ってしまう、透明感のあるお肌。
ヴェールの奥に潜む、プラチナブロンドの美しくながい髪。
太陽皇帝イグナシオ陛下のご寵愛を一身に受ける、
アルフォンソ殿下の母君が、謹厳な雰囲気を漂わせ、静かに立たれていた。
「そなたが、マダレナか?」
「は、はい。お初にお目に……」
「よいよい。……ちと、話しがしたいが、良いかの?」
と、エレナ陛下は自らの手でガラス扉を開けられ、外の広々としたテラスへと、わたしを誘われた――。
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