第10話 貴女のような顔に生まれたかった
「マダレナ。いえ、マダレナ閣下。大変な事実が分かりましたわ」
ズイッと身を乗り出すベアトリスが、わたしに顔を近付けた。
真剣な眼差し。
セルリアンブルーの澄んだ瞳でわたしを真っ直ぐに見詰めている。
端正過ぎる凛々しい顔立ちからは、これまでのベアトリスからは感じたことのない、威圧感さえ伝わってくる。
ゴクリと唾を呑み込んでから、
「な……、なにが分かったの? 」
と、わたしも身構えて尋ねた。
「……サビアでは、いえ、太陽帝国では」
「う、うん……」
「私たちのような〈凛々しい美人〉も、人気なのです!!!!」
「…………はっ?」
拳を堅く握りしめ、目を閉じて天を仰ぐベアトリス。
つい先ほどまで、家臣たちが開いてくれた歓迎の祝宴に、ふたりで出席していた。
「旅のお疲れもございましょうから、正式な祝宴は後日とさせていただき、本日は簡素なものですが」
と、代官のエステバンに案内された会場は、ネヴィス王国の王宮の大広間より広くて、ならぶ料理は豪壮にして美味絶品。
立食形式ではあったけど、羊肉もチーズも、蜂蜜をふんだんに使ったケーキも、存分に堪能させてもらい、
家臣たちとも交流の機会を持てた。
そして、戻った自室の広さと高さに圧倒される暇もなく、ベアトリスに迫られていたのだ……。
「モテました……。生まれて初めて、モテました……」
「う、うん……。それは良かったわね」
「生まれて初めて真正面から『キレイ』と言われ、2度目も、3度目も……、いえ、100回以上は言っていただきました」
「うん……」
ちなみに、わたしも言ってもらえた。
もっとも、わたしのは主君に対する賛辞なので、お愛想かと受け止めていたのだけど……。
「そして……、女性の出席者からは、こんこんとお説教されました」
「えっ!? ……お説教?」
「はい……。なぜ似合いもしない可愛らしい化粧をするのかと……」
「ああ……」
「宝の持ち腐れだと、なんともったいないことをするのかと、……貴女のような顔に生まれたかった女性がどれだけいると思っているの? ……と、お説教されました……」
ベアトリスの声は、次第に涙声になってゆく。
伯爵家の次女に生まれ、嫁ぎ先によって大きく人生が変わる身の上だったベアトリス。
「もう少し可愛らしい顔に生まれてたら、別の人生があったかもしれないけど」
と、寂しげに笑ったことは、一度や二度ではない。
貴族令嬢に生まれた以上、結婚に人生が翻弄されるのは、自分の力だけではどうしようもない。
ベアトリスにいたっては、美術品のように美しい顔に生まれていながら、鏡を見てはため息を吐いていたことだろう。
選んでもらえないということが、どれほどツラく惨めなことか――、
わたしは、そっと後ろから肩を抱いた。
「……マダレナぁ」
「良かったわね、ベア」
「うん……。私……、生まれてきて良かったって、……初めて思えた」
と、ベアトリスはわたしの胸の中に顔を埋めて、忍び泣きをはじめた。
「帝国の儀礼より先に、お化粧習わなくちゃね。わたしも、どうにか可愛らしくしようとするお化粧しか知らないし、一緒に習いましょ?」
「うん……、うん……」
「それで、素敵な旦那様を一緒に見付けましょうね? ベアが帝国貴族夫人になって里帰りしたら、みんなビックリしちゃうわよ?」
「……ぜんぶ」
「うん……」
「ぜんぶ……、マダレナが、私を侍女にしてくれたお陰よ。 ……ほんとうに、ほんとうに、ありがとう」
「どういたしまして。これからも、よろしくね、わたしのキレイな侍女様」
「……はい、……こちらこそ」
と、ベアトリスの言葉は声にならなくなった。
ポンポンと、背中を叩いてあげる。
ベアトリスにとっても、わたしにとっても、なによりの〈新生活〉の始まりだ。
生まれ変わったような気持ちがするのは、ベアトリスだけではない。
やがて、わたしの胸の中で大きく深呼吸したベアトリスが口を開いた。
「マダレナ」
「なあに?」
「……貴女のおっぱい、見た目の通りなのね」
「ほっとけ」
Ψ
翌日から早速、領地について代官のエステバンから説明を受ける。
「私はもう歳です。まもなく致仕いたす頃合い。次の代官はマダレナ閣下の使いやすい者を任命してくだされ」
「……承知いたしました」
「その前提で申し上げますが、帝国貴族たるもの領地経営の細かなところまで口出しするものではございません」
「はい」
「大きく全体を見渡すのが、その責務とお考えください」
「心いたします」
「ですが、もちろん世界は善人だけで出来てはおりません。統治を任せる代官が悪さを働かぬよう監督するのもまた、ご領主の大切なお役目」
と、エステバンはその鋭い眼光を、傍に控えるベアトリスに向けた。
ふと言葉を失ったエステバンに、わたしから声をかける。
「……化粧のことでしたら、練習中なので大目に見てやってくださいませ」
「こ、これは失礼……」
さっそく張り切ったベアトリスの化粧は、凛々しいが過ぎていた……。
わたしはとりあえず、いままで通りに化粧したんだけど、喜びを爆発させていたベアトリスを止めることも出来ず……。
エステバンが咳払いをひとつした。
「……代官の働きをそれとなく監視するのも、ご側近であるベアトリス殿のお役目となりましょう」
「畏まりました」
と、緊張気味に頭をさげるベアトリスは、凛々しい美人を通り越して、美形の騎士様だ。
……惚れるぞ?
ただし、美形の騎士様がメイド服というチグハグさに、エステバンが絶句したのは咎めることができない。
そして、サビアの財政と、わたしの経費について簡単に説明を受け、
今度はわたしとベアトリスが絶句した。
わたしの経費――、
つまり〈お小遣い〉が、元実家であるカルドーゾ侯爵家全体の約20倍。
ネヴィス王国の国家財政にも匹敵しようかという規模だ。
――て、帝国貴族の皆さま方は、こんな巨額の〈お小遣い〉を、何に使われているのかしら?
しかも、領民に課す税率が、さして高いとも思われない。
要するに商業――、交易で上がる収益が莫大なのだ。
そして、
「ネヴィス王国で産出される〈魔鉄〉のすべてが、このサビアを通ります。財政が安定しているのは、それに依るものが大きいのです」
というエステバンの説明を聞いて、ようやく納得することができた。
――魔鉄。
魔力を帯びた鉄鉱石は、ネヴィス王国の主要な輸出品だ。
すでに世界から魔導は失われているけど、太陽帝国の帝都ソリス・エテルナだけが、魔鉄を加工する技術を継承している。
魔鉄製の武器は、太陽帝国に圧倒的な軍事力を与え、大陸を支配する根源ともなっている。
それにしても、
――これだけの経費を手放されても、なんの痛痒も感じられていない王太后陛下は、どれほどの富と産業をお持ちなのか……。
と、さらなる畏敬の念を深めさせられる。
さらに言えば、王太后陛下の義理の甥にあたられる皇帝陛下のもとには、どれほどの富が……。
ぶるっと、身震いがひとつした。
Ψ
まずは歳の頃合いが近いメイドをひとり捕獲して、わたしの部屋に引きずり込み、
ベアトリスとふたりで、化粧を習った。
どうせ習うのなら若い娘から、最新の流行を教えてもらいたい。
「ま、まあ。……それはまた随分と、変わっているのですねぇ……、ネヴィス王国は……。ご領主さまも、侍女さまもお美しくていらっしゃるのに……」
と、つい先日まで王国領であったサビアに生まれ育ったメイドが、目を泳がせた。
つまり、王太后陛下直轄のサビアは、従来より帝国領としての性格を色濃く残していたのだろう。
ともかく、
「これが、わたし!?」
と、ベアトリスと言い合ってはケタケタ笑い、化粧を施してくれたメイドを呆れさせた。
毎日少しずつ教えてと頼み、名前を聞くと、
「あ、あの……、名乗ってもよろしいのでしょうか?」
と、戸惑った表情を浮かべさせてしまった。
――そうか。明確に名乗りを許してあげなくちゃいけない立場になったのか……。
と、申し訳ない気持ちになって、
「ごめんなさい。名乗りを許します。お名前は?」
「あ、はい! ありがとうございます。フリアと申します。姓はアロンソで、平民の出自にございます」
と、嬉しそうに答えてくれたフリア。
わたしたちと違い、正統派美少女といった顔立ち。可愛らしいという言葉だけでは表現しきれない、女の子らしい清楚な美しさを備えた美少女だ。
まっすぐ伸びた栗色の髪は、毛先だけクルンと巻いていて、美少女っぷりを引き立てている。
もっとも、ネヴィス王国に行けば〈やや敬遠〉される、凛々しさも兼ね備えているところが、正統派の正統派たる由縁だ。
もちろん、だからこそわたしとベアトリスに捕獲された訳だけど。
「フリア・アロンソね。覚えたわ」
「光栄に存じます!」
と、勢いよくお辞儀してくれるフリア。
平民の出自であれば、逆に色々聞きたいこともある。
わたしとベアトリスの化粧の師匠になるように命じて、退出させた。
Ψ
そして、凛々しい美しさを引き出す化粧に自信を付けてから、
代官エステバンと、サビアの騎士団長ホルヘ・サントスの案内で、
サビア伯爵領内の巡察へと出かけたのだ――。
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