第41話 顔を寄せ合った
エンカンターダスの収穫祭には、領内各地から秋の実りが持ち寄られる。
そして領民たちは、この1年の出来事を口々に、わたしへと語って教えてくれる。
そのなかに、気になる話があった。
――パトリシアだ。
イエローオレンジの髪に紫色の瞳。なにより可愛らしい容姿。
ひと目を忍んだ逃亡旅であるがゆえに、僻地の田舎道を選んだのだろう。ただ、そういう場所で旅人を目にすることは珍しい。
「いや~ぁ、あんな田舎を、あんなに可愛らしい人が通るのを、初めて見ましたよ~」
と、人の良さそうな農夫が、日焼けした顔をしわくちゃにして語って聞かせてくれた。
ヘラヘラと軟弱そうな金髪の男と連れ添っていたということだから、きっとジョアンと一緒なのだろう。
――帝国の東端に位置するネヴィスから逃亡するなら、西に向かうしかないものね……。
これから学都へ、そして帝都へと向かうわたしと、おなじ方角へと逃げるパトリシア。
いつか安住の地を見つけ、もしもわたしと再会することあるのなら、せめて幸せに笑っていてほしいと、――願った。
Ψ
山岳地帯に位置する学都サピエンティアは、雪が降るとアクセスが難しくなる。
名残惜しいけど、いそいで旅支度を始めた。
それと、エンカンターダスの代官ナディアと騎士団長フェデリコは、もともとは第3皇女ロレーナ殿下からつけていただいた家臣だ。
「あのふたりは、私の〈子飼い〉だ。そろそろ返してもらってもいいか?」
というお話だったので、交代要員の選定もはじめる。
ただ、文官のナディアはともかく、フェデリコは皇帝陛下の直属である〈庭園の騎士〉様だ。
にも関わらず皇女殿下の〈子飼い〉なんてあるのかと、すこし帝政の複雑さに気圧された。
とはいえ、わたしの侍女をつづけるベアトリスからすれば、恋人のフェデリコが帝都に戻ることは願ったりかなったりだろう。
「むこうのお父様とお母様からも、基本的にはご承諾いただいてて、あとは直接ご挨拶すれば……、本決まりなのよ。……結婚」
と、ほほを赤くしていた。
ちなみに、サビア伯爵位をあげると言ってた話は、ベアトリスからつよく断られた。
「そもそも結婚のためにって話だったのよ? 私のお父様が帝国伯爵に叙爵していただいただけで充分よ」
「……そう?」
「それにサビアは、エレオノラ大公閣下のご実家、グティエレス公爵家にとっても、重要な場所なんでしょ?」
「うん、そう仰られてたわ」
「いらない。ほんとに、いらない。……私、苦労するマダレナを援けるのは好きだけど、私自身が苦労したい訳じゃないのよ」
「おう……。すごい本音を、サラッと……」
「……サビア代官のエステバン様がグティエレス公爵閣下のことを『頭の切れる悪戯っ子だった』って仰られてたわよね」
「ええ。幼馴染でいらしたそうだから」
「そんな方が大人になって、帝政で権勢を握る……。私じゃ太刀打ちできないわよ」
「ええ~っ!? わたしは?」
「だから、援けるってば。出来る侍女ですから」
「……見捨てないでね、ベア」
「もう! ……大丈夫よ。なにがあっても、私たちは一蓮托生。絶対、私はマダレナの側から離れないわ」
エレオノラ大公閣下の兄君、ルイス・グティエレス公爵閣下。
帝政を壟断する実力者。
いまの地位に昇り詰めるため、悪どい手も使われたと、よくない評判も多い方だ。
けれど、アルフォンソ殿下の最大の後ろ盾でもいらっしゃるはず。
大変な大物だけど、わたしはきっと冷静に向き合わなくてはいけない。
わたしが愛する人は帝国の第2皇子で、しかも皇太子の座を目指そうとされている。
結婚に向けて〈恋だの愛だの〉だけに浮かれている訳にもいかない。
けど――、
最近届く、アルフォンソ殿下からのお手紙は、わたしが結婚式で着るウェディングドレスのことばかりだ。
それも、毎日仰ることが変わる。
いろいろなわたしを想像してくださっていることが伝わって、
照れる。
殿下はまだまだ、わたしに恋焦がれてくださっていて、わたしを浮かれさせる。
――うん。まずは、学都でしっかり皇子妃教育を修めて、あれこれややこしいことは、結婚式のあとね。
と、素直に胸を弾ませておくことにした。
Ψ
学都に到着した朝。もう、息が白い。
とにかくまずは、わたしの心のスーパースター、ビビアナ教授に到着のご挨拶させていただこうと、研究室を訪ねた。
相変わらず眠たそうなビビアナ教授の大きな瞳が、ソファに座るわたしの後ろに向いた。
「あっ……。わたしの新しい侍女、ルウ・カランコロンです」
「ふ~ん。マダレナ嬢の侍女はベアトリスもフリアも優秀だからね。きっと、ルウも優秀なんだろうね。ビビアナ・ナバーロだ、よろしく」
「はい……、よろしくお願いします」
魔道学の権威たるビビアナ教授。
フードで髪と瞳を隠したくらいでは、ルシアさんの正体を見破られるんじゃないかと、実はヒヤヒヤしてた。
けど、なんとか気付かれずに済んだみたい。
もちろん、知って知らぬふりをしてくださってるだけかもしれないけど……。
「あ、そうか。マダレナ嬢は、アルフォンソ殿下と婚約したんだっけ?」
「え、ええ……」
「え? 侯爵? 公爵? ……叙爵もされたんだったよね?」
「はい。公爵に……」
「じゃあ、マダレナ嬢なんて呼べないな。マダレナ閣下だ」
まあ、前にお会いしたときも伯爵ではあったんですけどね……。
「教授から閣下などと呼ばれては……」
「うんうん。まあ、どっちでもいいよ」
自由。
「ところで、ボクは自分の恋やら愛やらにはまったく興味が湧かないんだけど、他人の恋や愛には興味津々なんだ」
「……え?」
「ボクも女だからね。37と少し歳はいってしまったけど、まだまだ興味は尽きない。ぜひ、機会をつくって、アルフォンソ殿下との恋物語を語って聞かせてほしい」
「あ、ええ……、わたしの話などでよろしければ……」
「そうそう。マダレナ嬢の結婚式とおなじ頃には、ボクも帝都だ」
「え? ……それって」
「うん。いよいよ、賢者にさせられてしまうことになった」
「お、おめでとうございます――っ!」
と、わたしが思わず立ち上がったときだ、
ビビアナ教授の研究室のドアが、コンコンッとノックされた。
「ビビアナ、失礼するよ。マダレナ閣下がお見えと聞いてね」
入ってこられた男性は、中性的で端麗なお顔立ちに白い肌、透明感のあるブルートパーズのような淡い青色をした瞳、ブラウン気味の銀髪をながく伸ばされていて、
額のうえには黄金の前天冠――ティアラ状の頭飾りを、燦然と輝かせていた。
呆然と立ち尽くすわたしを見て、ビビアナ教授が呆れたように口をひらかれた。
「なんの用だ、ラミエル? いきなり入ってきて、マダレナ嬢が驚いてるじゃないか」
「ごめんごめん。これも仕事だよ。皇子の婚約者が来てるのに挨拶もしないでは、帝都がうるさい」
「これだから……、ここは学問の都サピエンティアだぞ? マダレナ嬢、こいつのことは知ってる?」
「もちろん、存じ上げております……。〈風の賢者〉様……、インフィニト=ラミエル・メンドーサ様でございますよね?」
「やあ、知ってもらってたとは光栄だ」
「と、とんでもない……。こちらこそ、お会いできて光栄に存じます……」
学都サピエンティアの中心機関〈賢者宮〉から天に向かって4つにのびる尖塔のうち、〈風の叡智〉塔を主宰される賢者様。
賢者筆頭たる大賢者様にならぶ、帝国の最高知性のおひとり。
先代の皇帝陛下から直々の諮問を受けられた際、ご専門の魔導学以外の分野でも、すべて淀みなく答え切られ、
インフィニト――無限の名乗りを許された、当代きっての知の巨人。
「帝都行きの前に、マダレナ閣下にお会いできてよかったよ」
「ん? ラミエル、帝都に行くのか?」
と、親しげに会話を交わすビビアナ教授がわたしのスターなら、風の賢者ラミエル様は、わたしの神様だ。
ひ、跪きたい。
「次の白騎士を選定する時期だ。すでに大賢者様は帝都に入られた。雪に閉ざされるまえに、私も行かなくてはならない」
「そうか……。ひとり、終焉が近いって言ってたっけ……」
「うん。魔導学を司る賢者として、私も立ち会わないといけないからね」
「あ~~~。ラミエル、もう少し賢者つづけたら? ボク、やっぱり向いてないよ」
「ふふっ。賢者なんていっても、仕事の大半は帝都と学都の調整だ。私だって早く替わってほしいんだ」
と、ラミエル様がわたしの顔を見られた。
「すまないね。賢者に幻滅させちゃった?」
「い、いえ、そのようなことは……」
「魔導学を修める者は、権力欲に乏しい変わり者が多い。大賢者もここ何代かは、政治学や経済学を司る〈火の賢者〉から出てばかりだ」
「そうそう。面倒なことは連中に任せておけばいいんだよ」
と、ビビアナ教授が口をとがらせた。
「まあ、そう言うなよビビアナ。帝都もキミには期待してるんだ。久しぶりに〈風の叡智〉塔から大賢者を輩出できるかもしれないって」
苦笑いの神様が、ふくれっ面のスターを宥めてる……。
なんだこれ。
なぜわたしはこんなところに……。
尊い……。
カチコチに固まってるわたしの隣に、ラミエル様が腰を降ろされた。
「か、風の賢者様の論文も、ぜ、全部、拝読させていただきました!!!!」
「え? 嬉しいな。ふふっ、……マダレナ閣下も、どうぞお座りください」
「は、はいっ! ……失礼します」
ソファで隣り合わせに座らせていただくだなんて……、だなんて……。
御歳53歳とは思えない、美貌といってもいい美しいお顔にも緊張するけど、なにより、わたしの神様だ。
「ま、魔鉄に関するものは、特に何度も読ませていただきました!」
「そうか……。マダレナ閣下がご出身のネヴィスは、質のいい魔鉄の産地だったね」
「はいっ!」
「……魔鉄は白騎士の出力を抑えるのに、必須なんだよ」
「……抑える」
「うん。しかも、魔鉄は朽ちる。魔力を放出し切ったら、ただの鉄より脆くなる。常に供給が必要だ。良質な魔鉄鉱山は、帝国の平和を守る要なんだよ」
「はい……」
こうサラリと講義がはじまる、学都の雰囲気が、
たまらなく好きだ。
「ふふっ。マダレナ閣下は、いい目をしてるね」
「えっ? そ、そうでしょうか?」
「あたらしい知識に触れると、すぐに輝いてしまういい目だ。そんな方が皇家に入られることは、学都にとっても喜ばしい」
「……はい、ありがとうございます」
「帝政において、宰相や大臣なんてのはただの使い走りだ。すべては皇家と有力貴族たちの権力闘争で決まる」
「……はい」
「学都を別けられた、時の皇帝陛下は偉大だったけど、完全に帝都と無関係とはいかない。理解ある方が皇宮に入られることは、われわれ〈究極の学問バカ〉にとって喜ばしいことだよ」
「こ、心いたします……」
「……とまあ、帝政は複雑怪奇だけど、それでも剣で決着をつける戦乱期よりはマシかもしれないし、数千年つづいた魔導の時代に比べたら、遥かに民は平穏に暮らせてるよ」
「はい、それは……」
「うん。すべては白騎士たちのお陰だ」
と、ラミエル様がほそめた目は、まぶかにフードを被ったルシアさんに向いた。
「感謝を忘れてはいけないね」
Ψ
突然ご降臨されたわたしの神様に、うわの空になったわたしの手を、ベアトリスが引いてくれる。
ほんとうはルシアさんの気持ちも気になってるんだけど、頭がうまく回ってくれない。
ロレーナ殿下から使用を許可していただいた山荘に入って、荷物を降ろしても、どこか落ち着かない。
――か、風の賢者様と話しちゃったよ、わたし……。
しかも、これからわたしに皇子妃教育を施してくださる、家政学や史学などを司る〈水の叡智〉塔の〈水の賢者〉様まで、わざわざご挨拶に来てくださった。
「皇家に嫁入りするってことは、こういうことなんでしょ。たぶん」
と、ベアトリスが眉をよせて笑ったけど、言葉はわたしの耳をすり抜けていく。
「どうする、マダレナ? お茶会。明日にする?」
「お茶会……?」
「ロレーナ殿下から言われてたでしょ? 短期留学中の貴族令嬢を招くようにって」
「え……?」
「皇子妃になる者の務めとして、そこはキッチリやっておけ……、って仰られてたじゃない? そのために山荘までお貸しいただいたのに」
「あ、ああ……。いや、やる。今日、やる」
「もう、ほんとに大丈夫?」
「今日、やっておかなくちゃ。わたし、お妃様になるんだし」
「わかった。私はご招待に宿舎を回るから、フリアとルウにドレスを着せてもらっておいてね?」
「わ、わかった。……フリア、ルウ、お願いね」
心が忙しくて仕方ないけど、アルフォンソ殿下と結婚するとは、こういうことだ。
学問の神様に舞いあがった後は、華やかで煌びやかな社交の場をひらき、微笑を浮かべてもてなさないといけない。
貴族令嬢たちの最大の関心事は、いつも〈恋だの愛だの〉だ。
魔導学がどうした魔鉄がどうした、なんて話題では、もてなすことはできない。
テキパキとわたしを着替えさせる、フリアをジッと見つめる。
「一度、故郷のサビアに帰って、婚約者の幼馴染に会って来たら?」
と、学都に向かう前に尋ねたのだけど、フリアは口を可愛く尖らせた。
「……私、一人前の侍女になるまで帰らないって言っちゃったんで」
「え~?」
「アイツ……、『お前なんかどうせ、偉い姫様に遊ばれてるんだよ。すぐに飽きられて放り出されるだけだよ』なんて、言うんですよ!?」
「まあ……」
「だから、私、ベアトリス様みたいな立派な侍女になるまで帰らないんで、お気になさらないでください」
当人を、ちょっとのぞき見してきたことはフリアには内緒のままだ。
ツンツンの金髪、小柄で元気そう、ヤンチャっぽい吊り目で八重歯、顔をススだらけに働く少年……、
――言いそう。
と、ほんわかした気持ちに包まれた、わたしとベアトリスとルシアさん。自称お姉様3人。
フリアが、すこし俯いて鼻の頭をかいた。
「……でもね。そんなこと言っときながら、最後は『頑張れよな』って、笑うんですよ? 信じられなくないですか?」
「まあ……」
「そういうヤツなんですよ。だから、ほっといて大丈夫です!」
にへっ。
と、フリアが笑い、
ズッキューン、
となった、わたしたち。
フリアが部屋を出ると、すぐに顔を寄せ合った。
「マダレナ。私、キュンとしたわ、キュンと」
「いやー、たまらなかったわね」
「鼻血出るかと思いました」
「えっ……? 白騎士様に血を流させた敵なんているんですか?」
「聞いたことありませんね」
「帝国の最高戦力を上回る破壊力ですか。フリアの『にへっ』は……」
「あっ……。私、そろそろ……」
「あら、ベアは、フェデリコと逢引きのお時間ですか?」
「もう! そうよ!」
「えへへへへ。あとで、いっぱい話を聞かせてくださいね」
「もう、ルシアさんまで、そんな目で……。変わりばえしませんよ、どうせいつもと同じです」
「それがいいんじゃないですかぁ~」
わたしたちの周りには〈恋だの愛だの〉の花が、いっぱいに咲き乱れていた。
そして、ベアトリスも部屋を出ていき、ルシアさんとふたりになると、
「……私にもね、幼馴染がいるんです」
と、穏やかな微笑みを浮かべたルシアさんが、ポツリポツリと話しはじめてくれた――。
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