1-4 逆方向だったのね

「ベルランくん、時間がありません。とにかく、次の施設に急ぎましょう」


 と言って、ミラーノが歩きはじめた。


「待ってください。ミラーノ先生!」

「なんですか?」

「その先をそのまま進むと、また、『同じ場所』に戻ってしまいます」

「は……い?」


 コテリと首を傾けるミラーノ。


「わたしたちは、先ほどから『ずっと同じ場所』をぐるぐると回っています」

「えええっ!」


 若い女性講師は、飛び上がらんばかりに驚く。


「そうだったんですか! 全く気がつきませんでした」


 ベルランの冷ややかな指摘に、ミラーノは慌てて学院内の見取り図を取り出す。

 ぐるぐると地図を上下左右に動かしながら、しかめっ面で睨みつける。


(ああ、やっぱり……)


 今までの様子から薄々は感じていたが、新任のミラーノは学院内を完全に把握できていないようだった。


 さらに、あの慌てぶりからして、彼女は地図が読めない、もしくは、救いようのない方向音痴だろう。


 誰にだって初めてはあるし、新人時代はある。得意不得意もある。

 少しくらいの不手際で、めくじらをたてるのはよくない。


「ミラーノ先生、試験に差し支えがないようでしたら、その『見取り図』をわたしに見せていただくことは可能でしょうか?」

「はい、どうぞ」


 意外にもあっさりと見取り図を渡された。こんなことならもっと早めに声をかけておくべきだったと、ベルランは内心で舌打ちした。

 ミラーノが上下逆で地図を見ていたことには触れずに、ベルランは次に向かうべき場所をミラーノに確認する。


「わかりました」

「え? この見取り図でわかるの?」


 普通はわかります、という言葉は『腹の中』にしまっておく。


 ベルランは前掛けしていたカバンを横にずらし、中にいる『子』が落ち着ける位置になるように形を整えた。

 さきほどの衝突事件で興奮してしまったのか、ずっともぞもぞとカバンが揺れている。いったん落ち着かせるためにも、カバンに自分の魔力を流し込む。

 すると、ぴたりと動きが止まり、「きゅるるぅ」という、さえずるようなご機嫌な鳴き声が聞こえてきた。

 

 その声に安堵しながら、ベルランは紐の長さと掛け具合を横掛け用に微調整し、手早く安全を確認する。


 大好物なベルランの魔力をもらい、また、カバンの位置と形が定まったからか、カバンがおとなしくなった。


 ミラーノは沈黙したまま、ベルランがすることを観察している。


 ベルランはつい先日に父からお墨付きをもらった『貴族スマイル』を口元に浮かべた。

 ミラーノの視線が頼りなくさまよい、頬がほんのりピンク色に染まるが、編入試験に気をとられているベルランは気づかない。


「ミラーノ先生、失礼しますね」


 一応、断りを入れてから、ベルランは彼女の膝裏に手を入れ、ミラーノを横抱きに抱きかかえた。


「きゃっ!」


 乙女な悲鳴が聞こえたが、それはさらりと無視する。

 時間がないのだ。

 ミラーノの腕が首に回り、弾力のある柔らかな双丘が身体に密着するが、それもさらりと無視した。


 かといって、乱暴に扱うのはいけない。貴族の子息らしい振る舞いをベルランは心がける。


「時間がありませんので、走りますね」

「は? 走る?」


 ミラーノの顔がぎこちなく引きつったので、ベルランはもう一度『貴族スマイル』を浮かべた。


 リリオーネが使用していた強化魔法と同じものを唱える。


 ベルランの『貴族スマイル』でぼんやりしていたミラーノだが、呪文詠唱の内容を聞き取り、顔色をなくす。


「ちょ、ちょっと、ベルランくん?」


 前世では廊下は走るな、と云われていたが、今世は違うようだ。

 窓から飛び降りるのも許される世界だ。

 廊下ぐらい走ってもいいのだろう。

 田舎育ちなので、早駆けは得意だ。


「少し、急ぎますので、しっかり掴まっていてくださいね」

「は、はいっ?」


 むぎゅうという感覚と同時に、裏返った声が聞こえたが、これも気にしない。


 ベルランは後ろへと向き直ると、ミラーノが向かおうとした方角とは反対の方に駆けだした。


「あら? 逆方向だったのね」


 恥ずかしそうにミラーノが呟きを漏らす。


「いえちがいます。次の判定試験の施設は、隣の塔になります」

「え?」

「なので、少し本気をだして走りますね」

「いや、ちょっと、ベルランくん? その強化魔法で、本気だして走ったら、どれだけ……」

「しゃべると舌をかみますよ」

「ひぃぃぃぃ――っ」


 ミラーノの悲鳴が静かな廊下に響き渡った。

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