第43話 礼則から外れた勝ち誇る笑み

峠の頂上で、馬車は小休止をとった。


眼下には、帝都の威容が、昇ったばかりの早朝の朝陽に照らし出されている。


黄金色をした二重の円環――皇宮だけでも、わたしの生まれ育った王都の市街地全体ほどの広さを誇る。


皇帝陛下がお住まいの内側の円環は高くそびえて東側に寄っており、円環と円環の間には三日月状に〈陛下の庭園〉が広がる。


広大な皇宮の外には、有力貴族たちが住む城と呼んでよい邸宅が、多数建ち並んで取り囲み、


さらにその外側の市街地はどこまでも延びて広がり、街の終わりは霞んで見えない。



永遠の太陽――、帝都ソリス・エテルナ。



その前に、わたしは立っていた。


わたしたちを運んだ白騎士アメリアさんは、この数日の間ずっと寝台馬車の御者台にいて、ほとんど話ができていない。


わずかに交わした会話でも、微笑を浮かべられたまま、



「陛下の思し召しを、私が語ることは出来ません。私が勅命を受けたのは、マダレナ閣下を帝都にお運びすることのみにございます」



と仰られるばかりで、いまだ自分が何故、帝都に召喚されたのか理由が分からない。


ベアトリスは、



「……扱いは丁重だし、なにか陛下のご勘気をこうむっているようには思えない……、けどね」



と、眉を寄せてささやき、


同乗しているビビアナ教授は、



「偉いさんの気まぐれは、いつものことだよ」



と、あくびをし、気するご様子もない。


ただ、わたしから離れてベアトリスの向こう側に立っている、フリアの表情は冴えない。


というのも、学都を発つときに、わたしがサビアに戻るように言うと、



「……マダレナ閣下は、どうしていつも大変なときに、私をお側から遠ざけようとされるのですか?」



と、唇をキュッと真一文字に堅く結んで、わたしを真っ直ぐに見た。



「……私も、マダレナ閣下の侍女です」



ただでさえ、後輩侍女ルウの正体が〈白騎士ルシア・カルデロン〉であったことに、衝撃を受けていたフリアだ。


わたしから信頼されていないように受け止めさせてしまったのも、無理のないことだった。


膝を折って、目線を合わせる。



「そうね……。わたしが悪かったわ」


「……いえ。侍女にあるまじき口ごたえ。非礼をお詫びいたします」


「ううん。主君が気付かないことを教えるのも、主君が至らぬときに諫言するのも、侍女の大切な役目だわ」


「……はい」


「……帝都に一緒に来てくれる?」


「お……、お命じになられるべきです」


「そうね……、ほんとうだわ。フリアの言う通り」



わたしはゆっくりと背筋を伸ばし、フリアを見下ろした。



「わたしはこれより、皇帝陛下のお召しに従い帝都ソリス・エテルナに向かう。侍女フリアに随従を命じる」



恭しく拝礼を捧げてくれたフリアだけど、嬉しそうにはしてくれなかった。


可愛らしくてたまらないフリアのことを、大切にしているつもりがプライドを傷付けていたことに、わたしの心も痛んだ。


白騎士様の駆る、異様に快適な馬車の旅のあいだに、気持ちを切り替えようとしてくれているのも、かえって心苦しい。


フリアの笑顔にいつもの冴えが戻らないまま、帝都に到着してしまった。



   Ψ



王都の市街地ほどもある皇宮のなかも、馬車で駆ける。


窓から見える〈陛下の庭園〉は、シクラメン、スイセン、ツバキ、カンシャクヤクなど、冬の花で彩られていた。


そして、近くで仰ぎ見れば、天にも届くのではないかという内側の円環――本宮のまえで、馬車を降ろされた。



「私はこれで」



と、微笑を浮かべた白騎士アメリアさん。


華奢で細身、少女のようなお姿だけど、雪に閉ざされた学都サピエンティアの急峻な坂では、わたしたち4人を一度にかついで、駆け下りられた。


いや、かついでというか、まえに伸ばした両腕に2人ずつ腰かけさせて、馬車より快適に運んでくださった。


それから荷物も降ろしてくださり、結局、会話らしい会話を交わすことは出来なかった。



――こちらを傷付けぬようにと、顔に微笑を貼り付ける。



と、かつてエレオノラ大公閣下が仰られた通りの表情で、わたしたちを案内役の〈庭園の騎士〉様に引き渡された。



   Ψ



「謁見の間で、陛下がお待ちです」



と、ながい廊下を案内される。


ビビアナ教授は大賢者様のもとへと案内され、わたしはベアトリスとフリアを従え、真紅の絨毯がのびる白亜の宮殿を静かに進む。


礼則により、言葉を交わすことはない。


たとえ許されたとしても、極度に緊張しているわたしの口から出せる言葉は、思い当たらない。


謁見の間の入口、精緻な彫刻が一面にほどこされた巨大な扉のまえには、


華やかな衣裳を身にまとう、楽団が控えていた。



――高位貴族の入場を報せる楽団がいるということは、なにか罪に問われている訳ではないということよね……。



「侍女の帯同は、おひとりでお願いいたします」



〈庭園の騎士〉様の言葉に、フリアが視線をさげた。


だけど、わたしはフリアに帯同を命じる。



「……こ、皇帝陛下の御前など、ベ、ベアトリス様にお命じになるべきではありませんか?」


「ごめんね、フリア。あなたに、気を遣っている訳じゃないのよ……」



と、わたしはベアトリスの耳元に口を寄せた。



「ベア。……わたしが謁見の間に入れば、誰かベアに近づいて来るかもしれないわ。うまくかわして、できれば何か聞きだしてほしいの」


「……わかったわ」



いまだ、わたしが皇帝陛下に召し出された理由は分からない。


ひとり残すなら、申し訳ないけどフリアには荷が重い。


だけどフリアは、納得した様子で表情を引き締めた。



「私が果たすべきお役目を頂戴し、光栄に存じます」



〈庭園の騎士〉様に準備が整ったことを告げると、楽団が演奏をはじめた。


優雅な調べを耳にしながら、荘厳な存在感を放つ扉のまえへと進む。


まっすぐ前を見詰め、背筋を伸ばすのだけど、



――演奏が、……長い。



演奏が長いということは、それだけ多くの方が列席されていることを示す。


群臣――有力貴族の方々も揃われているのか……。


ますます、わたしをひとりでお召しになられた理由が分からなくなる。


やがて演奏が終わり、



「カルドーゾ公爵、マダレナ・オルキデア閣下のお成りにございます!!」



と、高らかな声が響き渡って、


アルフォンソ殿下とふたりでくぐるのだとばかり思っていた、重厚な扉が開かれた。



   Ψ



正面の巨大なバラ窓には、黄色やオレンジを基調にしたステンドグラスが嵌められていて、


ひろい謁見の間を、太陽が降りてきたかのように、黄金色に照らし出している。


その真下、とおくの玉座に皇帝陛下。


そして、わたしが陛下の御前へと進むべき、緋色の絨毯が敷かれた道の両脇には、数列に重なって並ぶ〈群臣〉の列があった。



――かるく数えて500人……。すべての群臣が揃われている?



心の動揺を表すことは、とるべき礼容にかなわない。


仮にわたしが、ネヴィス王国の侯爵令嬢のままであったなら、腰をかがめて小走りに素早く移動し、陛下をお待たせしないことが礼則にかなう。


しかし、いまのわたしは帝国公爵だ。


おだやかな微笑を浮かべ、一歩ずつゆったりと進む。


正面の高台では、まもなく千年紀を迎える帝国において史上8人しかおられない〈太陽皇帝〉の尊号を奉られた偉大な皇帝、イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下が玉座にお座りになられている。


ブラスゴールドの重厚感ある金髪を長く伸ばされ、おなじ色をした口髭と顎髭が胸元までひろがる。


威厳というものに、そのまま形を与えるだけで陛下の御姿となるに違いない。


うしろに控える皇帝侍女様にさえ、うっすらと威厳を感じてしまう。


ただ、陛下に向かって左側の御席には、誰もお座りになられていない。


本来は、第2皇后エレナ陛下のためのお席であるはずだ。


わずかに期待していた、アルフォンソ殿下とロレーナ殿下のお姿も見えない。


そして、陛下の向かって右側の御席には、褐色の肌に、魅惑的な笑みをたたえる女性。


妖艶にして、美麗。


〈第2皇后派〉の台頭で、皇帝陛下の寵愛を失ってなお、その美貌で輿望を集め、学問の振興にも理解がある、



皇后イシス・デ・ラ・ソレイユ陛下。



フォギーブラウンの髪に、夕陽色の瞳。帝国南方の雄、ネフェルタリ辺境伯家から輿入れされ、おひとりの皇子と、おふたりの皇女に恵まれた。


一段下がって、さらに右側に立たれているのが、ご子息だろう。


アンバーゴールドの髪が琥珀色にかがやき、あわい褐色の肌に涼やかな微笑みを浮かべられている。


〈第2皇后派〉と権勢を競う〈辺境伯派〉の象徴、



第1皇子フェリペ・デ・ラ・ソレイユ殿下。



わずかにはだけさせた胸元からは、褐色のぶあつい筋肉がのぞいている。


異腹の弟であられるアルフォンソ殿下とは、真逆といってもよい容貌をされており、逞しさと精悍さにあふれている。


お隣に立たれているのが、第1皇子妃のイサベラ妃殿下だろう。


抜けるような白い肌がフェリペ殿下と対照的で、ストレートにのばされたすみれ色の髪が艶やかだ。


さらにお隣に立たれているのが、おそらく第2皇女カタリーナ殿下。


母親ゆずりの美しいグレージュの髪に、うすい褐色をされたツヤのあるお肌。


すでに27歳と結婚には遅いご年齢におなりだけど〈第2皇后派〉に押される母皇后イシス陛下のお立場を案じ、皇宮におとどまりになっていると伝わる。


そして、もう一段下がった、群臣の列の首座に立つのが、わかき辺境伯、褐色の貴公子、



ケメット・ネフェルタリ辺境伯閣下。



切れ長の目に、キャラメルブラウンの瞳。端正なお顔立ちに、儚さも漂わせる。


姉であるイシス陛下より27歳も年下の弟君で、時の権力者であった父君セティ・ネフェルタリ辺境伯閣下が急逝された際には、わずか3歳のご幼少の身であられた。


それが、〈辺境伯派〉の握っていた権勢を〈第2皇后派〉が奪うきっかけになった。


だけど、ケメット辺境伯閣下もすでに25歳。甥である33歳の第1皇子フェリペ殿下とともに、虎視眈々と権勢の奪還を狙っているとされる。



――勢揃いね……。



なぜ、わたしの婚約者たるアルフォンソ殿下をはじめ、第2皇后エレナ陛下に連なる皇家の方が列席されていないのかは、まだ分からない。


だけど、帝国公爵とはいえ叙爵されたばかり、


それもいまだ扱いは中央貴族ではなく、地方貴族であるわたしを出迎えるには、手厚すぎる待遇だ。


静かに歩みを進めつつも、内心では首をひねる。



そして、ふと気が付く。



いや、違和感はあった。


第1皇子フェリペ殿下の隣で微笑まれる、イサベラ妃殿下。


遠目には、その美しいすみれ色の髪にあわせた装飾かしら? と認識していたのは、



――紫色の瞳。



妹パトリシアが、侍女のメイド服姿で、


礼則からは外れた、ニマリと勝ち誇る笑みを、わたしにハッキリと向けていた――。

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