2-1 叔父ではなく、兄と呼べ

 ベルラン・セイレストは目を閉じ、大空の中に身をゆだねた。

 流れる風に鋭い空気。

 風が運ぶ大地の爽やかな香りに、大気に満ち溢れた濃密な魔力。


 夜が明けたばかりの空はみずみずしく、朝日に照らされて神秘的な輝きを放っていた。

 綺羅星を散りばめた群青の空が、時間の経過とともにじわじわと朱色に染まっていく。


 一日が始まろうとしている空の中は、とても心地よくて爽快だ。

 

 海の中に身を漂わせると、母の胎内にいるようだ――と表現する者もいるが、空もまた偉大な母だと、十八歳の若者ベルランは思う。


 空は懐が深くて広く、終わりがみえない。全ての大地を余すことなく覆い尽くす、偉大なる庇護者だ。

 誰に対しても平等で、どこまでも、どこまでも果てしなく広がっている。


 ベルランは大きく息を吸い込むと、反動をつけて後ろを振り返った。


 優雅に動く大きな竜の翼。

 瑠璃色の鱗に覆われた巨大な体躯。

 翼と連動して動く長い尻尾。

 なにもかもが圧倒的に美しく、力強い生命と魔力に溢れている巨大な生物の姿が、ベルランの目に飛び込んでくる。


 ベルランは巨大な竜の背にまたがり、大空のただ中にいた。


 主人と定めた者を己の背に乗せ、共に戦うように訓練された『瑠璃色の騎竜』に運ばれている。

 この騎竜が主人に選んだ者の名は、ミルウス・セイレストといい、ベルランの叔父にあたる。


 帝都にある『帝立フォルティア上級学院』の編入試験を受けることになり、叔父が自分の騎竜を使って迎えに来てくれたのだ。


 魔法で加速し、上空の風を上手く使えば、帝都までは四時間ほどで到着するらしい。

 だが、初めて竜の背に乗るベルランと騎竜の負担を考えて、倍の八時間をかけて帝都に向かうと説明をうけた。


 普通の馬車で帝都まで向かおうとするなら半月以上はかかるので、騎竜のすごさがよくわかる。


 ミルウスは小柄で細身な男だが、騎士らしく鍛え抜かれた体躯の持ち主だった。

 痩せているようにも見えるが、筋肉はしっかりとついている。体幹がしっかりしているので、少しのことでは揺るがない。


 他の騎士たちと違って、竜を従え、空を自在に駆け抜ける竜騎士たちは小柄な者が多いが、華奢ではないのだ。

 騎士服の上からでも触れれば、極限までに鍛えられた鋼のような肉体を感じることができる。


 引き締まった体躯は、しなやかな鞭のようであり、名匠の手によって鍛えられた短刀のように鋭い。


 それもそのはず。叔父は帝国で五指に入る優秀な騎竜の乗り手であり、竜騎士団の先鋒として数々の武勲をあげていた。


 優れた竜騎士として語られ、隣国からは『天空を駆け巡る赤き嵐』と恐れられているが、知られている武勇伝の内容に反して、普段のミルウスはとても穏やかで陽気な男だった。


 ミルウスの宵闇色に染まった瞳は優し気な光をたたえており、端正な顔は常に微笑みを浮かべている。

 短く刈り揃えられたくすんだ空色の髪は、風を浴びると艶やかな光を放ってサラサラと揺れていた。


 冗談も言うし、楽しいことがあれば、大声をあげて笑う。

 若い容貌には不似合いな余裕と貫禄があり、穏やかな宵闇色の双眸は、思慮深いきらめきに彩られていた。

 春の風のように軽やかな男なのだが、悠然とした仕草には、熟練の戦士を彷彿とさせる凛とした美しさがある。


 叔父は青を基調とし、騎士団の色である青銀の色で刺繍された騎士服をまとっている。

 刺繍の図案は銀の翼竜だ。

 騎士団の紋章の他にも、空と風にちなんだ図案が青銀色の糸で刺繍されている。


 一見するとそれはただの装飾なのだが、身体強化や防御の魔法陣が巧みに隠されており、鎧のような役割を担っている。


 騎乗するのに邪魔にならないようデザインされた竜騎士専用の騎士服は、豪奢な飾りを取り除き、体躯にぴったりとフィットする機能的なものである。


 気の遠くなるような歳月をかけて研究と改良を重ねられた騎士服は、帝国騎士の威厳を失うことなく極限にまで洗練され、芸術品の域にまで達していた。若き見習い騎士たちの憧れの制服だ。


 輝きを放つ青い騎士服に身を包んだ叔父は、とても凛々しく美しかった。


 ミルウスはベルランの父の弟なのだが、『ミルウス叔父上』と呼んだらものすごく嫌な顔をされて怒られた。


 ミルウスは末っ子で、長男である父とはかなり年齢が離れている。

 どちらかというと、年齢はベルランとの方が近い……らしい。

 本人が主張しているだけで真偽のほどはわからないが、「叔父ではなく、兄と呼べ」と命令された。

 『ミルウス兄様』と呼ぶまで返事をしてもらえなかった。


 まあ、そういうことにこだわるあたり、若いというか、考え方が子どもっぽいといえなくもない。


 同じ兄弟だというのに、一族の頂点に立ち、いかなるときも泰然自若として領地を守っているベルランの父とは大違いだ。


 ベルランはミルウスのことを親しみやすい兄貴分だと思うことにした。

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