第43話

 ハイアット・ルースは、レザリアの中では中堅どころの役人ながら、祖父のハイランド・オプティス・ルース、レザリアではゴードン卿のように、『ルース卿』と呼ばれて親しまれている人物の孫娘で、このルース家もまた、ゴードン家のような立場でレザリアに仕えている。ただ、ゴードン家と違うのは、ルース家はあくまで役人の一つでしかなく、ゴードン卿のように国家を左右させるような力はない。


 そのハイアット・ルースを前にしたゴードン卿は、

「まさか、レザリアが儂の命を狙っていたとは驚きだ」

 と、何ともいえない顔をしていた。


「いえ、そうではないの、ゴードン卿。実は、私はゴードン卿の命を狙っている連中を突き止めるために、あそこにいたの。そして、レザリアの中でも、卿の事を疎ましく思って、命を狙う連中がいる」

「かの神聖帝国も一枚岩ではない、ということか」

「そういうこと。そしてそれはムーラでも同じでしょ?その連中同士が手を結んでいる、としたら?」

「急所を、儂と見定めたか。その連中は見る目があるな」

「笑っている場合ではなくってよ?こちらに来る途中でフレッドから聞いたけど、命を狙われたのでしょう?」

「ああ、狙われたとも。まあ、そこの狼族の者に助けられ、その者は捕らえてある。札はこちらも何とかある状況だ」


 ハイアットはエファルを睨み付けるように見やると、

「この狼族は何?私の事をじろじろと見回すし、狼族のくせに奇妙な言葉遣いだし」

 と、駄々をこねるように言った。

「まあ、そういうな、お嬢さん。エファルはああみえて頼りになる男だ」


 ふうん、とハイアットはまたしてもエファルを見る。エファルは何も言わず、無表情に立っているだけだった。

「まあ、いいわ。私も場違いだったし。……、そういえば、ムーラはバディストンと事を構える、という噂を耳にしたのだけれど、本当?」

「いくら同盟を結んでいるとはいえ、国家の機密を他国の人間にそうやすやすと漏らすわけにはいかんことくらいはわかるだろう?」

「ええ。でも、これは我が帝国と貴国との重大な局面ですよ?貴国が対外戦争をするというのなら、我が帝国も同調すべきかと」

「……、ガルクォードという御仁は、売られた喧嘩を他人に頼るのか?」

「いいえ、そのようなことは決してありません」

「ならば、何故介入する?」


 ハイアットが言葉に詰まるのへ、ゴードン卿は畳みかけるように続ける。

「これは、ムーラ及びシーフ=ロードと、バディストンとの喧嘩だ。そこに関係のないレザリアが入ることはない。もっといえば、我がムーラは、レザリアの同盟であって、傘下ではない。そこまでの小国ではないぞ」

「……、そんなことだから、命を狙われるのよ」

「確かに、レザリアと同盟を結びながらレザリアに靡かぬ人間は、厄介に見えるだろうな。だがな、お嬢さん。同盟を結ぶということは、国を売り渡すことではないぞ。レザリアと我々は、シーフ=ロードと南の小国群の関係とは違うのだからな」

「分かっています。ですが、我が帝国の中にも、貴国を併呑せしめてしまい、勢力を伸ばそうと考える不心得者もいます。その連中が、突拍子もない事をやりはしないか、と陛下は考えておられます」

「ということは、少なくとも聖皇帝殿の指示は出ていない、ということか」

「当然でございましょう?聡明なる聖皇帝陛下が、そのような野蛮なことを指図するはずがございません」

「まあ、よかろう。実行犯はこちらで預かっているから、そちらで探索をするならば好きにされるがよろしかろう。我々は我々でつきとめるまでだ」


 わかりました、とハイアットが席を立った時、ゴードン卿が尋ねた。

「お嬢さんが来ることは、聖皇帝殿は知っているのか?」

「私がここに来るのは、陛下のご命令によるものです」


 ハイアットは命令書をゴードン卿にわざわざ手渡した。そこには、ゴードン卿の身辺を探って無事を確認し、意思疎通を図るように、という旨の聖皇帝ガルクォード十二世の署名の入った、正式なものだった。

「では、これで失礼します。くれぐれも、ご身辺にお気をつけますよう」


 ハイアットはエファルの目の前に立ち、

「ゴードン卿に何かあったら承知しませんから」

 と、やり返すように見回した。

「無論のこと。貴殿にそこまで心配をしていただき、実にいたみいる」

 嫌味な奴、とハイアットは聞こえるほどの独り言を残してゴードン邸を出て行った。


「……、何か、悪いことでもしたのでござろうかな」

「悪い娘ではないのだが、獣人系が苦手らしい。まあ、お前が気にすることじゃないさ」

「はあ。……、さてこれからのことでござるが」

「主犯を見つける、というやつか。あそこで騒ぎが起きてしまった以上、敵は勘づいたと考えるべきだろうな」

「ということは、父さん。もう、手段は残っていないということになりませんか?」

「甘いなあ、フレッドは。別の手段を探せばよいだけのことじゃないか」

「ですが、どうやって。……」


 アーフェルタインが言った。

「相手をおびき出す以外にはないでしょうね」

「しかし、すでに殺されたと喧伝しているわけだから、その手は使えませんよ?」

「フレデリックさん、我々にはもう一つ残っていますよ?」

「あ。……」


 フレデリックは小男が吊るされている倉庫に向かった。

 警備兵の監視の中で、小男はすでに意識を取り戻していた。自らの尿の匂いに顔をしかめている。

「話す事は話したぞ、おろしてくれよ」

「一つ仕事をしてくれれば、助けてやる」

「なんでもする。なんでもするから、助けてくれ」


 わかった、とフレデリックは警備兵に下ろさせると、小男はフレデリックの前にたった。

「何をすればいい」

「先ずは、お前が出した『モノ』を片付けろ。話はそれからだ」

 小男は警備兵が見ている中、倉庫を掃除し始めた。尿の跡は残ってしまったが、匂いはあらかた消えていた。


「これでいいのか?」

「それだけじゃないぞ。お前には、囮になってもらう。お前の雇い主をおびき出すためにな」

「じょ、冗談いうなよ」

「冗談ではない。お前が宿に行けば、お前の雇い主は必ず接触するはずだ。そこを狙う」

「こ、殺されるよ、俺が」

「最大限の努力はする。それは約束しよう。それか、ここで死ぬか。そこにいる警備兵は、昔、反政府組織を壊滅させるために出征し、少なくとも数人の人間を斃したことがある。よしんばその男から逃げおおせても、結局はつかまることなるがね」

「わ、わかった。協力するから、その前にこの足を治してくれ」



 小男は『マナズ・イン』の掲示板近くの卓に座って、息をひそめてあたりを窺っている。

 宿全体を見渡せる隅にフレデリック、宿の表の扉近くにエファル、そして、宿から離れた場所にアーフェルタインが『遠目の魔術』を使って監視している。


 小男の座っている卓に、何人かの冒険者が座って小男に話しかけては、不調そうな顔をして直ぐに離れていく。おそらく冒険や依頼を誘っているのだろう。

 簡単に引っかかるかどうかは、誰にもわからない。ただ、あの小男の運に賭けるしかない。


 日が落ちはじめ、冒険者たちは宿に入っていき、酒場の客も出て行って人気がなくなった頃、小男の前に外套に全身を覆った者が小男の前に座った。小男の反応がそれまでと違って、明らかに狼狽している。


 小男とその者はしばらく話していたが、やがてその者が立ち上がると、小男もそれに応じて立上がり、二人は揃って宿を出て行った。フレデリックが二人との距離をとりつつ同じように宿を出て行くと、エファルも合流し、アーフェルタインは遠目の魔術で更にその後ろを追う。


 小さな袋小路に入ったところで、外套の者はだしぬけに、無言のままに小男の胸を突き刺した。崩れ落ち、倒れる小男。フレデリックとエファルが飛び込んだ時、小男はすでに息絶えていた。


 二人が外套の者と対峙した、その時。取り外した外套から見えた顔を、フレデリックは神話の中に出てくる悪魔を見るような、驚きと恐怖が入り交じったような顔をして、

「ハイアット。……、なぜ」


 というと、ハイアット・ルースは、挑発するような憎々しい笑みを浮べて掻き消えた。

 フレデリックは回復魔術を小男にかけたが、すでに息絶えている小男に効果はなく、小男の反応はなかった。

 アーフェルタインがやって来たのはちょうどその時だった。


「何があったのですか」

 フレデリックは言葉を発する気力を持たず、エファルは、

「ひとまずここを出て、しかるべき弔いをし、あの者の亡骸を葬らねばならぬ」

「わかりました。フレデリックさん、よろしいですね?」

「あ。……、ああ、あの小男の死体は、警備隊に任せた方がよいでしょう。私が、話してきます」


 力ないまま、フレデリックは警備隊を呼び、程なくして警備隊が死体を引き取りに現れた。エファルはフレデリックの代わりに事情をうまく話し、ひとまずゴードン邸にいるから、何かあれば連絡するように、と言い残して三人はその場を後にした。



「まさか、お嬢がのう」

 ゴードン卿も、少しばかり信じるには難しいようで、迷っているような複雑な顔をしていた。

「フレッド、間違いないのだな?」

「ええ、確かに、ハイアット・ルースに間違いありませんでした」

「ここへ来たのは、死んだかどうかを確かめるためだったか。それにしても、聖皇帝も酷な事をする」

「ゴードン殿は、あの女性の裏に、その例のていこくなる存在がある、と」

「まさか、聖皇帝殿がそのような下品な真似をするとは思えんが、レザリアの中にも、儂に対して思う所がある連中はいるということだ」

「ひとつ、いいですか?」

「どうした、エルフ」

「ゴードンさんは、心当たりはありますか?その、レザリアから狙われるような訳を」


 さあな、とゴードン卿はなかば自棄のようなため息をついた。

「恨まれるの内外問わず方々だからな。死んで都合のいい連中も、うず高くいるだろうよ」

「ですが、レザリアとムーラは同盟関係ですよね?それをわざわざ壊すような真似をするものでしょうか?」

「……、レザリアの中には、このムーラを併呑しよう、という拡大派、という連中がいるという話をしていたろう?ムーラを一見独立したように見せかけ、しかし実態は半ば植民地のようにして、裏から操ろう、というな」

「それをして何になるですか?」


「東のシーフ=ロードと対抗するためだよ。シーフ=ロードは、南方の小国たちを保護という名目のもとに、事実上の支配下にある。それに対抗するとしても、レザリアは隣に我がムーラ、南に行けばウルフ=アイに突きあたる。それを考えた時、同盟地を浸食していき、精神的支配に置こうとするのは自然な成り行きだ。そして、それは同地から独立の気風を奪い、ついに依存させる。『静かなる侵略』というわけさ」

「中々に人間というのは奇妙なことをするものですね」

「そこはエルフにはわからんさ。エルフが自分の国を持たぬ事が我々人間には分からぬようにな」


「そのあたりの見解の相違は横に置いておいて、ひとまず、レザリアを探ってみませんか?もし聖皇帝の命令であったとしたら、これはもう宣戦布告というやつですし、もしそうでなければ、レザリアの闇をあぶりだす好機です。……、それともうひとつ」

「もうひとつ?」

「そもそも、彼女が、真にハイアット・ルースに間違いないか、どうかです。それを確かめるためにも、レザリアに向かうことをお勧めしますが」

「待て、エルフ。そのようなことに割く時間はあるのか?バディストンとの戦いはどうするというのだ」

「ここまできて引き下がるわけにはいきませんし、これは、我々神の森と、ムーラとの友好の手助けと思ってください」

 ゴードン卿はただ一言、

「神の森とムーラの友好の永続を約束しよう」

 といったきり、何も言葉を発しなかった。

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