第44話 妹はずっと笑っていた

第1皇子フェリペ殿下のうしろに立ち、ニマニマとした勝ち誇る笑みでわたしを見下ろす、


妹パトリシア。


なぜいるのか。なにが目的なのか。


なにも分からないけど、皇帝陛下への初めての謁見に臨むわたしを取り乱させようと、挑発していることだけは確かだった。



――その手には乗らないわ。



勝ち誇るだけの醜い笑み、


わたしだけに見せる名人芸を極めてきたパトリシアが、陛下の御前で、立ち並ぶ群臣に見られることも構わずに、


堂々と、その可愛らしい顔立ちを歪めて立っている。


わたしの心は激しく揺さぶられていたけど、表に出せばわたしの敗けだ。


礼容にかなう微笑みを、毫も揺るがせない。


帯同させたのが、パトリシアと面識のないフリアで良かった。


ベアトリスを帯同させていたら、いくら出来る侍女様でも、さすがに動揺を隠せなかったかもしれない。


所定の位置まで進んだわたしは、陛下の前に両膝を突いた。


神聖なる太陽に拝礼を捧げるのと同等に、いわゆるリヴェレンスの礼を皇帝陛下に捧げる。



「カルドーゾ公爵、マダレナ・オルキデア。お召しにより参上いたしました。拝謁の栄誉を賜り、光栄の限り。また、遅ればせながら帝国公爵への叙爵、まことにありがとうございました」


「うむ。見事なる礼容。感服したぞ、マダレナ公爵」



皇帝陛下の声が重々しく響いた。



「身を起こし、楽にせよ。直答を許す」


「ははっ。光栄に存じます」



陛下のお言葉に従い、拝礼の姿勢を解いて立ち上がる。


あらためて数多く立ち並ぶ群臣からの視線を、一身に受けていることを意識してしまう。


だけど、微笑を絶やさない。


陛下の思し召し定かならぬ初謁見に臨んで、わたしが選んだのはミントグリーンのドレス。


スズランの刺繍には、わたしの誕生石モルガナイトが淡紫色に輝く。


アルフォンソ殿下がわたしの代理侯爵就任と18歳の誕生を祝ってくださった春の装いで、


緊張の場にむかう、わたしの心を奮い立たせようと選んだ。



――だけど、パトリシアが靴音を踏み鳴らした、あの園遊会で着ていたドレスでもある。



視界の端では、パトリシアはまだニマニマと笑っているのが分かる。



――いくら籠絡上手のパトリシアでも、皇帝陛下と群臣を動かすことなどできるはずがない。……落ち着け、わたし。



皇帝陛下がブラスゴールドをしたご自身の立派な顎鬚を、撫でられた。



「マダレナ。そなたの功績は帝都においても鳴り響いておる」


「恐れ入ります」


「殊に一滴の血も流さずに軍事政変を平定したこと、まことに素晴らしき手腕であった」


「重ね重ねにお褒めの言葉を賜り、恐悦の限り。このマダレナ、生涯の誉れといたしましょう」


「うむ……」



皇帝陛下のお言葉が止まった。


返答を、なにか間違えてしまった?


微笑を保ったまま、渇いた喉に唾を呑み込む。



「……帝国を建てられた祖君、初代皇帝陛下の御世より、わが帝国は民の血を大地に吸わせることを憂いてきた」


「ははっ」


「騎士団の騎士といえども、彼らもまた民のひとり。マダレナの為した偉業は、もっと誇ってよい」


「……偶然とはいえ、帝国巡察中の白騎士様よりご助力いただきました。栄誉を受けるべきは、わが拙い手腕ではなく、白騎士様の尊いお力にございます」


「うむ……、マダレナよ」


「はっ」


「白騎士ルシアとは、随分懇意にしておるようだな?」


「お近くで触れ合う機会をいただき、白騎士様の玄妙なるお力に、ただただ感嘆の念を抱くばかりにございます」


「そうであるか。遠慮はいらぬ、そなたとルシアの関係を簡潔に申せ」


「簡潔に……、でございますか?」



一瞬、ためらった。


けれど、皇帝陛下のご下問をはぐらかす訳にも、ましてや嘘を吐く訳にもいかない。



「お友だちにございます」



ざわめく群臣たち。


帝国の最高戦力たる白騎士様と〈お友だち〉だとは、成り上がりの小娘が吐く不遜な戯言……と、受け止められても仕方がない。


しかし、嘘は言っていない。


胸を張り、微笑を絶やさず礼容を崩さず皇帝陛下から視線を逸らさなかった。



――うっうっ……、逃げたい。



と、かつてベアトリスが漏らした言葉と、おなじ気持だ。


だけど、ここで怯めば、わたしを引き上げてくださったアルフォンソ殿下の顔に泥を塗ることになる。


ましてや、わたしは殿下の婚約者だ。


皇帝陛下の詔勅も発せられた、帝国公認の婚約者だ。


陛下と群臣を前に、無様は晒せない。


そのとき、涼やかな微笑みでわたしを見ていた第1皇子フェリペ殿下が、陛下の方に振り向かれた。



「陛下。まことマダレナの功績と学才は素晴らしい」



――学才? ……そんな話はすこしも出ていなかったけど?



「ついては、妃イサベラとともに、マダレナをもてなしたく存じますが、お許しいただけませんでしょうか?」


「おお! それは良きお考え、さすがはフェリペ殿下ですな!」



と、甲高い声を発したのは、右側に並ぶ群臣の首座に立つケメット辺境伯閣下の隣に立つ男性だった。


薄い髪の毛に、薄い顎髭。頬はこけているのに、腹が出ている。


彫のふかい顔立ちの奥にある瞳からは、光というものを感じない。



――〈辺境伯派〉の太鼓持ちで、ナンバー2といったところかしら?



その陰険そうな顔が、わたしに向いた。



「どうですかな、マダレナ閣下? 帝都は初めてにございましょうから、そのままフェリペ殿下の宮殿に滞在させていただいては?」



――はあ?



と、わたしが思う前に、左手から芯のある低い声が響いた。



「マヌエル侯爵。マダレナ殿はすでに帝都に邸宅を構えておる」



左側に並ぶ群臣の首座に立たれる、黒髪を無造作に伸ばした紳士。


ほそい目の奥では、射るような鋭い眼光が光る。


帝政を牛耳る〈第2皇后派〉の首魁、エレオノラ大公閣下の兄君、



ルイス・グティエレス公爵閣下。



マヌエル侯爵と呼ばれた薄髪薄髭が、あごをしゃくった。



「ほ~う。ご到着間もないマダレナ閣下に、すでに邸宅があるとは不可解な」


「わが妹、ネヴィス大公エレオノラ閣下はマダレナ殿の〈賜姓の親〉である。いわば、帝国におけるマダレナ殿の母親として、邸宅を準備させていたのだ」


「そ、それは……、ふかい親心……。感服させられますな」


「ましてやマダレナ殿は、陛下もお許しになられた第2皇子アルフォンソ殿下の婚約者であられる。兄君フェリペ殿下の宮殿に滞在するなど、あらぬ噂を立てられるもと」



――おっ……、おっさんとおっさんが、わたしの身柄を取りあってる……。



帝政を支える高位貴族に対して「おっさん」とは不遜だけど、そうとしか言いようがない……。


ただ、相手はどちらも帝政の重鎮だ。


気の強さで鳴らしたわたしでも、さすがに言葉がひとつも出てこない。


と、皇帝陛下の右隣に座られる皇后イシス陛下が、手をあげて軽く振られた。



「いかな功績があろうとも、マダレナは嫁入り前の乙女であろう? 自らの邸宅があるのなら、そこに帰るが良い」


「ははっ」



と、マヌエル侯爵がその場で控える。


イシス陛下は、妖艶な笑みを浮かべた褐色の美貌を、わたしに向けられた。



「マダレナ」


「ははっ」


「会えて嬉しいぞ」



声音は優しげにも聞こえるけど、なにせ第1皇子フェリペ殿下の母親で〈辺境伯派〉を象徴するおひとりだ。


どのような思惑でわたしに助け船を出されたのか、読み取ることは難しい。



「まずは妾の茶会になど招きたい」


「……光栄に存じます」


「フェリペ、イサベラ。そなたらのもてなしは、その後でよいな?」


「母上の仰せのままに」



と、フェリペ殿下ご夫妻がかるく頭をさげられ、わたしは退出を許された。


最後に皇帝陛下からは、



「近く、マダレナの叙爵式を盛大に執り行おう」



との、お言葉を賜り、黄金色に輝く謁見の間をあとにした。


パトリシアは最後までニマニマと笑っていて、その意図は読み取れなかったし、非常に不快だった。



――だけど、わたしの急な召喚には、必ずパトリシアの仕掛けがなにかあったはず……。



という疑念を晴らすものは、なにも得られなかった。


ただただ〈太陽帝国〉の最上部に渦巻く、いくつもの得体の知れない思惑に、気持ちを翻弄され続けた。


この場がどういう場であったのかさえ、最後までわたしには理解することができなかった。



――だけど、なにかが確実に動き出している。



ご不在だったアルフォンソ殿下にはやくお会いして、この不可解な状況を把握したい。


そう思いながら、皇宮を出た。



   Ψ



ルイス・グティエレス公爵閣下からの迎えの馬車がまわされ、


エレオノラ大公閣下がご用意くださったという邸宅に入った。



「……サビアの〈ひまわり城〉とおなじくらいの規模ね」



と、ベアトリスが天井を見上げる。



――またしても、グティエレス公爵兄妹の手駒として、わたしは〈囲い込まれた〉のだ。



と、苦いものを感じつつも、いまは頼るほかに術がない。


皇帝陛下が群臣をまえに宣言されたからには、少なくとも叙爵式が終わるまで、わたしは帝都にとどまるしかない。


やがて、わたしの邸宅に、ルイス・グティエレス公爵閣下が姿を見せた――。

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