第22話 殿下10年の誓い

サァァァァァ――………………



と、遅れて来た春風が樹々を揺らす音に溶けこむような、


白騎士ルシアさんの穏やかな声に、しずかに耳を傾ける。



「……私がご兄妹の両殿下に初めてお目にかかったのは、白騎士になったばかりの14歳の冬でした。そのとき、アルフォンソ殿下は10歳、ロレーナ殿下は6歳であられました」



ルシアさんの紅蓮の瞳には、懐かしげな色が浮かび、


その儚げな美しさに、わたしたちの目は釘づけにされる……。



「なぜか両殿下は私に懐かれ、よく遊び相手を務めさせていただきました……」


「そんなに、近しくお仕えされるのですね……」


「ふふっ……。皇家の方であろうとも、帝国の最強戦力たる白騎士と、懇意にしたくないという方はおられません」


「あ……」


「私たちは、存在自体が高度に政治的でもあるのです。……望むと望むまいと」


「……はい」



露天風呂の湯面越しにも、真っ白なままのルシアさんの肌が見える。


あたたかい湯に浸かっていながら、血の気を感じさせない、……色のない肌。



「まだ白騎士のなんたるかをご理解されていなかった両殿下……。特にロレーナ殿下は、よく私に『ルシアは、どんなお嫁さんになりたい?』と、お尋ねになっては目を輝かせ、ご自分の理想の輿入れについて夢を語っておられました」


「……ロレーナ殿下が」


「……また、厳格な母君――エレナ第2皇后陛下のもとでお育ちになった両殿下は、ふたりして口を尖らせては『なんで母上はあんなに厳しいんだろ……? ルシアは、絶対いいお母さんになってね!?』とも、よく仰られていました」



魔導具〈大聖女の涙〉を胎に宿す、白騎士ルシアさん。


ご幼少の両殿下が申されることとはいえ、白騎士になられたばかり14歳のルシアさんには、聞くのもツラい問いかけだったことだろう……。



「いまでこそ、寛宏大量――鷹揚で懐の深い名君の器を示されるアルフォンソ殿下ですが、その頃はまだ多感な時期の美少年。……気になるご令嬢との、子どもながらの恋の相談なども、ほほを赤らめながら、私にしてくださいました」


「はい……」


「ですが――……」



と、ルシアさんは寂しげに微笑まれた。



「……両殿下が、私の境遇をお知りになられる日が、やって来てしまいました」


「……はい」


「両殿下は、私にしがみついて号泣され、いくらお宥めしても泣き止まれずに、もったいなくも、私に謝り続けてくださいました……」


「両殿下が……」


「はい……。ロレーナ殿下はその日から、好んで騎士服を着られるようになられ、母君の第2皇后陛下からいくら叱責されても、頑なに脱ごうとはされません」



帝国第3皇女ロレーナ殿下がいつもその身にまとわれる、太陽皇家の紋章があしらわれた騎士服。


お転婆姫と陰で揶揄されても着用され続ける裏に、そんな謂れがあったなんて……。



「御心の内は計りかねますが……、私に寄り添おうとしてくださっているものと、……勝手に思わせていただいております」


「き、きっと……、そうだと思います」


「ふふ……。ありがとうございます」


「いえ……」


「そして、アルフォンソ殿下は……、私に誓ってくださったのです――」



――ボク、本当の本当に好きになった人としか、結婚しないよ!!


相手にも、本当の本当に好きになってもらわないと結婚しない!! 絶対しないよ!!


絶対、本当の本当に好きな人とだけ結婚する!!



「……愛のない政略結婚などしては、恋も、愛も、結婚も叶わない、私に対して失礼だと、……そう誓ってくださったのです」


「アルフォンソ殿下が……」


「その殿下が、10年を経ても私への誓いを守り続けてくださり、殿下の婚姻が政治問題化する中でも、頑なに政略結婚を断り続けられ……、ついに『本当の本当に好きな人を見付けた――っ!!』と、私に大騒ぎで報告してくださったのが――」



と、紅蓮の瞳にやさしい色を浮かべたルシアさんが、わたしを真っ直ぐに見詰めて微笑んだ。



「マダレナ閣下なのです」


「はい……」


「ふふっ。どこを好きになったのか、どこがステキなのか、それはもう長いこと長いこと、私に熱心にご報告くださいました……。誓いを破ったのではないと、私に伝えたかったのでしょうね……」



ルシアさんは困ったように眉を寄せ、口元に笑みを浮かべられた。



「……さらに、『ボクの好きになった人は、ルシアの身体を元に戻せる人かもしれないんだ!!』と、これもまた、長いこと長いこと……」



クックックッ、と、ルシアさんは愉快そうに思い出し笑いをされた。



「……マダレナ閣下」


「はい」


「アルフォンソ殿下の、あの熱い愛の言葉はぜひ、直接聞いて差し上げてくださいませね」


「……承知しました」


「恋だの愛だのには縁もなく、色をなくしてしまった私の顔が、赤面してるのではないかと思うほどでしたのよ?」


「あ……、は、はい……」


「それで、ロレーナ殿下も仰られていたかと存じますが、マダレナ閣下の目に、アルフォンソ殿下がお叶いにならなければ、どうかお断りになってあげてください」


「……え?」


「だって、殿下の誓いは『相手にも、本当の本当に好きになってもらわないと結婚しない』……ですもの」


「あ……」


「きっぱり、フッてあげてください」


「あ……、はい……」


「これで、私とアルフォンソ殿下、ロレーナ殿下とのお話は、おしまいです……」



と、ルシアさんは湯船に浸かったまま空を見上げ、燃えるような紅蓮の瞳に、急に凍てつくような冷たい色を映す――、



「……ここからは、ドロドロした帝国政治のお話ですわ」


「はい」


「アルフォンソ殿下がご兄弟との政治闘争を勝ち抜き、皇太子になられるのに、ご結婚は必須……」



ルシアさんは、目を堅くほそめられた。


まるで忌々しいものでも見るかのように……。



「殿下を皇太子にしたい方々は、もう相手は誰でもいいから結婚してほしい……と、考えているかもしれません」


「……はい」


「また逆に、殿下を皇太子にしたくない方々は、どうにか殿下の結婚を阻止しようとされるでしょう」



――兄上の妃候補ともなれば、刺客が飛ぶやもしれん。



と、ロレーナ殿下は仰られた。



「白騎士同士が争うことはありませんが……、殿下の結婚を阻止したい方々と、懇意にする白騎士もおります」


「……え?」


「あと、もうひとつ。……両殿下が、私たち白騎士の胎から〈大聖女の涙〉を安全に取り出すことに拘られるのは、ご温情からだけではありません」


「それは……?」


「……私たちの身体に〈ただれ〉が広がり動けなくなってから終焉を迎えるまで、どうしても、稼働不能な白騎士が出ます」


「あ……」


「その間、帝国の戦力は大幅にダウンします。……過去にはタイミングが重なって、半数以上の白騎士が動けない時期があったやにも聞き及びます」


「半分も……」


「……いまも、おひとり、先輩の白騎士が、静かに終焉のときを待っております。ですが、もし、〈大聖女の涙〉を安全に取り出すことが出来たなら?」


「戦力の空白期間がなくなる」


「そうです。……私たちへの非人道的な扱いの緩和というだけでなく、実際的な利益を帝国にもたらすのです」


「……理解しました」


「ふふっ。さすがマダレナ閣下は、アルフォンソ殿下の見込まれたお方です。……そして、もし、その技術が実現すれば、アルフォンソ殿下のお立場、つまり〈第2皇后派〉の立場を大幅に強化することができるのです」


「……第2皇后派」


「帝政は、かくもドロドロと複雑怪奇です」


「はい……」


「……私を、お友だちのように温泉に誘ってくださった、お礼です」


「えっ?」


「それにベアトリス殿は、内緒の恋の話を聞かせてくださいました」


「あははははっ」



と、ほほをまた赤くするベアトリスに、微笑むルシアさん。



「こんなに胸がトキめいたのは10年ぶりです。……だから、私も内緒話でお礼です」



と、ルシアさんは湯船のお湯を、パシャパシャとはねさせた。



「ふふっ。たっのしい、なぁぁぁ~~~」


「ルシアさん……」


「こんなに楽しい時間、白騎士になってから初めて持てました。……ほんとうに、ありがとうございます」


「いえ、こちらこそ、大切なお話をありがとうございます」


「あと……、これは、私の勝手な願いですが」


「はい」


「……あのお優しいアルフォンソ殿下が皇太子となり、皇帝へと昇り詰められて実現される世を、短い人生ですが、ひと目見てから、私は私の終焉を迎えたいのです……」


「……はい」


「ですから……、マダレナ閣下。アルフォンソ殿下のお話をよく聞いてあげてくださいね?」



   Ψ



逗留する温泉宿に入ってから、わたしとベアトリスはルシアさんの部屋に押しかけ、


夜遅くまで、くだらない話ばかりして、


ヒソヒソと話し込んでは、ケタケタとよく笑った。


結局、3人で床に川の字になって寝てしまうという、貴族としてあるまじき醜態をさらしつつ、


朝の日差しで目が覚めたら、また3人で笑い合った。



それから、周辺にあるちいさな温泉街に3人で出かけて、お忍びの巡察という名の観光を楽しむ。


そこでわたしは、帝国の最高戦力、白騎士様の常軌を逸した実力の、その片鱗を目にすることになった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る