第42話 妹とおなじ方角へと旅立つ

エンカンターダスの秘湯で、一緒に楽しい日々を過ごしてくださったルシアさん。


そのあと、軍事クーデター鎮圧に赴くわたしについて来てくださったのは、恩返しのつもりだったのだと思う。


だけど、大荷物から大剣を引き抜くとき、最初に出会った頃とおなじ「微笑」を浮かべられた。


その壮絶な戦闘力を見せれば、わたしとベアトリスから怖がられてしまうことを、覚悟されたんだと思う。



それでも、力を振るい恩返しがしたくなるほどに、秘湯での日々が楽しかった。


白騎士になって以降、初めて出来た〈お友だち〉に報いたかった。



爆風で王国騎士団を吹き飛ばし、ご自分の上着までズタズタになったけど、


破壊力よりも、ルシアさんの丸出しになった胸にわたしが慌てている顔を見られたときの、


ルシアさんが浮かべた「微笑み」。


まだ砂塵の舞う中、ケープを広げて全力ダッシュするベアトリスに向けた、照れくさそうな「笑顔」。


胸が締め付けられる思いだった。



「……私の幼馴染は、ドレスの仕立て職人になったんです」


「へぇ~」


「あっ。……男の子です」


「ええ」


「……私に終焉が近づいて、動けなくなって聖都に送られたら、着せてくれるんですって……、自分のつくったドレスを、私に」


「あら、素敵」


「へへへっ。……私が白騎士候補になったのは11歳のときなので、アレが恋だったのかどうかも分かりませんけど……。私にある唯一の〈恋だの愛だの〉のお話でした」



ルシアさんは照れくさそうに、そして嬉しそうにはにかんでいる。


その日が来るのを待ち切れないかのように、とても楽しみにされている。



――終焉、



のことは考えない。


いまは、わたしも一緒に微笑むべき。


切ない気持ちになるのは、あとでひとりになってからでいい。


うん。


お役目から解放されたルシアさんに、自分のつくった綺麗なドレスを着せてあげたいだなんて、すごく素敵な――、



「ええっ!?」


「……ど、どうされました、マダレナ閣下?」


「……わたし」


「はい……」


「わたし、ルシアさんにドレス着せちゃいましたけど、……余計なことしちゃいました?」


「ふふっ。そんなことありませんよぉ。自分に似合う綺麗なドレスが着られて、嬉しくない女の子なんかいません」


「だけど……」


「マダレナ閣下は、アルフォンソ殿下から贈られたドレスを着て『ああっ! いままでドレスを着ないでおけば良かったわ!』って思われました?」


「ははっ。……そうですね」


「特別な一着は、なにがあっても特別な一着なんですよ……。って、ホアキンはまだ見習いなんで、私が終焉を迎えるまでに一人前になれるかも怪しいんですけどね」


「ホアキンって仰るんですね。ルシアさんの幼馴染」


「あっ、言っちゃいました。へへっ……。ちゃんと努力もしてて、皇宮の宮廷仕立工になってるんです」


「まあ……。それは、すごいですね」


「まだ見習いですけど、マダレナ閣下が妃殿下になられたら、ご贔屓にしてやってください」


「承知しました」


「ふふっ。幼馴染のために営業です」


「見事に売り込まれてしまいました」


「……ベアトリス殿とフリア殿には、内緒にしといてくださいね? ちょっと恥ずかしいから」


「ご自分は根掘り葉掘り聞かれるくせに」


「ふふっ。自分勝手なんです、私」


「分かりました。ルシアさんと、ふたりだけの内緒話にしておきますね」


「……はい」



と、はにかんだルシアさんは、どこにでもいる〈恋だの愛だの〉の話が大好きな、ふつうの女の子だった。



――戻せるものなら、元の身体に戻してあげたい。



それは、アルフォンソ殿下とも共有している、つよくて儚い願いだ。


戦乱期も含めた帝国千年の歴史で、成功した者は誰もいない。


だけど、一歩でもそこに近づくことが出来るのなら、


わたしも殿下も、力の限りを尽くしたい――。



   Ψ



わたしにドレスを着せてくれるフリアとルシアさんの〈恋だの愛だの〉の話を思い返して、


甘酸っぱい気持ちを補充してから、いざ貴族令嬢たちをお茶会へと招き入れる。


第3皇女ロレーナ殿下からお借りした学都の山荘は、磨き抜かれた木材や石材の自然な風合いを活かしたデザイン。



「アルフォンソ兄上は、そなたにベタ惚れだぞ?」



と、ロレーナ殿下から告げられたお部屋で、花嫁修業のため帝都から短期留学中の貴族令嬢たちと、瀟洒なテーブルを囲んだ。


自然光を最大限に活かす大きな窓から、初冬のやわらかな日差しが差し込んでいる。



「急なお声がけにも関わらず、お運びいただき誠にありがとうございます」


「いえいえ。ご到着されるや否や、お疲れのところのお招き、私どもといたしましても感激しておりますのよ」


「さすが、妃殿下になられる方のお心遣いと、感服させていただきましたわ」



私的なお茶会をひらくのに相応しいようにと、アルフォンソ殿下から贈られたマーメードラインのドレス。


わたしの銀髪とフォレストグリーンの瞳を引き立てるラベンダーカラーに、軽やかで動きやすいシフォン生地。


殿下はわたしを〈その気〉にさせるドレスを選ぶのが、本当にお上手。


帝国の高位貴族のご令嬢たちをお招きする主人役を務めるのに、気おくれすることがない。


風の賢者ラミエル様と、憧れのビビアナ教授に挟まれて舞い上がった〈学問バカ〉を、


たちどころに第2皇子殿下の婚約者、帝国公爵のマダレナ・オルキデアに戻してくださった。



「マダレナ閣下は大変な才媛でもいらっしゃいますのね。学都に来てそれを知り、とても驚きましたのよ」


「浅学非才の身に、恐れ入りますわ」



属国でおきた軍事クーデターを瞬く間に鎮圧し、公爵に叙爵されたわたしは、


ゴリラのような女傑だと思われていたらしい。


無責任な噂話は、貴族社会の華だ。


わたしにも身に覚えがある。優雅な微笑で受け流してこそ、爵位に見合った品格を示せるというもの。


にっこり微笑むと、みなさんとすぐに打ち解けることができた。


わたしより先に帝都に戻る彼女たちが、今度はわたしの噂話を自慢げに広めてくれるだろう。


気は抜けないし、隙も見せられないけど、ゆるやかな時間を過ごす。


そして、



「マダレナ閣下って、ほんとうに楽しいお方ですのね。私、安心いたしましたわ」



と、言わせた、わたしの勝ちだ。


彼女たちは、わたしの味方にはならないかもしれないけれど、きっと敵にもならない。


だけど、ふと妹パトリシアのことが脳裏をかすめる。


パトリシアなら彼女たちを、強烈に味方へと引き付けるだろう。


あの〈わざ〉は、わたしには真似できない。


技であり、業。



「すっかり長居させていただきました。ご成婚の暁には、マダレナ妃殿下のひらかれる舞踏会を楽しみにしております」



と、ご令嬢たちは満足気に帰って行った。


ふり向くと、夕陽に照らされたベアトリスは達成感にうなずいていたし、


フリアは高揚した笑顔で、目をおおきく見開いている。


一生縁がないと思っていた、高位貴族のご令嬢たちの茶会を取り仕切ったことが、フリアの自信になるなら素晴らしいことだ。


超絶美少女なのに、すこしだけ自分に自信の持てないところが玉に瑕だった。


もっとも、だからこそ乗馬の訓練にも打ち込んでいたようだし、フリアの美徳でもあるのだけど。


そして、ルシアさんの口元も楽しげにゆるんでいた。


侍女ごっこが、よほど楽しかったらしい。


ご令嬢たちの着ていたドレスについて、フリアと熱く語りあっていた。


わたしが山荘の風格ある門の前で、のびをひとつすると、


白いものがハラリと、舞い降りてきた――。



   Ψ



雪が下界と隔絶させはじめた学都で、わたしの皇子妃教育が始まった。


そして、わたしはふたたび、ビビアナ教授の研究室を訪ねる。



「ふ~む……。おもしろいね」



エンカンターダスの山奥の秘湯で発見した、白騎士様の〈ただれ〉の進行を遅らせるかもしれない特殊な魔鉄成分。


パトリシアの起こした軍事クーデター鎮圧や、その後の占領統治の慌ただしさで研究が止まっていたけど、


これまでにまとめていた研究結果を、ビビアナ教授に見てもらう。



「とても興味深いけど、すこし的が外れているかな」


「は、はい……」


「ほら、マダレナ嬢。見てごらん、ここのところ」


「し、失礼いたします……」



と、ビビアナ教授が指差してくださった箇所をのぞき込む。


秘湯の湯の成分を、分析した結果が書き連ねてある。



「これ。魔鉄成分じゃなくて、解呪成分だね」


「……えっ!? ……あああっ!!」


「たしかに少し珍しいけど、魔導具に作用しているとは考えにくいかな」



魔導の時代の残滓――、



呪い。



聖女たちが激闘の末に退けた、魔族の残留思念だとも言われる。


ふわふわと中空を漂っていて、人間にとり憑くとされている。


だけど、大陸すべての学問が集う、この学都サピエンティアにおいてでさえ研究する者はいない。


弱いのだ。


風邪くらい。


いや、風邪にかかるより気安い。


清浄な水で身を浄めて、しばらくジッとしていれば消える。


ごくまれに〈魔神の呪い〉と呼ばれる強力なものに憑かれたとしても、古道具屋の解呪具を使えばすぐに取れる。


したがって、呪いを解くのに作用しているとされる解呪成分も、


化学における塩のようなもので、専門に研究する者すらいない。



「まあでも、観察記録を見ると、秘湯の湯というのがなんらか作用しているのは間違いなさそうだけどね」


「あ……、はい……」



鼻高々に論文を読んでもらった、自分が恥ずかしい……。


発見でもなんでもなく、逆にわたしがデータを見落としていたのだ。



「でも、そう落ち込むことはないよ」


「あ、はい~~~~」



フォローしていただくのが、かえってツラい……。


けど、ビビアナ教授がしてくださる話だ。


歯を喰いしばって、わたしに向いた眠そうな大きな瞳を見詰め返した。



「単体で作用しているとは考えられないけど、ほかの成分と干渉し合って特殊な働きをしている可能性はある」


「ほかの成分……」


「ふふっ。……マダレナ嬢。キミの学究の徒としての〈凄味〉は、興味を持てる守備範囲の広さにある」


「……えっ?」


「なんなら、インフィニト――無限のラミエル並みだ」


「そ、そんな、わたしなどを〈風の賢者〉様と並べていただくだなんて、そんな恐れ多い……」


「うふふふふふふふふふふふふふふふ」


「……、え?」



突然、ひくい声で不敵に笑い始めたビビアナ教授は、棚から一枚の皿を取り出された。


そこにのっていたのは――、



「パンだ」


「え、ええ……。パンですね」


「なんだと思う?」


「え? ……パンだと思います」


「ふふふふふふふふふふ、マダレナ嬢」


「……はい」


「キミの卒業論文から、魔鉄製のパン釜をつくってみた」


「え……、ええ――――――っ!?」


「これは、魔鉄製パン釜で焼いた、魔鉄パンなんだよ! 食べてごらん」


「あ……、はい……」



わたしの目に映るのは、なんの変哲もないただのパン。まるくて茶色い。


恐るおそる手に取り、ちぎって、口にふくむ。



「……お、美味しい」


「だろう!? この世のものとは思えない美味しさだ!!」


「は、はい」


「すこしだけボクが手直ししたけど、ほとんどマダレナ嬢が設計したとおりにパン釜を作ったんだ」


「……こ、光栄です」


「惜しむらくは、魔鉄が高価すぎて街のパン屋に普及させるのは難しそうだ。実用化とはいかない」


「はい……、そうだと思います」


「だけど、根幹をなす理論は完璧だった」



ビビアナ教授は、以前お会いしたときでは考えられないような、


柔らかな微笑みを浮かべて、わたしの目を見詰めてくださった。



「マダレナ嬢は自信を持っていい。誰が魔鉄でパンを焼こうだなんて思い付く? きっと魔導の時代の魔導師だって、聞けば驚くぞ?」


「ははっ……、お恥ずかしい」


「いや、柔軟な発想を誇るべきだ。そして、マダレナ嬢はこの先、気になることは何でも貪欲に学んで、貪欲に吸収すべきだ。なにせ、ここは学問の都。学問のことならなんでもそろっている」



ふと、わたしの後ろで控えてくれているルシアさんの、優しげな視線がフード越しにも伝わってきたとき、


ハッとした。


まだひとつ可能性が潰れただけ――、いや、潰せたのだ。


研究はここからが本番。


ちいさなミスに、へこんでいる場合ではない。


ルシアさんたち白騎士様に役立ち、アルフォンソ殿下の夢を叶えるかもしれない研究なのだ。



――自分を諦めずに、努力してみよう。



才媛マダレナ。


努力は得意だ。



ちなみに、魔鉄パンは侍女たちにも分けてもらい、大好評だった。


ちょっと鼻の高さが戻った。



   Ψ



午前の皇子妃教育を終えた後、間借りさせてもらったビビアナ教授の研究室に通う毎日が始まった。


夕陽がさす前には、一度、ベアトリスがお茶を淹れてくれる。



「……アルフォンソ殿下からのお手紙、途絶えちゃったわねぇ」


「仕方ないわよ。この雪だもの」



窓の外は、一面の銀世界。


皇子妃教育と研究に打ち込むしか、やることもなくて、かえってありがたい環境だ。


そうして、数週間が過ぎ、雪がいちばんぶ厚く積もった頃のことだった――。



「あれ? ……お姉様たちだ」



と、ルシアさんが窓の外を眺めて、ちいさく呟いた。


顔をあげたわたしに、ルシアさんが口元を寄せる。



「……白騎士のなかでは、私がいちばん年下なんですよ」


「ああ、それで『お姉様』……」



わたしも窓の外に視線を落とすと、階下に雪のなかを歩く白銀と黒の鎧、4人の白騎士様のお姿が見えた。



――おひとりは〈終焉〉を待たれてるって仰られてたから、ルシアさんをいれて全員ね……。



と、不思議に思ったけど、すぐに手元の資料に視線を戻した。


だけど、しばらくして4人の白騎士様はビビアナ教授の研究室にそろって入ってこられて、


驚くわたしたちを尻目に、穏やかな微笑を浮かべたままの白騎士様たちが、ルシアさんを取り囲んだ。



「白騎士ルシア・カルデロン。皇帝陛下がお呼びだ。いっしょに来てもらおうか」


「分かりました、お姉様」



そして、フードをとり、サラリと広がるルシアさんの純白のながい髪。


わたしを見詰める、燃えるような紅蓮の瞳には、最大限の親しみを感じる色が浮かんでいた。



「マダレナ閣下、ありがとうございました。とてもとても楽しかったです。……ベアトリス殿もフリア殿も、ありがとうございました。ビビアナ教授も知らないフリをしてくれてありがとうございました。私は、陛下のもとに戻ります」



と、とびきりの笑顔で言ったルシアさんは、呆気にとられるわたしたちを置いて、3人の白騎士様と部屋を出ていってしまった。


そして、のこったひとりの白騎士様が、わたしのまえで膝を突いた。



「マダレナ公爵閣下。初めてお目にかかります。白騎士アメリア・マルティネスと申します」


「あ、はい……。マダレナ・オルキデアです……。お会いできて光栄です」



小柄で、少女のような容貌をした白騎士アメリアさん。


髪は真っ白で、瞳は燃え盛る紅蓮の炎のよう。


そして、浮かべる微笑まで、会ったばかりのルシアさんとおなじだった。



「陛下はマダレナ閣下もお召しにございます」


「は、はい……」


「また、ビビアナ教授は大賢者様が帝都にてお召しにございます」


「ん? ボクも?」


「はい。急なことにて申し訳ございませんが、勅命にございますれば、おふたりにはこのまま私とご同行を願います」



こうして、わたしの皇子妃教育と充実した学究生活は、唐突に終わりを告げた。


わたしをお召しの皇帝陛下と、


アルフォンソ殿下が、わたしを待ってくださっている、帝都ソリス・エテルナに向かうため、


西へと旅立つ。


逃げるパトリシアが旅しているのと、おなじ方角へと――。

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