第25話 いつでも華やぐ、恋だの愛だの

秘湯のある山岳地帯を一気に駆け降りると、平野部はすでに初夏を迎えていた。



――イヤな季節ね。



今年はじめて浴びるぬるい夜風が、


ジョアンに婚約を破棄され、独り惨めに過ごした夜を思い起こさせた。


もう1年も前。


だけど、わたしの1度しかない大切な17歳を、暗澹たる幕開けにしてくれた出来事だった。


その後が、いかに煌びやかで華やかであろうとも、あんな出来事、ない方がよかった。


婚約破棄してくれて、ありがとう! などと思ったことは、一度もない。


ざまあみろ! とか、そもそも婚約するな! とは、何回も思ったけど……。



いや――、



ぷるぷるっと顔を振り、松明をかざして前を駆ける騎士団長フェデリコの背中を、グッと見据えた。


そして、わたしの周囲を護って駆ける屈強な帝国騎士たち。


いまのわたしは独りではないし、感傷にふけっていられる立場でもない。


妹パトリシアが原因となり、属国ネヴィス王国で起きた軍事クーデターという非常事態。


宗主国〈太陽帝国〉の東を守る城塞都市エンカンターダスを預かる代理侯爵として、わたしは冷静かつ厳正に対処しなくてはならない。


愛馬を駆って進む道は、ふたたび登り坂になっていき、


稜線から朝日が姿をみせる頃、山肌に張り付き黄金色に輝くエンカンターダスの主城へと帰り着いた。



   Ψ



すでに貴賓室に幕営が置かれ、すべての重臣がそろって、わたしの到着を待っている。


だけど、まずは正装に着替えなくてはならない。


高位貴族らしいまどろっこしさだけど、守らなくてはならない品位と格式がある。


自室に入り、アルフォンソ殿下に贈っていただいたコーラルピンクのドレスに着替えさせてもらう。


ミントグリーンの〈新作〉のドレスは春仕様に過ぎて、季節に合わない。


それに、いただいた殿下には申し訳ないけど、あの園遊会で着ていたドレスで、パトリシアの不始末が引き起こした事態を話し合う場には出たくない。


ふと、着替えさせてくれるフリアの手が、ちいさく震えているのに気が付いた。


ベアトリスには温泉宿の撤収を頼んだので、まだ帰城できていない。


初めてひとりで着替えさせるのが、こんな緊急事態では、フリアが緊張するのも無理はない。



「乗馬の練習はどうだった?」



と、わたしの言葉にフリアは、ハッとして顔をあげる。


わたしのフリアは、清楚な美しさを備えた、相変わらずの超絶美少女。


だけど、その類稀なる美貌を緊張で引きつらせては、もったいない。



「あら? サボってたの?」



と、からかうように笑うと、フリアの手は少しスムーズになって動き始めた。



「い、いえ……。サボるだなんて、とんでもない。騎士団長のフェデリコ様が、ご指導くださって……」


「あらそう、フェデリコが? それは、贅沢な先生だったわねぇ」


「……ベアトリス様から、お口添えいただいていたようで」


「そう」


「あの……」


「なあに?」


「ベアトリス様とフェデリコ様は、その……」



手はテキパキと動き始めたけど、表情はモゴモゴし始めたフリア。



――そういえば、最初にフェデリコを見たときのフリア、目をハートマークにさせてたわね……。



と、苦笑いしてしまった。



「わたしの口から答えるべきことではないわね」


「そ、そうですよね……。申し訳ありません……」


「次はフリアのお相手を見付けないとね」



という言い回しで、暗に伝えたので充分だと思ったのだけど、フリアは手をピタッと止めてしまった。


そして、おずおずと私の顔を見上げる。



「あの……」


「なあに?」


「……いまさら、言いにくいのですが」


「いいのよ。なんでも言ってちょうだい。なあに?」


「私……、将来を誓い合った相手がおりまして……」


「ちょっと待って、なにそれ? 聞いてないんだけど?」


「す、すみません……。お聞かせするほどのことでもないかと……」



と、フリアの手はまた、手際よく動き始める。


どんなときでも〈恋だの愛だの〉には気持ちが華やぐ。フリアだって、ベアトリスのことを尋ねたのは、ただの興味だったのだ。


手を震わせてたくせに、意外と肝が座ってる。


質問責めにして――、



「幼馴染……」


「……は、はい。故郷のサビアでやってる風呂屋の息子で、毎日、風呂を沸かして、顔をススだらけにしています」



フリアの幼馴染はきっと〈いい幼馴染〉だ。きっとそうだ。そうに違いない。


事態が落ち着いたらサビアに帰って、わたしの美少女侍女フリアに相応しい男かどうか、面接してやろう。


と、妙な動揺をしてしまった。



たぶん、余計なお世話だ。



そして化粧台のまえに座り、メイクを施してもらう。


今日のわたしには、さすがに〈可愛らしい〉は必要ない。


きっちり、凛々しく仕上げてもらい、立ち上がった。



「ありがとう、フリア。お陰で、すこし気持ちが落ち着いたわ」


「いえ……、もったいないお言葉。ありがとうございます」



サッと身を翻し、裾をフリアに持ってもらいながら部屋を出た。



貴賓室の天井には、天体図を描いたフレスコ画が飾られ、クリスタルのシャンデリアが輝く。


象嵌された大理石、磨かれたローズウッド、ベルベットの張地、調度品はどれも絢爛豪華。


重臣たちが立ち並び、わたしの到着を出迎える中、部屋の奥へと進み、主座に就く。


わたしの背後には、貴賓室をより一層に豪華に彩る、第3皇女ロレーナ殿下から贈られた艶やかな鎧が飾られ、差し込む朝陽をうけてピーチピンクに反射し、



わたしが握る、軍権を象徴している。



かつて戦乱期の東方遠征では、時の皇帝陛下の幕営が置かれたこともある、エンカンターダス主城の貴賓室。


みなが椅子に腰を降ろしたところを見計らって、わたしの左隣に座る代官ナディアに促した。



「はじめましょう。まずは状況を報告してください」



   Ψ



文官武官すべての重臣から、城の状況、収集できてる情報の報告を手早く受ける。


ただ、ネヴィス王国のロシャ伯爵からまずは国境沿いの支城に一報が届けられ、すぐに放った偵騎――偵察の騎士はまだ戻っていないとのことだった。


ともに山奥の秘湯から帰城したばかりのフェデリコが、疲れを見せずに淡々と分析する。



「帝国騎士としては、すこし戻りが遅い……。やはり、事態は深刻で間違いないかと」



最後に代官のナディアが、一通の書簡を取り出した。



「ご領地サビアの騎士団長ホルヘ・サントス殿が、マダレナ閣下に出兵の許可を求めておられます」


「ホルヘが……」



サビアは、エンカンターダスよりもネヴィス王国の王都に近い。同程度には状況を把握しているはずだ。


ロシャ伯爵は、王太后宮が包囲されていると言っていた。


若き日の純愛を貫くホルヘは、王太后陛下のことが心配でたまらないことだろう。


いや、そうであれ。


わたしが出兵を許可しなければ、地位をかなぐり捨てても、単騎駆け付けようとしてほしい。


などと、他人の恋路に勝手な夢想をしているうちに、すべての報告を聞き終えた。



わたしが意志を明らかにする段となり、フェデリコが濃紺の長い髪をハラリと垂らし頭をさげた。



「マダレナ閣下に献言いたします」


「献言を許します」


「サビアの兵力はおよそ2000。〈庭園の騎士〉においても勇名高き、ホルヘ殿が率いるといえど、総兵力3万を数えるネヴィス王国に出兵させるのは、いささか危険です」


「はい」


「私がエンカンターダス4000の兵を率い、サビアにて合流した後、合計6000の兵をもって威力偵察を行うのが、よろしいかと存じます」


「……威力偵察」


「万一、誤報であれば帝国の威信に関わります。まずは、状況を詳細に把握するのが肝要かと」



わたしの右手にならぶ騎士団の将帥たち。左手にならぶ高位文官たち。


そのすべての視線が、わたしに集まる。


ひとつ息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


そして――、



「フェデリコ。わたしは第3皇女ロレーナ・デ・ラ・ソレイユ殿下の代理人である」


「ははっ」


「そして、恐れ多くも太陽皇帝イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下のおん義叔母ぎしゅくぼたる、エレオノラ王太后陛下が危地にあるとの報せ」



皇帝陛下の御名に、貴賓室の空気がピンと張り詰める。


わたしの後背を彩る、艶やかなピーチピンクの金属光沢――、



「太陽の所有者――、デ・ラ・ソレイユの尊き姓を一身に背負われる、ロレーナ殿下であれば、皇帝陛下より預かる大切な帝国騎士のみを危地に送り、自らは護りの厚い城の奥で、ぬくぬくと帰りを待つことなど、されるはずもない」


「い、いや、それは……」


「わたしが率います。殿下より贈られた鎧は、このときのため。いま身に着けることなくして、殿下に顔向けできましょうか」


「お、おやめくだいませ……」



と、絞るように声を出したのは、代官のナディアだった。



――ナディア殿、閣下のご意志ですぞ!?



と、たしなめ咎める声が小さく響く。


だけど、ナディアは縋るような強い目で、わたしを見詰めて離さない。



「……献言を許す。存念を申せ」


「マ、マダレナ閣下は……、で、殿下より託されました大切な御身。危地に赴かれようとされるのを、お止めせぬ訳には参りません……」



やはり、ナディアはわたしが、



――アルフォンソ殿下の想い人。



であることを、知っていたのだな。


想い人とは我ながら気恥ずかしい表現だけど、ナディアの懸命な視線が、それを物語っていた。



「ナディア」


「ははっ」


「そなたの忠義の心、きっと〈殿下〉もお喜びになられよう。しかし、わたしも〈殿下〉の名に傷を入れる訳にはいきません。それでは〈殿下〉のお近くで仕える資格を失いましょう」



グッと、奥歯を噛み締め、堅く目を細めるナディア。



「……僭越なことを申しました。マダレナ閣下のご意志に従います」



わたしの言いたいことが伝わったらしい。


もし、ここでわたしが王太后陛下を見捨てたりしたら、アルフォンソ殿下との結婚どころの話ではなくなる。


出兵し敗戦するよりも罪は重い。


エンカンターダスを預かる代理侯爵として、厳しく責任を問われる行い、


フェデリコが〈威力偵察〉などと言ったのも、そのためだ。



――まったく。ロレーナ殿下も、どこを任せられるのよ。



と、思わないでもないけど、いまさら言っても仕方がない。



「出兵の準備を。整い次第ただちに、まずはサビアに向かいます」



わたしの命令で、慌ただしくなる城内。



ロレーナ殿下にいただいた、煌びやかな鎧にひとり手をあてた。


まさか、もう一度、身に着けることになるとは、思いもしなかった。


それも、妹パトリシアのせいで、母国に攻め入る騎士団を率いて――。



姉妹の因縁に決着を付けるのは、この機会のほかにないと、覚悟を決め、


わたしを鎧に着替えさせるよう、フリアに命じた。

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