第23話 妹の靴音が響きつづける
昨晩はルシアさんの部屋ではしゃぎ過ぎて、ベアトリスも一緒に3人で寝落ちしてしまった。
「ごめんなさい、……侍女失格ね」
「いいわよ、公式記録に残るわけじゃないし」
「でも……、風聞になればマダレナの評判に傷を付けちゃうわ……。〈翡翠〉にお会いするために、大事なときなのに……」
「大丈夫、大丈夫。ルシアさんだって、誰にも言わないわよ」
と、笑い飛ばして自分の部屋にもどる。
街にくり出す前に、主城にのこる代官ナディアから届いていた報告書に目を通す。
ナディアの言ってくれた「休暇のつもり」は、あくまでも「つもり」であって、ほんとの休暇ではない。
朝と夕に、報告書とわたし宛ての書簡が届けられる。
「あちゃ~」
と、そばで控えるベアトリスが、額に手をあて間の抜けた声をあげた。
お父上である、ロシャ伯爵からの書簡を手にしていた。
「どうしたの?」
「あ、うん……。なんか、ゴネてるみたいね……、パトリシア」
「……えっ?」
わたしの園遊会でやらかした非礼で、謹慎させられている妹パトリシア。
王太后陛下からの説諭には、涙を流して謝るのに……、
「……陛下が帰られたら、文句ばかり言ってるって」
「ロシャ伯爵の耳まで届くって、そうとうじゃない?」
「痛い目みそうね、パトリシア」
「……ベア、わるい顔してるわよ?」
表裏のある性格だと思い知らされたパトリシアだけど、ここまでだとは思わなかった。
わたしに嫌味を言いたいがばかりに、国の威信を傷付ける失態をしでかしておきながら、まだ懲りないのか……。
Ψ
山奥の秘湯は、庶民の観光スポットだ。
ちいさいながらも賑わいを見せている。
お忍びのわたしとベアトリスは町娘風の衣装に着替え、ルシアさんにも着せてあげた。
ただ、真っ白な髪と紅蓮の瞳は隠さないと、温泉客を緊張させてしまう。
フードをかぶせて小さな花飾りをつけ、オシャレしてる風にベアトリスが仕上げてくれた。
鏡に映った自分を、まじまじと見詰めるルシアさん。
実に可愛らしい。
右に左に顔を振り、鏡を確認してるルシアさんの女の子っぽい仕草に、ほっこりさせられてしまう。
「ルシアさん。こういうときに唱えるべきと、太古から伝わる秘密の呪文をご存知ですか?」
「……え?」
「これが、わたし!? ……って言うんですよ」
「あはっ」
3人でケタケタ笑ってから、街にくり出す。
ぽつりぽつりと並ぶ屋台から、定番とも言える肉の串焼きをほおばり、山奥で採れた珍しい果物をかじる。
「甘くて酸っぱくて、美味しいわねぇ~!」
「……これ、輸出できないかな?」
「もう、マダレナ。そういうのは城に戻ってから考えることにして、いまは楽しみましょうよ!」
「そうね、せっかくだしね!」
と、学生時代に戻ったように、街あるきを楽しむ。
そして、肩の力の抜けた感じのベアトリスがつぶやいた。
「久しぶりねぇ、こういうの」
「ほんと……、久しぶり」
王都にいた学生の頃は、こんな風にお忍びで出かけることもよくあった。
怒涛の1年だった。
学生時代の街遊びを思い出すと、どうしても横にはベアトリスのほかにパトリシアとジョアンがいて、すこし苦い思いがするけど、
たしかにあの頃は、お気楽で楽しかった。
おもいがけず、息抜きの時間をとれて、わたしの肩からも力が抜けていく。
足取りも軽くなった気がして、屋台を見て回り、
「あっ! あのイヤリング、ルシアさんに似合いそう!」
と、ふり返ると、ルシアさんがいない。
今の今まで、そこにいたはずなのに。
おや? と、首を左右に振ると、左手に伸びる道の向こうに姿を見付け、
「ルシ……」
と、わたしが名前を呼びきる前には、また姿が消える。
おやおや? っと、目を見開いたら、
「財布……、落とされましたよ?」
と、ルシアさんの柔らかな声が、今度は右側から聞こえてきた。
そして、次の瞬間にはわたしの横にいて、耳打ちしてくれる。
「スリがいましたので」
「え、ええ……」
「悪事を働けば魔神の呪いが憑くぞって、耳元でささやいたら腰を抜かしております。肝のちいさな小悪党……、捕えずとも、もう悪さはできないでしょう」
と、微笑むルシアさん。
呆気にとられて、もう一度、左側の道に目をやると、
やせぎすの男が、しりもちをついて震えていた。
耳元のささやきと手元から消えた財布に、肝を冷やしたスリの男が地面に尻を着くまでの、ほんのわずかな時間で、
ルシアさんは道の端から端まで移動していた。
そして、街を歩く温泉客たちの、誰もそれに気が付いていない。
いや、横にいたベアトリスでさえ気付いてない。
――帝国の最高戦力、白騎士。
わたしの理解を超えるその能力に、ただただ驚いた。
ゆうべ一緒にはしゃいで、仲良くなっていければ……、ルシアさんも恋だの愛だのに興味津々のふつうの女の人だって知らなければ……、
わたしは、その恐ろしさに身を震わせていたかもしれない。
可愛らしい町娘姿で微笑むルシアさんに、
「ありがとうございます」
と、領主代理としてお礼を言って、笑みを返した――。
Ψ
学生気分で街あるきを堪能して宿にもどり、露天風呂に向かう前に、主城から届いた夕刻の報告書に目を通す。
中味のあるような事件が起きてたら大変だけど、儀礼的な意味あいの方が大きい。
用事もないのに騎士をひとり走らせるとは、非効率極まりない。
だけど、これも、
――第3皇女殿下の代理人、
としての責務だ。やめさせる訳にもいかない。
ただ、一緒に届けられた2通の書簡に、わたしは頭を抱えた。
ひとつは、王太后陛下からの密書。
ベアトリスも眉間にしわを寄せる。
「……マダレナを王太后宮での晩餐会に招待したいって、それ……」
「うん……、わたしへの謝罪の意味だろうけど……」
「……パトリシアに、身の程を思い知らせるためでしょうね」
「たぶんね……」
正式な招待のまえに、日取りの調整を打診してこられた王太后陛下。
パトリシアのしでかした失態は、国をあげての奔走もあって、帝都にまでは届かなかった。
――なにもなかった。
ことに出来たにも関わらず、わざわざわたしを招くというのは、なにか別の意味を生じさせかねない。
苦笑いしたベアトリスが、呆れたようにため息を吐いた。
「こりゃ、あの王太后陛下をしても、パトリシアには相当手を焼いてるわね」
「あたま、痛い……」
「主賓のマダレナからは、はるか遠く離れた席に座らされるでしょうからね、パトリシアは」
「大人しく出来るかな? パトリシア」
「王太后陛下にされたら、最後のチャンスを与えてるおつもりなんじゃない?」
「……そうよねぇ」
「どうする? 行ってパトリシアの『ぐぬぬぬぬっ』ってなる顔を見に行く?」
「大恩人の王太后陛下からの招きを、断りにくいしねぇ……」
と、もう一通の書簡をひらくと……、
「お母様からだ……」
家籍を離れたとはいえ、血のつながる家族だ。わたしが了承する分には、私的書簡を送っても咎められることはない。
だけど、パトリシアの愚行が聞こえているタイミングだ……、
ベアトリスも息を呑んだ。
「お母様、なんて……?」
「サビアに移住させてもらえないかって、打診してきてる……」
「えっ? ……パトリシアから逃げたいの? マダレナのお母様って、パトリシアのこと可愛がられてたよね?」
「ううん。……もっと、意味が重いわ」
「え?」
書簡を机に置いて、目を伏せた。当然、眉を険しく寄せてしまう。
お母様が長女のわたしを、初めて頼ってくださったと喜んでる場合でもない。
事態はもっと深刻だ。
「……お父様の引退を早めて、カルドーゾ侯爵家の家督を、パトリシアの夫であるリカルド殿下に譲るおつもりね」
「ええっ!? お父様、まだそんなお年じゃないでしょ!?」
「パトリシアの離縁、もしくは処断を防ぐのに……、お父様とお母様が、そこまで追い詰められてる」
「……マダレナ。あなたの妹、すごいわね」
「ベア、笑いごとじゃないわよ」
ふたつの書簡をあわせて考えると、
わたしを主賓に招く公式晩餐会で、王太后陛下は殿下の臣籍降下を発表されるおつもりなのかもしれない……。
リカルド殿下が臣籍降下すれば、当然パトリシアも第2王子妃から侯爵夫人に降格になる。
しかも、殿下はまだ王弟ではないから、大公位も賜れない。
わたしから奪ったカルドーゾ侯爵家の継承権は、パトリシアへの〈罰〉として行使されるのだ。
パトリシアとわたしの身分差はますます開き、盛大に悔しがる顔が、目に浮かぶ。
あれだけわたしの心を打ちのめし、勝ち誇っておきながら、失礼な話だ。
せめて、幸せになれよ。
しかも、おもしろくないパトリシアが公式晩餐会の場で、靴音をひとつ踏み鳴らせば、今度こそ処断は免れないだろう。
そうしたら、お父様やお母様にも類が及び……。
さすがに心配そうな表情をしてくれたベアトリスが、わたしの顔をのぞきこんだ。
「……なんて、お返事するの?」
「ちょっと考えるわ。封蝋の印璽は城に置いてきたし、すぐにお返事を出せる訳でもないから……」
「そうねぇ……」
「それより、お風呂いこ! お風呂! あんまりルシアさんを待たせたら悪いわ!」
と、むりやり笑って露天風呂に向かい、
パッと嬉しそうな笑顔を見せてくれたルシアさんに、大きく手を振った。
けど、頭のなかでは園遊会で不愉快に踏み鳴らされた、パトリシアの靴音が鳴り響きつづけている。
さかのぼれば、王太后宮で開かれたわたしの叙爵式。
アルフォンソ殿下から贈られたコーラルピンクのドレスを身にまとい、みなから羨望の眼差しを向けられるわたしに、
パトリシアは苦々しげに唇を噛んでいた。
あれで気分を入れ替えておけば良かったものを、どうしてもわたしの栄達が気に入らなくて仕方ないんだな。
王太后陛下の手を借りるのではなく、わたし自身の手で決着をつけてやらないと、
結局、パトリシアとの因縁に、終わりはこないのではないかと、
わたしは考え始めていた――。
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