2-3 スリングです

「ほう……」


 幼竜をしっかりと手懐けているベルランに、ミルウスが感嘆の声を漏らす。

 すでに簡単な『古のコトバ』を理解している幼竜の知性にも舌を巻いた。


 兄が「ベルランの幼竜はとても聡い」と言っていたが、その情報に間違いはなかったようである。


「ベルラン……その奇妙な形状のカバンはなんというのだ? カバンでいいのか? 幼竜を入れて育てるためのようなカバンだな」


 虫の居所が悪い騎竜に注意を払いながら、ミルウスが背後にいるベルランに語りかける。


「ああ、これは、スリングです」

「すりんぐ? 変わった名前のカバンだな。これだと幼竜を抱いていても両手が自由になるから便利そうだ」


 たまに……でしかないが、飼育されてヒトの世界に溶け込んでいる騎竜の場合、卵から羽化した直後に主人を決めてしまい、親から離れてしまう幼竜もいる。


 その場合、親竜は育児を放棄してしまい、また幼竜も親竜の庇護を拒否し、主人と共にいることを望むようになる。


 主人に選ばれた竜騎士候補は、そのときから竜騎士見習いとなり、竜の育児が始まるのだ。

 とにかく、幼竜が安定期に入るまで、片時も離さず竜を懐に抱きつづけ、己の魔力でくるみ、守り育てなくては、竜はあっけなく死んでしまう。


 一度、竜を死なせてしまった竜騎士候補は二度と騎竜に主人として選ばれることはなく、竜騎士になることを断念することとなる。


 そうならないためにも、竜騎士候補は必死に羽化したばかりの竜を育てるのだが、寝るときも、食事のときも、風呂もトイレも四六時中、懐に抱きつづけるのは、なかなかに難しいことであった。


 相性の悪い魔力に触れると具合を悪くしたり、最悪の場合は死んでしまうので、他人の手を借りることも、他人に幼竜を触れさせるのも極力控えなければならない。


 それならばと、塔の一室に籠って幼竜と主人だけの状態にし、隔離された環境で育てる方法をとっていた時期もあった。


 幼竜につきっきりの状態になるので、たしかに幼竜の死亡率は減った。

 だが、成長した竜は精神が非常に不安定となり、騎竜としての訓練に支障をきたす結果となったのである。極度の人見知りになり、他の騎竜との同席も嫌がって手がつけられなくなるのだ。

 団体行動のできない騎竜は、騎士団の騎竜としては問題竜だ。最終的には、単騎任務として竜騎士ともども僻地に追放されることとなる。


 今の感覚でいえば、追放とはなんとむごいことを……と思うだろう。

 だが、追放処置はまだ竜にとっては幸せな方だった。


 荒れ狂う騎竜の側にいる竜の主人は、つねに生命の危機にさらされる。竜をなだめるときに失敗し、様々な『事故』で死亡するのも珍しくない。

 竜に悪気はない。主人を害そうという気持ちはないのだ。たまたま自分が暴れていた先に、不幸にも主人がいたために『事故死』しただけだ。


 唯一の存在であった主人を失った竜は、暴竜として手がつけられなくなり、最後は天災級の邪竜として討伐されてしまうのだ。


 つまり、理想的な騎竜として育てあげるには、主人以外の異質な魔力には極力触れさせないように注意しながら、他の騎竜と交流しつつ、おまけにヒトの世界に慣れさせる必要があるのだ。


 羽化直後の竜をヒトが育てるのは、とても難易度が高く、成功率も極めて低い。


 ベルランのカバンを見ていると、持ち主の身体にぴったりと馴染んでおり、幼竜と密着できている。

 胸に抱かれているのと変わらない状態だ。

 その状態で、両手が自由なら、竜騎士見習いの心理的負担もちがってくるだろう。


 なによりも、バッグの中での収まり心地がよいのか、幼竜の機嫌がとてもよくて、成長が安定しているのが一目でわかった。

 目の輝きが違うし、幼体独特の柔らかい鱗の色艶もよい。


 ベルランがもともと所持しているスキルが、竜を従えて育てるのに適しているものだからだとは思うが、このカバンもそれに貢献しているようだ。


 騎士団で採用するべきだと進言したいし、実際に幼竜を育てている竜騎士見習いに使わせてやりたいとミルウスは思った。


「その『すりんぐ』というカバンは、何処で売っているんだ?」


 セイレスト辺境領のさらに秘境……禁足地と定められ、一般の立ち入りが禁じられている場所にあるメーレスの隠れ村で大事に育てられたベルランが、どうやってその奇妙な形状のカバンを手に入れることができたのか。

 すりんぐを目にしたときからずっと気になっていたのだが、ミルウスはようやくベルランに質問することができた。


「ミルウス兄様、これは売り物ではありません」

「なに? 店で売られていないのか?」


 ミルウスが首を傾げる。


 であれば、メーレスの村に在住している誰かが作成したものだろうか?

 村にいる人員を思い出すが、そういうのが得意な者は含まれてはいない。


 そもそも、彼らが作成したものならば、これが完成した段階で、領主に報告され、自分たちにも情報が共有されている。それがなかったということは、不都合な理由があるのだろうか。


 慣れている幼竜の様子や、カバンのくたびれ具合からして、昨日、今日に完成したものではないことは簡単にわかった。

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