第44話

 フレデリック・ゴードンと、エファル、そしてアーフェルタインの三人は、レザリアの首都『聖道ホーリー・ロード』の中で一番に大きい宿の『女神の涙』に逗留している。

「さて、とりあえずは、ハイアットさんにお会いしますか?」

 アーフェルタインの提案にフレデリックは頷く。

「話が聞けるかどうかは分からないけどね。でも、彼女に会うしかない」



 その、ハイアット・ルースの出自についてはかつて述べた通りだが、他に彼女自身の政治的立場は、融和派となっている。融和とは、ムーラとは友好関係を深くし、併呑する拡大派とは対抗する関係にある。

 そのハイアット・ルースに、一つの嫌疑がかかった。


「ムーラのボールド・ゴードンの暗殺をたくらんだ」

 というもので、ムーラからやって来た商人たちから広まったものだった。ハイアットの周りは、普段からのハイアットの人となりを知っているから、一種の怪文書のように怪しいものとして信じていなかったが、ボールド・ゴードンの嫡男、フレデリック・ゴードンがレザリアに入っている、という話が持ち上がり始めてから、事態は、ハイアットにとって不利な方向に進み始めている。


「冗談でしょ?」

 ハイアットは、いつもの辛辣な口調を鋭くさせ、いかにも嫌悪感を隠そうともしない。

「なんで、私がわざわざムーラまで出向いて、そんな危険な真似をしなきゃいけないわけ?」

 おなじ内政省の同僚のナイア・ブリーズは、困惑気味の作り笑いを浮べた。


「でも、ムーラから来た商人たちがこぞって言っているんだよ?それも一人や二人ならまだしも、取引している商人たちがこぞって話しているんだ、全くの出鱈目とは思えなくなるのは当然だと思うよ?」

「じゃあ聞きますけど、私、最近、ムーラに行ったことがありますか?ここんところずっと内政省に詰めっきりですよ?どうやって、ムーラに行くんですか?」

「でもさ、ハイアット。たしか、『瞬間移動』使えたよね?」

「確かに使えますよ?でも、私が、ゴードン卿を殺す動機がありますか?そんなことをしたら、ただ二国間の関係がくずれるだけじゃない」

「それを狙ったとしたら?」

「じゃあ、そのために私に罪をかぶせようと?」

「もし君のいう通りだったとしたら、そう考えるのが妥当なところなんじゃないかな?」


 ナイアがそう言い終わるや否や、

「ハイアット・ルース。皇帝陛下がおよびだ」

 と、レザリア雷騎士団の騎士がやってきた。

「皇帝陛下が?」

「用件は、わかっているな?」

「……、はい」

「では、いくぞ」


 『聖道』の中心にある『聖王宮ホーリパレス』。そこには聖皇帝ガルクォード十二世が起居し、政務をこなし、国を統べている。帝国の象徴の色である『薄翡翠色』をそのまま継いだような短髪と一見して女神の落とし子のような端正な顔を、歴年の研鑽の果てに作り上げられた筋肉質な体に乗せていて、その体は普段着のローブで包み、謁見の間の玉座に座っている。その脇にいるのは、レザリアで首席の宮廷魔術師のデ・モンドという人物で、根っからの文官気質のために騎士団とは相性が悪い。なにより、黒い噂も耳に入るほどで、ハイアットにはどうにも許したくない人物だ。


「ハイアット・ルースを連れてまいりました」

「これへ」

 騎士は、ハイアットを聖皇帝の前に引き立てた。

「ご苦労だった。任に戻れ」

 騎士が元の任に戻ると、謁見の間には、ハイアットと聖皇帝の二人のみになった。

「ハイアット」

「は、はい」

 この時ばかりは、ハイアットはいつものような辛辣さはなく、ただ畏まっている。

「ムーラから来た商人たちの噂を聞いているか?」

「は、はい」

「どのようなものが言ってみろ」

「わ、私が、ムーラのボールド・ゴードン卿を暗殺しようとした、とか」


 聖皇帝の表情は微動だに揺るがない。

「にわかには、信じがたい噂話だ。悪質ともいえる。ただ、そこにいる、ムーラからの客人がやって来た時、この噂話を一蹴することを躊躇った」


 ハイアットが聖皇帝の指さす方を見ると、フレデリック・ゴードン、エファル、アーフェルタインの三人が畏まって座っていた。とくに、エファルは、しっかりと胡坐をかき、両の拳を床につけて頭を下げ続けている。


「ハイアット・ルース。もしお前が本当にそのような事を犯したのであれば、我が帝国と友国との絆を壊そうとした、内乱誘致によって、処罰せねばならない」

 内乱誘致の量刑は、広場で行なわれる、断頭台による斬首だ。


「陛下。私は、決してそのような事はしておりません。そもそも、私はこの所内務省にかかりきりで、ムーラに行く暇がありませんでした。それに、知らない仲でもないゴードン卿を殺す動機がありません。もし、我が帝国とムーラを引き離すために行なうのであれば、私ならもっとうまくやれる自信があります」


 ハイアットは臆しなかった。身に覚えのない罪で、首と胴をいいように離されてしまうのは、当然ながら全く納得がいかないことだ。

「ムーラの客人、このように言っているが?」

「私も、ハイアット女史については、よく知っているよく知っています。そのような事をするはずがない、聡明な女性であることも分かっています。しかしあの時、我々の前にいたのは、たしかに、ハイアット・ルースに違いありません」


 フレデリック・ゴードンの言葉に、黙って耳を傾けていた聖皇帝は、ハイアットに、

「考えられることは三つだ。一つは、お前が嘘をついている事。一つは、そこの客人が嘘をついている事。最後の一つは、双方が真実を話している事だ。そして、それを証明する術は、本人にしかない」

「無実であれば、自ら証明しろ、とおっしゃるのですか?」

「そこの客人とともに、証明をしろ」

 聖皇帝はそういって立ち上ると、謁見の間を出て行った。

「……、フレッド。どういうこと?私が、ゴードン卿を殺そうとしたですって?」

 ハイアットがフレデリックに詰め寄る。

「ここじゃ、話がしにくい。『女神の涙』で部屋を取っている。話すなら、そこで」

「わかったわ。覚悟なさい」

 フレデリックたちが出て行く背中を、ハイアットは睨み付けていた。



『女神の涙』亭の部屋は、この大陸には珍しい大部屋型で、最大で五人ほど寝泊まりが出来る。フレデリックたちにとっては十分すぎるほどの広さだ。おそらく冒険者たち用にあつらえた部屋なのだろう。窓を開けると、眼下に大通りが広がり、人通りが手にとるようにわかる。


「来ますかね?彼女は」

 アーフェルタインが眺めながらいった。

「来ますよ、彼女の性格は私がよく知っていますから」

「よく知っておられるようですが」

「このレザリアと我がムーラが同盟関係にあるのは以前話した通りなのですが、その時の使節の一人として、我がムーラに来たのが彼女でした。彼女は内政省ですから、外交は管轄外のはずなのですが、彼女の祖父であるルース卿と、私の父が知り合いという関係から来たのだそうです。それ以来彼女は何かとムーラに来ていましたからね」

「両国の関係は、ずいぶん親密ですね」

「手に手をとりあわなければ生き延びることが出来ない、と考えているのでしょう。シーフ=ロードの事もありますし」

「我々エルフには、どうにも分かりませんね。……、そういえば、エファルさんの作法はずいぶんと変わったものでしたが、狼族はああするものなのですか?」

「いや、恐らくそれがしのみでござろう。拝謁するにあたり、上様や殿のご尊顔を直に見るのは礼を失するるゆえ、あのようにして居たのでござる。いくら他国とは申せ、上様にあたられる方であれば、あのようにするべきかと思うた次第」

「なるほど。……、来たようですよ」


 地面に八つ当たりをしているように歩くハイアットの姿は、全身から怒りがほとばしっているように見える。

「かなり、怒っているようですね」

「それはそうでしょうね。いきなり自身が重犯罪者扱いなのですから。まあ、分別がつかない彼女じゃありませんから、大丈夫だとは思いますが」


 乱暴に気の扉をたたく音がした。フレデリックが扉を開けた途端に、ハイアットはフレデリックに詰め寄る。ハイアットはフレデリックの胸を小突きながら、部屋に入って来た。

「どういう事?!私がゴードン卿を殺そうとしたって」

「落ちつくはずもないだろうが、ひとまずは、私の話を聞いてくれ」


 フレデリックは、ムーラのゴードン邸で起きたことを詳しく話した。そして、事実フレデリックたちがハイアットの顔を見たことも伝えると、

「それは私の偽物ね」

 と、自信たっぷりにハイアットが言う。


「だけど。……」

 フレデリックが言う前に、エファルがハイアットの匂いを嗅ぎだした。

「な、何よ」

「ふむ。……、フレデリック殿、おそらくハイアット殿の申されることが正しいかと存ずる」

「な、なぜですか?」

「匂いでござる。あの時、ムーラに来ていたハイアット殿の匂いと、この匂いはまるきり違うものにて、もしこの女性がまことにハイアット殿であれば、あれは偽者ということになり申す」

「どう違うのですか?」

 エファルは何かを思い出すようにして暫く考えていたが、やがて、

「卵が腐乱したような」

 といった。


「卵?」

 アーフェルタインが尋ねるのへ、このようなものだ、とエファルは器用に形を教えた。

「それが、卵ですか。……、もしかして、ニリトワの卵ですかね」

 アーフェルタインがそのニリトワの絵を浮かび上がらせた。


「左様、鶏でござるな。めんどりに相違ない」

「どこの世界にも似たようなものいるものですね。……、それにしても、その鼻は実に便利ですね」

 アーフェルタインが呆れたようにいうと、エファルも、

「実に犬の恐ろしさがよくわかり申す。それがしは狼でござるが」

 といって笑った。


「笑っている場合?無用な疑いを、わたしが晴らすことになったのよ?無神経すぎない?」

「それは平にご容赦願いたい。……、それはそれとして、では偽者のハイアット殿はどこの何者で、何故あのような事をしたのか、調べて証を立てるまで、貴殿の嫌疑は晴れ申さず。我らに合力願いたい」

 ハイアットは、憤然としながらもエファルの申し出には乗った。


「それにもうひとつ。偽者の私がそのような腐乱臭を出していることも信じられない。私の偽者を死霊で作るなんて」

「でもこれで一つ分かったことがある。今回の犯人は、相当の魔術技量を持った持ち主で、しかもレザリアとムーラの双方を知っている。そしてあれだけハイアットに似せられるということは、相当にハイアットに近しい人物、ということにならないか?」

「何?犯人は、レザリアの中にいるっていいたいの?フレッド」

「そういうことだ。それは言いかえれば、君に心当たりがある人物かもしれない。あるいは、君を恨んでいるかも」

「恨まれる?冗談じゃないわ、たかが一介の小役人の私を恨み人間がいるなんて信じられなくてよ?」

「そういう所だと思うぞ、ハイアット。……、まあそれはともかく、これで、おおよその輪郭はつかめたな。あとは、その人をどうやっておびき出すか、だな」

「それは、私に任せてほしい。絶対に見つけ出してやる」

「あまり無茶はしないでくれよ、父は君のことがお気に入りなんだから、何かあった時には私の立場がない」

 ハイアットはそれには応えなかったが、まんざらでもなさそうだった。

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