第51話
ヘーゲン砦とミストラの陥落という二つの敗報は、ラグランスにとってどれほどの痛手になっていたのか、その表情から察することはできない。
ラグランスは常に泰然としている。まるで、この大陸に起こっていることが実に些末で、ややもすれば他愛もない、杯の水野並の程にしかかんがえていないのかもしれない。
「いかがいたしましょう」
円卓の一人であるシモンヌがラグランスに今後の事を尋ねたが、ラグランスは、
「貴様が考えて決めろ」
といっただけだった。そして円卓を外れ、大広間を出て行く。円卓の者のうち、ハーロルトはすでに死亡、ダイセンとマクミットは行方不明、ボーンズは戦死となって、残る円卓の者はヘクナームを筆頭に五人だけになっていた。
ラグランスに突き放された格好となったシモンヌは、顔を真っ赤にして円卓を叩いた。
「なにを考えておられるのか、さっぱりわからん」
「シモンヌ、陛下には私からもう一度お考えを聞いておく。ここは気を鎮められよ」
「しかし、勢いづいたやつらはここに攻め込んでくるのは間違いない。今のままでは、とても兵たちはついていくことはないだろう」
「そこまでだ。それ以上は陛下への反逆と見なされるがよいのか?」
シモンヌはまだ言いたげにしていたが、ヘクナームを睨みながらもそれ以上は何も言わなかった。
この円卓の会議で決まった事はない。はっきり言えば、現状を追認する事すらできず、会議が散じた後、シモンヌ他の円卓の者たちは、
「今のうちに亡命するべきだろう」
と、口々に確認しあったほどで、如何にバディストンが死に体になっているのかがよくわかる。
ヘクナームは円卓の者たちが出て行くのを見届けてから、ラグランスのいる部屋に向かった。
ラグランスは軽装鎧から平服に着替えて、行政の決裁に判を押したり、国民の陳情に目を通したりしていた。
「陛下」
「何も、出なかったろう?逃げ出す時はそのようなものだ」
「私は、逃げ出すことを致しません。いつも、陛下の御側に侍ることがなによりでございますので」
ラグランスは陳情書から目を離してヘクナームを一瞥しただけだった。ヘクナームは構わずに続ける。
「二つの拠点が陥落した以上、シーフ=ロードとムーラ、神の森の残党は手を組み、戦いを仕掛けてくるでしょう。頼りになるはずだったボーンズは戦死、ダイセンはおそらくムーラによって拘束されていると考えるのが適切かと思います」
ラグランスは尚も沈黙している。
「仮に、連合軍、と呼称しますが、この連合軍は恐らくルミル平原で戦いを誘って来るでしょう。平原での会戦は、兵数物量共に、こちらが不利になります」
ラグランスからは反応がない。
「陛下?」
「ヘクナーム」
「はい」
「邪魔だ」
余計な口出しをするな、というラグランスの合図と読み取ったヘクナームは恭しく一礼して去った。
バディストンの民の不安は、大きな怪物の影のように分かりやすい。館に戻るまでのさほどでもない距離ですら、民の不安は小石のようにぱらぱらとヘクナームの体にあたる。
館に戻ったとき、待っていた者を見るなり、
「しくじりが多いな、ロクサーヌ」
とローブをかぶっている老人のような男にいった。
「行く先々であいつに邪魔をされる」
「エファルか?」
「ああ。どうにも俺にとっては疫病神のようだ。もっとも、あいつの馬を盗もうとした所から始まっているから、自ら招いた災いともいえるがな」
「笑っている場合か。これでレザリアの連中と我々とでムーラを分割して略奪する計画がなくなった。せめて、鉄盤くらいは盗ってきているだろうな?」
ここだ、とロクサーヌはヘクナームに渡した。
「どこにあった?」
「神の森の長老が持っていた。あそこを襲撃した時、どさくさに紛れて奪ってきた」
「これも遠回りだったな」
「これもエファルの邪魔が入らなかったらこうはならなかった」
「憎いか?」
「ああ、色々と邪魔をしてくれる。一つくらいはやり返したいものだ」
「もうじき、やつはここへくる。そのときが好機だ」
「そうかい。じゃあ楽しみにさせてもらうよ」
ロクサーヌは次第にロクサーヌの様子が変わっていき、ついには竜族の者へと変化した。エファルはこの者の姿をよく知っている。だが、それはロクサーヌではなく、ベラグラハムと呼ぶはずだ。
ベラグラハムが部屋へ戻っていく。ヘクナームは自身の書斎に入り、鉄盤の全てを調べ始めたのだった。
ムーラと神の森の軍が、シーフ=ロード軍が待っているルミル平原へと向かい合流した。
この時点で、連合軍の兵力は六千五百ほどで、二つの拠点を陥落させ、合成獣を仕留めた代償としては、決して小さくない。
ゴードン卿、ラルミゴ・ラスフェン、そしてエファルは、ルミル平原において会談した。会談、というより、連合軍としての方針を決める、軍議、といった方の性格が強い。
ルミル平原を中心とした地図を広げている。
「バディストンの軍勢は、ミストラとヘーゲン砦の敗残兵を集めていかばかりかな」
「恐らく五千もないかと」
ラルミゴの答えに、ゴードン卿は頷く。
「こちらが七千を下回るほどだから、数で押し切るというのは難しいな」
「その上、こちらは連合ですから、連携を上手くとらねば、各個撃破される可能性もあります」
「その為には、ここで作戦を十分に練る必要がある。バディストンの陣立て次第ということもあるが、おそらく奇襲か、正面からやってくるか。この二つに一つだな」
「そう考えるのが妥当なところでしょうが、ラグランスは何を考えているのか分からぬ人物ですから、警戒はするべきかと」
「エファル、お前はどう思う」
「このように原っぱでの戦の場合は、まず小細工が通用せぬでしょう。近くに砦があるわけでもなく、隠れる場所も少ないことから鑑みて、真っ向勝負になる公算が高いかと。さほどに兵力の差もなく、後は個々の士気と奮戦に頼るしかありませぬ。それに、バディストンはこの戦で敗ければ最早なすすべがないほど追込まれており申す。『窮鼠猫を噛む』との喩えもありますれば、努々御油断なきことが肝要でござる」
「結局は、力勝負ということか」
ゴードン卿はため息をついた。
「できれば、兵力はある程度は温存させたいが、そうもいっておられぬということだろう」
「この戦が終れば、ひとまず戦はなくなり申す」
「問題はその後だ。バディストンの処置を考えるに、駐屯する軍勢が少なければ思うように鎮撫することも出来ない」
「ゴードン卿。まさか貴方は、制圧後のバディストン公国の処分を貴国で行うつもりか?」
「それがどうかしたか」
「我らも、ミストラを侵略された被害者だ。処分は我々も行う権利がある」
「それをいうなら、一番は神の森のエルフに任せる方がよいかもしれんな。何せ森を焼き払われているのだからな」
「しかし、神の森は国家ではない。それに、エルフの被害は甚大で、聞くところによると、エルフの統率者はすでに死亡しているというではないか」
「さすがに、盗っ人から身を起こした国は耳も早いな」
「老体、侮辱するならば容赦はしない」
ラルミゴが剣の柄に手をかけたところで、
「お待ちあれ。ここは内輪もめをしている場合ではござらぬ。この戦をまず第一に考えるべきでござろう」
エファルはそういって、柄に手にかけたラルミゴの手を抑えた。ラルミゴはエファルの手を放そうと躍起になっているが、微動だにしない。
「わかった。だが老体の言葉は、月下の鷹騎士団の団長として、厳重に抗議する」
「ゴードン殿、ちと言葉が過ぎましたな」
「そうかもな。つい、昔のことを考える。シーフ=ロードが幾度となく我らの国境を侵そうと狙っていた昔をな」
それは、ラルミゴも知らない昔のことだ。バディストンが国として興る以前のこと、シーフ=ロードが、北方の地域を併呑しようとしたことがあった。北方地域には北極山脈、獣人の町、そして北方のドワーフ国がある。このうち、シーフ=ロードが目をつけたのはドワーフ国との交易で、これが成功すれば、ドワーフから調達した武器を手に、ムーラ、ひいてはレザリアと、ガルネリア西大陸の北半分を征服しようした、というものだ。
無論、東の大国とはいえ、ムーラとレザリアが同盟を結んで対決すれば、双方とも無事では済まない。だが、ムーラとレザリアの偵察によれば、シーフ=ロードが窺っていたのは事実で、ムーラとレザリアの急接近によって、シーフ=ロードの覇道はひとまず沈静化した、とされている。
「以前はともかく、今はそのような国ではない」
ラルミゴは抗議したが、
「事実を話したまでだ。今がどうあろうがそれは関わりないことだ」
と、ゴードン卿も引かない。
「またも話が外れておりまするぞ、双方とも。とにかく、戦の陣立てと手立てを考えましょうぞ」
「そうだったな、すまなかった」
めずらしくゴードン卿が頭を下げた。
「らるみご殿も、これ以上は無用に存ずる」
再び地図に目を落とした三人は、やはりバディストンは正攻法で攻めてくることはないと考え、
「恐らく夜襲を仕掛けてくる可能性が高い」
という結論に至った。
「奇襲に備えて警備を手厚くするか」
ゴードン卿の提案にエファルは首を振った。
「むしろ、呼びこませて敵を深く潜り込ませ、一気に討ち果たすのがよろしいかと」
「なるほどな、ではそれで行こう」
連合軍の陣地はあけすけに広く取り、まるで点在するようにして宿営を建てた。
ルミル平原の夜は『天の山脈』からの吹き下ろしで、日中と違い、夜になると冷えてくる。宿営からこぼれる焚火の明かりが夜襲をかけるバディストン軍にとっては好都合だった。
バディストン軍は足音を忍ばせつつ宿営地にのすぐそばまで近づいたところで武器を構え、一気に突入した。
ところが、当然のように宿営地には人ひとりおらず、すでに作戦が見透かされていたと分るや、
「撤退だ!」
と叫んだもののすでに時遅く、奇襲部隊は悉く捕らえられ、また激しく抵抗したものは空しく命を散らすだけに終わった。
奇襲部隊の指揮を執っていたのは、エファルもよく知っている、サイラスという男で、円卓の者ではないが、有能な軍人ということだった。
「殺すには惜しい男でござる」
「引き込めるか?」
「それは難しゅうござる。バディストンの将は、皆それぞれに忠節を誓う者ばかりで、主家を裏切るということはありませぬな」
サイラスは捕虜として、連合軍に連れられることになった。
「これで、向こうも決戦を挑むしかなくなったわけだな」
ゴードン卿が安堵したようにいった。
「左様でござりまする。最早向こうに策を弄する余力も残ってはおりますまい」
「それにしても、小国としてやれることはやってきたのだろうが、やはり小国故の宿命には逆らえなかったわけか」
「不相応な戦いを挑むべきではありませなんだ」
エファルはどうにも言い難い複雑な表情をしていた。
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