第12話 見た目も容姿も関係ない学問の都
険しい山々に囲まれた盆地に佇む、学都サピエンティア。
帝国の機密を扱う研究もあるため、自然の要塞によって厳重に守られている。
特別に訓練された専用の馬が引く馬車に揺られ、雲海を突き破るようにして、急な坂を昇ってゆく。
当然、席を向い合せには置けないので、片側だけの席に、
わたしとベアトリス、そしてフリアの3人が並んで座る。
学都への招待が知らされてすぐの〈ひまわり城〉で、
「わ、私もですか……?」
と、たじろぐフリアに膝を折り、目線を合わせて微笑みかけた。
「ええ。フリアがイヤでなければ、わたしの侍女になってほしいのだけど」
「イ、イヤだなんて、そんなめっそうもない……」
「ふふっ」
――めっそうもない。
王太后陛下から帝国伯爵への叙爵を申し出ていただいたとき、わたしも同じことを言ったと、
つい半年ほど前のことを、懐かしく思い返してしまった。
「学都サピエンティアには、2人連れていけるみたいなの。お化粧の師匠であるフリアに来てもらえると、わたしもベアも心強いわ」
学生ノリで任命してしまった〈化粧の師匠〉だけど、フリアは実に真面目に取り組んでくれた。
わたしやベアトリスとは、顔立ちの種類が異なるフリア。
わたしたちに似合う化粧や、最新の流行を調べるため、帝都ソリス・エテルナに住む遠縁の女性に手紙まで出してくれた。
おかげで、わたしもベアトリスも、お化粧はバッチリだ。
「……み、身に余る栄誉。伯爵閣下の侍女に取り立てていただくことなど、平民の出自で、夢見たこともございませんでした。まして、学都サピエンティアに足を踏み入れさせていただくことなど……」
「ふふっ。受けてくれるかしら?」
「も、もちろん、喜んで!!」
わたしがフリアに栄典を授けるということは、この先のフリアの行いが、わたしの責任になるということだ。
アルフォンソ殿下や王太后陛下の真似事をしているようで、すこし面映ゆいけど、
フリアはきっと、わたしの役に立ってくれるという確信もあった。
そして、領主の務めとして秋の収穫祭に立ち合い、領民たちと喜びを分かち合ってから、学都に向けて出発する前、
またしても、アルフォンソ殿下に驚かされた――、
「……ほんと、よく似合ってるわねぇ」
「そ、そう……?」
「はいっ!! マダレナ閣下、まるで雪の妖精になられたみたいです!!」
「ちょ、言い過ぎよ、フリア……」
と、鏡に映る自分のほほが赤くなるのが分かる。
冬の山行きにと、純白のコートを贈っていただいたのだ。
もちろん、わたしの〈帝使〉を務めてくださる王太后陛下を通じた、非公式なもの。
ひざ丈より少しながいミドル丈。ウエストから裾にかけて緩やかに広がるAラインシルエットが、細身で長身のわたしに女性らしい曲線を与えてくれる。
ダブルブレストの前合わせで、ボタンには真珠があしらわれ、生地は上等なベルベット素材。
袖口に金糸でほどこされた刺繍が、さりげなく華やかさを演出している。
裏地には上等なシルクが使われていて、肌触りが良くて、保温性も抜群。
山岳地帯に位置する学都サピエンティアの厳しい冬の寒さから、わたしをしっかり守ってくれそうだ。
しかも、今回はそれだけではない――、
「ベアとフリアにいただいたコートも素敵じゃない」
「えへへ、そうよねぇ~」
という、ベアトリスがいただいたのは、チョコレートブラウンの髪が映える、深紅のウールコート。
シンプルなデザインながら、ベルトがウエストラインを強調していて、凛々しいベアトリスによく似合ってる。
「ほ、ほんとに頂いていいのでしょうか?」
「突き返す方が失礼でしょ? ありがたく頂いて、マダレナにしっかり仕えればいいのよ。私たち個人に頂いたのではなく、マダレナの侍女に頂戴したんだから」
「は、はいっ! 頑張ります!!」
と、フリアにいただいたのは、深緑のカシミアコート。
ストレートシルエットが清楚で可憐な雰囲気を引き立てつつ、
全体的にはフォーマルな印象が、侍女というには少し幼く見える小柄な体型と幼い顔立ちをフォローしてる。
3人で並べば、帝国貴族の主従として、どこに出ても見劣りすることはないだろう。
「……ほんと、私たちを間近で見てくださってるみたいね」
と、ベアトリスがうっとりとした表情を浮かべた。
「サビアで起きたことは、わたしの〈帝使〉であられる王太后陛下に、すべて報告させていただいてるから……、たぶん陛下を通じて」
「マダレナが筆まめなお陰で、私たちにまでご配慮くださった、ってことね」
「でも、文章だけでベアトリスとフリアにバッチリ似合って、3人並んでも絵になるコートを贈ってくださるだなんて……」
「ご慧眼にも、ほどがあるわね」
と、笑い合うわたしたちの間で、フリアが手で顔を覆い、グスグスと泣き始めた。
「ちょ……、どうしたのフリア?」
「し、幸せ過ぎて……、私、明日死んじゃうんじゃないかなって……」
膝を折り、顔をのぞき込むわたしたちに、フリアがかすれ気味の声で応える。
「……そうね」
と、ベアトリスがフリアのあたまを撫でた。
「マダレナの側にいたら、考えられないことが次々おきて、すこし麻痺してたかもしれないけど、フリアの反応の方が自然だわね」
「ありがとう、フリア。お陰で、わたしも殿下への感謝の気持ちを、新たにすることが出来たわ」
「そ、そんな……、めっそうもない……」
フリアのちいさな頭越しに、ベアトリスと目を合わせ、
――美少女の涙、たまりませんな。
と、うなずき合った。
わたしたちより、ひとつ年下の16歳。
平民ながらに、格式高い〈ひまわり城〉のメイドに採用された、優秀さも併せ持つ。
――いい妹が出来たみたい。
という気分は、自然と妹パトリシアのことを思い出させた。
そろそろ第2王子リカルド殿下との結婚式のはずだけど、わたしに招待状は届かない。
王太后陛下からも、何も連絡はないし、そっとしておくことにしている。
そして――、
――後ろに転げ落ちるんじゃ……?
と、冷や汗をかき続けた急峻な坂を、馬車は登り終え、
わたしたち3人は、学都サピエンティアの地に立ったのだ――。
Ψ
正直に言えば、王太后陛下に初めて個別にお会いしたときより緊張している。
ただし、緊張の種類は違う。
わたしの〈心のスーパースター〉にご挨拶できるのだ。
――ビビアナ・ナバーロ教授。
わたしの憧れ。
魔鉄研究の第一人者。
失われた魔導の復興にも取り組まれ、研究をリードされている。
女性初の大賢者候補。
教授の書かれた論文は、穴があくほど何度も読み返した。
ともすれば、
「キャ―――――――――――ッ!!」
と、叫び出しそうなわたしは、
ベアトリスに「どうどう」と宥められ、
フリアに若干引かれながら、
教授の研究室に入った。
わたしの部屋に大切に飾ってた、論文から切り抜かせてもらったちいさな肖像画のとおり――、
大きくて眠たそうな瞳。
ボサボサに伸ばされた黒い髪。
不愛想な表情。
フリアより小柄なお身体に、
適当に羽織っただけの賢者のローブ。
椅子の上で立て膝をつく無造作なお姿。
胸いっぱいになるわたしの隣で、ベアトリスが口をポカンと開けてた。
――失礼ですよ、ベアトリス。学究の徒に、見た目は関係ないのですよ。それより、あふれ出る知性が見えないのですか?
と、たしなめる視線を送ったのだけど、気が付いてもらえない。
積んであった書類を退けたソファに座るように勧められ、
カチコチに緊張しながら、二言、三言、教授から質問を受けた。
「うん、分かった」
と、表情を変えずにうなずかれた、ビビアナ教授。
「アルフォンソ殿下が推薦してくるだけのことはある」
「……えっ?」
「だけど、マダレナ嬢。キミはまだ、自分の研究の価値が分かってないんだね」
「え? ……ええ」
正直、舞い上がってて、教授の仰られている言葉の意味を、正確に理解できているかも怪しい。
研究の価値、と言われても……。
「手続きはしておくから、しばらく学都に滞在したまえ」
「ええええっ!?」
「なんだ?」
「……よろしいのですか?」
「うん。その資格は充分にある。えっと……、マダレナ嬢は貴族なんだったっけ?」
「あ、はい……。サビア伯爵に叙爵されました」
「サビアか。サビアはいいな。うん、分かった。じゃあ、貴族用の宿舎を手配しておくから、お付きの者も一緒に滞在したらいい」
「あ……」
「ん?」
「ありがとうございます」
「うん。明日……、いや明後日から個人講義するから、午後はボクの研究室に来てくれ」
「……かしこまりました」
Ψ
「明後日からって仰ったわよね?」
「ええ、仰られたわ」
「……明後日からって、仰られたわよね?」
「ええ、そうよ」
と、うわの空で何度もベアトリスに確認してしまう、わたし。
ゴシック様式の尖塔が4つ青空に突き刺さり、知の殿堂としての威容を誇る、学都サピエンティアの中心機関〈賢者宮〉。
つい先ほどまでその中に自分がいて、ビビアナ教授に面会していたことなど、夢の中の出来事みたいだ。
芝生の敷き詰められた中庭では、研究者とおぼしき人たちが、熱心に議論を交わしていた。
男も女もなく、たぶん身分や出自もバラバラ。なのに、みなが対等に意見を述べ合っている。
――自由闊達な、学問の都。
ここでは、皇家の方でもなければ、身分も性別も気にしなくていい。
見た目や容姿でとやかく言われることもない。
そこに自分が滞在を許され、しかも憧れのビビアナ教授から個人講義を受けられる。
帝国伯爵に叙爵されたときとは、まったく別の高揚感に支配されてしまう。
ジーンっと、拳を握りしめてしまった。
と、中庭の人たちがピタッと議論をやめ、一斉に立ち上がった。
急な静寂に、なにごとかと顔を向けると、
みなさんの視線の先には――、
黄金のティアラが載る、
金糸のようなハニーゴールド。
金環から10本の剣がのびる、太陽皇家の紋章をあしらった騎士服を身にまとい、大勢の近侍を引き連れた若い女性――、
ひと目で分かった。
第2皇子アルフォンソ殿下の実の妹君、
第3皇女ロレーナ・デ・ラ・ソレイユ殿下だ。
なぜか、まっすぐわたしの方に歩いて来られ、慌てて片膝を突く。
「そなたがマダレナ・オルキデアか?」
「さ、さようにございます……」
「うむ。マダレナ、そなた私の家庭教師になれ」
「……えっ?」
と、思わず顔を上げると、
ロレーナ殿下はまだ幼さも残る美しいお顔に、悪戯っ子のような笑みを浮かべて、わたしを見ておられた。
「不服か?」
「め……、めっそうもございません」
「うむ。じゃあ、明日の午前から頼む」
とだけ仰られて、颯爽と〈賢者宮〉の中へと立ち去られる、ロレーナ殿下。
――か、家庭教師……!? アルフォンソ殿下の妹君に、わたしが!?
と、わたしはただ、呆気にとられるばかりだった……。
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