1-3 ここ五階だったよな――

 学生服を着た青年が、腕をついて立ち上がる。

 ずいぶん着崩しているが、騎士学科の生徒のようである。

 左腕のエンブレムに縫われている記号と数字から、今期の編入生であることがわかる。


 ベルランの視線に気づいたのか、学生が身体を少しずらして左腕をさりげなく隠す。


 身体にかかった重みから開放されると同時に、近かった青年の顔が完全に遠のいてしまった。


「ふ、ふたりとも大丈夫ですか?」


 ミラーノの声が聞こえたが、返事をすることができない。


 吸引力とでもいうのだろうか。鋭い視線を意識したとたん思考が停止し、眼の前の青年から目を離すことができなかった。


「ちょっと! リリオーネくん!」


 赤髪の青年に向かって、ミラーノが甲高い声を張り上げる。


「今は、授業中でしょ? どうして、こんな場所……って、今の時間は修了試験中じゃないですか!」

「ヤバ……」

「また、逃げたのですか? いいかげんにしなさい!」

「ウルサイ! おれに命令するんじゃねぇ!」


 赤髪の青年リリオーネは吐き捨てるように言うと、勢いをつけて廊下の窓に飛びつく。

 ベルランはゆっくりと上体を起こし、リリオーネの不可解な行動を見守る。


「リリオーネくん! こんなところでウロウロしてないで、早く! 試験会場に戻りなさい!」

「ウルサイ! 命令するなって言ってるだろ! おれに近づくな!」

「きゃああぁぁぁっ!」


 突風が巻き起こる。

 いや、リリオーネの怒気が魔力となって、勢いよくほとばしったのだ。

 魔力の『圧』が風という形になって爆発し、ミラーノは慌ててローブの裾を抑えこむ。


 リリオーネは気にする風でもなく、窓の取っ手に手をかけると大きく開け放つ。


「ちょっと! 待ちなさい! 修了試験はどうするの! 今日の試験は必須学科だったでしょ!」

「知るか! そんなものっ!」


 窓枠に足をかけ、リリオーネはうるさそうにミラーノを睨みつける。

 その気迫にミラーノが硬直してしまうなか、リリオーネは飛ぶように窓の外へと身を翻した。


「リリオーネくん! 試験! 試験を受けなさ――い!」


(ここ五階だったよな――)


 窓に駆け寄り声を張り上げているミラーノを、ベルランはぼんやりと眺める。

 生徒が『五階』から飛び降りたことよりも、『修了試験』の方を心配する講師に、ベルランは少なからず驚いていた。


(さすが、都会は違うな……。いや、これこそ異世界か)


 前世の記憶を思い出してもうすぐで十年になりそうなのに、まだまだ戸惑うことが多い。

 いや、驚くことばかりだ。


「ミラーノ!」


 騎士学科のケープをまとった金髪の若者が駆け寄ってくる。


「リリオーネを見なかったか? アイツ、修了試験中に逃げ出したんだ」


 動揺しているようだが、リリオーネを追う講師の呼吸は乱れていない。

 座学ではなく、実践教官なのだろう。

 ミラーノは黙って窓の外を指さす。


「わかった。『あっち』だな」


(え……)


 金髪の若者もまた、窓枠に足をかけ、身を乗り出す。

 その姿に迷いは一切ない。

 勢いをつけて若者も窓から飛び降りる。


(えええ……っ!)


 躊躇なく飛び降りた金髪の講師にも驚いたが、平然とした顔で窓を閉めたミラーノに、ベルランは唖然とする。


 ここは最上階の五階だが、公共の建造物なので天井が高い。『ニンゲン』以外の種族と共存しているからか、色々なモノのサイズが前世とは違った。


 前世での感覚でいうと、倍とまではいかないが、ほぼ七、八階くらいの高さに相当するだろう。


(どっちの世界も、やはり首都はちがうなぁ)


 立ち上がり、乱れた服装と髪を整えながら、ベルランは平静を保つよう努力を払う。


 西の果ての竜が空飛ぶ辺境地――と云われる田舎で生まれ育ったベルランは、今まで平屋、よくて平屋に屋根裏部屋という家屋しか知らずに育ってきた。


 高い建物だと、竜が低空飛行したときに、ぶつかる可能性があるからだ。


 よって、領主の館も二階建てだった。

 国境沿いの砦は、巨人の侵入でも防ぐつもりなのか、と思われるくらいに高い壁で、見張り塔もそれなりの高さがあったが……。


 この世界には三階建て以上の建物はないと思っていたのに、帝都の建造物の高さにめまいを覚えていた。

 もちろん帝都に平屋もあるにはあるが、平均的な建物の高さは三階だ。


 前世の記憶がなければ醜態を晒していたところである。

 上京した頃の記憶がふと脳裏に蘇る。

 ぽかんと口を開けたまま、巨大なビル群を眺めていた記憶だ。


「ベルランくん、驚かせてごめんなさいね。大丈夫かしら?」

「はい。大丈夫です」


 早朝から色々とありすぎて、全くもって大丈夫ではなかったのだが、八男であっても辺境伯の子息である。

 帝都で醜態は晒すなよ、と母から脅され……いや、脅迫、いや、恫喝……? まあ、なんであれ、強く念押しされているので、簡単に弱音は吐けない。

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