1-5 そんなことあってたまるか!

 ミラーノを横抱きにして、ベルランは静かな廊下を疾走する。


 あのリリオーネという生徒のように、窓から飛び降りた方が時短になって、よかったのかもしれない。


 目的地に向かいながら、ベルランは赤髪の青年を思い出していた。


 乱暴な言葉遣いと、言葉以上に鋭い眼差し。

 全てに反発し、触れようとする者に敵意を隠そうともしない。

 講師たちのやりとりからして、なかなかの問題児みたいだ。


 ここもそうなんだ、とベルランは思った。


 だが、前世の自分は、そういう人たちと交流することもなければ、トラブルを起こすこともなかった。

 争い事を極力避けることに留意して、穏やかで安全な人生を送ることができた。


 今世でも穏やかな人生を過ごしたいので、トラブルの原因となりそうな者とのかかわりはできるだけ避けたい。


 今回はたまたまで、リリオーネとはこれで終わりだ。


 そういえば、前世で姉の購入した少女漫画をこっそり読んでいた時期があった。

 その中に、転校初日の女子高生が、遅刻しそうになって食パンをくわえ走って登校していたら、男子生徒とぶつかって、その男子生徒と恋仲になる……というでだしのコミックが何冊かあった。


 いわゆるテンプレ展開だ。


 さっきのあれは、もしかしたら食パンかじって曲がり角でぶつかって、運命の出会いの変則パターンでは? という疑惑が脳裏をよぎる。


(そんなことあってたまるか!)


 脳裏に浮かんだ考えを、ベルランは全力で否定する。


 というか、なぜそのようなことを思い出したのかも謎である。


 そもそも自分は男だし、相手も男だ。

 決定的に違うのは、どちらとも食パンはかじっていない。


 表情は変えずに、ベルランは心のなかで謎めいた問答を繰り返す。


 ふと、こちらの世界では同性婚が認められていることを思い出し、さらにベルランは混乱してしまう。


 遺産の分割相続による貧困没落や、分家の乱立を回避するため、息子が多い貴族の家では、積極的に同性婚をおこなう風潮があるのだ。


 同性婚、多妻制、一族間での養子のやりとりなど、貴族社会だけのことなのかもしれないが、前世とはずいぶん考え方が違っていた。実の親子という血の繋がりよりも、血族、一族の結束を重要視しているようだ。

 家門の長になる者は家長の子ではなく、一門の中から優秀な者が選ばれるという世界。


 それもこれも今世では『貴族』と『平民』という身分制度があり、『魔法』と『魔力』という概念があるからだろう。


 特に一番やっかいで、全てにおいて影響を与えているのが『魔力』だ。


 今でこそ『貴族』と『平民』は世襲制のようになっているが、元をただせば、『魔力が潤沢にある者が貴族』であり『魔力に恵まれていない者が平民』なのだ。


 たまに『魔力持ちの優秀な平民』が誕生すると、『養子』という形で貴族となる場合もある。


 結婚する場合においては、結婚相手には自身と同等の魔力量、同系の魔力が最も重要視されている。身分や生まれはさほど重要視されないようだ。


 『魔力至上主義』といった選民思考などではなく、夫婦間で魔力のバランスが悪いと、夫婦の営みに影響が――下手をしたら生命を落とすこともあるからそうなっているのだ。


 魔力の相性を無視した政治的な意味での婚姻の場合、白い結婚でなければ、どちらかが、場合によってはどちらもが早逝する。

 冗談ではなく、実際に起っているのだから。


 魔力について学び始めた頃は、魔力が重要視され、愛し合う者同士が結ばれない世の中なんて――と思ってしまったが、そもそも魔力の相性が悪いと、性格の相性も壊滅的に悪いらしい。愛し合うこともないそうだ。


(それって、今、ここで思い出す情報じゃないだろ――)


 ベルランは慌てて思考を中断する。

 なぜ、リリオーネのことを思い出してしまったのか。

 同性婚のことを考えてしまったのか。


 その答えは明確だ。

 だが、前世の記憶――異なる価値観――も併せ持つベルランは『それ』を認めることができずに、無理やり意識の奥底へとしまい込んだ。


 それよりも今は編入試験だ。


(一分でも遅刻したら失格って……。田舎と違って、都会はせっかちなヤツが多いんだな……)


 ミラーノの後ろをぼんやり歩いていたら、うっかり失格になるところだった。

 やっぱり、前世でも今世でも、都会は油断ならない場所だ。

 気持ちを切り替え、気合を入れ直す必要がある。


 ミラーノが所持していた見取り図だが、距離間はほぼ正確だった。

 見取り図をもとに、ベルランは開始時間と残りの距離を頭の中で計算する。

 急げばギリギリ間にあう。

 

 早起きして、叔父に連れられて帝都にやってきたのだ。

 忙しい中、わざわざ迎えに来てくれた叔父のためにも、編入試験は合格したい。


 赤髪の青年のことを脳裏から追い出すためにも、ベルラン・セイレストは今朝、初めて体験した帝都までの『空の旅』を思い出していた。

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